「アッシュ少佐は脱走した。兵士数名を連れて」
長官と呼ばれていた男は指先を伸ばし、得意げな様子で長い口ひげを捻ると告げた。
予想外のことに不意を突かれたルリハは何も言葉らしい言葉を発することができなかった。
「えっ....?....」
ルリハは仲間たちを顧みたあと、なんとか反論しようとした。
「アッシュさんが....そ....そんなこと...」
「いやいや、嘆かわしい限りだ。まさか王都が危機に陥っているこの状況で脱走...とは」
長官は鼻を鳴らすと顔をしかめた。だがルダが冷静な語調で尋ねた。
「そう仰るからには証拠はあるんですか?」
すると長官は肩をすくめた。
「西門を警備していた兵士が目撃したのだ。数名の兵士を連れてこっそりと出ていった、と」
「西門?じゃあ西平原に....?」
だが、ルダに尋ねられた長官は知ったことか、といった様子で吐き捨てる。
「さあ、どこに行ったかまでは私も知らん。さっきも言ったろう。だが、ともあれアッシュ少佐は魔物の襲撃に備えた籠城の命令に違反し、逃げたのだ。この私も、まさかとは思ったがねぇ」
そう言うと長官は意味ありげに含み笑いした。
「それは違います」
猛烈に腹が立ってきたルリハは、ようやくひと息吸うと声を上げた。
「違う?ほう...?」
長官は意地悪い目つきでルリハを見る。
「たかが剣士見習いの君が長官である私に意見するのか?」
「それは違います。ノクス博士は西平原に向かっているって私が報告したんです。その報告を読んだアッシュさんは、博士を阻止しに行ったに違いありません」
ルリハは真っすぐ相手を見上げながら一気に言った。だが、それを聞いた長官は大袈裟に溜め息をついた。
「やれやれ、またそれか。私はもううんざりなんだよ。根拠のないおとぎ話で恐怖感を煽り、やれ『魔王』だやれ『復活』だとか。考えてもみたまえ。どうやって死んだ人間を復活させるというのかね?魔法でかね?」
するとルダが相変わらずの冷静な口調で割り込んだ。
「長官、私は博士の開発したハイブリッド体について詳細に報告したはずですが。理論上、博士の技術を使えば少なくとも肉体の復活は可能です。人格が同じかはわかりませんけど」
「町医者ふぜいが分かったふうなことを」
長官は忌々し気に女医を睨むと、眼を逸らし、言葉を継いだ。
「いずれにせよ、どんな魔物がやってこようが橋を上げて籠城すれば城下町には入ってはこれん。たとえ魔王とやらであってもあの濠を渡ることはできまい」
「長官、お忘れですか。十六年前の『ザント・ガノンドロフの乱』では濠も役に立たなかったと言われています」
ルダはあくまで穏やかな口調だった。だがこれがいたく長官のカンに触ったようだった。
「....君の年齢では、その頃はまだ小娘だったろう!いったい何が分かるというのかね!」
「西平原に行かなきゃ」
ルリハは唐突に顔を上げた。話の腰を折られた長官はますます苦い顔をした。
「........なんだと?」
「あたしたち、西平原に行きます。アッシュさんを手つだわなきゃ」
「うちも行く!そんでアッシュお姉ちゃんに『お前、強いな』って褒められるんだぁ!」
リンクルが拳を突き上げる。ドンゴは苦笑しながらそれを見ると自分も口を開いた。
「ま、乗りかかった舟だゴロ。俺も行くゴロ」
だが、踵を返そうとしたルリハたちを長官が呼び止めた。
「待て!門は今すべて封鎖されている。勝手に通ることは許されん」
「いわゆる、町外への外出禁止令...ですか?」
ルダが確認した。長官は頷くと、傲然と顎を上げた。
「そうだ。一歩でも町の外に出たら君たちは危急のときに王都を捨てた者とみなされる」
「バカなこと言わないでください。助けるために行くんです!」
ルリハは声を荒げて長官に詰め寄った。
「早く門を開けてください!皆でアッシュさんを支援したいんです!」
すると相手は憎々し気に彼女を睨むと、兵士たちに指示した。
「君らは幻想の世界から少し頭を冷やしたほうがいいようだな。おい!」
