突如としてルリハたちを取り囲んだ鬼たちの群れから聞こえてくる喧噪が鎮まり始めた。
不思議に思って周囲を見回すと、遠くから角笛の音が聞こえてくる。
鬼たちも同様に驚いた顔をして、音の聞こえるほうを探している。
すると、城の方角から行進の足音が響いてきた。
ザッザッザッザッザッ.....
数百名にのぼる数の極めて統制のとれた足音。再び角笛の音が聞こえる。ルリハがその方角を眺めると、赤地に王家の紋章を染め抜いた旗が目に入った。兜と鎖帷子が雲間から射す太陽光を反射して煌めく。天に向けられた夥しい数の槍の穂先も。
援軍が来たのだ。
「やれやれ...間に合ったか」
アッシュが油断なく敵の群れに顔を向けながらも、額の汗を拭き、苦笑いしながら呟く。
「きょ...教官?それでは?」
軍曹が剣を構えながらも驚きの眼差しで彼女を見た。
「シャッド殿に依頼したのだ。兵士たちの説得を」
「お...お人が悪い。なぜ我々には一言も.....」
アッシュの返事に軍曹は色をなして尋ねた。
「確率は低かった。それに援軍のない戦いと思っていたほうが貴殿もやる気が出よう」
「意地悪なひとね。私はそんなところじゃないかって思ってたけど」
ルダが呟いた。ルリハとリンクルも顔を見合わせた。
「ちょっと残念だね。うちら、もうちょっと活躍したかったなぁ」
「バカ。命がつながったってことでしょ。目立ちたがるんじゃないの」
呑気な妹分を叱りながらも、ルリハは鬼の群れを見据えた。敵の視線は東から現れた兵士たちの隊列に向けられている。その目には狼狽の色が浮かんでいた。
「ハイラル万歳!」
アッシュが剣を突き上げると大音声で呼ばわった。
すると、呼応する声が援軍の隊列から響いてくる。
「ハイラル万歳!」
突き上げられた槍の穂先が波のように揺れ、陽光を照り返す。
「勇気ある兵たちよ!王国の守護者たちよ!」
アッシュは援軍に向き直ると、再び叫んだ。
「今こそ汝が剣に対する誓いを果たせ!王国の興廃はいまこの時に掛かっている!立ち上がれ!進め!恐れるな!」
すると援軍から一斉に鬨の声が響いた。それを聞いた鬼たちは動揺しながら互いに顔を見合わせている。
「ハイラルのため!」
「ハイラルのために!」
援軍の兵士たちから叫びが聞こえる。隊列の足音が接近してくるのに比例するように、鬼たちがジリジリと後退し始めた。その顔には怯えが浮かんでいる。
だがその時だった。
陣地の上方に浮かんでいたあの『影』。それが動いた。その眉が吊り上がり、口が大きく開いた。
そして言葉が発せられた。
ルリハたちには理解できない言葉。だが明らかに呪詛、憎悪、侮蔑が込められた言葉だ。
鬼たちも一斉にその『影』を見上げた。そして気を取り直したように武器を構えると、ヤケクソになったように喚き始めた。
それと同時に、援軍の中から号令が響いた。隊列が散開し、兵士たちは盾を構えてこちらに走り始めた。
「来るぞ!もうひと踏ん張りだ!」
バルド軍曹は剣を構えるとアッシュの横に走り寄った。
鬼どもが一斉に襲い掛かってくる。リンクルはボウガンを連射し、ルリハは手あたり次第に近づいてくる鬼を斬り捨てる。
背後で衝突の音が聞こえた。よく訓練された槍兵たちが盾を隙間なく並べて構え、槍を突き出して鬼たちを串刺しにしている。統制のとれていない魔物たちは罵声を上げながら逃げ散っていった。
「アッシュ少佐!バルド軍曹!」
接近してきた援軍から声がかかった。盾の壁が割れ、ルリハたちはたちまち兵士たちの群れの中に包まれていった。
「ご苦労。援軍感謝する」
援軍を指揮する士官が敬礼すると、アッシュは何事もなかったかのような顔で剣を血払いしながら言った。
いまやハイラル軍兵士たちは強固な盾の壁を構築し、少しづつ鬼どもを押し返していた。
「アッシュ、遅れてごめん」
するとひとりだけ様子の異なる男が声を掛けてきた。鎖帷子は着ているが、槍は持たず肩に金属の筒を抱えている。
「シャッドおじさん!おじさんが連れてきてくれたの?」
リンクルが嬉しそうに声を上げた。ルリハはすかさず突っ込んだ。
「シャッド博士でしょ!」
「いいのさ。君たちが無事でよかったよ」
シャッド博士は微笑むと、肩から金属の筒を下ろしながら背後にいた兵士の一人に声をかけた。
「距離二百。発火三秒で行こう」
「イエッサー!」
兵士が背負っていた袋から発射薬と爆弾を取り出し、筒に放り込む。
「点火!」
号令をかけるとシャッドは筒を肩に担ぎ発射した。
ボンッ....!
