「....わかったわ。やってやろうじゃないの」
ルリハは答えた。迷ったのはほんの一瞬だった。
「ルリハ...バカなことはやめて!」
ルダが叫ぶ。だがルリハは言った。
「先生...彼がこのまま解き放たれたら、大変なことになる。でも、ここで止められるんだったら....」
「でもあなたがやらなくたって...!生きて帰るのが任務って忘れたの?」
「お姉ちゃん...」
リンクルも絶句してルリハを見つめた。その瞳は驚きと心配で満たされている。ルリハは少し胸が痛んだが、言葉を継いだ。
「ごめん...でも、これは剣士どうしにしか分からないことなの」
「ふむ....。剣士としての最低限の教育は受けているようだな」
鎧武者はそう言うと、寝台の脇にあった盾を左手に持ち、ルリハに背を向けて戦棍を一振りした。
だが、ルリハは自分の腰に手をやって思い出した。
またもや忘れていた。剣は折れてしまったのだ。
「どうした?」
鎧武者が振り返って尋ねる。ルリハは躊躇しながら答えた。
「剣....さっき戦ってて折れちゃった。馬車まで戻れば予備があるんだけど...」
すると鎧武者は左手で自分の腰の長剣を抜き、ルリハの足元に放り出した。ガラン...と重い金属音がする。
「えっ.....?」
「剣がなくては勝負にもならん。儂のを使え」
鎧武者が言う。ルリハは呆気にとられてしまった。半信半疑で、足元に転がった剣に手を伸ばし、拾い上げた。
両手で持つと、やや大ぶりだが、極めてバランスが良く振りやすそうだ。刃はよく研がれていたらしく、キラリと光る。ルリハは思わず目を見張った。
「いい剣....」
「これで五分五分だ。儂は盾も使うが、そなたは剣だけでいいのか?」
「ありがとう。あたしはこれで十分」
ルリハはそう答えると、鎧武者から少し離れて下段に構えた。
実に奇妙な気持ちだった。相手は自分たちを敵だと言う。こちらも、さっきまでは相手のことを宿敵の手下だと思っていた。だが、それでいてまるで旧知の仲のように互いの考えていることがわかる。
「ルリハ....。お願い、考え直して!」
「お姉ちゃん.....!」
ルダとリンクルの声が聞こえる。だがルリハは迷いを振り払うように首を振った。
この男を解き放ったら、この先あらゆる場所で惨劇が起こるだろう。それを知っていて黙っていることなど、できない。
――見習いではあっても、あたしは剣士だ――
ルリハは自分に言い聞かせた。
「そのほうら、立ち会うのは結構だが下がっておったほうがよいぞ。巻き添えを食わぬうちに」
鎧武者はルダとリンクルに言う。二人は渋々ながらも部屋の壁際に退いた。
「では、いざ仕らん」
鎧武者が宣言する。同時に、彼は一歩進み出て、重心を低くとると盾を前に突き出し、右手の戦棍を高く掲げる独特の構えをとった。
ルリハは中段に構えた。摺り足で間合いを図る。
――相手の戦棍は、先ほど戦ったタートナックたちのものと同じだ。距離感は同じ――
間合いが近付き、また遠のき、また近づく。
鎧武者はやおら唸り声を上げると、戦棍を横に払った。
後ろに飛び退くと、顔の前を凄まじい質量が通り過ぎる。
だが、動作が大きい。相手の脇腹がこちらを向くが早いが、ルリハは突進し突きを放った。
その途端、巨大な盾が目の前に立ちふさがった。金属と金属が衝突し火花が散る。
ルリハは第二撃を警戒して素早く退いた。
やはり来た。戦棍が空気を切り裂いて横殴りにやってくる。
咄嗟に身体を後ろに倒す。すぐ上を戦棍が通過していく。ルリハは地面に倒れるが早いが後転し、膝立ちになって構えた。
「....用心深い奴...」
それ以上の追撃は来なかった。ルリハは内心安堵しつつも呟いた。大きく重い攻撃の動作の隙を突こうとしても、左手の盾が独自の意志を持っているかのように割り込んでくる。
