洞窟の中はすぐに光が届かなくなった。ルリハはカンテラに火を灯し、左手に掲げた。
冷たい空気が滞留している。息が白いのに、妙に辺りが湿っぽい。
靴底が石の床を打つ音だけが響く。洞窟の壁も天井も、鋭い刃物で切り取ったような真っ直ぐな造りだ。
やがてしばらく進むと、一行は鉄の扉で阻まれてしまった。
「ちょっと待ってろゴロ」
ドンゴが進み出ると、扉に何度も拳を叩きつけた。だが、ほんの僅かに扉が歪んだだけで、破れない。
「硬い扉だゴロ....」
一休みすると、再び拳を振るう。金属と岩が激突するような音が響いた。だが、数分するとドンゴは悔しそうにまた言った。
「....こんなバカみたいに厚い扉見たことないゴロ」
「おじさん、拳を骨折したりしたら意味ないから。他の方法を探そう」
ルリハが言う。その時リンクルが声を上げた。
「ねえ、爆弾は?」
「お前頭いいゴロな」
「うしし。でしょ?」
彼女は得意になって、自分の腰についた爆弾袋をポンと叩いた。
「あっ...あんたあたしから借りて持ちっぱなしだったでしょ。返しなさい」
ルリハは見とがめたが、リンクルは口を尖らせた。
「どうして?また大物が出てきたら爆弾矢使うかも知れないじゃん」
「...全く、ああいえばこう言うッ」
ルリハは苦笑した。だが、先頭に立つ自分は身軽なほうが良いことも事実だ。
「じゃあ、持ってていいけど使う時は許可制ね」
「はいはいっ...と」
リンクルは答えると、爆弾を袋から取り出し始めた。だがドンゴがそれを取り上げた。
「あっ...うちの!何すんのよ」
「発破作業は本職に任せるゴロよ」
ドンゴは僅かに空いた扉の隙間に岩の破片をねじ込んでこじ開けると、そこに数個の爆弾を嵌め込んで皆を退避させ、点火して自分も下がった。
凄まじい爆発音がした。見ると、人が顔を突っ込めるほどには扉の隙間が広がっている。
ルリハがその隙間から腕を入れて鍵を解錠した。重々しい音を立てて扉が開いていく。
「皆んな、いつでも戦えるようにして...先生以外は」
ルリハは言うと、先に進み始めた。だがルダが答えた。
「私にも武器はあるわよ。戦力外にされるのは心外ね」
だが、ルリハは冗談を返す余裕がなかった。
足を一歩踏み入れただけでわかったからだ。そこは洞窟とはまったく違う風景だった。
壁は良く磨かれた上質な鉄製だ。天井を照らすと、一メートルおきに灯籠がぶら下がっている。それは城下町でも滅多に見かけないガス灯だった。
「...百年前にこんな設備が?」
不審の念に眉を顰めながらも、ルリハは前進した。ドンゴも呟いた。
「景気が良かったんだゴロな。最長老から聞いたことがあるゴロ。皆金が余って仕方がないくらいだったって」
「ええっ?...いいなぁ。うちもそんな目に遭ってみたぁい」
リンクルが夢見るように言う。だがルダが横から静かに口を挟んだ。
「...そして、その有り余る富を使って人と魔物の混合物を造ろうと試みた。人間の欲望には限りがないってことの証明ね」
すると皆が黙り込んだ。やがて通路は新たな扉に行きついた。
「また荒っぽくブチ破るゴロ?」
ドンゴがリンクルを見やる。リンクルは頷いた。だが、そのときルダが声を上げた。
「ねえ、これって昇降機じゃない?」
「昇降機?なんですかそれ」
ルリハが尋ねる。するとドンゴも目を丸くして扉の横にあった何かを見つめた。
「ホントだゴロ。鉱山にしかないもんだと思ってたゴロが...」
ルダが指さすものに目をやると、壁にスイッチがついている。四人は顔をしばらく見合わせたが、ルリハが代表してそれを押してみた。
しばらく何も起きなかった。
「壊れてるのかな。別の道を探そう」
ルリハがそう言って踵を返そうとしたとき、扉が静かに開いた。リンクルが驚いて声を上げた。
「え?..これ、どうやって?」
「蒸気機関かしらね。でも....」
ルダが真剣な顔で言った。
「動力が生きてるってことは、博士もここに来ている可能性が高い..ってことじゃないかしら」
* * * * * * * * * * * * * * * * *
四人は意を決すると、昇降機に乗り込んだ。内側の壁についたスイッチを押すと、静かに扉が閉まる。やがて部屋全体が下降し始めたのがわかった。
