「いよいよ...来るわね」
ルダが呟いた。
敵の群れから一斉に鬨の声が上がった。武器と武器を打ち鳴らす騒音もだ。
――いったい二百匹の群れとどう戦うの?――
鬼どもの群れが押し寄せてくる足音が近づいてくるなか、ルリハは逸る心を抑えながら待った。
兵士たちは盾の影に隠れている。アッシュだけが、相変わらずたった一人で仁王立ちし、敵を見据えていた。
鬼どもの怒りの咆哮と喚き声が空に響き渡る。距離はもう二十メートルもない。
日没が近づいたのか、辺りはもはや暗くなりかかっていたが、鬼たちの顔つきも表情もハッキリと見て取ることができた。嗜虐的に歪んだ口元。怒りに吊り上がった目。
距離が近づくと、誤射を恐れたのかもはや鬼どもは矢を射かけてこなくなった。
――どうするの?このまま待つだけ?――
ルリハは困惑し、焦った。アッシュと敵との距離は十メートルもない。
だがその時、兵士たちの一人が急激に動くのがルリハの視界の隅に見えた。手に火の燃えさしを持っている。
「放て!」
軍曹の声が聞こえる。兵士が燃えさしを前方に投げつけると、次の瞬間驚くべきことが起こった。
ボウッ....!
草原に盛大な炎が上がった。それはみるみるうちに広がり、アッシュたちの陣取った場所を半円形に囲むように炎の壁が出現した。
先頭にいた鬼たちはたちまち火だるまになり、もがき始めた。後続の鬼どもは狼狽し、喚きながらパニック状態で退いていく。
「投石!」
再び号令が響く。ルリハが目をやると、いつの間にか兵士たちが立ち上がっていた。盾を投げ捨て、手に長い皮ひものようなものを持っている。
「投石スリングよ!アッシュ姉さんったらあんな原始的な武器を...!」
ルダが驚きと呆れの混じった表情で呟く。
兵士たちは皮ひもに拳大の丸石を挟み込むと、振り回して投げつけ始めた。ほぼ直射弾道で飛んでいった石が、炎の後ろで密集して右往左往している鬼たちに直撃する。
次々と悲鳴が上がった。
轟々と燃え上がる炎の壁の後ろで、鬼どもが後退していく。だが、隊形を密集させ過ぎていたらしく、後方の鬼どもとぶつかってしまった。罵声と転倒の音が響く。やがて仲間同士で罵り合う声まで聞こえてきた。
その間も絶え間なく兵士たちが石を投げつける。ルリハは、石を仕込んだスリングが高速回転しながら空気を斬り裂く音を聞いて身震いした。あんなものが直撃したら、ただでは済まない。
だが、次の瞬間アッシュが左手を上げた。兵士たちは一斉に動きを止めた。
アッシュの銀の甲冑が炎の照り返しで真っ赤に染まっている。
ルリハは不思議に思ってアッシュを見た。
数秒が経過した。鬼たちの群れから上がっていた罵声と騒音はわずかに落ち着き始めた。勢いよく燃え上がっていた炎もようやく鎮まりつつある。
すると、アッシュは無造作に前に向かって歩き始めた。
何の躊躇いもなく、平原に広がった残り火の中に入っていく。ルリハは驚愕に目を丸くするしかなかった。
「続け!」
バルド軍曹が戦棍を振り上げ大音声で叫んだ。残りの兵士たちもスリングを投げ捨てて武器を持ち替えると前進し始めた。
「やだ!もうやだ!あのひと頭おかしい!絶対頭おかしい!」
リンクルはもはや岩に扮したドンゴの影に隠れるのも忘れ、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。ルリハも、戦況をよく見ようと思わず腰を上げた。
ゆらゆらと揺れる炎の向こうで、アッシュが剣を振り上げながら敵群に突っ込んでいく背中が見えた。
対する鬼どもは一様に虚を突かれたような顔だった。アッシュが先頭の数人を斬り捨てる頃には、鬨の声を上げた部下の兵士たちが炎を突っ切っていった。
「ルリハ、言ったでしょ?全身甲冑で覆えば多少のことには耐えられるのよ」
ルダが言う。だがルリハは心ここにあらずで頷くしかなかった。
武器と武器が衝突する音、鬼の断末魔の叫び声。アッシュが振り回す剣が炎の光を反射して煌めくたびに、鬼が一匹倒れていく。その左右では屈強な配下の兵士たちが散開し、手あたり次第に戦棍を振るっていた。鉄球に当たった鬼たちが吹き飛び、あるいは悲鳴を上げて倒れ、その背後にいる者たちが退いていく。もはや一方的な戦いだった。
