旅立ち
トアル村はハイラル王国の南端近くに位置する農村である。
王都である城下町からも遠く、カボチャの生産以外に取り立てて産業もない。だがこの村は、勇者リンクを輩出したことで有名となった。魔王ガノンドロフを倒すという偉業を成し遂げた英雄はこの村で育ったのである。
この村に、ルリハという少女が住んでいた。
齢十六となるこの少女は村の他の少女たちとは違っていた。
彼女は、村の剣士モイの娘だった。モイはそもそも、勇者リンクにとっての剣の師匠であり、またハイラル城を魔物たちの手から奪回したレジスタンス四勇士のひとりである。
その父の手によって剣術を教え込まれて育ったルリハは、兄であるコリンとともに若くして村の守りに携わっていた。村の境を警備し、魔物が出れば打ち払う。彼女は肩書こそ「剣士見習い」だったが、その実力は一人前と村の誰もが認めていた。
だが、彼女自身には、ある志があった。
王城の剣術指南役である伝説の剣士アッシュの弟子になること。
勇者リンクが囚われのゼルダ姫を救うべくハイラル城に潜入していたとき、城の外でモイとともに鬼の大群と戦い食い止めた最強の女流剣士。
ルリハが成長するにつれ、もはや白髪頭となった父モイは剣を取ることも少なくなってきた。だがいっぽうで若いルリハの胸には、もっと高みを目指したいという熱望が燃え盛っていたのだ。
かくして、ある日ルリハは両親に申し出た。城下町に行き、アッシュに弟子入りしたい、と。
* * * * * * * * * * * * *
「.....ルリハ、本当に行くのね」
家の前で馬に荷物を乗せているルリハに、母ウーリが声をかけた。
母は気丈そうに振る舞ってはいたが、その目に浮かんだ涙は隠しようがなかった。
「どうしても城下町に行かなきゃだめなの?村の守り人だって立派な剣士じゃない...」
「...うん。ごめんね、お母さん」
ルリハはやや俯いて答えた。幼い頃からの思い出が蘇った。いつも自分を心配して、稽古で打ち傷ができれば大慌てで手当てをしてくれた母。
家の庇の上から射し込んでくる朝の光が、足元を流れる小川の水面に反射してキラリと光った。
「ま、女の子は男親に似るって言うだろ。俺に似たら親の言うことなんか聞きやしねえよ」
家から出てきた父モイが妻の肩に手をかけながら冗談めかして言った。
「あなたはいっつもそうやって他人事みたいに....」
母ウーリが睨むと、モイは慌てて手を上げた。
「おい、最後まで聞けって。もしこいつが俺に似たら、もうひとつ言えることがある。それはな...」
モイは勿体をつけるように人差し指を上げた。
「こいつは必ず生きて戻ってくる。しぶとさなら折り紙付きだ。何しろ俺は百匹の鬼と戦って生き延びたんだからな。あのアッシュとたった二人で」
「もう....あなたが事あるごとにそのアッシュって女の人の話ばっかりするから、ルリハが熱を上げることになったんじゃないの」
母の怒りは収まらない。父モイはバツが悪そうに肩をすくめたが、ルリハの方を見て一瞬だけウィンクした。
ルリハは父の顔を見返し、声に出さず口の形だけでメッセージを伝えた。「ありがとう」と。
「おーい」
その時だった。声がする方を見ると、兄コリンが牧場のほうから歩いてくる。
「ヤギ追いに手間取ったけど、どうにか間に合ったな。村の出口まで送ってやるよ、ルリハ」
「まだ子供扱いってわけ?あたしの腕はもう知ってるでしょ、兄ちゃん」
「そう言うなよ。しばらく会えなくなるんだから」
ルリハは、両親と抱擁を交わすと、馬を引きながら集落を兄とともに北に向って歩いていった。兄コリンは背の高い美丈夫で、村の娘たちがすれ違うたびにキャッキャと黄色い声を上げる。
「ようルリハ!お前、とうとう城下町に行くのか?」
すると、遠くから野太い声をかけてくる者がいた。農夫のタロだ。畑仕事の手を休めながら、彼はこう続けた。
「弟に会ったら言っといてくれ!たまには帰省して顔を見せろってな!」
「わかった!伝えとく!」
