善意の剥製   作:タロットゼロ

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『ステイン:赤黒き弔いのマフラー、真白才子を、私は決して忘れない』

【10年前・初冬:地方都市の駅前広場】

夕暮れの駅前、冷たい風が吹き抜ける中、一人の青年がビール箱の上に立っていた。

ボロボロのコートを羽織り、手書きの看板を掲げた赤黒血染だ。

「……皆さん、今一度考えてください! ヒーローとは、対価を求める職業ではない! 己の損得を捨て、ただ『救う』という衝動に殉じる魂の在り方なのだ!」

叫びは、帰路を急ぐ群衆の波に虚しく吸い込まれていく。

ある者は薄笑いを浮かべて通り過ぎ、ある者は不審者を見る目で距離を置く。

(……くそ。誰も、誰一人として耳を貸さない……)

握りしめた看板の端が指の力でひしゃげる。

ヒーロー科を中退し、私財を投じ、理想を叫び続けて数ヶ月。

喉は枯れ、胃の奥には焼けるような焦燥感と、自分自身の無力さへの絶望が沈殿していた。

「結局、言葉では届かないのか……。この社会は、もう……」

赤黒が膝を折りかけ、箱から降りようとした、その時だった。

大型ビジョンのニュース速報が、街の喧騒を切り裂いた。

『速報:北海道で大規模事故。九歳の少女が個性を発揮し、四名を救出』

赤黒は動きを止めた。

画面には、横転した巨大なタンクローリーと、その下敷きになった車。

そして、白いマフラーを巻いた、あまりにも小さな少女――真白才子が映し出されていた。

ぐ、と重苦しい音を立てて、数十トンの鋼鉄が「浮く」。

物理法則を超えたその光景に、駅前を行く人々も足を止め、息を呑んで画面を見上げた。

「……九歳……だと……?」

赤黒の目に、熱い光が宿る。

彼女の動きには、一切の迷いがなかった。

カメラも、名声も、ヒーロー免許という「許可証」の存在すら頭にない。

ただ、目の前の命を救うために全霊を傾ける。

赤黒の全身に、戦慄にも似た感動が走った。

「これだ……。これこそが、私が追い求めていた『本物』の輝きだ……!」

画面の中で、才子が救い出した家族が泣き崩れている。

赤黒は、震える手で自分の看板を強く握り直した。

(何を挫けそうになっていた、私は……! 九歳の子どもが、たった一人でこの腐った世界の淀みを、その腕で押し退けてみせたというのに!)

彼は再び、ビール箱の上に力強く踏み出した。

先ほどまでの絶望は消え、瞳には狂気にも似た「希望」が燃え盛っている。

「皆さん! 見てください! 今、画面に映ったあの少女こそが、真のヒーローだ! 制度や法に縛られる前の、人間が持つべき最も美しい衝動だ! 私は諦めない……! あの子の歩む世界を、より正しく、より高潔なものにするために、私は叫び続ける!」

枯れていたはずの声が、今までで一番大きく、鋭く響き渡る。

赤黒血染は、この時、心から信じていた。

真白才子という「奇跡」が現れたこの社会は、これから良くなっていくはずだと。

……そのわずか数週間後。

彼女が社会によって「排除すべきイレギュラー」として処刑台に立たされるのを、彼はまだ知らない。

その絶望の深さが、彼から「言葉」を奪い、代わりに「刃」を握らせることになるのだ。

【数週間後:安アパートの一室】

狭い部屋の隅、型落ちのブラウン管テレビが、騒がしい午後のワイドショーを映し出していた。

画面には、事故現場の才子の静止画に重ねて、ポップなフォントのテロップが躍る。

『徹底検証! 天使の素顔と驚異の個性』

『近隣住民が語る、真白才子さんの意外な一面』

「……反吐が出る」

赤黒は、床に散らばった自作の資料を握りつぶした。

画面の中では、司会者が薄ら笑いを浮かべ、才子の好きな食べ物や、学校での成績、果ては「もし彼女がプロになるなら、どの事務所がスカウトすべきか」といった、救いようのない空論を並べ立てている。

