耳鳴りが収まってくると、ルリハの耳には戦場のさまざまな音が聞こえてきた。遠巻きにこちらを取り囲む鬼どもの装具や武器がぶつかり合う音。思わぬご馳走の予感に駆られて上空に集まってきた猛禽類の鳴き声。
軍曹以下小隊の兵士たちは陣地の周囲に円形に散開し、爆発で死にそこねた鬼たちを片付けていた。戦棍が振られ、風鳴りの音がするたびに、断末魔の声が響く。
「ちょっと行って来るゴロ!」
それを見ていたドンゴは我慢しきれなくなったように叫び、身体を岩のように丸めて転がりながら敵の群れのほうに向かって突進していった。
「ねえ、これ、なんか人の顔みたい...」
リンクルが顔をしかめながら言う。地面から立ち昇る、ゆらゆらと揺れる煙のような、影のようなもの。ルダがアッシュに尋ねた。
「アッシュ姉さん、勇者が魔王を倒したのって...」
「夕方ごろだ」
アッシュは答えた。それを聞いたルリハは思わず呟いた。
「じゃあそこから...十六年目に....」
「魔王の魂は戻ってくるわ。肉体がなければいずれそのまま消え去る。でも肉体があれば....」
ルダが最後まで言わずに言葉を切る。ルリハの背筋に寒気が走り、そして次の瞬間、腹の底から闘志が湧いてきた。
―――そうはさせない。絶対に―――
その時、ようやく陣形を立て直した鬼たちの群れから鬨の声が聞こえてきた。先程の大爆発による損害が嘘のように、見渡す限りを包囲してきている。
アッシュは一瞬だけ城のほうを一瞥した。それを見たルリハは言った。
「....アッシュさん。まだ退避させないでください。.....あたしにチャンスをください」
ルリハは敵の群れを見据えながら続けた。
「あたし、アッシュさんみたいになるって決めたんです。初めて剣を握ったときから」
「言ったはずだ。貴女が強いことは私も知っている」
アッシュの言葉を聞いたルリハは驚いて口をつぐんだ。
「貴女は強い。立ち会う前からわかっていた。だが...」
アッシュは静かに続ける。
「今持っている強さにとどまって欲しくはないのだ。理解されよ」
「でも...でも...」
ルリハは口ごもりながらも抗弁した。
「だったら、なおさらアッシュさんのそばで戦ったほうが良いってことじゃないですか?」
「貴女の父上に言われたことがある。『俺の娘はお前みたいな頑固者になってほしくない』と」
突然予想外のことを聞かされ、ルリハはまた口を封じられてしまった。
「あ...あたしの父さんが?」
「さよう。だから一つだけ約定されよ。生きて父上の元に戻ると」
アッシュは微笑んだ。まるで親戚の子を眺めるような笑顔だった。するとリンクルが不貞腐れた顔で呟いた。
「いいなぁ。お姉ちゃんには戻る家があるんだね」
ルリハは話の腰を折りまくる妹分を叱ろうと手を振り上げかけたが、思い直してそれをやめた。そして、手をそっとリンクルの肩に置いた。
「じゃあ...あたしのうちに来る?これが終わったら」
「本当に?」
「本当。みんな喜ぶよ。兄貴も優しいし、きっとあんたも気に入るから」
「ほ...本当?本当なの?」
リンクルは信じられないといった顔で目を丸くした。ルリハは妹分の肩を抱き寄せると請け合った。
「うん。本当。約束するから。だってあんたあたしの妹だもの」
再び鬼どもの群れから鬨の声が上がる。それぞれが武器を頭上で打ち鳴らす音もだ。
だが、その群れの一角が崩れたかと思うと、鬼どもが次々と吹き飛ばされていった。ドンゴが転がりながら敵に体当たりしている。ひとしきり暴れると、ドンゴはまた転がりながらこちらに戻ってきた。
「やれやれ、まったくキリがないゴロ」
ゴロン戦士は立ち上がると額の汗を拭き、荒い息をついた。
「まるでイナゴみたいにたくさんいるゴロ。こりゃ難儀だゴロよ」
「おじさんもここに一緒にいよ?あたしたち四人で仲間なんだから」
ルリハが言うとドンゴはまんざらでもなさそうに笑った。