気を取り直して立ち上がると、彼女は剣をやや下段気味に構え、相手の周囲に円を描くように移動し始めた。
鎧武者の顔はピタリとこちらに向けられている。動きは鈍いようでいて、鋼鉄の面甲の奥にあるその目は獲物を逃さぬ鷹のごとく精密にこちらを見据えていることが感じられた。
――この相手、小手先もごまかしも効かない――
ルリハは生唾を呑み込んだ。剣を握る手に汗が滲む。だが、不思議な事に奇妙な高揚感を感じてもいた。
摺り足で前に出る。一歩、また一歩。
鎧武者が再び動いた。戦棍が斜めに振り下ろされる。身体を傾けて躱した。風圧でルリハの三つ編みの髪が煽られ、蛇のように舞う。
だが、もう一歩踏み込みが足りない。今仕掛けても盾で防がれてしまう。
「どうした!足が止まっておるぞ!」
鎧武者は返す手で、戦棍を横に払ってきた。低い。ルリハは空中に跳躍した。足の下を風鳴りが通り過ぎる。
着地したルリハは敢えて仕掛けず、もう一撃を待った。
もう一歩だ。相手の急所に届くには。
「ヌウウンッ!」
鎧武者は唸り声を上げ戦棍を振り上げた。
縦に来る。この瞬間を待っていた。
ルリハはギリギリまで動かなかった。頭上に戦棍が来る。その瞬間横に体を躱した。
皮鎧の肩当ての先端が削られるのを感じた。相手の武器が床を打ち、地響きが足を伝わる。
「でやぁぁぁッ!」
前傾した相手の身体、伸ばされた腕。その籠手目掛けてルリハは斬撃を放った。
鋼鉄で守られていても剣の一撃を喰らったら無傷では済まない。
だがその刹那。
鎧武者は戦棍の柄から手を離した。ルリハの剣が空を切る。
「えッ....」
次の瞬間、武者の拳が目の前に迫った。
すんでのところで上体を捻る。ルリハの顔面の横を鉄の塊が通過した。
予想外の出来事に遭遇した虚を突かれ、彼女の構えが崩れた。
その隙に鎧武者は足先で器用に戦棍を蹴り上げると、その柄を掴んだ。
「臆したか!女剣士!」
戦棍を振り上げた鎧武者が呼ばわる。唸り声とともに横殴りの攻撃が飛んできた。
地面に飛び込むように伏せた。辛うじての回避だった。
だが、すぐに第二撃が来る。唸り声とともに上から戦棍が降ってくる。
地面を転がって避けると、顔のすぐ横の床に重い戦棍が叩きつけられた。ルリハは必死で転がって距離を取った。
乱れる呼吸を整えながら立ち上がり、ルリハは背後の壁との距離を測った。もう下がれない。
――タートナックなんかとは次元が違う。本物の戦士だ――
胸の中に驚嘆の念が湧いてくるのを禁じ得なかった。
「ルリハお姉ちゃん、頑張れ!」
リンクルの声が聞こえてくる。ルリハは見ずに頷いた。
わかってる。普通に勝てる相手じゃない。でも、技の全てをぶつければ。
ルリハは呼吸を鎮めるとまた前に出た。
「ヌウウンッ!」
鎧武者が再び戦棍を振り上げる。横殴りに来る。ルリハは身体を低く伏せ、頭上を攻撃が通り過ぎるが早いが突進した。
だが斬りかかると同時に、盾が立ちはだかる。激しい金属音が響く。
巨大な盾の向こうにいる相手の息遣い、足音、全てがルリハの耳にハッキリと入ってきた。
――攻撃してきた瞬間。その時隙が生まれる――
ルリハは盾の上から覗く相手の面甲を狙って突きを放った。だがそれも盾の縁で弾かれた。
――戦棍を振れ。その時あたしが反撃してやる――
だが、突然ある思考が頭をよぎった。
何か別のものが来る。呼吸も唸り声も聞こえない。足音もないが。
ルリハは咄嗟に身体を横に倒した。
目の前にあった盾が...ブン...と音を立てて突き出される。物凄い風圧が顔をかすめた。
相手に隙ができた。だが、自分の体勢が崩れていて反撃できない。
...だがあの『奥義』なら。
ルリハは反射的に前転した。相手の背後で立ち上がり、跳躍しつつ剣を横に薙ぎ払った。
ザシュッ.....!
