森と水の源
「アレハンドロおじさん、もっと右!もっと右!」
御者に向かってリンクルが叫ぶ。城下町の東門から平原に出た幌馬車の客室の中は、ドンゴの巨体で半分塞がっているほか、水の樽、食料の袋、矢の箱その他多くの荷物で埋まっていて、その隙間にルリハとルダが腰掛けていた。リンクルはといえばコンパスを手に上機嫌で御者に指示を出している。昼下がりの陽光が草原を照らし、穏やかな風が草を揺らしていた。
「お嬢ちゃん、こっちに進んだらハイリア湖の展望台で行き止まりですぜ」
御者が振り向く。ルリハは立ち上がって御者席に近づくと、地図を広げた。
「リンクル、いま針は南を指してるの?」
「うん。最初グルグル回ってたけど、町を出てからはずっとこっち」
リンクルはコンパスをルリハに示した。彼女は地図を辿って説明する。
「だとしたらまずはハイリア大橋を渡って南下しなきゃ。展望台は観光名所だし、大きな施設を隠せるような場所はないと思うから行ってもしょうがないもの」
「えっ?展望台があるの?じゃあせっかくだし寄っていこうよ!」
リンクルがさも当然のように提案する。ルリハは顔を近づけて言い聞かせた。
「だからぁ!観光じゃないの!任務なのッ!」
「もぉルリハお姉ちゃんってばクソ真面目なんだからぁ」
リンクルは唇を尖らせる。だが、結局馬車はハイリア大橋に向かう街道に入っていった。
「ねえねえ、ドンゴおじさんっていくつなの?」
観光が却下されたリンクルは、退屈で仕方がないのかドンゴに話しかけ始めた。
「いくつに見えるゴロ?」
「ええとね、三十歳!」
「ブブー。今年五十六ゴロ」
ドンゴの答えにリンクルは驚いて叫んだ。
「ええっ!見えない!」
「ゴロン族は寿命が長いのよ。長老の中には二百歳超えも珍しくないわ」
ルダが言った。客室の後部に座り、箱に肘を乗せながら旅を楽しんでいる様子だ。リンクルは感心する。
「凄い!生きた化石だね!」
「ちょっと、リンクル!言い方!」
ルリハは慌ててリンクルを睨んだが、妹分は何が悪いのか分からないといった表情でキョトンとしている。
「でも、寿命が長いからといって不摂生してはダメよ。ゴロンは体質上高血圧を発症しやすい。脳梗塞、心筋梗塞その他の疾病につながりかねないわ。特に岩塩なんか要注意よ」
ルダはそう言うと、ドンゴが手に持っていた岩の破片を取り上げた。
「あっ...先生何するゴロ!俺のオヤツ....」
「さっきから食べ過ぎよ。せめて一日一回にしときなさい」
ルダが軽く睨むと、ドンゴは不服そうな顔で腕を組んだ。
「フン...俺はそんなまでして長生きしたくないゴロ」
「あなたは命を自分だけのものだと思ってるの?」
ルダは全く物怖じしない。
「命ってものは煌めき消えていく灯火と同じよ。風が吹けば消える。風が吹いていない今どうして吹き消す必要があるの?」
するとドンゴは真顔になって沈黙した。ルダが続ける。
「私はたくさんの人を看取ってきた。あなたを看取るのはお断りよ」
ルリハは会話を聞きつつも、御者と一緒に前方を注意深く観察していた。魔物の群れはアッシュの部隊により打ち払われたとはいえ、残党がいるかもしれない。
「アレハンドロさんは実戦に出たこと、あります?」
ルリハは御者に尋ねた。
「ああ、一回か二回くらいはねぇ。あっしはねぇ、アッシュ少佐が来てからしばらくして定年になっちまいましてねぇ」
「一回・二回でも、魔物と戦って生き残ったってことでしょ?凄いじゃないですか」
「いやぁ...大したこたぁねぇですよ。無我夢中で剣を振り回してたらいつのまにか終わってたんでねぇ。あっしはむしろ、専業の剣士さんにゃ頭が上がりませんよ。兵隊稼業と違って剣一本ですからねぇ」
二人で会話をしていると、街道は南向きにカーブし始めた。