皆、身じろぎもしない。だがリンクルは時折コンパスを取り出しては針の向きを確認している。
「やっぱこっちだね。蟻さんの巣みたい」
やがて動きが止まり、扉が開いた。
「皆んな、用心して」
ルリハは剣を構えると先頭に立って外に進み出た。ドンゴが続き、その後ろからリンクルとルダが従った。
だが、一同は驚きの余り思わず目を見張った。
そこは豪奢な絨毯が敷かれた広い応接室だった。設えられたガス灯からは煌々と光が放たれている。
大きなソファや応接机。さらには王家の紋章を染め抜いた旗印が壁にかかっていた。
「別世界みたい....」
リンクルが思わずボウガンを下げて辺りを見回した。だがルリハが目で合図すると、慌てて武器を構え直した。
「誰かがここで暮らしている.....そんな感じね」
ルダも部屋の中を注意深く観察しながら呟いた。
部屋の正面には扉がある。ルリハが把手に手をかけると、それは容易に開いた。
中を覗き込むと、そこは一転して薄暗い空間だった。
ルリハは再びカンテラを点灯してかざし、中に入った。すると、広々とした空間に見たこともないような装置が並んでいる。
薄っぺらく高い寝台。天井から吊り下がった奇妙な照明器具。棚には所狭しと瓶が並べられている。
「...手術室かしらね」
後ろから追いついたルダが言う。
さらに先に進むと、左右に骨格標本が並んでいる。だが、それを見た瞬間ルダが凍り付いた。
「これ....人間じゃない」
「何なの、先生.....?」
リンクルが不安そうに言う。ルリハも近づいてそれをよく見た。
「...形は人間みたいだけど、なんだか....」
「そう.......。身長が異常に高すぎるわね」
ルダが答えた。
その時、どこからか声が聞こえてきた。
「はるばる長旅ご苦労だったね........わが住処にようこそ」
ルリハたちは驚いて周囲を見渡した。だが、人の姿はどこにも見えない。声は続けた。
「お構いもせず失礼するよ。何しろ仕事が佳境に入っているのでね」
* * * * * * * * * * * *
「ノクス博士....ね。まさかこんなところに住んでたなんてね」
気を取り直すとルリハは言った。
「もうじき軍隊がここに攻め寄せてくるわよ。観念しなさい」
「...そんな見え透いた嘘を信じると思うかね。お嬢さん。もう少し気の利いたことを言ってくれたまえ」
声は答えた。
「私は知っている。度重なる魔物の大発生により、城の防衛兵の主力は城下町を離れることができない。年端もいかない君らが派遣されてきたのもそれが理由だろう?」
ルリハは背筋を冷や汗が流れ落ちるのを感じた。声の源を必死で探したが、何もそれらしきものは見当たらない。
「...原始的な伝声管だよ。今のハイラル王国ではこうした技術の多くが失われてしまった。嘆かわしいことじゃないか。それら技術を生み出した科学者たちの努力が無に帰してしまったのだから」
博士の声が続ける。
「私のハイブリッド技術も同様だ。一旦失われてしまえば再創出するのには途方もない時間がかかる。それを禁止する?誰にもそんなことをする権利はないはずだ」
だがルリハは勇気を奮い起こして反論した。
「あんたが自分の身体で実験するのは勝手にすればいい。でも他人の身体をあんたの好きなようにいじくる権利なんてないはずよ」
「...誤解も甚だしい。私は被験者本人の意思を確認することなしに実験は行わない主義だ」
その時ルダが言った。
「孤児、私生児、浮浪者...そういった人達が実験に使われたと聞くわ。『今よりマシな境遇になる』って言いくるめてね。それを『意思確認』って言い換えてるだけ。それこそ見え透いた嘘よ」
「おや、いつぞやの女医さんだね。物好きなことだ。だが、技術的な観点から言わせてもらえば―――」
博士の声は一呼吸を置くと演説を始めた。
「そもそもハイブリッドが成立するという時点で、人と鬼は隔絶された別種の生物とは言い難い。これは馬と驢馬の間にある違いに比べられよう。あるいは虎と獅子でもいい。だとすれば人が魔物と混じり合ったところで、それほど大きな問題なのだろうか?」
「あんたが魔物大好きなのは分かった。だったら一生魔物と一緒に暮してればいいわ。でも他の人も一緒って思わないことね。これ、当然のマナーでしょ」
ルリハは精いっぱいの毒を込めて言い捨てた。だが博士は全くこたえていないようだ。