「あの子が、あの時、何を背負って鉄を持ち上げたか……。それを考えようともせず、ただの『珍しいコンテンツ』として切り刻んでいる」

赤黒の視線は、テレビの横に立てかけられた、角がボロボロになった看板に向いた。

今朝も駅前に立った。だが、人々が話題にするのは「演説の内容」ではなく、「例の超能力少女の噂話」ばかりだった。

 

 

【春先:夕暮れの定食屋】

店内の隅に置かれたテレビ。ニュースキャスターが、どこか事務的な、それでいて「正論」を武器にした冷ややかな声で読み上げる。

『……北海道の事故で“天使”と称えられた少女が、再び無免許で個性を行使しました。今回は老人の救助が目的とされていますが、結果として現場のヒーロー活動を妨害。二次被害の危険を招いたとして、専門家からは厳しい声が上がっています』

カウンターでコップの水を飲み干そうとした赤黒の手が、ピタリと止まった。

画面には、横断歩道で尻もちをつく老人と、倒れたコーンを直す若手ヒーローの映像。

そして『善意か、軽率か』という、悪意に満ちたテロップ。

「……妨害、だと?」

赤黒の喉の奥から、地を這うような低い声が漏れた。

隣の席の客が、スマホを見ながら鼻で笑う。

「あーあ、またこの子か。一回チヤホヤされたからって調子乗ってんのかね。ヒーローの邪魔しちゃ世話ないわ」

「…………」

赤黒は、握りしめたコップの表面にピキリと亀裂が入るのを感じた。

はらわたが煮えくり返るとは、このことだ。

テレビでは、コメンテーターが尤もらしく頷いている。

『救われた命があるのは幸運でしたが、それは結果論です。ルールを逸脱した善意は、秩序を乱す毒でしかない。彼女には、社会的な責任を自覚させるべきでしょう』

「責任……? 秩序……!?」

赤黒は立ち上がった。椅子がガタンと大きな音を立てる。

彼の目には、かつてないほどの激昂が宿っていた。

(ふざけるな……! 目の前で車に撥ねられそうになった老人を、あの子は反射的に救ったんだ。ヒーローが間に合わなかったその数秒を、あの子の魂が埋めたんだ!)

あの日、タンクローリーを持ち上げた才子の輝きを、彼は誰よりも信じていた。

その「純粋な救済」を、この社会は「手続きの不備」として処理しようとしている。

(ヒーロー活動の妨害? 違う……! ヒーローが救えなかったものを救ったあの子を、お前たちが寄ってたかって『間違い』に仕立て上げているだけだ! 秩序を守るために命を見捨てろというのか!?)

店を出る赤黒の背中に、テレビの音声が追いすがる。

『……保護者の教育方針にも疑問の声が……』

外の空気はまだ冷たい。

赤黒は街頭に立ち、行き交う人々を、そして「平和」を装う街の灯りを見渡した。

「……あの子が持ち上げたのは、法律じゃない」

お父さんのあの言葉を、彼は呪文のように呟いた。

だが、今の社会は、その「鉄の塊」よりも「法律という紙切れ」の重さを優先し、一人の少女の心を圧殺しようとしている。

「間違っているのは、あの子じゃない……。この、息が詰まるほど『正しい』フリをした、お前たちの方だ……!!」

赤黒は夜の闇に向かって、声にならない叫びを飲み込んだ。

まだ刃は抜かない。だが、彼の中で「言葉」という武器は、今、確実にその形を失い、鋭く尖った「殺意」へと変質し始めていた。

 

