「ルリハさん、行ってはいけません。あれは呪われた地です」
ラルス王は真剣な顔で言う。ルリハは思わず目を丸くして相手を見た。
「え...呪われた地....っ....て?」
「あの場所は語るも恐ろしい悲劇の舞台です。母からよく聞かされました。百年前、人間たちはあの場所で恐ろしい人体実験を行っていました。犠牲になった人は数知れないと言います。そのせいであの周辺には今でも魔物がよく出るのです」
ラルス王は続けた。近くで食事していたリンクルとルダとドンゴも手を止めて聞き入っている。
「悪いことは言わない。ルリハさん、あなたはまだお若い。命を無駄にしてはいけません」
「でも....」
ルリハは戸惑った。ゾーラ王からの助言とはいえ任務を諦めるわけにいかない。
「王さま、恐れながら。あたしたちは今、魔王を蘇らせようとしている男を追っています。あたしは剣士として、そんな陰謀を放っておくわけにはいきません」
「...剣士...ですか」
ラルス王は溜め息をついた。
「....あのリンクさんもそうでした。彼はいつも、自分の身を危険にさらして誰かのために戦っていたのを思い出します」
そう言うと、王は顔を上げた。
「私も彼に救われた一人です。ですから、あなたの志は高く評価します。それでも、危険が待ち受けているとわかっているのにあなたに警告しないわけにはいきません」
「王さま、ご安心ください。あたしたちは調査するだけで、魔物たちを一掃しようとかだいそれたことを考えてるわけではありませんから」
ルリハは答えた。ラルス王はしばらくの間考え込むように黙っていたが、やがて頷いた。
「わかりました。では通行を許可しましょう...。ですが今日はもう遅い。わが里で休み、あす出発しなさい」
* * * * * * * * * * * * *
寝床をあてがわれて就寝したルリハたちは翌朝早く起床し、馬車に乗り込んだ。
里に来たときに出迎えてきたエヴァンと呼ばれる下士官の案内で、ルリハたちの馬車は広場の脇にあった小道に入り、坂を登った。すると馬車は滝の上の川岸に出た。
「うわぁ!すごい景色!」
リンクルが叫ぶ。滝から生じる霧の中に朝日が射し込み、巨大な虹ができている。崖から見下ろすと、はるか遠くに平原が、さらにその向こうにはハイラル城の尖塔が見えた。
「ここからは道が悪い。転落しないように重々気をつけるんだ」
下士官が注意した。御者のアレハンドロが自分の胸を叩いて受けあった。
「ご心配は無用でさァ。あっしぁこの道十五年ですからね」
「ねぇ、これから先ずっとこんな景色なのかな?最高じゃない?」
リンクルがはしゃぐ。だがルリハは戒めた。
「景色に見とれないで。いつ魔物が出てくるかわからないんだから」
ルリハたちは下士官に礼を言って別れを告げると、北に向けて出発した。
天気は快晴だ。薄く下草の生えた荒れ地を馬車が登っていく。言われたとおりの悪路で、速度はゆっくりだ。
「凄い!まだハイラル城が見える!」
客車の後部から外を見ていたリンクルがまた叫んだ。ルリハは前方を警戒しながら言った。
「だから観光じゃないの。ちゃんと警戒して」
「だってどうせ後ろ見張ってるんだから、景色見たっておんなじじゃん」
「リンクル、口答えはなしだよ」
ルリハはたしなめた。
「あたしたちは一人も死なないで生きて帰る。それが任務なんだから、完了するまで絶対気を緩めちゃだめ。わかった?」
「....はぁい..」
リンクルは渋々返事した。ルリハの低い声色を聞いて、真剣度がいつもと違うと悟ったらしい。
やがて馬車は切り立った崖からわずかに張り出した小道に入っていった。ルリハは時折地図を確認しながら前方を見渡す。馬車の車幅は、道幅ギリギリだ。御者のアレハンドロは速度を落とし、身を乗り出して車輪が道に収まっているかを見ながら慎重に馬を操る。
一行は山の奥深くに入っていった。それに伴って、空気が次第に冷たくなる。風が吹くと肌に刺さる。
