「では、両者位置につくように」
逞しい下士官が中庭の真ん中で声を上げる。ルリハは抜き身の剣を手に持つと、軽く上下にジャンプして準備運動代わりとした。アッシュはゆっくりと近づいてくると、腰の長剣を抜き放った。
「アッシュ・サカユマカンロ少佐。および、トアル村のルリハ。両者の決闘については、公正に行われることを期するためこのバルド軍曹が立会人を務める」
軍曹は両者の間に立って手を上げると続けた。
「では両者誓約しろ。この決闘の結果、いかなる負傷あるいは障害を負い、あるいは死に至ることとなっても、貴女らは相手にその責めを負わせないと誓うか?」
「誓います」
「誓う」
ルリハとアッシュはほぼ同時に答えた。中庭のあちこちで訓練に勤しんでいた兵士たちは、珍しい特別イベントに興味を引かれたらしく、次々に周囲に集まってきた。
「おい...あんな小娘がアッシュ教官と?バカだなぁ」
「でもよぉ...なんでもあのモイ殿の娘って話だぜ?」
「マジかよ!....そいつは楽しみだな」
「どっちにしろ無理だろ。見ろよ、まだ駆け出しって歳じゃねえか」
物見高い者たちが口々に囁き交わすのが聞こえる。
リンクルは少し離れたところで見ている。その眼は不安と心配で見開かれていた。
ルリハは鼓動がどんどん早くなっていくのを感じた。落ち着け。落ち着け。どれほど言い聞かせても、体が言う事を聞かない。
剣を握る指先が細かく震えている。村で父や兄と行った打ち合いではいつだって木剣を使った。真剣での立会いなど、言い伝えや童話の中でしか聞いたことがない。
卓越した技量を持つ剣士同士。活殺自在の境地に達した者たちだけが、遺恨や争いを原因としない、純粋に技量を競い合うことを目的にした『立会い』を行う。
ルリハは自分の技量を改めて振り返った。そんな域には到底達していない。達するメドさえ、見えていない。
だが、これを通るしかないんだ。強くなるには。
ルリハはしばし眼を閉じ、そして深呼吸した。そして眼を開いた。
眼の前にはアッシュが立っている。両腕をダラリと垂らし、その片手に剣が握られている。その両目には、相変わらず、何の感情も浮かんでいない。
「では用意........はじめェッ!」
軍曹の野太い声が響いた。
ルリハは両手で剣の柄を握り中段に構えた。対してアッシュは、片手の剣をわずかに上げ、半身に構える。
「ルリハお姉ちゃん....」
離れて見ているリンクルが思わず声を漏らすのが聞こえてきた。
両者は、摺り足で慎重に互いの距離を測り始めた。円を描くように動き、間合いを詰め、また開く。
ルリハは剣の柄を握り直した。手に汗が滲む。渇き切っているはずの口の中の唾を飲み込む。
「やああああッ!」
間合いが詰まった瞬間、やおら気合いの声を上げルリハは斬りかかった。
袈裟斬りに振り下ろした剣をアッシュの剣が受ける。細身の刀身がしなった。
ギシュゥッ....!
鉄と鉄が擦り合わされる音。アッシュが剣を回転させてルリハの体勢を崩すと、首元に突きを放ってきた。
ルリハは横に上体を逸して避けると、逆袈裟斬りを仕掛けた。これも難なく防がれた。相手の刃がルリハの剣の軌道をハネ上げる。自分の胴体がガラ空きになった。
予想通り胴払いが飛んできた。ルリハは後ろに身体を倒し、後転すると立ち上がった。アッシュは追撃して来ない。ルリハは立ち上がり、剣を構え直した。
再び突進し、縦斬りを放つ。アッシュは剣をかざしてそれを受けた。横斬り。それも防がれた。逆からの横切り。また防がれた。
剣と剣を打ち合わせる音が中庭に響く。火花が飛び散った。
だがルリハは驚愕した。アッシュはさっきからただの一歩も動いていない。顔の近くで刃と刃が衝突しても、まばたき一つしない。全く感情のない両目がじっとこちらを見つめているのみだ。
「うああああッ!」
唸るような気合いを発すると、ルリハは袈裟斬りをかけた。それをアッシュが受ける。だがこれはフェイントだった。
ルリハは身を沈めると、すかさず相手の前足の脛めがけて剣を振り下ろした。奇策だ。
それも読まれていた。アッシュは軽く脚を上げてそれを回避すると、ルリハの首筋めがけて斬撃を放った。
ルリハは頭を逸して躱した勢いで咄嗟に側転した。そして立ち上がると相手に向き直った。
アッシュはゆっくりとこちらに向きを変えた。ルリハは乱れる呼吸を必死で整えた。だがアッシュは兵舎で面談していた時と全く変わらない様子で立っている。
「見ろよ...やっぱアッシュ教官、さすがだな」
「さすがなんてもんじゃねえ。遊びにもなってねぇって風だな」
見物人が呟くのが聞こえた。だがルリハは軽く頭を振ると、相手を見据えた。
摺り足で少しづつ距離を詰める。ここか。いや、まだだ。