「手のかかる娘たちだゴロ」
「陣地を守れ!中に入れるな!」
軍曹の号令が聞こえた。顔を上げると鬼たちが前進の速度を早めているのが見える。
喚き声、罵声、咆哮。踏み鳴らす足音。これらが混じり合って轟音のように取り囲んでくる。
一方で、ルリハたちの足元からは、黒い不吉な影が煙のように立ち昇りゆらめいていた。
敵との距離がみるみるうちに縮んだ。押し寄せる鬼どもを相手に、兵士たちが戦棍を振り回し始める。最前列の鬼たちが攻撃を喰らって吹き飛ばされた。
陣地の周囲全ての方角を小隊の兵士たちが守っていた。その戦いぶりはまさに獅子奮迅と言うべきものだった。一人ひとりの兵士が戦棍の先端の鎖の長さを活かし、鉄球を振り回して鬼どもを牽制している。
飛びかかろうとした鬼は頭部に直撃を喰らって吹き飛ばされ、あるいは枯れ木のように倒れていく。
リンクルはその間も、足元から立ち昇る黒い影を時折不安げに見上げていた。やがて周囲を包囲している鬼たちが歓声を上げ始めた。
「なに?どうなってるの?」
「魔王の復活を喜んでるのよ」
ルダがリンクルに答えるように言った。するとリンクルは眉を歪めながら指をさした。
「やっぱ...これ人の顔だよ。ほら、あれが目で、あれが鼻で...」
その時だった。兵士の一人が、飛びかかってきた鬼の鉈を片腕に受け、よろめいた。だが彼はすぐさま戦棍を投げ捨て、剣を抜くと鬼の胸を刺し貫いた。
だが、それで一気に敵との間合いが縮んだ。後続の鬼どもが押し寄せてその兵士を取り囲み、やたらめったら武器を突き出す。兵士は必死で剣を振り回し抵抗した。
「アッシュさん...!あれ!」
兵士の窮状に目を奪われたルリハは思わず叫んだ。その時リンクルも声を上げた。
「あっちでも...ほら!」
別の兵士は、鉄球の鎖が切れ、戦棍の柄を棍棒代わりに振り回していた。だがもはや以前の威力はない。勢いづいた鬼どもが押し迫り、彼は飲み込まれていった。だが、数秒すると、鬼たちが悲鳴を上げて散り始めた。兵士は手に点火した爆弾を持っている。兵士が爆弾を放り上げた瞬間に爆発が起きた。鬼が数名倒れたが、兵士本人も爆風を喰らってよろよろと後ろ向きに座り込んだ。
「俺が行くゴロ!」
ドンゴが腕を振り上げて飛び出した。負傷した兵士の前に立ちはだかると、次々と鬼どもを殴り倒していく。
先程の剣に持ち替えた兵士も、もはや息が切れていた。体中に切り傷を負っていて、立っているのもやっとだ。
「アッシュさん!あたしたちに行かせて!」
ルリハは叫んだ。アッシュは一瞬城のほうに視線を向けたあと、短く言った。
「許可する。だが三十秒までだ」
「行こう!」
ルリハはリンクルに合図すると飛び出した。リンクルは走りながら既に射撃を開始していた。
ヒュンッヒュンッ..!
ルリハの横で立て続けに発射された矢が、兵士に迫ろうとしていた鬼どもに命中する。リンクルは恐ろしい速さで弦をコッキングするとまた連射した。全弾が命中し、数人が倒れる。一瞬だが鬼どもの表情に動揺が走った。
「おいで!うちがまとめて相手してやるから!」
リンクルは素早くボウガンに矢を込めると叫んだ。ルリハは剣を納めて兵士に肩を貸すと、引きずるようにして陣地内に連れていった。
兵士をルダに預け、振り返る。その時見た光景に、ルリハは驚愕した。
リンクルの動きは熟練の戦士のようだった。横から襲いかかってきた鉈の一撃を躱し、相手を見もせずにゼロ距離射撃で撃ち込む。
だが鬼たちが取り囲みながら押し迫る。二、三匹が背後に回った。だが、彼女はもう片方のボウガンを脇の下から後ろに向け、後ろから近づいてきた鬼の胸に撃ち込むと、腰のベルトについた金具で弦を引いて二発目を別の鬼の額に命中させた。
それでも洪水のように鬼どもが迫ってきた。リンクルは前転して鉈の斬撃を避けると、立ち上がりざま目の前の鬼の顎の下から撃ち込んだ。頭のてっぺんから矢尻を飛び出させた鬼の身体を盾にしながら、彼女はくるりと向きを変えて周囲の敵を射撃した。撃ち尽くすと、崩れ落ちかかった鬼を背にボウガンに矢を込めた。