「アッシュ姉さんが積んでくれた毛皮を着ましょう。体温が下がるといけないわ」
ルダが提案した。馬車を一旦止め、各人が冬装束に身を固め始めた。だがドンゴは言った。
「俺は大丈夫だゴロ。ゴロン族は冬でもコートなんか着ないゴロ」
「文句言わない。着なさい」
ルダは有無を言わせずドンゴの巨体を毛皮に包む。するとリンクルが大笑いした。
「おじさん、本物のライオンみたい!」
「うるさいゴロ!だから嫌だって言ったんゴロ」
一行は再び馬車を発車させた。出発した時には快晴だったのに、いつの間にか頭上に雲が湧いてきている。前方を見ると、山肌が白い。
「あれ、雪じゃない?」
リンクルが好奇心に目を輝かせた。ルダが答える。
「そうね。毛皮着ておいてよかったでしょ?」
山道は高度を上げていく。もはや雲そのものの中に入ってしまったらしく、一行はしばしば霧の中に包まれてしまうようになった。そのような時は御者のアレハンドロも極端に馬車の速度を落とさざるを得なかった。
休憩を挟んで一日中前進を続けた後、日没前に一行は宿営を張ることにした。持ち込んだ薪を盛大に燃やしてどうにか寒さをしのいだ。
「さ、練習しよ」
食事が終わると、ルリハはリンクルを誘い、木剣での撃ち込みと受けを交互に稽古させた。
「右、左、右、左...」
左右の袈裟斬りを繰り返し、足運びで前進する動作を教え込むと、リンクルは即座にそれを覚えた。
だが、リンクルが受けの番になったとき、彼女は突如として身を躱し、ルリハの頭に軽く木剣を当てた。
「やったぁ!一本!」
「あのねぇ、リンクル」
ルリハは呆れ顔で溜め息をついた。
「真面目にやるの。基本をやらないでいきなり応用をしてもダメ」
「はぁい....。でもさぁ」
やや悪びれた顔になったリンクルはそれでも抗弁した。
「相手がこうやって来たときって、受けるよりよけたほうが効率良くない?」
「そりゃそうよ。よけられる人はね。でもよけ損ねたら死ぬよ。だから受けからやるの」
ルリハは厳しく告げた。その後ルリハは、リンクルを練習台にして『奥義・背面斬り』の練習をした。
妹分を構えさせ、自分は横っ飛びした後前転し、跳躍するように立ち上がりながら剣を払う。
木剣の先がピタリと自分の後ろ首に当てられると、リンクルは両肩を縮めて悲鳴を上げた。
「ひッ.....」
「ごめんごめん。でも本気出してないから」
「お姉ちゃん凄い!こんな技できたら最強だね!」
リンクルは興奮して言ったが、ルリハは浮かない顔で溜め息をついた。
この技が実戦で使えたことは一回もない。
ルリハにはわかりかけていた。『奥義』を使うべき時を見極める力は、命を懸けた実戦の中でしか身につかないということを。
* * * * * * * * * * * * * *
二人がしばらく稽古した後、一行は交互に天幕で睡眠を取った。
翌朝は、いっそうの冷え込みだった。毛皮なしでは過ごせないのは明白だ。馬車を出発させると、いよいよ道は荒くなる。時折行く手を塞ぐ岩や倒木をドンゴが取り除け、前進した。
だが、とうとう御者のアレハンドロが言った。
「お嬢さん方、もうこれ以上は無理でさぁ...。進むことはできても、帰れなくなったら元も子もねぇです」
ルリハたちは馬車を降り、持てる限りの装備を背負った。準備が整うとルリハは御者に別れを告げた。
「アレハンドロおじさん...。ひとりにしちゃうけど、よろしくね」
「いんや、あっしは平気です。お嬢さん方、くれぐれもお気をつけて」
四人は悪路を登っていった。リンクルが時折コンパスで方角を確認する。山道はつづら折りになっていたが、確実に高度を増していった。ルダが告げる。
「みんな、無理しちゃダメよ。空気が薄くなってきてるから、思ったより疲労が溜まるのが早くなるわ。休み休み行きましょう」