手応えがあった。鎧武者の背中に横一文字の斬り傷が浮かぶ。
「グウッ...!」
ルリハが呼吸を鎮めながら構え直すと同時に、鎧武者は二、三歩よろめいたあと彼女に向き直った。
――技が徹った....!――
ルリハは自分でも驚きに目を見開いた。鎧武者は唸るように言った。
「これは『奥義・背面斬り』...そうだな、女剣士!」
彼は用心深く盾を掲げ、低く構えながら重ねて問うた。
「女剣士、なぜこの技を知っている?誰から習ったのだ?」
「...兄貴から。その兄貴は勇者リンクから習ったよ」
ルリハも用心深く構えながら答えた。すると鎧武者は尋ねた。
「勇者だと?伝説上の存在だと思っていたが...この時代には勇者がいるのか?」
「ああ。いるよ」
「むうう、なんと面白い時代に目覚めたのだろう。勇者と是非戦ってみたいものだ」
鎧武者が唸る。だがルリハは笑いながら言った。
「その前にあたしとの勝負が終わってないじゃん」
「そうであったな。では続けるとしよう。それにしても...」
喋り続けながら鎧武者は進み出て戦棍を振り上げた。
「強き剣士と戦うことのなんと喜ばしいことよ!」
横殴りの攻撃が襲ってくる。ルリハは上体を反らして回避すると、距離を詰めた。
「認めたくないけど.....」
横斬りを放った。相手の盾が掲げられる。衝突音が響く中、彼女は敵の横に出ようと足を運んだ。
「あたしも...同じ気持ちだよ!」
相手の横から斬りかかろうと身を翻した。
だがその瞬間、鎧武者が盾の縁で斬りかかるように振り回した。
咄嗟に側転して避ける。
だが立ち上がった瞬間に、再び唸りを上げて迫ってきたものがあった。
前蹴りだ。
腕を交差させて受ける。ルリハは身体ごと持ち上げられた。吹き飛ばされるように空中を飛んでいく。
――壁に叩きつけられる――
咄嗟に剣を大きく振った。身体の向きが変わり、ルリハは壁に剣を突き立てて足で『着地』した。
剣を引き抜き、床に降り立って構え直す。鎧武者が感心したような声を上げた。
「お前の弱点は軽さ。その弱点を補うのが体術か....見事なものよ」
相手の声色には純粋な賞賛が込められているのがわかった。だがルリハには答える余裕はなかった。ただ全力でぶつかるしかない。
「儂も自分の弱点は心得ておる。それゆえひたすら力と技を磨いてきたのだ」
鎧武者が再び構えながら誰にともなく言った。
ルリハは相手の言っていることが嫌というほど理解できた。
相手の動きは鈍い。だが技は恐ろしく研ぎ澄まされている。隙を突いたと思えば、逆に突かれる。
呼吸を整えながら、ルリハは摺り足で距離を詰めていった。間合いに入ると、一挙に迫った。
「でやぁぁぁッ!」
袈裟斬りをかける。盾で防がれた。身体の軸を中心に回転し、横に出ながらもう一度袈裟斬りをかける。それも防がれた。
息を吐く音がする。来る。
唸り声とともに戦棍が横殴りに飛んできた。
だが、躱した瞬間が反撃のチャンスだ。ルリハはギリギリまで待った。
身を沈める。頭上を風鳴りが通過する。鈍重なはずの戦棍に、後ろ髪が断ち切られたのを感じた。
前転して跳ね起き、剣を振り上げる。
――手傷を負わせるだけでは駄目だ。一発で決めないと――
目の前に、攻撃を終えた姿勢の鎧武者がいる。
首だ。狙うならそこしかない。
ルリハは裂帛の気合いの声とともに、全体重を込めて袈裟斬りを振り下ろした。
ガキィ...ンッ!
――だが、鈍い金属音とともにルリハの剣が止まった。
彼女は驚愕の思いで目を剥いた。剣の刃が鎧武者の面甲の顎と肩当てに挟まれている。万力で締められたように動かない。
次の瞬間、鎧武者の肘が飛んできた。
受け損ねたルリハは剣を手離して吹き飛ばされ、数メートル先の床に転がって止まった。
「ううう....ッ」
呻き声を上げながらそれでも立ち上がろうともがく。だが息が苦しい。意識を失なわずにいるのがやっとだった。
「勝負あったな」
鎧武者は戦棍と盾を放り出すと、ルリハの使っていた剣を器用に手に取った。
「何か言い残すことはあるか?」
ゆっくりと近づいてきながら鎧武者が言った。
「ま...まさか!」
ルダが叫んだ。
「やめなさい、馬鹿なことは!」
「勝敗に命が懸っておらずして戦いとは言わん」
鎧武者は当然と言わんばかりの口調で言い放った。
「そんな...お姉ちゃん...!」
リンクルも叫んだ。ルリハは辛うじて仰向けになると呟いた。
「こ...こんな..強い奴がいるなんて..知らなかった....」
「良い勝負であったな。.......では、さらばだ、女剣士」
鎧武者はルリハの横まで来るとゆっくりと剣を振り上げる。
「やめて!やめて!」
ルダとリンクルが絶叫する。
その瞬間、異変が起こった。
* * * * * * * * * * *
ドォ...ン...ッ
ドォ...ン...ッ
遠くから地響きのような音が聞こえてくる。
「む...?」
鎧武者が剣を下げた。意識を取り戻したドンゴが膝立ちになって呟く。
「なんだか発破の音みたいだゴロ?」
ルダが周囲を見回して言った。
「まさか....博士はこの施設を?」
地響きがまた響いた。今度は立て続けだ。
次の瞬間、天井に亀裂が走った。かと思うと、凄まじい勢いで岩や土砂が崩れ落ちてきた。
「....先生、リンクル!俺のところに来るゴロ!」
轟音の中、ドンゴが叫ぶ。ルダの声も聞こえた。
「ルリハも来て!」
ルリハは身体を起こそうとした。だが、目の前にたちまち瓦礫が崩れ落ちてくる。
その時だった。鎧武者がルリハの腕を掴んで叫んだ。
「儂の下に!」
「なッ....なんで?」
「儂の鎧なら耐えられる!」
鎧武者の巨体がまるで机のようにルリハの身体の上に覆いかぶさる。
ドォォォォォンッ...!