ルリハも手を振って返した。コリンは前を向いたまま呟いた。
「ルリハ、最近お前に教えた技、覚えてるだろ?」
「うん。リンク兄ちゃんから教わった『奥義』でしょ?毎日練習してるよ。忘れないように」
「ああ。それなんだがな....」
コリンは少し考え込むような表情になった。
「なに?どうしたのよ、急に真顔になっちゃって」
「うん...。教えたあと、俺が言った言葉、覚えてるか?」
「え?なんだったっけ....確か..ええっと............」
ルリハは首を傾げた。するとコリンは真剣な顔で妹を顧みた。
「『使うことにより自分の身に大きな危険を伴う技もある』。俺はそう言ったんだ。思い出したか?」
「...そ...そうだったね」
「そうだ。それを忘れるんじゃないぞ。奥義はどれも強力な技だが、危険も大きい。いや、自分の身を危険に晒すことと引き換えに相手に大打撃を与える技だとも言える。だから、この技を使うとき一番大事なのは『その時』かどうかを見極めることなんだ」
コリンは前を向いて続けた。
「リンク兄ちゃんから教わった時、俺も口を酸っぱくしてそう言われたよ。それに、その見極めができるかどうかは、経験を積むしかないってこともな」
ルリハとコリンはやがて村外れの泉に差し掛かった。泉の柵は開いている。中を何気なく覗くと、村長のボウとその娘イリアが、村人数名とともに何事か話し合っている。
「大叔父さん!」
ルリハはボウに手を振って声をかけた。真剣な顔で何かを談義していたボウは、ルリハの顔を認めるなり相好を崩して近寄ってきた。
「おお、ルリハ。なんだ、今日出発するなら言ってくれればよかったのに。村総出で見送ろうと思ってたんじゃが....」
「あたしこないだ言ったじゃん。もう忘れたの?大叔父さんったら」
「ん?そうだったかの?最近忘れっぽくてな」
ボウは頭を掻いた。以前は堂々たる偉丈夫だったボウも、年老いたせいで今はやせ衰えていた。
「ルリハ、気をつけて行ってくるのよ」
近年では村長代理として多忙に働いているボウの娘のイリアも歩み寄ってきた。
「了解でぇすイリアさん。道草せずに真っ直ぐ行くつもりだし...」
「あと、無茶は禁物よ?わかったわね?」
イリアが被せるように畳み掛ける。ルリハは苦笑いして兄と顔を見合わせた。
「イリア姉さん、工事は順調かい?」
コリンがイリアに尋ねた。
「まだまだね。泉から水路を引くには岩盤が邪魔で...こんなときリンクがいてくれたらいい知恵を貸してくれそうなんだけど」
イリアはため息をつく。そこでルリハが尋ねた。
「リンク兄ちゃん、まだ音信不通なの?」
「ええ。手紙の一通も来やしないわ。あのひとらしいって言えばらしいけど、心配するほうの身にもなって欲しいわよ」
イリアがちょっと眉をしかめながら答えた。
「そうじゃそうじゃ!うっかりしておったわい」
ボウがやおら声を上げると、懐から何かを取り出した。
「ルリハ、お前、途中でカカリコ村に寄るじゃろう?そうしたらそこの祭司のレナードにこれを渡して欲しいんじゃ」
ルリハが手を出すと、老村長はその手に光り輝く宝石を握らせた。ルリハは驚いて声を上げた。
「大叔父さん!こ...これ。『女神の落とし物』ってやつじゃん。あたし実物初めて見た!」
「あいつには、イリアも他の子どもたちもずいぶん世話になったが、それきり何の礼もしておらんからのう。せめてもの気持ち代わりじゃて」
「...わかった。絶対渡すね」
ルリハは微笑むと、上着の内ポケットにそれを大事に仕舞い込んだ。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
村の北の境にある柵を開けると、ルリハは馬に跨り、一同に見送られながら吊り橋を渡った。
何度も振り返って村人たちに別れの挨拶をする。だが、暫く進むと道のりはやがて崖に挟まれた小道となった。昼間でも薄暗い場所だ。
「ケポラ。よろしく頼んだわよ」
ルリハは馬の首筋を軽く手で叩くと声をかけた。並み足で馬を進ませると、一時間もしないうちにフィローネの森に入っていった。