やがて一行は高台の上に出た。一面に雪が薄く積もっている。その先にはさらに登り斜面があり、その上は雲の中に隠れていた。
* * * * * * * * * * * * *
「なんだろ...あれ」
一行が休憩しているとリンクルが指をさす。その先に目をやると、雪原の上で何かの生き物が群れるようにして飛びまわっているのが見えた。
「...鳥?でもこんな寒いところにあんなに群れるもんなのかな」
ルリハも不思議に思った。そしてアッシュの言葉を思い出した。
「魔物かも知れない。用心して行こう」
念のため剣を抜き、ルリハが先頭になって一行は前進した。
謎の生き物たちに近づくにつれて、その姿が見えてきた。
蝙蝠だ。しかも、白い霧を纏っている。
「回避して行こう。みんな、身を低くして」
ルリハはそう言うと大きく迂回するルートを選んだ。四人は伏せるようにして進んでいった。
だが、目立たないようにと思っても、身体の大きなドンゴはそうはいかない。
ルリハが振り返って彼を顧みると、まるで巨岩が雪の中を移動しているように見える。
「おじさん、もうちょっと低く..........って無理かな?」
「無茶言うな、背中の甲羅を削りでもしない限り無理だゴロ」
「ルリハお姉ちゃん、こっちからも来る!」
そのときリンクルが叫んだ。前方に立ち込めていた霧の中から新手の蝙蝠たちが近づいてくる。明らかにこちらに気づいた様子で迫ってきた。
「隠れてばかりじゃ始まらんゴロ!」
ドンゴは立ち上がると、毛皮を脱ぎ捨て拳を握った。
ルリハは周辺を見回した。最初に見えた群れもこちらに飛来してきている。
包囲されたのだ。
「ルダ先生、伏せて!」
彼女は叫ぶと剣を構えた。その時だった。
襲ってきた蝙蝠たちに向かってドンゴが拳を振るう。数匹が叩き落されたが、その直後ドンゴは固まったように動かなくなった。
「おじさん!」
――まさか.....?――
だが考える間もなく、ルリハの周辺にも蝙蝠たちが群がってきた。
一匹が急降下してくる。辛うじて上体を逸らして回避すると、もう一匹を袈裟斬りで叩き落とした。
だが、残りは警戒したのか近づかず遠巻きにこちらを包囲している。
剣の届く間合いではない。中段に構え、敵が近づくのを待つ。だがルリハの心に緊張と恐れが雲のように湧き上がってきた。襲ってきた一匹を叩き落としても、その間に別の個体に攻撃されたらまずい。
ビシュッ...ビシュッ...!
その瞬間。矢が空気を裂く音が聞こえた。立て続けに二度。蝙蝠たちが悲鳴を上げて墜落していく。
リンクルだった。彼女は二挺のボウガンどうしを打ち合わせて手早く装填すると、再び連射した。魔物たちが次々と墜落していった。彼女がさらにそれをもう一度繰り返すと、次の二本の矢も過たず命中した。
だが、彼女を新たな脅威と判断した魔物たちが今度はリンクルの周囲に移動していった。ルリハは咄嗟に大声を上げて剣を振った。
魔物たちが再びルリハに注意を向けた。次々と襲撃してくるのを、身を伏せて回避する。背後を見ると、リンクルが矢筒を肩から下して信じられないほどの手際の良さで矢を込めている。
「お姉ちゃんありがと!」
彼女はそう言うと両手のボウガンを構えた。あっという間に全弾を射撃すると、蝙蝠たちの数は半減していった。生き残りの魔物たちがリンクルに襲い掛かる。だが彼女はそれをよく見極めて避けると、ルリハの近くに走ってきた。
「あと一息だね。うちに任せて」
ルリハが剣を振り回して敵を牽制する間、リンクルは素早くボウガンを装弾した。それが終わると無造作に撃ちまくる。そのうちに、いつしか蝙蝠たちの群れは逃げ散っていった。
* * * * * * * * * * * * * *
白い霧が風に流されて薄くなっていく。伏せていたルダは跳ね起きると、ドンゴに走り寄った。その顔色を見ると、女医はルリハに指示した。
「ルリハ、火を焚いて。小鍋で湯もお願い」