『あの子、実はわがままらしいわよ』

『親が法律を軽視してるって、ネットで見たわ』

人々は、かつて絶賛した少女を、今は「娯楽」として叩き、消費し、飽きようとしている。

「……これだ。これこそが、制度に飼い慣らされた大衆の正体か」

テレビでは今、コメンテーターが神妙な顔をしてこう言った。

『彼女の善意は認めますが、やはり管理外の力は毒にもなり得ます。我々社会は、彼女を正しく“修正”せねばなりません』

「修正……だと?」

赤黒の奥歯が、ギリ、と鳴る。

剥き出しの善意を、制度という金型に押し込み、収まらなければ「不良品」として削り取る。それがこの社会の言う「正しさ」なのか。

「救いようがない。言葉は、もはや届かない。あの純粋な輝き(才子)を、お前たちはその薄汚れた手で、ただの『事件』へと成り下げた」

彼は立ち上がり、テレビの主電源を叩くように消した。

静まり返った部屋の中で、赤黒の呼吸だけが荒く、深く響く。

「あの子が持ち上げたのは、法律ではない。だが、法律がお前たちを守る盾だというなら……」

彼は、壁に掛けていた古いナイフの柄に手を伸ばした。

まだ、誰の血も吸っていない、冷たく光る鋼。

「その盾ごと、叩き割るしかない」

テレビに映る「天使」の笑顔を、最後の一押しとして、彼は闇に沈んだ。

真白才子という善意の剥製を、社会が作り上げようとするならば、自分はその剥製を作った「剥製師」たちを、一人残らず粛清する死神になろうと。

 

【数カ月後:雨の降る深夜、廃墟となった倉庫】

雨音がトタン屋根を叩く。湿ったコンクリートの匂いと、微かに混じる錆の香り。

薄暗い裸電球の下で、赤黒血染は、自分の限界を叩きつけるように拳を壁に打ち付けていた。

テレビから流れた、あの日のニュースが耳にこびりついて離れない。

『……真白家騒動、暴力沙汰へ。父親重体、母親死亡。長女の才子さんは行方不明』

「…………くそがッ!!」

鈍い音と共に、拳から血が滲む。だが、痛みは感じない。

心の中にある、はらわたを焼くような憤怒と、それ以上に重い「無力感」が、肉体の苦痛を塗りつぶしていた。

「……あの子は、ただ助けただけだ」

独り言が、冷たい空間に虚しく響く。

救助の瞬間に立ち会い、街頭でその正当性を叫び続けた。だが、結果はどうだ。

社会は彼女を「危険物」として扱い、メディアは「娯楽」として切り刻み、挙句の果てに自称・正義の市民が、彼女のささやかな家庭を地獄に変えた。

「言葉など……。何の意味もなかった。私が叫べば叫ぶほど、あの子は『特別な標的』にされていっただけじゃないか」

赤黒は、床に転がっていた、かつての街頭演説用の看板を見つめた。

手書きの『ヒーロー回帰論』。今は泥に汚れ、無惨に割れている。

彼はそれを、迷いなく踏み抜いた。

「この世は、腐っている。……根底から、救いようがないほどに」

彼は、壁に固定した自家製のトレーニング用サンドバッグに向き直った。

中には砂利と鉄屑が詰まっている。打てば打つほど、己の拳が壊れていくのがわかる。

(あの子は、鉄の塊を持ち上げた。……ならば私は、その鉄を叩き斬る力が欲しい)

制度に守られ、安全な場所から「正論」で人を殺す者たち。

あの子の善意を「不自然」だと断じ、追い詰めた「偽物」のヒーローたち。

彼らを黙らせるには、もはや言葉など不要だ。

「……才子。君を、見つけられなかった」

赤黒の脳裏に、白いマフラーを巻いた少女の、あの寂しげな問いが蘇る。

『助けちゃ、だめだった?』

その答えを、社会の誰一人として示さなかった。

「……ならば、私が答えになる。……君の善意を殺したこの世界を、私が浄化する」

一撃。

重いサンドバッグが大きく揺れる。

二撃。

滲んだ血が、コンクリートの床に点々と落ちる。

ここから、赤黒血染の「修行」は狂気を帯びていった。

睡眠を削り、食事を最小限にし、ただひたすらに「偽物を屠るための肉体」を作り上げる。

かつての理想主義者の目は死に、代わりに、静かで底知れない「殺意」の光が宿っていく。

「見ていろ。……あの子が持ち上げた法律という名の『鉄の塊』を、私が全て、血で塗り潰してやる」

雨音に紛れて、赤黒の呼吸が、獣のように鋭く研ぎ澄まされていった。

真白才子が「完璧な淑女」へと仕立て上げられている海の向こうで、日本では、彼女の悲劇を薪にして燃え上がる、最悪の「不浄(ステイン)」が産声を上げようとしていた

 

