「お前たちが西平原に向かってくのが見えたゴロから、心配してたゴロ。もしやと思って様子を見に来たら、思ったとうりだったゴロ」
ドンゴが太い両腕を組みながら言った。
鬼たちは逃げ散って、影も形もない。湿ったそよ風が何事もなかったかのように平原の草を揺らしていた。だが頭上には相変わらず奇妙な雲が立ち込めている。
「ごめん....おじさん。忠告を無視しちゃって」
ルリハは顔を伏せて呟くように言った。リンクルに手を貸して立たせた。だが彼女の両脚はまだ激しく震えている。
ルリハは倒れている馬に近づいた。だが、傍らに跪こうとして彼女は凍り付いたようになった。
もう、長くない。
どくどくと流れ出る血が地面を浸している。苦し気な息遣いが、みるみるうちに弱々しくなっていく。
「ルリハお姉ちゃん....ケポラは?」
近づいてきたリンクルが覗き込んでいた。だがルリハが動かないのを見て、悟ったように息を吞んだ。
ルリハはゆっくりと馬の傍に膝をつくと、その顔を撫でまわしながら慰謝の言葉をかけた。気休めにもならないと分かっていた。だがそうせずにはいられなかった。
数分もすると、馬は呼吸を止めた。だが、ルリハは暫くの間顔を伏せてじっとしていた。
すると、リンクルが啜り泣き始めた。
「お馬さん....死んじゃった」
彼女の啜り泣きは、やがて嗚咽になっていった。
「お馬さん....死んじゃった。うちのせいで....うちがバカなこと言ったせいで....」
平原にリンクルの泣き声が響く。ドンゴは困った顔をして指先で自分の頬を掻いていたが、やがて呟いた。
「自分を責めても仕方ないゴロ。さ、早く村に戻るゴロ。今なら日の高いうちに...」
「死んじゃったぁ!死んじゃったぁ!うちのせいだぁ!」
言葉にならない叫び声を上げながらリンクルは地面に崩れ落ちた。ルリハはその背中を黙って見つめていた。
「うちが悪いんだぁ!うちが悪いんだぁ!どうしよう!どうしよう!」
ルリハは暫くの間それを聞いていたが、やがてリンクルの傍に行くとその背中にそっと手を乗せた。
「行こう。ここでじっとしてても危険なだけだから。奴らが仲間を集めて戻ってくるかも知....」
「も...もう...うちのことなんて捨てちゃって!お願い!こんなバカで悪い子なんだから!」
リンクルは首を振って叫ぶように言うとまた咽び泣き始めた。ドンゴはますます困惑した顔でルリハを見る。
「うちのことなんて捨てて!うち...このままどっかに消えたい....こんな悪いことしちゃったんだから...もういられない...」
リンクルはうわごとのように同じことを繰り返した。ルリハが触れたその背中は激しく揺れている。
「お願い...もうどっかに消えさせて....うちのことは捨てて....」
「おい」
ルリハは立ち上がると低い声を出した。
彼女はリンクルを見下ろしたまま続けた。
「バカなこと言ってんじゃねぇ。捨てる?捨てるわけねぇだろ」
ルリハは押し殺した声で言う。リンクルは驚いて顔を上げた。
「剣士をバカにすんな。このルリハを見損なってんじゃねぇよ!」
怒鳴り声にリンクルがビクッと震えた。その濡れた目は大きく見開かれ、相手を見つめている。
「捨てるだぁ?んなワケねぇだろ!世界のどこに仲間を捨てる剣士がいるってぇんだ?」
「....で....でも.....」
ようやく我を取り戻したリンクルが呟いた。
「...うち...あんな酷いミスしちゃったんだよ?うちが近道だって言ったせいで、ルリハお姉ちゃんの馬が死んじゃったんだよ?」
「ミスしたからって仲間を捨てる奴がどこにいんだよ。ミスなんて誰だってするだろが。あたしをナメんな。それくらいで仲間を見捨てるようなしみったれた根性なら剣士なんか最初っからやってねぇよ!」
一気にまくしたてたルリハの声が平原に響いた。リンクルはまだ理解できない様子で目を丸くしている。しばらくの時間のあと、彼女はやっとのことで口を開いた。
「..ほ...ほんとに仲間でいていいの?こんなうちなのに?」
「ああ。仲間だ」
「ほんとに?」
「何度も言わせんなボケ。仲間っつったら仲間だっつうの」
ルリハは軽くリンクルの頭をはたいた。
二人が馬の弔いのため野の花を集めると、ドンゴは手早く埋葬用の穴を掘り、その中にそっと馬の亡骸を横たえてくれた。別れを済ませると、ルリハは顔を上げた。