ルリハはいっそう警戒を強める。いよいよ外の世界だ。ルリハは言った。
「リンクル。後ろ警戒して」
「後ろ?なんで?」
リンクルはまたキョトンとしている。
「ここ、北向きの分岐があるから。あたしが鬼なら分岐で待ち伏せして城下町方面から来た馬車にいきなり襲いかかるって真っ先に思いつくわね」
「お姉ちゃんってホント心配性なの〜」
「心配性っていうんじゃないの。用心深いっていうの」
「はいはい....。ん?」
溜め息をつきながら後ろを向いたかと思うと、リンクルはやおらボウガンを抜いた。
バシュッ.....。
発射音にルリハが振り向くと、鬼の悲鳴が上がった。分岐に隠れていた鬼が、弓を手に持ったまま崩れ落ちる。
「すごぉい!お姉ちゃんの言う通りだった!」
リンクルは無邪気に笑って言った。ルリハは思わず後部に駆け寄りあたりを目で走査した。だが敵は一匹だけだったようだ。
リンクルはボウガンをクルクルと回してホルスターに納めると胸を張った。
「どう?警戒したよ?」
「したよ、じゃない。過去形にしないで警戒し続けて」
「.....はぁい」
褒めてもらえないので当てが外れたのか、リンクルはやや膨れ面で持ち場についた。
やがて馬車はハイリア大橋に着いた。もはや日が傾きかけている。
「うわぁ!凄い絶景!」
リンクルが警戒も忘れて叫んだ。確かに、壮大な石造りの大橋の上から眺める湖の風景は格別だった。広大な水面が茜色に染まり、遥か遠く東の方角にはゲルド砂漠が見える。だがルリハはすぐに前方の警戒に戻った。
「昔この橋で勇者リンクが鬼の王と戦ったのよ。そのあと、彼は重傷を負ったゾーラの王子を乗せた馬車を警護しながら、その夜のうちにカカリコ村に着いたの。私それを聞いたときほとんど正気の沙汰じゃないと思ったわ」
ルダが懐かしそうに言った。その逸話はルリハも聞いたことがあった。するとドンゴが口を挟んでくる。
「あの兄ちゃんは最初から普通じゃなかったゴロ。何しろゴロンに相撲で勝つくらいだゴロからな」
「ねえ、もしかするとおじさんも勇者リンクと会ったことあるの?」
リンクルが声を上げる。
「ああ。あるゴロよ」
「いいなぁ!この中で会ったことないのうちだけじゃん。おじさん、仲良いの?」
「俺は顔見知り程度ゴロ。俺の兄貴が勇者と戦ったゴロよ」
「戦った!?」
ドンゴの答えにルリハは思わず振り向いた。
「ダンゴロスさんですよね!ゴロン族の代表戦士で拳闘家の!」
リンクルもたちまち興味を引かれたらしい。
「凄ぉい!で、戦った後仲良くなったとか?」
「ああ。そうゴロ」
「じゃあ今でもお兄さんとリンクは友達なんだね」
リンクルは目を輝かせながら尋ねた。ルリハは妹分に警戒を続けるよう合図したが、それでもチラチラと振り返ってくる。
だが、ドンゴはそのまま押し黙ってしまった。リンクルは不思議そうに尋ねた。
「おじさん、どうしたの?」
「兄貴は死んだゴロ。元気だったのにある朝突然....」
二人は驚いて沈黙してしまった。するとルダが呟いた。
「ゴロン突然死症候群ね。ゴロン族の多くは頑強で長寿だけど稀に原因不明の.....」
「もういい。理屈を聞いたところで兄貴は帰って来ないゴロ」
ドンゴはそう言うと巨体を窮屈そうにずらしながらそっぽを向いてしまった。
馬車は橋の向こう側に続く小道を南下し続けた。上部にのしかかるように伸びた岩の庇が不気味な影を落とす。
やがて一行は粗末な木の橋を渡り、両側を崖に挟まれた街道に入った。その頃には日没となっていた。ルリハたちは馬車を止めると宿営を張った。今回は燃料も天幕も水も全て揃っている。これまでの野宿の旅とは格段の違いだ。
「ほぉらポッポちゃんたち、ご飯だよ」
配られたパンを食べながら、リンクルがパン屑を伝書鳩のカゴの中に入れていく。
すると、ルダが地図を手に持ちながらリンクルとルリハに言った。