【数年後:深夜、都心のアパートの一室】

窓の外には、煌びやかな東京の夜景。

部屋の中は、高級な家具と、微かに残る安物のワインの匂い。

討論番組で名を馳せたコメンテーター、磯部は、ソファに深く腰掛け、満足げに自分の出演番組を録画で眺めていた。

『……ええ、真白才子の事件は悲劇でしたが、管理外の善意が招く混乱の好例です。社会は、彼女を反面教師とすべきでしょう』

画面の中の自分が、尤もらしい顔で頷く。

「ふん、あの時、俺が真っ先に『危険だ』と指摘したからこそ、今の秩序がある。誰も俺の先見の明には敵わないな」

磯部はグラスを傾け、独りごちた。

あの少女がどうなったか、両親がどう死んだかなど、彼にとっては「自分の正論」を補強する、過去のコンテンツに過ぎない。

その時だ。

「……秩序、か」

知らない声。

低く、地を這うような、冷徹な響き。

「誰だッ!?」

磯部が飛び起きると、部屋の隅、闇の中に、異様な男が立っていた。

ボロボロのコート、顔を覆う包帯、そして背中には無数の刃。

ステインだ。

「……貴様は、あの時、テレビの向こうで笑っていた」

ステインはゆっくりと歩を進める。足音はない。

だが、彼が纏う殺気だけで、部屋の空気が凍りついた。

「救おうとした少女の魂を、お前は『毒』と呼び、大衆の娯楽として切り刻んだ」

「な、何を……! 俺は社会のために、正論を……!」

磯部は後ずさり、壁に激突した。

ステインの目が、包帯の隙間で、爛々と燃え盛っている。

「正論だと? 安全な場所から、命を懸けた善意を否定するお前の言葉に、どれほどの重さがある?」

ステインは、首に巻いた白いマフラーに手を触れた。

数年前、才子が事故現場で巻いていたものと同じ、純白のマフラー。

彼は、あの少女の輝きを忘れないために、このマフラーを、自分の狂気の祭壇に捧げていた。

「お前たちの『正しい言葉』が、あの子を殺し、この世界を腐らせた」

「ひ、ひぃっ……! 助けて、誰か……!」

「対話は終わった。……お前には、その血で、あの子の善意を償ってもらう」

一閃。

磯部の悲鳴が、部屋の空気を切り裂き、すぐに途絶えた。

壁に、床に、高級なソファに、鮮やかな赤が飛び散る。

ステインは、絶命した男を見下ろしながら、静かに息を吐いた。

返り血が、彼の顔に、コートに、そして……首元の白いマフラーに、無数に点在する。

真白だったマフラーは、今、磯部の血を吸い、毒々しい赤色に染まっていった。

(……才子。君を殺した最初の澱みを、私は刈り取った)

ステインは、血塗られたマフラーを、愛おしげに、しかし残酷な手つきで指でなぞった。

(白では、この腐った世界は浄化できない。……ならば、このマフラーが、偽物の血で真っ赤に染まるまで、私は刃を振るい続けよう)

彼が部屋を去った後、壁には、磯部の血で描かれた、歪んだ『聖罰』の文字が残されていた。

数カ月後。

ヒーローばかりを執拗に狙う、正体不明の怪人。

首に血のように赤いマフラーを巻いた、最悪の粛清者。

『ヒーロー殺し・ステイン』

その名は、真白才子の事件が風化しかけていた社会に、新たな、そして消えることのない恐怖として、深く刻まれていくことになる。

海の向こうで「完璧な淑女」へと成長を続ける才子が、その名を耳にするのも、そう遠い日のことではない。

 