「おじさん、頼みあるんだけど、いい?」
「なんだゴロ?」
「こっから城下町まで、急ぎ足でいったらどれくらいかかる?」
「やれやれ、あきらめの悪い嬢ちゃんだゴロ」
ドンゴは溜め息をついた。
「でも、多分ここまでで三分の一くらいは来てるはずでしょ?残りを急いで渡れば、夜には城下町に着くんじゃない?」
「で、この俺にボディーガードをやれってゴロか?」
「お願い。お礼は弾むから」
「やれやれ」
ドンゴは頭を掻きながら、呆れ顔で笑った。
「わかったゴロ。お前らはほんと手がかかるゴロ」
ルリハは安堵したように微笑みを返すと、剣をよく拭って鞘に納め、リンクルを顧みた。
「行こ。町まで」
リンクルは黙ったまま頷いた。三人は遥か遠くに見える尖塔に向かって歩き始めた。
だが、それ以降はみな言葉少なだった。リンクルは手で涙を拭っていたが、やがて泣き止んだ。ドンゴも口を開かない。ルリハは、周囲に目を走らせながらも急ぎ足で前に進んだ。
歩いても歩いても近づいてこないと思われた尖塔が、ようやく視界の中で大きくなってきた。だが、その頃にはもう日が傾き始めていた。ルリハは歩きながらパンを取り出し、リンクルとドンゴに渡して自分も食べた。
やがて日没が来た。だがその頃にはようやくハイラル城下町の西門に至る橋が見えてきた。
これまでのところ魔物の姿はない。ルリハは歩調を早め、リンクルに急ぐよう促した。ドンゴは身体を丸め転がりながら前を行く。
橋についたときには月が頭上に上がっていた。橋を渡り、短い洞窟を通ると、城下町の西門だ。吊り橋を渡り、門を潜る。その頃にはルリハもリンクルも疲労困憊していた。
「おじさん、ありがとう」
そう言ってルリハがルピーを取り出して渡そうとすると、ドンゴは手を振って制止した。
「いや、礼はいらんゴロ。俺もちょっとしたお節介をしただけだゴロ。お前ら、もう無茶はするんじゃないゴロよ」
「でも...おじさん、泊まるとこはあるの?」
驚いたルリハが尋ねると、ドンゴは笑って答えた。
「知らんのか?ゴロン族の行商人ネットワークはどこにだってあるんだゴロ。城下町にも俺の従弟たちが何人もいるゴロよ。そいつらの家で寝るゴロよ」
夜の通りを去っていくドンゴを見送ると、ルリハとリンクルは安宿のある西町に向かった。どうにか手頃な宿を見つけて狭い部屋に入ると、二人は身体を拭って、煎餅のような布団に入った。
目を閉じると、突進してくる猪が地を踏み鳴らす音、喚き声、背中をかすめる矢の音が蘇る。愛馬のことを思うと涙が滲んだ。
だけど、負けるもんか、強くなるんだ。
ルリハはそう念じながら眠りについた。
* * * * * * * * * * * *
翌朝、ルリハは起床するとリンクルを寝かせたまま市場で買い物を済ませ、汚れた服を洗って干した。天気は快晴だった。彼女が下宿の裏で剣の素振りを済ませて部屋に戻ると、リンクルはまだ寝ていた。
「リンクル!そろそろ起きな」
ルリハが声をかけると彼女はもぞもぞと動き始めた。
「もう朝?もうちょっと寝かせて....」
「あたしはもうじき出かけるから。あんたもしばらく城下町にいるんなら職探ししといたほうがいいよ」
「ええ~?面倒臭っ.....」
リンクルはうめき声を上げながら伸びをする。
「ほら、いつまでも布団の中にいないッ!」
ルリハは相手の布団を剥ぎ取った。二人で朝食を食べると、ルリハは服装を整えて部屋を出た。リンクルは欠伸しながらついてきた。
「うち、やることないしついてくよ。でも出かけるって...どこに?」
「だからアッシュさんに弟子入りするって言ったでしょ。これから紹介状渡しに行くの」
ルリハは答える。西町から中央噴水広場に出ると、北に向かって城に向かう回廊がある。父から聞いた通りだ。
その入り口には兵士が二人並んで警護していた。
ルリハはその姿を見ると緊張したが、大きく呼吸して足を踏み出した。
「すいません。あの、お願いしたいことがあって」
「なんだねお嬢ちゃんたち。観光で来たのかい?」
兵士たちは気さくに応じてきた。やや安堵したルリハは切り出した。
「いえ...実は城の剣術指南役のアッシュさんにお会いしたいんです」
それを聞いた兵士たちは当惑して顔を見合わせた。
「アッシュさんに?どうしてまた?」
「弟子入りしたいんです」