凄まじい衝撃。瓦礫が鎧の上に叩きつけられ、鉄と岩がぶつかる鈍い音が聞こえた。
地響きが続き、やがてあたり一面が瓦礫で埋め尽くされた。光も見えない。
――なぜ?なぜこいつはあたしを?――
ルリハはそう思いながら、いつしか意識を失っていった。
* * * * * * * * * *
「ルリハ!どこにいるゴロ!」
ドンゴの声が遠くから聞こえてきて、ルリハは意識を取り戻した。
「お姉ちゃん!」
「ルリハ!どこにいるの!返事して!」
リンクルとルダの必死の声も聞こえる。
眼を開けると、周囲は真っ暗だった。手を伸ばそうとすると、すぐに鉄の鎧に当たった。
――そうだ...あたしは鎧武者に助けられて...――
彼女は頭を振って意識をはっきりさせると叫んだ。
「あたしはここ!生きてるよ!」
「おじさん!聞こえた!こっちだよ!」
リンクルが叫ぶ。ドンゴが唸る声、そして岩が持ち上げられるような音。
ルリハは横たわりながら考えていた。鎧武者は一体何を考えているのか。勝負に勝ったほうが相手の首を刎ねるのが古代の剣士の習わしと聞いていた。それなのに、身を挺して相手を守るなんて。
しばらくすると、周囲の瓦礫が少しづつ取り除けられ、細い光が見えてきた。
「ルリハ、もうすぐの辛抱だゴロ」
ドンゴが息を弾ませながら岩を取り除け、土砂を掻き分ける音。
その音を頼りにルリハは顔を回した。するとボコッ....っと音がして、大きな岩がずれるとともに、その向こうから見慣れた三人の顔が覗いた。
「あたしは大丈夫。この人が守ってくれたから....」
ルリハは笑顔を向けた。そして鎧武者に話しかけた。
「礼を言わなきゃね。でもあんた、なんだってあたしを庇って...」
だが彼女はそこで口を閉ざした。自分の顔の上に、何かの液体がかかったからだ。
「待ってるゴロ!そいつがお前を殺す前に助け出すゴロ...」
ドンゴが息も荒くペースを上げて瓦礫を取り除く。だがルリハは宥めた。
「大丈夫。今は休戦みたいだから....」
ルリハは言いかけてまた口を閉ざした。顔にまた液体がかかった。
ふと手でそれを拭きとり目をやると、それは血だった。
「パロミデスさん....?」
呼びかけても返事はない。やがてドンゴがルリハの腕を掴んで瓦礫の中から引き出した。
「おじさん、あの人も助けて。なんか様子が変だから」
ルリハは礼もそこそこに言った。だがドンゴは首を振る。
「お前、殺されかけたのに何考えてるゴロ?」
「お願いおじさん。それになんか怪我してるみたいだし」
ドンゴは溜め息をつくと、ブツブツ言いながらもその通りにした。
「...今度ヘンな真似しやがったら絞め殺してやるゴロ」
やがて周辺の瓦礫がすっかり取り除かれた。頭上からは雪が舞い降りていて、岩や土砂の上に薄く積もっている。
鎧武者はルリハを庇ったときと同じ姿勢で動かずに伏せていた。
だがその背中には太い鉄骨が刺さっていた。