ルリハは信じがたい思いで呟いた。
「ほ....本当にこれだけの人数で勝っちゃうかも...?」
「..あり得るかも知れないけど、これだけじゃ終わらないわよ」
ルダが用心深げな表情で呟く。
「アッシュ姉さんのことだもの。ただ勝って終わらせるわけがないわ」
「どういう意味?」
「あの人、たぶんもっと意地悪で残酷よ。徹底的にこだわるひとだから」
ルリハは意味が分からず、再び戦況に視線を戻した。
ところが、ふと見るとアッシュと配下の兵たちはいつの間にか攻撃の手を休めている。油断なく構えてはいるが、追撃する様子はない。
戦場に奇妙な静寂が戻ってきた。しばらくすると鬼どもが混乱と困惑を顔に浮かべながら互いに顔を見合わせ始めた。
次いで、前列に生き残っていた鬼たちが喚きながらアッシュたちに武器を突きつける。するとアッシュと部下たちは予想外の行動を取った。
後退りし始めたのだ。
もはや消えかかった炎の帯を越えて、アッシュと小隊が少しづつ城の方角に撤退していく。
鬼たちは少しの間呆気にとられていた。各々、何が起こったのか理解できないような顔をして辺りを見回している。
だが、一匹が怒り心頭に発したような叫び声を上げると、武器を振り上げた。
すると集団心理に駆られてか、残りが一挙に沸き上がった。鬼たちの先頭集団が雪崩を打つように動き始め、アッシュたちに押し迫った。
アッシュと軍曹たちはいまや防戦に回っていた。武器と武器の衝突する音が平原に響き渡る。
ルリハたちは身を縮めながらドンゴの陰に隠れた。だが、幸いなことに彼らに気づく鬼はいなかった。手に手に武器を振り回しながら夢中になってアッシュたちに迫っている。
「どうするのかな?このまま逃げるとか無いよね?」
リンクルが地面に低く伏せながら囁く。
――そんなわけないででしょ――
その言葉がルリハの口から出かかった瞬間。
まだ後方に残っていた鬼どもの群れのただ中で、耳を聾する大爆発が起こった。
思わず顔を上げると、雑踏のように込み合った鬼どもの隊列が次々と空中に吹き飛んでいくのが見えた。ルリハが目を丸くしている間にも、連続して爆発音が響く。あちこちで鬼の悲鳴が上がった。
「....時限地雷よ。本当にエゲツないことするわね」
傍らのルダがややゲンナリした顔で呟いた。
眼の前で仲間を吹き飛ばされた鬼たちが、恐怖に駆られたように散り始めた。だが地雷原の左右には多数の落とし穴が掘られていたらしい。叫び声とともに、草原の中に鬼たちの影が吸い込まれていく。
「また!...ほら、また落ちた!」
リンクルが偽装も忘れて戦況を見つめながら言った。
もはや鬼たちの群れは敗走を絵に書いたような様相だった。
アッシュたちに迫っていた鬼たちも、背後で起きた惨劇に驚愕の表情を浮かべうろたえ始めている。アッシュはその間を悠々と歩きながら斬り捨てていった。軍曹以下の戦棍部隊も、一転して攻勢に回り、次々と残敵をなぎ倒していた。
「...うう....もう我慢できんゴロ!」
岩に扮していたドンゴが突然立ち上がった。周囲の鬼たちがギョっとしたようにこちらを見る。
「これでも喰らうゴロ!」
ドンゴが鬼たちを追い散らしながら拳を振るって次々と殴り倒す。さらに武器をも捨てて逃げ回る鬼たちを、身体を丸めて岩のように転がりながら跳ね飛ばしていった。
「....確かに...頭狂ってる...かもね」
辺りを見回しながら、ルリハは傍らに立つリンクルに向かってポツンと呟いた。
* * * * * * * * *
煙がもうもうと上がる中、アッシュは隊員たちの点呼を取った。
「軽傷若干を除き損害はありません」
軍曹が状況報告する。ルダが立ち上がり、治療を申し出た。
「かたじけない。では頼もう、先生」
アッシュが頷く。女医が仕事をしている間、ルリハとリンクルも偽装をやめて立ち上がった。
「少しは参考になったか?」
バルド軍曹がルリハに言った。彼女はどう答えていいか分からず、要領を得ない返事をするしかなかった。