兵士たちはますます困った顔になった。
「君ぃ、憧れるのはわかるが、アッシュ教官は城付きの将校だし、いまは王室の補佐官でもあるんだ。いきなり来られたって会えるわけがない。わかるだろ?」
一人がたしなめるように言う。リンクルが不安そうにルリハの横顔を見る。
だがルリハは焦らなかった。懐に手を入れると、書状を取り出して差し出す。
「これ、紹介状です。私の父が書いたものです。アッシュさんに渡していただければ、お話が早いかと思います」
「君の父さんが?」
「はい。私はモイの娘だってアッシュさんに伝えていただければ」
それを聞いた兵士の顔色がガラリと変わった。
「お....おい...モイ殿って...あの....伝説の..?」
「おい、君、本当かね?ウソじゃないよな...?」
「はい。お願いします。ご迷惑はかけませんから」
ルリハが重ねて頭を下げると、兵士たちは慌てた様子で奥に引っ込んでいった。
「ほらね」
ルリハはリンクルのほうを向いてニヤリと笑った。リンクルは驚きに目を丸くしている。
「凄い....ルリハお姉ちゃんの言ってたこと、本当だったんだ」
「ったく今頃それ言う?あたしが嘘つきに見える?」
二人がそんな会話をしていると、兵士たちが慌ただしく戻ってきた。
「お会い頂ける。ただし、十分だけだ。わかってると思うが、粗相のないようにするんだぞ」
兵士の一人が言う。だが、もう一人がリンクルを見て声を上げた。
「おい、ところでそっちの君は一体.....」
ルリハは咄嗟に言った。
「あ...あたしの妹です」
兵士たちは顔を見合わせると、肩をすくめて二人を回廊に導き入れた。
* * * * * * * * * * *
二人は兵士たちに導かれ城門をくぐると、前庭を横切って城壁の扉を通され、さらに中庭に入った。
すると、隊列を組んで行進する兵士たちとすれ違った。かと思うと、中庭の隅で剣の素振りや木剣の打ち合いをしている者たちもいる。
ルリハとリンクルは好奇心に目を輝かせながらも、先導する兵士たちについて中庭を通過し、やがて質素な木造りの兵舎に通された。
「ここで待ってなさい」
ルリハとリンクルを椅子に座らせると兵士たちは出ていった。
「なんか...お城の中って凄いね。立派な石像とか、植え込みとか、絵本でしか見たことないよ、こんなの」
リンクルが呟く。だがルリハは首を傾げた。
「立派な石像?植え込み?そんなのあった?」
「お姉ちゃん見てなかったの?」
「あたしは兵士の鎧とか武器ばっか見てたから」
ルリハは答えた。そしてかつて父モイが言っていたことを思い出した。
「16年前...あんときの兵士どもはだらしねえなんてもんじゃあなかった。腰抜けの役人の集まりに成り下がっちまって、狼一匹に腰を抜かす始末だ」
父モイは酒を飲む度にそうこぼしていたものだ。
「風の噂じゃあアッシュが教官になってから、少しはマシになったらしいがな」
父はこうも言っていたものだ。だが、行進し訓練する兵士たちを目の当たりにしたルリハは不意を突かれた気がした。
兵士たちの顔は誰もが緊張感に満ち、その行進の足取りは一糸乱れず、剣を振る者の気合いの声は鋭い。
―――アッシュさんは...ものすごく厳しいひとなんだ。
ルリハにはわかった。腰抜けの集団を士気高い兵士たちに育てる。そんな人に弟子入りを申し込もうとしている。
「ねえ、ルリハお姉ちゃん。アッシュさんって強いの?」
リンクルがてらいの無い調子で尋ねる。
「強いも何も、あたしのお父さんと二人で百匹の鬼と戦ったらしいよ」
「え...百匹!」
ルリハの答えにさすがのリンクルも驚いたようだった。
「しかもその時アッシュさん十七だったんだって」
「やばッ....バケモンじゃん」
「ちょっと!言い方!」
ルリハが注意するとリンクルは舌を出した。そしてまた尋ねた。
「ねぇ、じゃあさ、アッシュさんって....ゴロン族みたいにゴッツい女の人なの?」
「全然。背の高さは普通だしどちらかと言えば華奢だって」
「へええ...」
リンクルは感心しきりだった。
「じゃあ、馬鹿ぢからで戦うんじゃなくって、技アリってカンジ?うち、そういうの好きかも!」
「まあ、あんたの想像が合ってるかは分かんないけど...」
ルリハは父のアッシュ評を思い出しながら続けた。