破裂音とともに、目の前の兵士たちの列を飛び越えた爆弾が鬼たちの群れのただ中に飛び込んでいく。
爆発が起き、数人の鬼たちが吹き飛ぶのが見えた。シャッドは次々に火筒を撃ち、その度に敵の群れで爆発が起きた。
「凄い!おじさん、格好いい!ヒーローみたい!」
リンクルが夢中になって叫ぶ。するとアッシュが油断なく戦況に目を配りながら付け加えた。
「だがシャッド博士最大の功績は大隊の説得だ。並大抵の仕事ではなかったであろう、博士?」
「ま、なにしろ『集団脱走』させたんだからね。僕が全ての責任を負うってことでなんとか...」
射撃の合間に眼鏡を片手で直し、はにかむような笑顔を浮かべながらシャッドは答えた。
ハイラル軍側はもはや陣地を完全に取り戻しつつあった。
地面から浮かび上がる『影』の色が薄まった。揺れ動きながら、その『目』と『口』が失望に歪んでいるかのように見える。
ルリハはいまさら気が付いたように剣を血払いし、布で拭った。
――勝てる...?もしかして...――
希望が胸中に湧き上がる。
だがその瞬間だった。アッシュが叫んだ。
「クローナックどもが来る!各々警戒せよ!」
顔を上げて敵の方角を見ると、黒ずくめの痩せた者たちの集団が、まるでイナゴのように飛び跳ねながら、鬼どもの群れを飛び越えて近づいてきた。
「リンクル!」
「いえっさー、お姉ちゃん!」
「だからサーって違うってば!」
ルリハとリンクルは武器を構えた。クローナックどもは盾の壁の前に来ると、槍兵の槍を器用に躱してひときわ高く跳躍した。
目の前に黒ずくめの魔物が降り立った。
「うわ...来たぞ!」
士官が慌てて剣を抜いて斬りかかる。だが、魔物は斬撃を上腕で受け止めると、もう片方の手から伸びた爪で相手の胸を刺し貫いた。
リンクルがボウガンを発射する。片目と額を撃ち抜かれたクローナックの動きが止まると、ルリハは肩口から強烈な袈裟斬りを見舞った。それでも反撃の爪が飛んでくる。見切って躱すと、ルリハは飛び上がって着地し裂帛の気合いとともに回転斬りを放った。
「はぁッ!」
ざっくりと胴を斬られた魔物がよろめく。ルリハは足払いで相手を投げ転ばし、剣を逆手に持ちかえてとどめを刺した。
アッシュも別の個体と戦い始めていた。敵の振り回す爪を紙一重で躱すと一撃で腕ごと斬り離し、返す刀で首を打ち落とした。
「防衛線を崩すな!踏みとどまれ!」
別の士官の声が聞こえる。クローナックたちは盾の壁を内側から崩そうとしていた。壁を飛び越えると、槍兵たちに後ろから襲い掛かっている。不意打ちを喰らった兵たちは悲鳴を上げて盾を手離した。
やがて盾の壁が崩れた。クローナックと鬼どもが混じり合い、隙間から雪崩込んでくる。
「シャッド博士、後退されよ!」
アッシュがもう一人のクローナックと渡り合いながら首だけ振り返って叫んだ。
「だけど...このままじゃ『あの場所』が...!」
シャッドが叫び返した瞬間に、目の前にクローナックが降り立った。だが次の瞬間大きな手がその頭を掴み、身体ごと持ち上げた。
「あっちいくゴロ!」
ドンゴが魔物の頭を持ったまま何度も振り回し、遠くに投げつけた。飛んでいった魔物は混戦の雑踏に呑み込まれ見えなくなった。
「博士、今のうち逃げるゴロ!」
「すまない!」
ドンゴに促され、シャッド博士は筒を抱えて後退していった。
リンクルが次々と矢を発射する。そこらじゅうにいたクローナックたちが額の真ん中に矢を受ける。その動きが鈍った。
「うぁぁぁぁッ!」
ルリハは気合いの声とともに剣を振り上げて突進すると、棒立ちになったクローナックたちの首を片っ端から刎ね飛ばしていった。
「今のうちのカウント?それともお姉ちゃん?」
リンクルが呑気な声を上げる。ルリハは叱りつけながら前方に向き直った。
「どっちでもいいでしょ!」