「まずはフィローネ北部....。このあたりのどこかに『培養場』がある。そうよねリンクル?」
ルダがハイラル南平原の南東のあたりを指で示す。リンクルがモグモグしながら答えた。
「うん、シャッドおじさんが教えてくれた。ここらへんになんかがありそうなんだって」
「『ここらへん』に『なんか』ってさぁ。もうちょっと具体的にならないの?」
ルリハは苦笑いした。だがルダが横から言った。
「ノクス博士が残した資料は走り書きみたいなもので解読に苦労したらしいわ。よくあることだけど、天才的な人って自分にしか分からない方法でメモをとるのよ」
「うちもそう!なんかでメモとって、後で読んでも全然わかんないなんてしょっちゅう」
リンクルが言う。ルリハは呆れて首を振った。
「それは天才とかとは違うでしょ。ただ字が汚いだけ」
「でも、ノクス博士は『影の王ザント』の残したものから魔王復活の手順を特定した。それは確かみたいよ。彼は16年の間執念深くそれを追求した。その執念を人間の福利のために役立てたらどんな偉大な人物になったかしらね」
ルダが遠くを見て呟く。
四人は見張りの輪番を決めて就寝した。翌朝早いうちから宿営を畳むと、崖に挟まれた街道を南下する。やがて街道は西向きにカーブし、視界が開けてきた。ルリハは警告した。
「リンクル、もうじきハイラル南平原に入る。カーゴロックに気をつけて」
「なにそれ?なにか陽気な音楽が聞こえてくるの?」
「だからぁ...(はァ)。巨大な鳥!凶暴で襲ってくるの!」
相変わらず会話が噛み合わない。だがその直後だった。
ガァ....ガァ....
しわがれた鳴き声が上空から降りてくる。
ルリハが御者席の脇から上を見上げると、噂した通りの相手だ。しかも二羽いた。鉤爪のついた両足を広げこちらを攻撃しようとしている。
「リンクル!」
号令を受けたリンクルが後部座席からボウガンを突き出して次々と発射した。矢を受けた怪鳥が空中でふらついたが、それでも諦めず追いすがってくる。ルリハは御者席の横から馬車の屋根に登ると、高度の下がった怪鳥たちを斬り捨てた。
「小物ばかりで俺の出番が無いゴロなぁ」
ドンゴは機嫌が直ったのか再び軽口を言い始めた。ルリハは笑いながら客室に戻った。
「やめてよおじさん。そんなこと言ってると今に大物が出てきて引っ張りだこになるから」
馬車は広い平原のなかを快速に進んでいく。ルリハはコンパスを確認するようリンクルに促した。
「うん。こっちで大丈夫。このまま進んで」
リンクルが言う。だが、馬車は平原の境目を示す岩壁に向かっていた。
「本当にこっち?」
「うん。間違いないよ。だってほら」
リンクルはルリハにコンパスを見せた。針は真っ直ぐに岩壁のほうを向いている。
やがて日が暮れるころ馬車は岩壁で行き止まった。岸壁の下で宿営したあと、翌朝四人は話し合った。
「どうやってここを登るかだね」
腕組みしてルリハが言うと、ドンゴが当然のように提案した。
「俺が崖の上まで跳ね飛ばしてやるゴロよ」
「は....跳ね飛ばすゥ?」
ルリハは仰天して聞き返した。だがドンゴはかえってキョトンとしている。
「何がおかしいゴロ?勇者の兄ちゃんも何度となくやってたゴロよ」
「はぁい!うちやりたぁい!」
リンクルが手を上げた。たちまちルリハとルダが心配顔になった。だが少女は平気な様子だ。
「だってリンクがやってたんでしょ?じゃあうちもできるじゃん」
「いやいやいや!同じにしちゃだめなヤツよそれは!」
だが、結局リンクルを崖の上に飛ばすことに決まり、もし失敗したらドンゴが責任を持って受け止めるということになった。
ドンゴが身体を丸く丸め、その上にリンクルが立つ。
「じゃあ、行くゴロよ」
合図して数秒すると、ドンゴが上体を勢いよく跳ね上げた。
