「いや...君のボウガンも素晴らしいが、君のコンパスだ。実に貴重な代物だ。どうだろう。買い取らせてはくれないかね?」
初老の男は言った。その眼鏡の奥の目は、値踏みするようにリンクルとルリハを眺めている。
「コンパスを?うちの?」
リンクルは驚いて声を上げると、無意識のうちに首から下げたコンパスに手をやった。
「そうだ。ルピーは言い値で出そう。さあ、値段を言ってくれ」
初老の男が申し出る。だが、リンクルは顔を伏せると眉を曲げた。
「い...いやだよ。だってこれ、おばあちゃんの形見だもん」
「なるほど、君自身の感情や思い入れも込められているわけだね。ならばその分も上乗せしていい」
だが、二人が会話している間、ルリハは目で追っていた。
男の背後にいた黒ずくめの男二人。痩せていて、異様に背が高く、帽子とマスクをしている。布の間から覗く両目だけがギラリと光っている。
その男たちがゆっくりと位置を変え、リンクルの背後に立とうとしている。
何かがルリハの頭の中で鳴った。
「ちょっと....あたしの妹になにする気?」
ルリハはそう声をかけると、リンクルの背後に無理やり体を押し入れるようにして立ちはだかった。
「そう警戒しないでくれたまえよ。私達はただ、平穏に取引をしたいだけだ」
初老の男が笑って言う。だがルリハは黒ずくめの二人に向いたまま言い放った。
「聞いたでしょ。取引はなし。ファンミーティングも終わり。さっさと解散して」
その瞬間だった。
黒ずくめの男の一人が、かすかな唸り声を上げた。獣のような声。
ルリハの警戒本能が警報を鳴らす。彼女はリンクルの脇腹を強く肘で突くと、左手に持った剣の柄に手をかけた。
「仕方あるまい....では、少々手荒なことになるが、こらえてくれたまえ」
初老の男が言う。ルリハの前の黒ずくめの男が手を開いた。その手には長い鉤爪が生えている。明らかに人間のものではない。
危険信号だ。ルリハは咄嗟に身を沈めると、剣を抜きざま柄頭で相手のみぞおちを打った。大人の男でも悶絶する、体重を乗せた打撃。
だが、黒ずくめはほんの僅かによろけただけで立ち直ると、吠え声を上げながら手を横に払ってきた。
ルリハは咄嗟に身を伏せて回避すると、袈裟斬りをかけた。
手応えがあった。バッサリと刃が徹る。だが、もうひとりの黒ずくめが身をたわませるように曲げると、リンクルに躍りかかった。
「あわわ.....」
リンクルは慌ててボウガンを抜くと放った。矢が男の胸を貫き、その動きが止まった。
だが信じがたいことが起こった。ルリハに斬られた男がゆっくりと身体を起こす。胸を射られたほうは、無造作に矢に手をかけてこれを引き抜いた。
「なっ.....」
二人は驚愕に目を見開いた。するとその背後で初老の男が含み笑いした。
「くッくッくッ....二人とも上出来だ。では、失礼するよ」
初老の男は白衣を翻して立ち去ろうとする。リンクルは我に返ったように自分の首の下に手をやって叫んだ。
「あ.....ない!うちのコンパス!」
初老の男は黒ずくめ二人を伴って人混みの中に向かっていく。
「待て!」
ルリハは気を取り直すと、剣を握って追いかけようとした。だがその瞬間だった。
巨大な男が、初老の男の前にヌッと姿を現した。隆々とした筋骨。岩のような肌。
ドンゴだ。
「大道芸人の女の子にストーカーしたうえ、持ち物を盗むなんて、お前変態かゴロ?大人のクセにみっともないことはやめるゴロ」
「むっ....」
初老の男は気圧されたかのように立ち止まった。さらに、ルリハとリンクルもその背後に追いついた。
「さあ、返しなさい。本当なら城に突き出すところだけど、素直に返したらカンベンしてやるわ」
ルリハが語気荒く言い渡す。リンクルも怒り心頭に発した顔でボウガンを構えた。
「ふむ...仕方がない。ではそうしよう。無くても私の計画は遂行できるからな」