兵士たちも困惑した様子で顔を見合わせている。だが長官は構わず言った。
「こいつらを営倉に入れておけ。バカな真似をされたら困る」
「し...しかし....」
「命令だ。逆らうのか?」
長官が怒鳴りつける。兵士たちは渋々従い、ルリハたちの武装を取り上げ、手を引いて連れていった。
* * * * * * * * * * * *
営倉の中は、地下牢のようなものを想像していたルリハの予想とは違って清潔だった。ベッドも洗面所もあり、兵舎と大差ない。
だがルリハたちは男女関係なく一室に押し込められたので、ドンゴはいかにも居心地が悪そうだった。
「全くこんなペラペラの扉一枚でゴロンを閉じ込められると思ってるとは、滑稽な連中だゴロよ」
彼は溜め息をつくと、床に寝そべってあくびをした。
「ま、お前らもここにいることだし、当分の間は閉じ込められたフリをしてやるゴロ」
「早くここから出なきゃ。アッシュさんたち、たった数人でノクス博士の手下たち全員を相手にすることになっちゃう」
ルリハは真剣な顔で腕組みしながら唸った。するとルダが言った。
「それだけじゃ..ないかも知れないわ」
「それだけじゃないって..どういうこと、先生?」
「魔物たちもまた、『血』を求めてやってくる...」
女医は呟くように続けた。
「...魔王が倒れたあの日から十六年の期間が満ちて『血が目覚める』とき、魔物たちはその力にあやかろうと集まってくるはずよ。砂糖に群がる蟻のように....」
「.....それって...どれくらいの数が?」
ルリハの背筋を冷たいものが上っていく。ルダは答えた。
「おそらく...国じゅうの魔物が集まってくるわね」
その時だった。
コンコン...コンコン...
窓ガラスを軽く叩く音が聞こえる。
ルリハが音のした方を見ると、どうしたわけかゴロン族の子どもたちが窓から覗いていた。
「うん....どうしたゴロ?」
ドンゴは身体を起こすと、窓を少しだけ開けた。
「ドンゴおじさん、どうして牢屋に入れられたの?泥棒しちゃったの?」
「オイラたちに相談してくれたら、うまい逃げ方教えてあげたのに.....」
子どもたちはこちらを覗き込みながら悲し気に言った。
「バカ言うな、別に悪いことはしとらんゴロよ。そのうち出るゴロよ」
「ねえ、あんたたち。ダルボスさんに伝えてくれる?」
ルリハは横から顔を出した。ゴロン族の子どもたちはキョトンとした顔をしている。ドンゴは慌てて彼女を止めようとした。
「おい、余計なことは....」
だがルリハは構わず話し続けた。
「あと四日で魔王が蘇るって。助けてくれ、とは言わないわ。でも、知っていて言わないでいるのは良くないと思ったから」
「いいよ!オイラちょうど明日、山に帰るんだ」
こどもの一人が請け合った。
「さ、早く行きな。見つからないうちに」
ルリハが促すと、ゴロンの子どもたちは窓の前から姿を消した。周囲はすっかり日が暮れている。
しばらくすると、食事が運ばれてきた。パンにスープに肉もついていて思いのほか豪華な食事だった。
「おい、ゴロン用の食事はないゴロ?」
食事を運んできた兵士にドンゴが言うと、彼らは慌てて調達しに行った。ルリハたちは食事しながら話し合った。
「本当はやりたくないけどいざというときは脱走しかないね」
「賛成ェ!うち、そういうのワクワクドキドキするぅ~!」
リンクルが声を上げる。ルダが呆れ顔で首を振った。
「ダメ。お尋ね者になるのが落ちよ。それにできれば残ってる兵士を説得して味方につけないと。これから私たちが相手にするのは、魔物の大群、ノクス博士の手下たち....それに」
女医は皆の顔を見回して付け加えた。
「もしかすると、蘇った魔王も....ってことになるかも知れないんだから」
ルリハたちは生唾を呑み込んだ。リンクルが心配顔になって尋ねる。
「先生...そんなにもうすぐなの?」
「.......私の見通しが甘かったわ」
女医は溜め息をついた。兵士たちがやってきて、ゴロン族用の食事を置いていくと慌ただしく扉を閉じて去っていった。