「...まあ...たぶん....それなりに」
「これが戦場のやり方だ。お前ら剣士には向かんかも知れんがな」
「勝手に決めつけなくたっていいじゃん」
軍曹の言葉に、ルリハは思わずムッとして顔を上げた。だが、アッシュが剣をよく布で拭きながら言った。
「ルリハ嬢...軍曹の不躾な物言いは容赦されよ。だが大意は私も同意だ」
「あ...アッシュさん...」
「戦場は修羅の庭だ。哲学も誇りも人情もない」
アッシュは剣を鞘に納めると、今度は布切れで甲冑についた血を拭き取り始めた。
「....だが私は戦場では修羅になることを決めた」
「部下を死なせないため、でしょ?あなたらしいわ」
軽傷を負った兵士に包帯を巻きながらルダが言う。するとアッシュは小さく笑った。
「ルダ先生には敵わない。さすが十年来の付き合いだけのことはある」
「あなたのそういうとこ、見ててハラハラし通しだったけど最近やっと慣れたわ」
するとドンゴが転がりながら戻ってきて身体を起こした。
「肩慣らしが終わったと思ったら、もう鬼がいなくなったゴロ」
「おじさん、ひとりで抜け駆けしてズルい!」
リンクルが文句を言う。アッシュは鋼鉄の手甲を鏡がわりに髪の毛を整えながらとりなした。
「容赦されよ、リンクル嬢。私が合図を怠ったゆえだ」
「俺が立ち上がったときの鬼どもの顔、アネさんに見せたかったゴロよ」
ドンゴは手のひらを目の上にかざして、今だに爆煙の上がる平原を見渡しながら続けた。
「随分気前よく爆弾を使うゴロ。百発は使ったゴロ?」
「百五十発だ。女王陛下に掛け合って予算を賜ったからな」
事もなげにアッシュが言う。彼女は部下たちを見回すと指示した。
「陣地周辺の罠を再構築し次第、野営地を設営しろ。それから...」
アッシュがドンゴに言う。
「ドンゴ殿、多少手伝って頂きたい。先程獲物を譲った代価ということでいかがか」
「アネさんらしいゴロ。獲物を倒した分だけ代金を取られるゲームみたいだゴロ」
手伝いとはいいじょう、ドンゴは大活躍だった。落とし穴を新たに掘り直したかと思えば、後方から補充品の箱を山ほど担いで運んできた。
作業が終わると兵士たちは宿営を張った。ルリハたち三人はアッシュ専用の天幕に泊まることになった。
歩哨は兵士たちが行うと聞いて、リンクルは大喜びで毛布に潜り込んだ。だがルリハはなかなか寝付けない。
―――これが戦場だ。剣士には向いていない―――
軍曹の言葉が頭に響く。
―――あたし、何のために剣をやってきたんだろ―――
何度も何度も同じ思考が堂々めぐりする中、彼女は浅い眠りの中に引き込まれていった。
* * * * * * * * * * *
ふと気が付くと、ルリハは草原の上に横たわっていた。
眼を開くと、夜のはずなのに周囲は明るく、あたりを白い霧が覆っている。
遠くのほうには、ハイラル城の尖塔が見える。
――あたし、今どこにいるんだろ?――
ルリハは戸惑いながら身を起こした。寝ていたはずの天幕もなければ、仲間や兵士たちの姿もない。
「....また会ったな」
低い声が聞こえてきて、ルリハは振り返った。
背の高い人影が立っていた。逞しい体格をして、全身を甲冑で固めている。
あの鎧武者だ。
「な....なんで?どうしてここにいるの?」
ルリハは驚いて尋ねた。すると鎧武者は面甲を顔から取り外し、素顔を見せた。
風雪を刻んだ厳しい顔。その双眸は射貫くような光を発している。だが、それでいて殺気は感じられない。
「そなたの魂に呼ばれたような気がしてな。違うか?」
鎧武者は呟く。ルリハは俯いた。
「あたし....自分が役立たずになったみたいな気がして」
相手は黙って聞いている。彼女は続けた。
「アッシュさんを助けたいと思ってここに来たのに.....あたしの技はここでは全然通用しないかも。鬼のニ・三匹倒せるくらいじゃ追いつかないから」
「ふむ...無理もない。戦場とはそういう場所よ。膂力なき者は死なずにいれれば上出来。焦って功を立てようなどと思わぬことだ」
鎧武者の言葉に、ルリハはムッとなって顔をあげた。