初老の男は肩をすくめ、コンパスを地面に置くと、滑るように雑踏に姿を消した。黒ずくめたちも同じように消えていった。
* * * * * * * * * *
「ああ〜キモッ!なんなの、あのオヤジ!サイアク!」
リンクルは嫌悪感に身を震わせながら叫ぶように言った。
「リンクル、やっぱこういうの良くないよ。不特定多数の人から声をかけられるわけだし、あんた未成年でしょ?何があるかわかんないじゃん」
「いい考えだと思ったんだけどなぁ」
ルリハが言うと、リンクルは残念そうに溜め息をついた。
「ねえねえ、ボウガンのおねえちゃん、明日も大道芸やるんでしょ?」
ドンゴに手を引かれていたゴロン族の子供が話しかけてきた。リンクルは残念そうに答えた。
「ううん...わかんない。ひょっとしたらデビュー即引退ってことになるかも...」
「ええ〜?つまんないよぉ。せっかくドンゴおじさんの知り合いが大道芸やってるからって見に来たのに」
「仕方ないゴロ。不測の事態ってやつだゴロ。安全が第一だゴロよ」
ドンゴはそうたしなめると、ルリハたちに向き直った。
「ま、どっちにせよ稼ぐんなら地道な仕事が一番ゴロ。お前ら、温泉水屋台の売り子なんてどうだゴロ?」
「うん...そうだね.....」
ルリハは溜め息をついて思案した。
このままではやがて貯金も底をつく。城下町で2年間待ち続け、入隊試験を受けるにせよ、途中で故郷に帰るにせよ、資金が必要だ。
ルリハは何気なく懐を探った。すると、手の先に硬いものが触れる。
それを取り出した彼女は目を見張った。『女神の落とし物』。貴重な宝石だ。
「これ...いくらくらいになるかな」
ルリハは呟いた。だが、すぐに思い直した。
これはボウ村長から、レナード祭司に渡すようことづかったものだ。
レナードが故人となった以上、その遺族に渡すのが筋。
「あ〜あ。うち、しゃべりもうまいし愛想もいいし、芸能人向いてると思ったんだけどなぁ」
リンクルは相変わらず未練たらたらだった。だがルリハは遮って言った。
「ねえリンクル、ちょっと人探ししなきゃ。手伝って」
「人探し?」
「そう。ルダって名前の女医、この町にいないか、探さなきゃ」
「あ、それだったら城門入ってすぐの西通り沿いの診療所に看板あったよ。院長・ルダって」
リンクルはさも当然のように答えた。ルリハは驚いた。
「....あんたって、抜けてるようで意外とちゃんと見てるのね」
「ちょっとぉ!ルリハお姉ちゃん酷い!うちのことバカって思ってるでしょ!」
* * * * * * * * * * * * *
「すいませぇん...お邪魔しまぁす」
ルリハは診療所の扉を開けると、中に声をかけた。殺風景な部屋の左側には布製のパーティションがかけられている。右側には執務室があるのか、資料の山の奥に人影が見えた。
「はぁい。ちょっと待って」
返事が聞こえた。小柄な女性が足早に出てくる。歳の頃は三十くらいだ。黒髪をおかっぱに切り揃えた理知的な顔立ちだった。
「急患?それにしちゃ二人とも元気そうね」
女性はキビキビと話しかけてきたが、ふと眉を上げると続けた。
「病気には見えないしどこも怪我してないじゃない。ひょっとして.....おめでた?」
それを聞いたルリハとリンクルは慌てて手を振った。
「い...いえ!違います違います!」
「看護学生には見えないわね。それに助手は今募集してないの。悪いけど、終業時間後にもう一度来てくれる?」
女医はそう言い残すと執務室に引っ込んだ。ルリハは少し躊躇った末、こう声をかけた。
「あの...お時間は取らせません。お渡ししたいものがあるだけで....」
「渡したいもの?何?」
女医は机に向かったまま返事した。ルリハは執務室に入ると、懐から宝石を取り出した。
「これ....私の大叔父からです。レナード祭司さまに大変お世話になったからお礼をしたいって」
それを聞いた瞬間、女医の動きが止まった。ルリハはおずおずと宝石を差し出し、言葉を継いだ。