新手のクローナックたちが迫ってくる。一匹がリンクルに襲い掛かった。だがリンクルは器用に身体を反らしてその爪を避けると、正確に相手の両目を矢で射抜いた。だが視界を奪われた魔物はデタラメに爪を振り回して暴れ始めた。
「やだ!最悪ぅ!」
リンクルは慌ててしゃがみこみ、後じさりした。背後から追いついた鬼たちがクローナックの爪で次々に傷を負い、罵声を上げた。
ルリハは右から襲ってきたクローナックの爪を剣で逸らすと、胸を突き刺した。後ろ蹴りで突き放し、反対側から来た一体の攻撃を躱す。相手の片腕を掴んで固めると、足を払って投げ飛ばした。そして二匹もろとも起き上がろうとするところに殺到し首を刎ねた。
「後退せよ!距離を取れ!」
アッシュが一体を斬り倒しながら言った。呼応するように兵士たちはジリジリと後退した。再びアッシュが叫ぶ。
「壁を作り直せ!テストゥド隊形を組め!」
「テストゥド隊形!テストゥド隊形!」
誰かが復唱する。まだ無事だった槍兵たちはルリハたちの左右で素早く複列の隊形を組み、前方と上方に盾を掲げた。
しんがりのアッシュが数匹のクローナックに取り囲まれている。一匹の爪がアッシュの胸当てを掠めて火花を散らした。だが彼女は驚異的な読みで攻撃を躱し、剣が一閃するたびクローナックの手首が切断され宙を舞う。
リンクルが発射した矢が一匹の頭に刺さる。ルリハも突進すると、回転斬りを放って一匹の両脚に深手を負わせ、後ろから突き倒すと止めを刺した。
――だがその刹那、クローナックたちが急に動きを止めたかと思うと、突然退却し始めた。
戦場に奇妙な静寂が戻る。取り残された鬼たちが、困惑顔で周囲を見回していた。
兵士たちは思わず槍を下ろし、怪訝な表情で顔を上げる。
すると、遠くから老人のしゃがれた声が聞こえる。
「ハハハ....君たち。実に健闘したね」
ルリハは愕然とした。
あの陣地の真上にゆらゆらと舞う、『影』。
その真下に、輿の上に乗った人物が見える。ノクス博士だ。
さらに、輿を担いだクローナックの周辺ずらりを、大盾を持った鎧武者たちが囲んでいる。
「タートナックどもか.....。今まで隠していたというわけか」
アッシュが片手で剣を血払いしながらニヤリと笑う。その後ろにいたルリハも生唾を呑み込んだ。
「この記念すべき場所はいまや私のものだ。見たまえ、魔王の魂を」
ノクス博士は輿の上で寛いだように片手の上に顎を乗せると、もう片方の手で上を指さした。
「これより、私が用意したふさわしい肉体をこの魂に与える。彼は蘇り、全ての魔物たち、いや全て息する者たちの王となる。私は彼を陰ながら支える造物主となろう」
博士の上空に浮かんだあの『影』は、邪悪な悦びに唇を歪め、眼を細めているように見える。ルリハは口惜しさに歯ぎしりをしたが、傍らにいたリンクルに気づいて声をかけた。
「リンクル...この距離であんたの矢、当たらない?」
「待って.....届くかも」
リンクルは目を凝らすと、片方のボウガンを両手で保持し、ノクス博士に狙いをつけた。
だが、その次の瞬間予想外のことが起きた。
鎧を着たタートナックの列の上に、もう一列の大盾が出現して並んだのだ。ノクス博士の姿は隠れて見えなくなった。
* * * * * * * * * * *
「クソッ.....向こうもテストゥドだと?」
血まみれの剣を構えた軍曹が、荒い呼吸を鎮めながら呟いた。
「....さて諸君。これより魔王の復活の儀式を始めさせてもらおう」
まるで大きな筒の中から響いてくるような声音が平原に響き渡った。ルリハは驚いて周囲を見回した。
「...余談だが、これは音声増幅器だよ。こういった技術も失われて久しい。だが私がこの社会の退歩的な流れを逆転させれば、皆が科学技術の便益を享受するだろう...ともあれ、だ」
博士の声は咳払いした。
「少し休戦といこうじゃないか。儀式を邪魔されない限り、私も君らを攻撃しない。良い条件だと思わないかね」
「ふざけるな!いっぱしの国家にでもなったつもりか、キチガイ科学者が」