「ちょっと!自分だけずるいわよ!」
ルリハは剣を抜くと走り寄った。リンクルに襲いかかろうとした鬼にジャンプ斬りを浴びせ、よろめいたところを突きで葬った。
「お姉ちゃん、キルカウント比べっこしない?」
ルリハが並び立つと、リンクルがボウガンを連射し続けながら言う。ルリハは横から来た鬼の斬撃を身を低くして避け、胴払いをかけ蹴り倒しながら返事をした。
「ずいぶん生意気になったじゃない!受けて立つよ!」
「十三、十四、十五、十六....十七!」
「はァァァ?」
リンクルのカウントを聞いてルリハは驚愕に顔をしかめた。正面からきた攻撃を身を反らして回避し、相手の首筋に一撃を見舞う。先程蹴り倒した鬼が立ち上がろうもがいているところを一刀のもと首を刎ねた。
リンクルは襲ってきた鬼に矢を撃ち込み、崩れ落ちる相手の肩にジャンプして飛び乗ると跳躍した。空中で前転しながら矢を連射する。頭に矢を受けた鬼どもが倒れていく。着地した瞬間に弦を引いて装填し、左右にいた鬼たちのこめかみを撃ち抜いた。その鬼どもが立ち尽くしている間に、リンクルはまたたく間に両手のボウガンに矢を込めた。
「へっへっへ〜!うちの勝ちになりそうだね!」
「ふざけんな!あんたには絶対負けないから!」
一方のルリハは、弾幕が止んだ間に襲いかかってきた鬼どもを迎え撃った。鉈の斬撃を弾き返し、一刀で斬り捨てていく。
数で突破できないと悟ったのか、鬼どもの集団が狼狽し始めた。
――行ける!――
ルリハが思った瞬間だった。敵の群れが目の前で割れ、見たこともない種類の魔物たちが現れた。
円盾を掲げた骸骨。手には剣を持っている。鬼たちは見物を決め込んだのか、手を振り上げ声援を送っている。
すぐさまリンクルが射撃を開始した。だが、矢は盾に当たって虚しく金属音を立てるばかりだ。
「あたしの出番ね。あんたは横を守ってて!」
先頭の骸骨戦士が間合いを詰めてくる。ルリハは相手を引き付け、敵が突きを繰り出してきた瞬間に横飛びし、次いで前転すると、跳躍するように立ち上がりながら剣を払った。背骨を叩き斬られた骸骨戦士は崩れ落ちた。
二人目が襲ってくる。縦斬りが来たのを剣で弾き、身を沈めて敵の足首を真っ二つにした。体勢を崩したところに逆袈裟斬りで盾をはねのけ、前蹴りで倒したうえで逆手で持った剣を頭部に突き立てる。
三体目が突っ込んできた。辛うじて横飛びして回避し、立ち上がる。縦斬り、横斬りが来るのを剣で逸らした。さらに、敵は盾を振り回して叩きつけようとしてきた。だがルリハは読んでいた。身体を捻ってギリギリで躱すと、頭に痛撃を喰らわせ、ふらついたところで頚椎を断ち切った。
頼みの綱の骸骨戦士たちが手もなく倒れたのを見て、鬼たちは狼狽を顔に浮かべた。
「お姉ちゃんやるゥ〜.....でもカウントはうちが勝ってるけどね」
リンクルは褒めながらも得意げな顔でボウガンをクルクル回す。
「あんたは最後だけ余計なの!」
ルリハは言い返す。だがその時、信じがたいことが起こった。
崩れ落ちた骸骨戦士の骨が、音を立てて転がり、再び結合し始めたのだ。
「なっ....なんなのよこれ!」
鬼たちが気勢を上げる。ルリハは舌打ちすると剣を構え直した。
「どけぇッ!」
軍曹の声が聞こえた。こちらに走り寄ってくる。戦棍の唸る音とともに、鉄球が骸骨戦士に叩きつけられた。立ち上がりかけていた骨がバラバラに崩壊した。
「こいつらは粉々にしないと復活するんだ!覚えとけ!」
バルド軍曹は荒い息をつきながらルリハを見た。悔しさにルリハが口ごもっていると、リンクルがうそぶいた。
「お姉ちゃん、今のカウントなし?それとも、お二人の愛の合作で三ポイントってことにする?」
「んなわけないだろォ!」