「でも、あたしたちがカカリコ村に行ったら、もう亡くなったって聞いたんです。それでせめてルダさんにって......」
* * * * * * * * * * * * * *
「父が亡くなったのは十年前よ」
ルダはルリハとリンクルの前にティーカップを置くと、自分の分の茶をすすってから言った。
「火事で燃えた家に飛び込んで、子どもたちを助けた。でも自分は重傷を負った。そして死んだ。私は二十歳を少し過ぎたばかりだったわ」
女医はティーカップを下げると遠くを見ながら呟いた。ルリハとリンクルは黙って聞いていた。
「誰かを救うため命を捨てる。そんな生き方を本気で実践する人、世の中にそうそういるもんじゃないわね。でも私の父はそうした」
「ほ...本当に立派な方だったんですね」
ルリハは言った。だがルダは少し溜め息をつくと、首を振った。
「それは見方によるわ」
彼女はルリハのほうを向くと続けた。
「私は取り残されたのよ。父を恨んではいないわ。私はカカリコ村に帰れば、今でも村人たちの大恩人の娘として大事にしてもらえる。でも、私自身は本当にそんな生き方ができるか、いっつも考えることになっちゃった」
ルリハは当惑した。同じような美談を聞いたら誰もが同じように反応するだろう。それなのに、彼女は何か言ってはいけないようなことを言ってしまったような気がした。
「医者ってものはね、あんまり患者さんに感情移入しちゃいけない職業なのよ。不可抗力で亡くなることだってある。何よりも、自分が潰れてしまったら、治療行為そのものが続けられなくなるじゃない。少なくとも私は、学校でそう教わった。でも父の生き方は違った。今でもわかんないわ。どっちが正しいのか」
そこまで話してしまうと、ルダは笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。あなたたち、長旅をしてきたんでしょ?仕事が終わったら私のアパートに来て頂戴。夕食くらいならご馳走できるわ」
「あ....あの.....」
リンクルがおずおずと声を上げた。
「ルダ先生のお父さんって祭司さんだったんですよね?先生って....魔法のこととかも、わかります?」
それを聞いたルダの頬が一瞬だけピクッと震えた。だが彼女は平静な表情に戻ると答えた。
「ええ。少しなら。何かあったの?」
「あの...うちのコンパス。‥‥これなんですけど」
リンクルは首からコンパスを取り外しながら続けた。
「今日、変なおじさんがうちのコンパスが欲しいって言いながら迫ってきたんです。キモいし、これおばあちゃんの形見だからって、断ったんですけど」
彼女はコンパスをルダの前に差し出した。
「でも、このコンパス、日によって指す方角も違うし、おばあちゃんの話しだと『魔法のコンパス』だっていうの。『リンクルの行くべき先を指してくれる』って。でも、うちにはそれが本当かどうかさっぱりわからないし......ルダ先生なら、このコンパスが何なのか、わかるかなぁって」
ルダはコンパスを受け取ると、しばらくそれを眺めていた。だが、やがてその目つきがみるみるうちに真剣になってきた。
「リンクルちゃん....これ、おばあちゃんはどこで手に入れたのかしら?」
「どこ?」
リンクルは当惑したように顔を上げたが、やがて答えた。
「たぶ...ん....古物市かなんかで。『勇者リンクが使った魔法のコンパスだ』っていうから大枚はたいて買ったんだって、おば....」
「これ、呪物よ」
ルダは被せるように答えた。
「呪物?」
リンクルとルリハは目を丸くして同時に声を上げた。
「そう。呪物。それも特級のね。あなた今までよく無事だったわね」
ルダは淡々と言葉を継いだ。
「もし...このコンパスが本物だとしたら、その由来として考えられるのは一つしかないわ」
リンクルとルリハが息を呑むようにして聞き入るなか、女医は話しはじめた。