「『見極め』か....兄ちゃんも難しいこと言うようになったなぁ」
ルリハは独り言を言った。
彼女にとって、最初の剣の師は、父ではなく兄コリンだった。幼かった彼女が剣術をやりたがったとき、母ウーリは難色を示した。それを見た父モイが躊躇っているうちに、兄が勝手に教え始めてくれたのである。
そしてその兄は、常々ルリハにこう教えた。
「強さとは力だけではなく勇気を出すこと」
だから、剣士は弱きを救うため勇を振るわなければならない。それが兄の教えだった。
そしてルリハは長じるにつれ、父と兄に連れられて警備や見回りに加わるようになった。初めて実戦を経験したのは十三歳のときだ。父と兄に助けられてとはいえ、魔物を倒した彼女の心には確かな自信が湧いた。
魔物は、武器もなく訓練もされていない村人に対しては居丈高に振る舞う。だがこちらが武器を取り断固として戦えば、恐るるに足りない。少なくとも一対一なら絶対に負けることはない、と。
そんな彼女が兄から『奥義』を教わったときは高揚したものだ。これでどんな強敵とも戦えると。だがそんな彼女に兄はたびたび釘を刺すようになった。技はただ覚えるだけでは使えない。使うべき時を悟れ。逆に言えば、それまでは使うな。それが兄のもう一つの教えだった。
「やれやれ。なんかナゾナゾみたい」
考え事をしながら道のりを進んでいくと、彼女はいつしかフィローネの泉に着いていた。そこで食事休憩をとり馬に水を飲ませると、ルリハは再び出発した。
森の静けさの中、時折小鳥の鳴き声が響く。魔物の気配すら感じられない平和な旅だ。
泉を背にして洞窟を抜けると、かつて油売りが住んでいた廃小屋がある広場に出た。
まだ日没までは時間がある。ルリハは進めるだけ進むことに決め、やや馬の歩調を早めさせた。
広場の北端にある柵の扉は開いていた。そこを抜けるとき、ルリハは一瞬だけ後ろを振り返った。
ここから先はもうすぐハイラル平原。生まれ育った村からは遠く離れたまだ見ぬ世界だ。
彼女は背後の森を一瞥すると、再び前を向いて手綱を鳴らした。
* * * * * * * * * * * * * *
一本道を進む。道の両側の岩壁の上にそそり立った木が次々と後ろに通り過ぎていく。
「...静かすぎ?」
ルリハはやや違和感を感じて呟いた。
昔、父から聞いたことがある。魔物が出現する前は野生動物たちも息をひそめる。だから、森が静まり返ったら要注意だと。
「ま、来るなら来いってとこだけどね。あたしにはこれがあるし」
ルリハは背中に背負った剣の頼もしい重みを感じながら言った。
やがて道は急に視界が開けた。平原だ。
ルリハは思わず顔を上げて左右を見渡した。
傾き始めた太陽が、平原の草を美しく染めている。遠く数キロ先には岩でできた小高い台地がそこここに見える。さらに遠くに目を向けると、はるか先には見たこともないほど高い山脈がそびえたっていた。
「すごい...これが外の世界なんだ...」
ルリハは思わず声に出して呟いた。だが、同時に頭の中に計算が働いた。どこかで野宿するなら、あまり開けた場所では危険過ぎる。
日没前に野営地を決めることにし、ルリハは馬から降りて枝を拾い集め始めた。
だがその時だった。
遠くから、けたたましい馬のいななき声が聞こえる。
そして、聞き覚えのある喚き声。
―――鬼だ。
ルリハは思わず顔を上げた。
遠く、平原の向こう――夕陽に照らされた草原の端に馬車が一台。それを引く馬が狂ったように跳ねている。その周囲を、複数の影が取り囲んでいた。
一体、二体、三体.....いや、十体以上いる。ブルブリンだ。
心臓が一瞬だけ跳ねた。
これだけの数を、たった一人で相手にしたことは一度もない。
だが、躊躇ったのは一瞬だった。弱きを救うため勇を振るう。その言葉が脳裏に蘇る。
「何ビビってんの、ルリハ....?行くよ!」
ルリハは自分に言い聞かせると、愛馬にまたがり、剣の柄に手をかけ引き抜いた。