またしてもルリハと軍曹の声が完全にシンクロした。
―――その刹那、アッシュの号令が響いた。
* * * * * * * * * * *
「撤退!撤退せよ!」
ルリハたちと軍曹は振り向いた。陣地では、負傷兵がルダに脇から支えられて辛うじて立っている。その傍らで、ドンゴが別の負傷兵を片腕に抱え、もう片方の腕を振り回して鬼どもを蹴散らしていた。
他の兵士たちも、もはや疲労困憊の様子だった。アッシュは城から最も遠い地点に立ち、襲い掛かる鬼どもを次々と斬り倒している。
「撤退!橋まで撤退せよ!」
アッシュが首だけ振り向くともう一度言った。
「しかし教官.......!」
軍曹は周囲の敵を薙ぎ倒しながら言う。
「陣地は後で取り返す!無駄死にするな!」
アッシュが叫んだ。襲い掛かる鬼どもの斬撃を躱すと、一刀で相手の首を刎ねる。流れるような剣さばきで刀身が煌めいたかと思うと、二人目、三人目の鬼が周囲で崩れ落ちた。
「悔しい!うちら頑張ったのにぃ!」
矢を連射しながらリンクルが唇を歪める。ルリハも襲い来る鬼どもの武器を弾き返し、返す刀で斬り捨てていった。
「投擲!投擲!」
軍曹が叫んだ。無傷の兵士たちは一斉に爆弾を点火すると鬼どもの群れに投げつけた。
次々と爆発音と悲鳴が響く。それと同時に煙がもうもうと上がった。煙に撒かれた鬼たちの動きが鈍る。だが、ルリハは陣地の上を見上げて、背筋がゾッとなってしまった。
――煙幕の上に揺れる黒い影。それは明らかに人の顔の形だった。厳つい眉。太い鼻柱。怒りと嗜虐に歪んだ唇。
「今のうちだ!行くぞ!」
軍曹がルリハたちに言う。ルリハたちは城の方角に向けてジリジリと下がり始めた。
鬼たちもまた我に返ったかのように空を見上げた。そして、歓声が沸き上がった。
言葉はわからない。だが万歳を唱えているように聞こえる。ある者たちは武器を投げ捨てて、両手を上げて伏し拝み始めた。
その時、ルリハの頭の中に声が響いた。
―――余は.....帰還せり...―――
地の底から鳴り響くような低い声。思わずリンクルを見ると、彼女も恐怖と困惑の念を顔に浮かべながら見返してきた。
「アッシュさん!あたし....やっぱり!」
ルリハは顔を上げ、
「格好つけるな!早く行け!」
「でも...魔王が!」
アッシュは一匹の鬼を斬り倒しながら叫ぶ。
「機を見て体勢を立て直す!まずは生き残れ!」
ドンゴの傍らに身を寄せていたルダに鬼が襲いかかる。すると、支えられていた負傷兵が跳ね起きるようにして飛び出し、鬼の棍棒を両手で掴んだ。力比べになったところで、懐から短剣を抜いたルダが近づいて横から鬼の腹を刺し貫き、その喉を掻き切った。
「先生、医者のくせにやることがエグいゴロ!」
「仕方ないでしょ!自衛のためよ!」
ドンゴと言い合いながらルダが再び負傷兵を支える。もはや陣形は崩壊しつつあった。兵士たちは戦棍を投げ捨て、剣を構えながら背中合わせになった。
――あたしたち、これで....終わりなのか...――
ルリハは悔しさに眉を歪めた。周囲の見渡す限りが鬼。余裕を見せて攻撃の手を休めている者もいる。だが、それが余計に腹立たしかった。
父と母と兄の顔が浮かんだ。アッシュとの約束も思い出された。だが、それも果たせないのだろうか。
―――その刹那、突如として鬼たちの群れから聞こえてくる喧噪が鎮まり始めた。
ルリハは不思議に思って周囲を見回した。
遠くから角笛の音が聞こえてくる。
鬼たちも同様に驚いた顔をして、音の聞こえるほうを探している。
すると、城の方角から行進の足音が響いてきた。
ザッザッザッザッザッ.....
数百名に登る数の極めて統制のとれた足音。再び角笛の音が聞こえる。ルリハがその方角を眺めると、赤地に王家の紋章を染め抜いた旗が目に入った。兜と鎖帷子が雲間から射す太陽光を反射して煌めく。天に向けられた夥しい数の槍の穂先も。
援軍が来たのだ。