「....『胚』は原理的には一そろいの肉体と同じよ。あとはそれがどれくらいの速度で成長するか、だけ。ただ、肉体が成長しても魂は入れられない。私たちの希望はここね」
「ねえ、先生。もしかして西平原の『血』って...」
ルリハはある可能性に気づいて眉をひそめた。
「そう...。ノクス博士は魔王の『血』に込められた力でその魂をも呼び戻そうとしてるのかも知れないわ」
ルダが答えた。
四人は言葉少なに食事を終えるとそれぞれ場所をとって就寝した。翌朝起きてみると、冒険と戦いの連続で疲労していた身体はすっかり回復したが、心にのしかかる不安は晴れない。
ルリハは窓の外から中庭で訓練する兵士たちの様子を観察し続けた。だが、その動作はみな緩慢で、戸惑いが感じられた。
「あと三日....」
ルリハは呟くと、女医を顧みた。
「先生....もし今日明日中に出られなかったら.........」
「焦る気持ちはわかるわ。でも、荒っぽいことはダメよ」
ルダは冷静に言った。
「私の見たところ、全ては長官の独断だと思うわ。アッシュ姉さんを陥れるためのね」
「お...陥れる....って?」
驚いたルリハは尋ねた。
「アッシュ姉さんは思ったことをそのまま言うひとだから貴族たちから煙たがられても不思議はないわ」
ルダの言葉にルリハは納得した。確かに、アッシュは会議の場で相手が長官であろうが誰だろうが極めて率直に意見していた。彼女は失望に目を伏せた。
「.....大人の世界だと、ああいう物言いは嫌がられるんだね」
「そうね。でも同時に彼女はゼルダ女王本人と懇意にしてるの。だから、ことが女王の耳に入ったら、長官は立場が危うくなる。それまでの辛抱よ」
「そっか!女王さまに言えばいいんだ!先生頭イイ!」
ソファに寝転んでいたリンクルが跳ね起きる。だがルリハは言った。
「でも女王陛下に伝えるったって方法がないじゃん」
「焦らないでルリハ。いい?まず、ゴロンの子どもたちが動いたわ」
女医はわずかに唇の端を上げて微笑んだ。
「そして騒動が広がっていけば、いずれ女王陛下の耳にも異変の知らせが届く。ここは我慢比べよ」
衛兵たちが三度三度水と食事を運んできてくれたお陰で、ルリハたちはすっかり疲れが癒えた。だがかえってそれが焦りを掻き立てた。
――早くここを出たい――
そんな衝動を抱えながら、一晩、そして二晩が過ぎた。
* * * * * * * * * * * *
「あと一日しかない....。先生、そろそろ動かないと」
営倉の窓から朝日の射し込む中庭を見ながらルリハは呟いた。だがルダは答えた。
「もう少し待って。一度牢破りをしたら名誉回復まで途方もない時間が必要になるわ」
「でも....!このままここにいたらアッシュさんたちは孤立無援よ。あたしは......」
だが女医は静かに首を振った。ルリハは足を踏みならすと、乱暴にソファに腰かけた。
「お姉ちゃん揺らさないでよぉ!」
寝そべって手遊びをしていたリンクルが文句を言う。だがルリハは黙り込んだ。
時間だけが無為に過ぎていく。部屋の中を歩き回るうちに、やがて昼頃になった。
そんな時だった。ふと気づくと、庭のほうが騒がしい。兵士たちがバタバタと走り回る音がしきりに聞こえてくる。
ルリハの頭の中によぎるものがあった。
――まさか....敵襲...?――
「先生、出よう!ここでじっとしていたら武器もないし、ただやられるだけ...」
彼女は仲間たちを振り返ると言った。だがルダが叫んだ。
「待ってルリハ....!」
女医は窓の外を指さした。中庭の入り口から巨大な岩が転がるような音が近づいてくる。しかも複数だ。
ドンゴも驚いた顔で口をポカンと開けている。
「こ...こいつは驚きだゴロ」
ルリハとリンクルは窓から外を覗き、そこにあったものを見て絶句してしまった。
そこには、ゴロン族族長ダルボスと数名のゴロン戦士たちが立っていた。
* * * * * * * * * * * * *