「面白いことを言う。だが私は人類の進歩を止める側には立たない。見たまえ、魔王が復活すれば、君たちにも分かるだろう。その絶大な力を抑制するのではなく、むしろ解放することこそが、人類の進歩につながるということを」
「魔王なんて、リンク兄ちゃんがブッ倒すわよ。何度でも!」
ルリハは大声で叫んだ。だが博士は低く笑った。
「...勇者は行方不明だ。それを私が知らないとでも?」
黙り込んだルリハに言い聞かせるように博士は言葉を継いだ。
「...だが、私は勇者を嫌ってはいないよ。彼もまた一定の役割を果たしている。魔の循環と充満の中でね」
「魔の循環?」
ルダが怪訝な声を上げた。
「そうだ。勇者は『魔』を新陳代謝させるという意味で役割を果たしている。勇者がとどめを刺したところで魔王は死なない。ただ一時的に封印されるだけだ。そして世界の『魔』が再び集められ、魔王は再び受肉する。この循環は歴史上繰り返されてきた。だが、その循環の中で魔王の力そのものを増進させること、それが私の願いだ。人類の限界はそれによって押し広げられるのだから」
「あんた頭が狂ってる。魔王は人間じゃないわ」
ルリハが言った。だが博士は真向から否定した。
「人間ではないという根拠はあるのか?彼は我々と同じ知的言語を操る知的生命体だ」
「城下町で『魔王は悪者じゃない』とか『鬼にも人権がある』とか触れ回ってる奴らがいるが、それもお前のしわざゴロ?」
ドンゴが言った。すると博士は答えた。
「今さら驚いているのかね?私はもう百年前には論文を発表している。『魔王と魔物の起源』と題してね。だが、頭の固い学会は受け入れなかった。知的探求を倫理的制約により放棄することを選んだ退廃した連中だ。私はもうその時点で見切りをつけたよ」
「...で、『胚』をここに持ち帰って培養してたわけね。でも大事なことを見落としてるわ、博士」
ルダが冷静な語調で指摘する。
「同じ遺伝情報を持った魔王の『胚』を成体になるまで培養したところで、同じ魂や心を持つわけではない。肉体が同じなだけで記憶もなければ、何もない。あなたが降霊術でもマスターしない限りね」
「...よい指摘だ。実によい指摘だ」
博士はそう言ってやや押し黙った後、続けた。
「うむ、確かに君の言う通りだ。だからこそ、私はかの日付が来るのを待っているのだよ」
「日付?」
ルリハは反射的に尋ねた。
「魔王が屠られてから、魔の充満に至る十六年目。その日、流された魔王の血の力が目覚める。私は長年魔王の血を研究してきた――」
博士の声は、より熱を帯びてきた。
「魔王の血は、時が経つにつれて力を増している。その時が来れば......」
だが、そこで唐突に博士は咳払いした。
「まあいい。そろそろ私も君らに邪魔されるのに飽きてきた。今度こそは満足してもらえる相手を用意した。今そちらに向かわせているところだよ」
そして、博士の声が途切れた。
* * * * * * * * * * *
「...声、消えちゃったね」
リンクルが呟いた。ルリハは耳を澄ませていたが、何も聞えない。
「リンクル、念のため昇降機が動くか確認して」
ルリハは指示した。万が一敵に対処しきれない場合に備えることにした。だが、リンクルは前の部屋に駆け戻ってしばらくすると声を上げた。
「ねえ、押しても押しても動かないよ」
「ルリハ!見て!」
ルダが叫びながら正面の壁を指さした。
壁が仕掛けのように開いていく。その向こう側には新たな広い廊下が見えた。
その廊下の向こうから、横並びになって何者かが歩いてくる。
重々しい足音が響く。まるで鋼鉄製のブーツのような音だ。
それは頭からつま先まで全身を金属の装甲で固めた鎧武者だった。全部で三体いる。
顔さえも鋼鉄で覆われている。片手に巨大な戦棍、もう片方の手に盾を持っていた。
だが近づいてくるにつれて異常なことに気づいた。
身長が三メートルほどもある。背の高さだけで言えばドンゴと大きく違わない。
「先生、リンクル、下がってて!」
ルリハは叫ぶとドンゴを顧みた。
「おじさん...!」
「おう、相手にとって不足はないゴロ」
ドンゴは両手の拳を打ち合わせる。背後でルダが言った。
「タートナック...!かつて開発された巨人戦士よ...!」