「ちょっとッ!ふつう、それハッキリ言う?」
すると鎧武者は低い声で笑った。鋭かったその目の光が僅かに柔らかくなった。少し間を置くと彼は口を開いた。
「...膂力なくとも力を増す方法がないわけではない」
「えっ?ほんと?.....」
ルリハは思わず相手に近寄って顔を見上げた。
「教えて!どうやるの?」
鎧武者はルリハの身体を指さすと言った。
「そなたの身体の重さを武器にせよ。それ全体が一つの武器とならば、ただの一撃で敵を葬ることもできよう」
「ほんとに?...でも、どうやって?」
すると、鎧武者は腰から剣を抜いて上段に構えた。腰をどっしりと落とした独特の構えだ。
彼はそのままじっと動かなかった。ルリハは固唾を飲んで見守る。数秒間が経過した。
だが、鎧武者はやおら裂帛の気合いを発すると跳躍した。
落下した瞬間、剣を大きく振り抜いて身体を回転させる。物凄い風圧が来て、ルリハは思わず顔を背けた。
「...落下回転斬り」
構えを解いて剣を納めると、鎧武者は言った。
ふとルリハが視線を落とすと、地面に生えていた草が暴風に遭ったかのように薙ぎ倒されている。周囲の霧も吹き散らされていた。
「身体が軽く膂力もないならば高さを使え」
鎧武者は手ぶりで合図する。ルリハは見様見真似で剣を構えた。
「腕で剣を振るな。身体そのものをひとつの武器として『回す』のだ」
頷くと、ルリハは深呼吸し精神を統一した。眼前に仮想敵がいると想像し、低く腰を落とし、跳躍に備える。
「はぁぁぁぁッ!」
腹の底から爆発するように気合いを発し、ルリハは跳び上がった。
落下し、着地した瞬間に勢いを身体に乗せて回転斬りを放つ。
ブォン....!
風鳴りが響く。霧が吹き散らされ、地面の草が激しく揺れた。
「...悪くない」
腕組みをして見ていた鎧武者が言った。
「覚えておけ。身体は武器と一体。それゆえ使うべき時を見極めよ。世に打たれぬ剣がないように、自らの身を危険に晒さねば敵を一撃で屠る技は活かされぬ」
剣を下ろすと、ルリハは相手を見上げた。
「ありがとう。でも、どうしてあたしに?」
「剣士は死に、剣技はしばしば失われる」
鎧武者は踵を返すと立ち去りながら言葉を継いだ。
「――だがそなたが生きれば、儂の技も生きる。それが理由だ」
* * * * * * * * * * * *
ルリハはふと目を覚ました。まだ夜は明けていない。傍らにルダが眠っている。ふと見ると、リンクルは爆睡しながら毛布から完全に出てしまっていた。
リンクルに毛布を被せてやると、ルリハは天幕を出た。空を見上げると、相変わらず雲が立ち込め、その向こうにボンヤリとした月が見える。
「早いな、ルリハ嬢」
いつの間にかアッシュが背後に立っていた。
「おはようございます、アッシュさん」
ルリハは挨拶した。離れたところには歩哨の兵士が立ち、油断なく周囲を見回している。
「アッシュさんも起きてたんですね。念のため見回りですか?」
「.....あまりにも静かだ。何かが起こる気がしたのでな」
アッシュは剣の柄頭に片手を乗せ、平原を見回しながら答えた。それを聞いてルリハは思い出した。
ルダの計算によれば、『血の目覚め』は今日だ。
ルリハは一気に背筋が寒くなった。
「アッシュさん...今日って...」
「知っている。報告は全て読んだ」
アッシュは平静な表情のまま応じる。その時だった。
「敵影!総員配置につけ!」
歩哨が叫ぶ。数秒もしないうち、各天幕から兵士たちが飛び出してきた。ルリハは自分たちの天幕に慌ただしく駆け寄ると、リンクルを揺り起こした。ルダは既に目覚めて、テキパキと寝床を片付けている。
「数は」
「そ...それが...」
アッシュの質問に、歩哨の兵士が口ごもったあと答えた。
「千や二千では...ききません」
「上々だ」
そう答えると、アッシュは筒型の遠眼鏡を受け取って前方を眺める。数秒間観察した後、彼女は付け加えた。
「面白い。新たな賓客を迎えることになりそうだ」
「賓客...ですか?」
傍らにやってきた軍曹が尋ねる。するとアッシュは真顔になって答えた。
「...ノクス博士だ」