「ここにゴロン族の者がひとり幽閉されていると聞く。今すぐに引き渡してもらいたい」
ダルボスの声が響いた。静かな語調ではあったが、窓を閉め切った営倉の中にいてもハッキリと聞こえてきた。
「聞こえぬのか?ゴロン族の者を引き渡せと言っておるのだ」
呆気にとられて立ち尽くす兵士たちに、ダルボスがもう一度言った。すると兵卒の一人が慌てて答えた。
「い...いや、権限がないので、私の一存では............」
「なるほど。では、権限のある者を呼んできて頂きたい。ゴロン族族長ダルボスが話しがしたい、とな」
ダルボスは相手を見下ろすと穏やかに言った。だが、兵卒はまるで岩の巨人に睨まれたかのように固まると、次の瞬間には駆け出していった。ルリハは窓を開けると聞き耳を立てた。
「...お...おい、なんてぇデカさだよ!」
「ゴロンの中でも飛びぬけてデカイぜ」
「あんなのが暴れ始めたら、町が壊れるぞ」
兵士たちが囁き合っている。しばらくすると、あの長官が数名のお付きとともに中庭にやってきた。だが、目の前に立ち並んだ岩の巨人たちを見ると、驚愕のあまり口を開け放しにして立ち止まった。
「貴殿が責任者か?私はゴロン族族長ダルボスだ」
ダルボスが巨体の向きを変えて挨拶した。だが長官は狼狽のあまり言葉もロクに出てこないようだった。
「あ....いや...。どうも。わ...儂は...軍長官の.......」
「ゴロン族の者がここに幽閉されていると聞く。即刻身柄を引き渡してもらいたい」
族長は最後まで聞かずに畳みかけた。すると長官は唾を何度も飲み込むと答えた。
「い...いや、しかし....今回の件はですなぁ...脱走と謀反の疑いがかけられた者との関係が疑われまして...」
「それは貴殿らの都合よ」
ダルボスはぴしゃりと被せた。
「よいか、ゴロン族はハイラル王家から自治権を認められておる。ならばゴロン族の犯罪者はゴロン族の掟をもって裁くのが当然と考える。違うか?」
「あ....ああ。そ....そうですな。確かに...」
長官は愛想笑いを浮かべると、兵士たちに向かって指示した。
「おい、あのゴロンだけは出してや........」
「....待たれよ」
再びダルボスが口を開く。もはやその場で言葉を発する者が誰もいなくなるような威厳だった。族長は続けた。
「待たれよ、長官殿。当該のゴロン族と一緒にいる人間三名。この者たちは不正にゴロン鉱山に侵入した疑いがある」
「は...?は....はい....そ..そうですか」
長官は辛うじて返事をした。族長は腕を組むと言葉を継いだ。
「よって、その三人も取り調べのためこちらに引き渡してもらいたい。それが終わったら人間たちは貴殿らの管理下に戻そう」
「え?....仰る意味が....」
「もう一つ。彼らの持っていた武器道具も全て証拠品として引き渡してもらいたい。鉱山の中で使用されたと考えられるからな」
聞いていたルリハとリンクルは心配げに顔を見合わせた。
「.......なんか雲行きが変だね?」
「あの族長さん、やっぱまだ怒ってるのかなぁ?」
だがドンゴは黙ったまま何も言わない。ルダは何故かニヤニヤと笑っている。
「以上が我が方の要求の全てだ。即刻実行して頂けるとありがたい」
ダルボスが締めくくった。だが長官が慌てて声を上げた。
「いや、それは困る。彼ら三人はあくまでも人間の謀反人として...」
「ふむ...我らに通告もなくゴロンを逮捕拘留した割には反省がないと見える」
族長は眉を少ししかめると言った。
「仕方がない。貴殿で通じぬなら、ゼルダ女王に直接.........」
「あ...いや!わかった!わかった!」
女王の名を聞いた途端長官は手を振った。そして彼が兵士たちに手ぶりで指示すると、ルリハたちは外に連れ出され、あっという間に所持品が返却された。
「言ったでしょ?」
ルダがウィンクする。だがルリハには半信半疑だった。
族長の意図は分からない。だが、ともかく外には出られたのだ。