【数年後:深夜、路地裏の吹き溜まり】

雨に濡れたアスファルトの上で、一人の「プロヒーロー」が崩れ落ちていた。

名声に溺れ、救助よりもカメラ映りを優先した男。その喉元には、ステインの冷たい刃が突き立てられている。

「……あ、が……助け……」

「助けだと?」

ステインの声は、以前よりも低く、人間味を削ぎ落とした研磨剤のように響く。

「お前のような『紛い物』を救うために、この社会は、本物の魂(才子)を切り捨てたのだ」

ヒーローは、恐怖に歪んだ顔でステインを見上げる。

その目に、かつての少女の面影など微塵もない。彼はただ、目の前の死神の名前だけを、震える唇で繰り返す。

「ひ……ヒーロー、殺し……ステイン……!」

「ステイン……。そう、お前たちはその名に怯え、その名に酔いしれる。……だが、真実(あの子)の名は、もはや誰も口にしない」

ステインは、首元に巻かれた禍々しい赤色のマフラーを、泥のついた指でそっとなぞった。

かつては純白だった。

かつては、雪のように清らかな善意の象徴だった。

だが、今のそれは、幾人もの「偽物」の血を吸い込み、どす黒く変色し、夜の闇に沈んでいる。

「世の中は、あの子を忘れた。……都合の悪い傷跡を、新しいカサブタ(恐怖)で隠すように」

一閃。

迷いなく、ステインは刃を振り抜いた。

また一つ、この街から「不純物」が消える。

彼は、事切れたヒーローに一瞥もくれず、月すら見えない空を仰いだ。

脳裏にあるのは、あの春先の交差点。

救った老人に怯えられ、メディアに糾弾され、それでも「助けちゃ、だめだった?」と震えていた、九歳の少女の瞳。

「……真白才子」

その名を呼ぶ声だけは、慈しむように、呪うように、静かだった。

「世界がお前を忘れても。……いや、世界がお前を忘れるからこそ、私はお前を忘れない」

ステインは、血塗られたマフラーを口元まで引き上げた。

鉄の匂いが鼻をつく。だが、この匂いこそが、彼にとっての「弔い」だった。

「君が持ち上げた『鉄の塊』を、私は、この街の死体で積み上げてみせよう。……この血のマフラーが、お前のマフラーの白さを証明する、唯一の証(あかし)だ」

彼は闇の中へと消えていく。

明日もまた、街には「ヒーロー殺し」の速報が流れるだろう。

人々は恐怖し、そして興奮するだろう。

その喧騒の影で、真白才子という名前が、一歩ずつ歴史の闇へ消えていくことを、誰も気に留めないまま。

ステインの赤いマフラーだけが、忘れ去られた「白」を抱いて、夜を駆ける。

 

【数年後:保須市・路地裏】

土砂降りの雨が、アスファルトに飛び散った血を薄めていく。

飯田天哉、轟焦凍、そして緑谷出久。次世代の芽を前に、満身創痍の「ヒーロー殺し」は、折れかけた足を震わせながらも、決して膝を折らなかった。

脳裏にあるのは、あの日、駅前の街頭ビジョンで見上げた九歳の少女――真白才子の、あまりにも「白かった」マフラー。

そして今、自分の首に巻き付いているのは、その白さを守れなかった己の無力さと、偽物どもの返り血で真っ黒に汚れ、重く湿った「赤」。

「……が……はっ……」

血を吐きながら、ステインは濁った眼光を周囲のヒーローたちへ向けた。

駆けつけたプロヒーローたちが、一斉に彼を包囲する、だが。

 

「……贋物……」

低く、しかし骨を穿つような声が漏れる。

「本物の少女を……苦しめながら蔓延る、贋物……! 正さねば……誰かが血に染まらねば……! ヒーローを取り戻さねば……ッ!!」

その圧はエンデヴァーを半歩退かせ、グラントリノをもその場から動かせなかった。

その叫びは、雷鳴と共に夜空を震わせた。

彼は知っていた。自分がどれほど手を血に染めても、社会はあの子の存在を忘れ去ったままだということを。あの子を「毒」と呼び、追い詰め、闇へ追い遣った者たちが、今も平然と「正義」の顔をして、この街を歩いていることを。

ステインは、折れた刀を構え直し、一歩前へ踏み出した。

それは、死地へ向かう王のような、凄絶なまでの威厳。

「来い、来てみろ、贋物ども……!!」

咆哮。

彼の背後に、あの日、才子が持ち上げた「鉄の塊」の影が見える。

「俺を殺していいのは、オールマイトと――真白才子だけだ!!」

その瞬間、現場の空気が凍りついた。

 

中堅以上のヒーローは苦虫を噛み潰した顔になり。

 

緑谷たちの耳には、その「真白才子」という聞き慣れない名前が、重い楔のように打ち込まれる。

オールマイトという「象徴」と並び、この怪物が自分を裁く資格を認めた、もう一人の存在。

(真白、才子……? 誰だ……? なぜ、彼の中でその名が、オールマイトと等しい重さを持っているんだ……!?)