「『離れたら斬られる。近づいたら投げられる』。お父さんそれでアッシュさんとの試合に負けたんだって」
ルリハがそう言った、その時だった。
兵舎の扉が唐突に開いた。戸口に立つ人影を見たとき、ルリハはバネじかけのように慌てて立ち上がった。リンクルも少し遅れて続いた。
部屋に入ってきたのは、髪を結い上げ甲冑を身に着けた女性だった。
歳の頃は30過ぎだろうか。ルリハは彼女を見て、なんて美しいひとだろう、と心の中で嘆息を漏らした。艷やかな黒髪が甲冑の肩当てに垂れ、顔の白い肌色が胸当ての銀色に照らされている。涼し気な二重の大きな目はこちらを真っ直ぐ見据えている。
だが、ルリハが美しいと思ったのはこれらの特徴ではなかった。この美しさは、磨き抜いた武器の美しさだ。足の運び。重心の取り方。その全てが、攻撃を迎え撃ち、敵を一太刀で倒す、その行為のために考え抜かれ研ぎ抜かれている。
数知れない修羅場を経験した父モイとその父に鍛えられた兄コリンを見ながら育ったルリハにはよくわかった。このひとは、物凄く、強い。
「座ってよい」
アッシュは手短に言うと、ルリハに向かってこう続けた。
「モイ殿のご息女というのは、貴女だな?」
「は...はい」
ルリハは迷いながらも椅子に腰掛けた。リンクルも、彼女を見ながら恐る恐るそれに倣う。
「単刀直入に言おう。私は貴女を弟子とすることはできない」
アッシュは腕組みをすると感情の籠もっていない声でそう言った。
「え...えっ....」
ルリハは驚きに目を見開いた。父の紹介状を読んでもらったはずなのに。
「私は軍の人間だ。個人的に外部の人間に剣を教えることは禁じられているからだ」
アッシュはキビキビと言葉を継いだ。ルリハは絶句してしまった。門前払いとはこのことだ。
「そ...そこをなんとか.....」
彼女は辛うじて声を漏らした。だがアッシュは首を振った。
「期待に添えず気の毒だ」
その時、リンクルが唐突に口を開いた。
「あのぉ....すいません。じゃあ、たとえばぁ、もしもお姉ちゃんが兵隊さんになったらぁ、アッシュさんに教えてもらえる...とかですかぁ?」
ルリハはリンクルの間の抜けた口調に顔から火が出るほど恥ずかしくなった。だがアッシュは真面目な顔で答えた。
「入隊試験に合格すれば、だ。だが、試験は剣技だけではない。重量物運搬。長距離走。加えて聖典、法律、歴史などの学科試験がある」
「じゃ...じゃあ....受験させてください!」
それを聞いたルリハは叫んだ。だがアッシュは付け加えた。
「受験資格は18歳以上だ。ルリハ嬢。貴女はまだその年齢ではないはずだ」
ルリハの心に浮かんだ希望がみるみる萎んでくるのがわかった。あと2年も待たなければスタートラインにも立てないなんて。
「もし志があるなら、その年齢になってからもう一度来るがよい。女の兵士は前例がないが実力さえ満たせば採用しよう」
そう言い置くと、アッシュが踵を返した。だが、ルリハは一瞬迷った末立ち上がって声をかけた。
「どうか....お...お願いします!一本だけでも!あたし、早く強くなりたいんです!」
部屋から出ようとしていたアッシュが足を止め振り返る。ルリハを見つめるその両目には、なんの感情も浮かんでいなかったが、何事かを思案しているようだった。
「言ったはずだ。規則ゆえ教えることはできない、と」
アッシュはそう言ったあと、少し間を置いて言葉を継いだ。
「...だが...もし貴女がどうしてもと言うなら方法がないわけではない」
「えっ?」
ルリハは顔を上げた。再び希望が胸に湧いてくる。
「私は真剣の立会いを申し込まれた場合、いつ、誰からでも、いかなる場所でもお受けすることにしている。貴女が私に果たし合いを申し込み、私がそれを受けるという形でなら可能だ」
アッシュは淡々と続ける。ルリハは、相手が言っていることを脳内で咀嚼した。だが、なかなか意味がわからない。目をパチクリさせているうちに、アッシュはこう畳み掛けた。
「貴女がどうしても望むならば、だ。立会人もつけ、万一の場合係争にならぬよう互いに誓約もする」
ようやくルリハにも相手の言わんとすることが理解できてきた。そして、たちまち背筋に冷や汗が流れ始めた。手のひらに汗が滲み、指先がみるみる冷たくなっていく。アッシュは感情のない目で彼女を見つめながら尋ねてきた。
「いかがする?」