剣が届く間合い。相手の剣も届く。だが、斬り結ばなければ、勝機はない。
「いやあああッ!」
ルリハは深く踏み込むと剣を払った。アッシュは動かずそれを受ける。逆の方向から袈裟斬りをかける。それも受けられた。焦りがルリハの身体を前に出す。鍔迫り合いになった。
ルリハは無意識の内に相手を押した。だが、その瞬間、父の言葉が脳裏に蘇った。
「近づけば投げられる」
アッシュの片手がルリハの手首を掴む。何かを考えるより先に、身体が崩された。
ルリハは地面を蹴って飛ぶと前方に身を投げ出した。転がりながら離れる。片膝立ちで跳ね起きると、剣を相手に向けた。髪の毛が乱れてきたのがわかった。汗で前髪が顔に張り付く。
「すげぇな。投げられたのに立て直したぜ」
兵士の一人が言った。
「息が上がってるぞ。そろそろチェックメイトじゃね?」
他の一人が応じた。
―――くそっ....。―――
ルリハの心の底に、猛然と闘志が湧いてきた。立ち上がると上段に構えた。
斬られるのを怖がっていては近づけない。身を危険に晒さず勝てる方法など、ない。少なくとも、剣士には。
地面を蹴ると、突進した。
上から撃ち込む。アッシュは器用にその軌道を逸らし、袈裟斬りを掛けてくる。切先を下にして剣を掲げ防ぐ。気合いとともにそのまま袈裟斬りを返す。それを防いだアッシュが突きを放ってきた。身体を捻り辛うじて避ける。相手の刃が胸の前を通過した。
今しか、ない。
ルリハは気合いの声とともに身体を軸から回転させ、渾身の袈裟斬りをかけた。
その瞬間、相手が消えた。
* * * * * * * * * * * *
ルリハは斬撃の途中で体の泳いだまま、動きを止めた。
その首には、冷たい刃が押し当てられている。
眼球だけを動かして横を見る。アッシュが横に立っていた。片手で持った剣がこちらに真っ直ぐ伸びていた。
遠巻きに眺めている兵士たちは静まり返っていた。
ルリハは感触で分かった。もしも相手がほんの少しでも力を入れたら。動脈を切断され、ゆっくりと倒れる自分の姿が脳裏にハッキリ浮かぶ。
「.....勝負..あり!」
軍曹が呼ばわった。その瞬間、見物人がどよめいた。まばらに発生した拍手が広がっていく。
「すげえ....」
「教官、鬼だな...」
兵士たちが口々に呟く。ルリハは、自分の首に押し当てられた刃が離れるのを感じると、茫然と眼を見開いたまま立ち尽くした。
背筋を火のような熱が登ってくる。汗が次々と額から流れ落ちできた。
「....見えなかったのか」
アッシュが剣を納めながらそう問いかけてきた。
「はい....見えませんでした」
ルリハも、半ば茫然としたまま剣を納め、そう答えた。
「ならば、見えるようになれ」
アッシュはそれだけ言うと、踵を返した。軍曹は一瞬ルリハを顧みたが、やがて彼女に付き従っていった。周囲の兵士たちも、三々五々以前の持ち場に戻っていく。
あとには、ルリハと、そしてリンクルが残されていた。
「もぉ〜!心配したんだから!ルリハお姉ちゃん無茶するからぁ!」
リンクルが涙を浮かべながらルリハの肩を小突いてきた。
「無茶って...なんかあんたに言われるとモヤモヤするんだけど」
ルリハはやっと我に返るとそう答えた。
「だってさぁ....手加減するにしたって手が滑っちゃうかも知れないじゃん?見てられなかったよぉ」
それを聞いたルリハは雷に打たれたように顔を上げた。
手加減。アッシュの目には何の感情も、闘気さえも浮かんでいなかった。
いや、アッシュはそもそも一歩も動いていなかった。そして動いた瞬間「消えた」。自分は最初から最後まで、「読まれて」いたのだ。
――アッシュさんにとっては、『真剣勝負』でさえなかったんだ――
そんな言葉が、頭の中に鳴り響く。リンクルのお喋りに生返事をしながら、ルリハは城の前庭を通って町内に戻り、そのまま宿に帰った。
* * * * * * * * * * *
「ちょっとリンクル!いつまで寝てんのよ!」
翌朝。ルリハは早起きして素振りを終えると、布団の中にいるリンクルに声をかけた。
「...ううん...まだ寝かせてよぉ。だいたいルリハお姉ちゃんってば毎朝毎朝早くからさぁ」
「あんたバイトの面接があるんじゃなかったの?」
寝ぼけたリンクルの声に被せるようにルリハが言う。それを聞いたリンクルは布団から顔だけ出して目をパチクリさせた。
「昨日職業安定所で言われたって言ってたじゃん。...朝九時から面接って」
「....面接?.....あ!」
「時間より早めに行ったほうがいいよ。そろそろ支度しなさいよ」
するとリンクルは口をポカンと開けてしばらく黙っていたが、やがて言った。