緑谷が戦慄する中、ステインはそのまま意識を失い、立ったまま動かなくなった。

その首元に巻かれた赤いマフラーだけが、雨に打たれ、かつての「白」を求めて悲しく揺れていた。

 

 

【イギリス・静養先の屋敷】

窓の外には手入れの行き届いた英国庭園。

19歳の真白才子は、背筋を伸ばし、最上級のダージリンを味わっていた。

壁の大型モニターが、日本のニュース番組の「速報」を映し出すまでは。

『――俺を殺していいのは、オールマイトと、真白才子だけだ!!』

画面の中で、血反吐を吐きながら叫ぶ男。

その首元には、かつて自分が失った「白」の成れ果てのような、禍々しい赤のマフラー。

「……あ……」

才子の瞳が、大きく揺れた。

10年前、世界中から「毒」だと石を投げられ、両親を奪われ、戸籍すら消された自分。

唯一の味方だった両親と、自分を「淑女」へと導いた先生。その限られた世界以外、誰も自分を肯定などしなかった。

だが今、顔も知らぬ殺人鬼が、世界中の注視の中で、自分の名を「絶対的な正義(オールマイト)」と並べて叫んだ。

自分を、一つの「基準」として、明確に認めた。

「……私を、そんな風に……」

熱いものが、頬を伝った。

淑女として決して許されないはずの、制御不能な一筋の涙。

それは、かつて「助けちゃ、だめだった?」と泣いた、あの九歳の少女の魂が流した、あまりにも遅すぎた救済の涙だった。

その時、モニターの映像が強制的に切り替わる。

黒い画面に、見覚えのある無機質なアイコン。**オール・フォー・ワン(AFO)**からの映像通話だ。

『おや、美しい涙だね、才子。……だが、不純なノイズに当てられたかな?』

スピーカーから響く、穏やかで、しかし全てを支配する低音。

才子は咄嗟にハンカチで涙を拭い、表情を「完璧な仮面」へと戻す。

「……失礼いたしました。少し、懐かしい名前を聞いたもので」

『ふふ、あの男(ステイン)のことかい? 困ったものだね。狂信というものは、時として真実を歪めてしまう』

AFOの声には、明らかな「侮蔑」が混じっていた。

彼は、才子の心が「ステインの言葉」によって、自分たちの支配から離れることを一瞬で見抜いたのだ。

『彼はね、才子。君という「個」を認めたのではない。君の悲劇を、自分の拙い思想の「道具」にしているだけだ。君を聖域に祭り上げることで、自分の殺人を正当化したいだけの……救いようのない、ちっぽけな狂信者だよ』

「道具……」

『そう。彼は君の本当の価値を知らない。君がどれほどの教育を受け、どれほどの重圧(鉄の塊)をエレガントに捌いてきたか……その歩みを知る由もない。ただの「過去の象徴」として君を呼んでいるに過ぎないのだよ』

AFOの言葉は、真綿で首を絞めるように優しく、論理的だった。

「ステインの肯定」を、「狂人の独りよがり」へと巧妙にすり替えていく。

『オールマイトと君を並べたのも、単なるレトリック(修辞)だ。君を認めたいのではない。社会への憎しみに、君の名前を添えただけだ……取るに足らない、小物の妄想だよ』

「……。左様でございますね。……私が、どうかしておりました」

才子の瞳から、先ほどの熱い光が消えていく。

AFOが流し込む「黒いノイズ」によって、ステインの叫びは、ただの「雑音」として処理されてしまった。

『分かってくれればいい。君の価値を真に理解し、君に相応しい舞台を用意できるのは、私だけだ。……さあ、お茶が冷めてしまうよ、淑女(レディ)』

通信が切れる。

才子は、冷え切った紅茶を見つめた。

ステインが血を流して守ろうとした「真白才子」という名前。

それは今、AFOの手によって、再び「完璧な駒」としての箱の中に閉じ込められた。

彼女は、もう涙を流さない。

ただ、テレビの向こうで沈黙した「赤いマフラー」の残像だけが、彼女の心の奥底に、消えない違和感として澱のように溜まっていた。

 




ご一読いただきありがとうございました。
原作では語られないステインの「空白の期間」と、本作のヒロインである真白才子の悲劇を繋げてみました。
九歳の少女が持ち上げた鉄の塊。それを「善意」と呼べなかった社会への絶望が、赤黒血染をステインへと変質させた……というIFの物語です。
白かったマフラーが返り血で赤く染まっていく対比など、彼なりの「弔い」を感じていただければ幸いです。
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