ルリハとリンクルは急いで指示通りに動いた。だがその間にドンゴは意識を取り戻した。
「不覚を取ったがもう大丈夫だゴロ。さあ先に進むゴロ」
「強がらないの。これを飲みなさい」
ルダは制止し、ルリハたちが沸かした熱い紅茶に蒸留酒を混ぜたものをドンゴに飲ませた。
「おじさん....大丈夫?」
リンクルが覗き込むと、ドンゴが答える前に女医が言った。
「瞬間的に極度の低体温症になったみたい。意識が飛んだはずよ。そうよね?」
「...悔しいがその通りだゴロ。あんな小物に痛い目に遭わされるなんて恥だゴロ」
「いい加減その考えは捨てなさい。恥だとか名誉だとか、命とどっちが大事?」
ルダが厳しく言い渡すと、ドンゴは悔しそうな顔で黙り込んだ。だがルリハは横から声をかけた。
「おじさん....あたしからもお願い。生き残ることを最優先して。『名誉の戦死』なんてこのパーティから出したくないもの」
しばらくのあと、ドンゴが小さく頷く。それを見たルリハは心から安堵した。
ドンゴが元気を取り戻すと、一行は再び出発した。霧で視界が悪いなか、コンパスを確認しつつ斜面を登っていく。時折蝙蝠の魔物に数匹出くわしたが、リンクルが立ちどころに射落としていった。
やがて斜面が終わり、四人は平地に出た。頭上には雲、周囲には霧で、もはや太陽の姿が見えない。
だが、前方に薄っすらと急峻な崖が見える。リンクルがコンパスを見ながら言った。
「針が震えてる。もう近いよ」
四人は用心深い足取りで前進した。雪が深いせいでそもそも歩調を速めることができない。
だがそのとき、雪の中から何者かが次々と這い出てきた。
真っ白な狼だ。だが、その姿にはどこか実在感がない。それが十匹以上の群れをなしてルリハたちの周囲を取り囲み始めた。
「リンクル!先生をお願い!」
ルリハは叫んだ。剣を構えると、ルダとリンクルを先に行かせ自分がしんがりに立った。
狼の一匹が襲い掛かってくる。ルリハは咄嗟に身を沈めると回転斬りを放った。
直撃を受けた狼が悲鳴を上げる。だが次の一匹が躍りかかってきた。
その時、頭上を巨大な拳が唸りを上げて通過した。狼がたまらず遠くに吹き飛ばされていく。
「こういうときはこのコンビだゴロ!」
ドンゴが傍らで言いながらウィンクした。狼たちが改めて包囲網を形成する。ルリハとドンゴは背中合わせに構えた。
狼の群れが一斉に襲ってくる。目の前に迫った個体を剣で薙ぎ払い、倒れたところに突きを喰らわす。ドンゴも拳を振り回して魔物どもを吹き飛ばした。
だがルリハに向かってきた一匹が彼女を飛び越えて跳躍した。
「一匹行ったよ!」
ルリハが叫ぶと、ドンゴは強烈な裏拳を魔物に叩きつけた。それが地面に落ちたところでルリハが剣で刺し貫いた。
「仕上げだゴロ!」
ドンゴは叫ぶと、身体を岩のように丸め、数の減った狼の群れに突っ込んでいった。狼たちは犬のような悲鳴を上げて逃げまどい始めた。
「...二人とも無事?」
ルダとリンクルが駆け寄ってきた。
「平気です。先生たちは?」
「私たちは大丈夫」
「ねえ、ルリハお姉ちゃん。変なの。コンパスの針、さっきから崖の下を指してる」
リンクルがコンパスを取り出した。ルリハは目の前の地形とコンパスの針を見比べた。
崖は見上げるほどの高さだ。だが、針は崖の下の地面を指していた。それは時折震えている。
「地下への入り口があるってことね。行こう」
ルリハは再び先頭に立って歩いた。ときどき風が吹いて霧が薄くなるが、すぐにまた立ち込める。むき出しになった灰色の岩肌が直立した崖に近づくと、雪原の中から石の階段が伸びていて、崖に開けられた大きな洞窟に続いている。
「どうやらここね」
ルダが呟く。ルリハは頷くと剣を握り直して階段を登った。三人も後ろから従う。
洞窟の中は暗い。ルリハはカンテラを灯して左手で掲げた。冷たい空気が滞留している。
「行くよ」
彼女は誰にともなく言うと、前方に足を踏み出した。