「もう間に合わないや。...もうちょっと寝よ」
ルリハはズッコケそうになるのをこらえると、リンクルの布団を剥ぎ取った。
「いい加減にしなさい。あんた、この宿だってタダじゃないんだよ?一文無しなら働くしかない。わかってんだろうね!」
「そんなぁ...。ちょっとくらいいいじゃん」
「あたしだっていつか貯金なくなるんだから仕事探さなきゃなんだからね!」
「でも....まだあるんでしょ?」
「あのね、貯金ってのは無くなってから働いてたんじゃ遅いの!んなこともわかんないの?」
「朝からそんな大声出さなくたっていいじゃん....」
リンクルは敷布団にピッタリ体を伏せながら抗弁する。だが、突然何かを思いついたかのように彼女は顔を上げた。
「そだ。いいこと思いついた!」
「なによ?」
ルリハは嫌な予感が胸中に膨らんでいくのを感じながら尋ねた。
「うち、大道芸やる!広場でボウガンの曲撃ちやれば、人がいっぱい集まるでしょ?それでお金集めるの!」
嬉々としてリンクルが言う。ルリハは溜め息をついた。
「そんなんでお金稼げるわけないでしょ。ちゃんと働き....」
「よしッ。善は急げ?決まりだね!」
リンクルはいそいそと身支度すると、ボウガンを両腿のホルスターに引っ掛け、ポンと手で叩いた。
「ルリハお姉ちゃんは客寄せ係ね。じゃ、行こ!」
「はあああああ?」
* * * * * * * * * *
「さあさあよってらっしゃい見てらっしゃい。美少女リンクルの正体は、スーパーボウガン少女!ボウガン早撃ち、曲撃ち、種も仕掛けもありません!」
中央噴水広場の南端の城壁の前に陣取ると、リンクルは声を張り上げた。ルリハもイヤイヤながら、同じような口上を述べた。
すると、広場を通りがかる群衆が物珍しそうに覗き込んでくる。
そこでリンクルは得意そうに一礼すると、壁際に並べた空き缶に背を向けて立った。
「用意.....撃て!」
ルリハの号令で、リンクルは素早くボウガンを抜くと振り向いて撃った。空き缶に矢が命中し、群衆からどよめきが上がる。
ルリハが空き缶の数を増やしていく。すると、リンクルは器用に装填を繰り返しながら両手持ちで次々とそれを撃ち抜いていった。
さらに、ルリハが八百屋でタダ同然で仕入れた賞味期限切れのカボチャを空中に投げると、リンクルはいとも簡単にそれも撃ち抜いた。
「おお〜!」
「すげえな!」
「いいぞいいぞ!」
群衆から歓声が上がった。
「さあて、そこでご覧に入れますは、スーパーボウガン少女の曲撃ち。とくとご覧あれ」
リンクルは声を張り上げると、ルリハの頭の上にリンゴを乗せて壁際に立たせた。
「ちょっと....何するつもり?」
ルリハが聞いてもリンクルは笑顔のままだ。
「いいからいいから。うちに任せて」
リンクルは空き箱を高く積み上げると、その上に立った。
「さあ、果たして美少女ルリハの運命はどうなるのでしょうか!」
リンクルは観客を見回すと、ルリハに背を向け、やおら空き箱の山から後ろ向きに飛び降りた。
バシュッ....!
後ろ宙返りしながら放った矢が真っ直ぐにルリハの頭上のリンゴに向かう。
―――命中。
ルリハは信じがたい思いで目を見開いて立ち尽くした。
静まり返った群衆からたちまち大歓声と拍手が上がった。リンクルは小箱を手にその中を歩き回る。次々とその中にルピーが投げ込まれていった。
「どう?大したもんでしょ?」
「あのさ....あんたの腕は認めるけど。あたしの身にもなってよね」
得意満面で近づいてくるリンクルに、ルリハは呆れながら文句を言った。
「外すわけないじゃん。だって止まったままの的なんだから」
二人が言い合っていると、背後から誰かが近づいてくる気配を感じ、ルリハは振り向いた。
「素晴らしい...実に素晴らしい」
立っていたのは、長い白髪を撫でつけた痩せた初老の男だった。白衣を着て、分厚いメガネをかけている。
「どうも!本日大道芸デビューしたリンクルちゃんでぇす!」
リンクルは満面の笑顔を浮かべて挨拶した。
だが、ルリハは違和感を持った。学者だろうか。それとも文筆家だろうか。いずれにせよこの男は大道芸を楽しむようなタイプには決して見えない。
「毎日ここで曲撃ちしてますから、また見に来てくださいねぇ!」
リンクルは立て板に水の営業トークを続ける。だが、初老の男はメガネを指で直すとこう続けた。
「いや...君のボウガンも素晴らしいが、君のコンパスだ。実に貴重な代物だ。どうだろう。買い取らせてはくれないかね?」
ルリハは目を上げると気づいた。男の背後には、黒ずくめの男が二人ほど付き従っている。
痩せていて、異様に背が高く、帽子とマスクをしている。布の間から覗く両目だけがギラリと光っていた。