「うっひゃぁぁぁぁぁ!」
打ち上げられたリンクルの叫び声が響き渡る。ルリハとルダは手に汗を握りながら上を見上げたが、リンクルの姿は崖の向こうに見えなくなった。
「リンクル〜!大丈夫?」
「木に引っかかっちゃったぁ!」
すぐに元気そうな声が聞こえてきた。
「大丈夫!うち木登り得意だから!」
十秒ほどすると、彼女が崖から顔を出した。
「みんなもやってごらん!楽しいから!」
「いやムリムリムリムリ!」
ルリハとルダは激しく首を横に振る。結局、ドンゴが崖の上にロープを投げ、それをリンクルが木に結びつけて、全員がそれを登ることになった。
一行は崖の上にたどり着くと、御者に馬車の番を託して森の中を進んだ。
コンパスを頼りに道なき道を進む。ルリハは念のため剣を抜いて先頭に立ったが、魔物には行き当たらなかった。進むほどにあたりが静かになる。
「ルリハ、日没までには馬車に戻れるほうにしたほうがいいわ」
最後尾からルダが声をかけた。ルリハは振り向いて頷きつつも、歩を進めていった。
――人間が足を踏み入れたことのない地域だ。
ルリハには分かった。立ち並ぶ樹木が次第に大きくなる。それにつれて、地形が険しくなってきた。あちこちに急峻な谷が表れ、その底に水が流れている。
半日ほど歩くと、一行はまるで巨人の棲家のような雄大な地形の中に迷い込んでいった。木々も岩も全てが大きい。
「...古代の森に近づいてるゴロ」
ドンゴが言う。ルリハは足を止めた。
―――ここは一旦引き返して明日出直すか―――
そう思った瞬間、リンクルが声を上げた。
「ねえ、あそこになんかある!」
顔を上げると、谷の向こう岸に石造りの建物があった。崖の上端に巨石を切り出して造ったような四角い通路の入り口があった。明らかに人工物だ。
「見て!コンパスもあそこを指してるよ」
リンクルが谷の際まで身を乗り出して言った。
その瞬間。
彼女の足元の土が崩れ始めた。
「リンクル!捕まって!」
ルリハは反射的に手を差し伸ばした。だが一瞬遅かった。リンクルはルリハの視界から消えた。
「リンクル!」
ルリハは絶望的な叫び声を上げた。その瞬間、ドンゴが身体を丸めて飛び出した。
ルリハとルダが覗き込むなか、ドンゴは落下していくリンクルを転がりながら猛スピードで追いかける。追い越すと、その手を掴み、谷から突き出た巨木の根にしがみついてぶら下がった。
「おじさん!」
ルリハは焦燥と安堵とで崩れ落ちそうになるのを堪えた。彼女はロープを手近の木に結びつけて降りると、二人を近くの岩棚まで避難させた。
「ごめんね....おじさん」
「世話の焼ける娘ゴロ」
リンクルが謝ったが、ドンゴはまんざらでもなさそうだ。するとルダもロープを伝って降りてくる。彼女は向こう岸を指さした。
「見て。谷底からあの施設まで登るルートがある」
見上げると、谷の急峻な斜面に人工的に刻まれた段のようなものがついている。ルリハは妹分に向き直ると、極力感情を抑えながら言った。
「リンクル、気をつけて。ここは人間によって整備された場所じゃないから」
「はぁい」
さすがのリンクルも今度は神妙だった。四人は慎重に谷底に降り、ロープを投げて川を渡ると、ルダが見つけた段を登っていった。
段を登り切ると、ルリハは息を整えながら巨大な開口部を見上げた。その内部は数メートルもすると光の届かない暗闇だ。天井も壁も、真っ直ぐに切り出された巨石でできている。
「異様に進んだ古代の文明か....それとも魔法の力ね」
ルダがツルツルに磨かれた石の壁に手を触れながら呟く。
「うん、やっぱこの中だよ」
すっかり立ち直ったリンクルがコンパスを手に内部を指さす。
「わかった。行こう」
ルリハは片手に火をつけたカンテラを掲げ、もう片方の手に剣を構えた。彼女の先導で一行は慎重に前進していった。