軍曹が吐き捨てた。すると博士の声が続けた。
「もちろん選択するのは自由だ。多くの死者を出して無駄な努力をするか、それとも絶対に避けられぬ運命を受け入れるか。誰もが賢い選択をするわけではないことも私は知っている」
「休戦条件を受け入れよう」
するとアッシュが声を上げた。ルリハと軍曹は驚愕して彼女を見た。
「で...でもアッシュさん!」
「教官....!このままでは..」
「さすがはアッシュ少佐だ。やはり頭がいい女性だと思ったよ」
博士の声が笑う。
「考えてみたまえ。タートナックの盾は鉄球どころか爆弾も通用せん。破城槌でもなければ破れんよ。だが取りに戻っている間に儀式は完了しているだろうがね」
アッシュは剣を血払いすると鞘に納め、指示を出した。
「負傷者を集めて後方に下がらせろ」
振り返ると、怪我を負った兵士たちが並べられ、ルダがその間で忙しく立ち働いていた。アッシュが近づいて声をかけた。
「先生、苦労をかけ申し訳ない」
「余計な話はいいの。私はもう覚悟決めてるから」
ルダは相手を見もせずに作業を続ける。だが、先程胸を刺された士官が蚊の鳴くような声で言った。
「せ...先生...もう...十分です....」
「喋らないで」
「私...より...部下...たちを」
そう呟いた瞬間、士官は力が抜けたように目を開けたまま動かなくなった。ルダは顔を近づけ、まぶたを指で開かせ、脈と呼吸を確認した。そしてもはや動かぬ士官の顔をじっと見つめながら固まった。
「...先生。お気になさらず。戦死者は避けられぬと覚悟しておったゆえ」
アッシュがまた言った。するとルダは手を上げてピシャリと言い放った。
「あなたは黙ってて」
女医は数秒の間士官を見つめていたが、やがて手袋を脱ぎ捨て相手の胸に手を置くと、低い声で詠唱し始めた。
「...ラトアーヌ、フィローネ、オルディン、そしてラネール....現し世をあまねく照らす大いなる力を任されし光の精霊たちよ」
ルダの両手から光が発せられる。周囲の者たちは驚きのあまり言葉も失ってそれを見つめていた。
「今こそ汝らの癒しの力をもてこの者を癒し給え。我に与えられた女神の恩寵をこの者に分け与え、その傷を覆い給え....」
詠唱の声が響く。女医の両手から発せられた光はやがて粒のようになり、手から相手の胸に吸収されていった。
しばらくすると士官は突然目を開いた。そして不思議そうな顔で周囲を見回し、次いで自分の胸に手を当てた。
「い...生き返った?」
「う..嘘だろ?あんな重傷だったのに」
「いまのはいったいなんだったんだ?」
驚きと畏怖の混じったつぶやきが広がっていった。ルダはうつむきながら額の汗を拭き、呼吸を整えている。
「――私はもう覚悟を決めたの。この後どうなってもいいって」
その時だった。再び博士の声が聞こえてきた。
「さあ、歴史的瞬間を諸君にお知らせしよう。私が培養し持参した魔王の肉体がここにある。いよいよ培養装置の蓋を開け、魔王の魂がそこに宿るかどうか――――」
ルリハはギョッとして顔を上げた。
―――『儀式』というからにはもっと時間がかかると思っていたのに―――
先程まで、上空に見えていたあの『影』が消えている。影も形もない。
――もしかして―――
リンクルも驚きと恐怖を顔に浮かべてルリハと顔を見合わせた。その瞬間だった。
「お...おおおおおッ!こ...これは!」
博士の興奮した声が響く。同時に、タートナックの円形布陣の上空に禍々しい紫色の霧が立ち昇った。
ルリハたちは目を疑った。
何かの影がゆっくりと立ち上がっている。人のような形。だがどこか違う。しかも、途方もない背の高さだ。そして地の底から響くような唸り声。
その『何か』は身体を起こすと、前方を見渡した。
真っ黒な体中に走る紋様。ギラギラと光る眼。
そして、そいつは咆哮を上げた。
まるで雷が鳴り響いたかのような凄まじい吠え声が平原に響き渡った。