「勇者リンクは父の礼拝所をたびたび訪れたわ。彼はしょっちゅう怪我をしてたから、父が治療したの。私も手伝ったわ」
ルダは話し始める。目を見開いて聞き入っていたリンクルは呟いた。
「凄い.....ルダ先生、勇者に直接会ったんだ.....」
すると女医は笑った。
「彼、私と同じ歳なのよ。私は戦っている時の彼を見たことがなかったから、私にとって彼は気さくで素朴な農村出身の青年にしか見えなかったわ....でも」
そこまで話すと、ルダはやや真顔に戻り、声を落とした。
「魔王を倒してから数年後のことだった。彼、相変わらず冒険の合間に父と私をよく訪問してくれたけど、次第に笑顔が少なくなってきたの。そしてこう言ってたわ。『魔王を倒してしまったことの意味が、今になってやっと理解できるようになった』って」
「『魔王を倒してしまったことの意味?』なんですか....それ?」
ルリハは疑問に思って口を挟んだ。ルダは溜め息をつくとルリハを見た。
「彼はずっと悩んでいたの。絶え間なく襲う悪夢。全身を覆うなんとも言えない嫌悪感。私の父も何回も診察したけど、なかなか原因はつかめなかった。でもある時、父はこう言ったのよ。『これは魔王の血が原因だ』って」
「待って.....リンク兄ちゃんにそんな悩みがあったなんて、あたし一度も聞いたことがなかった」
ルリハが思わずこぼすと、リンクルが驚いて彼女を見た。
「『リンク兄ちゃん』?ルリハお姉ちゃんも直接会ったことあるの?」
「いや...だって....」
ルリハは口籠もった。あまりに当たり前過ぎることを今更説明する言葉が見当たらない。
「だって、あたしのお父さん、リンク兄ちゃんの剣の師匠だもの。だからあたしが小さかったころもよく遊んでもらったし」
「はあああああ?何それぇぇぇ?」
リンクルが素っ頓狂な声を上げ、それから顔を真っ赤にした。
「ず...ずるいよ!そんなの....うちの憧れの人を...」
「そ...そんなこと言われてもなぁ」
ルリハは困り果てて自分の頭を掻いた。だがルダは静かに微笑むと、リンクルに言った。
「リンクはトアル村の人よ。田舎村の人間関係は皆が親戚みたいなものだし、珍しいことじゃないわ」
「でも....」
リンクルは不満そうだったがようやく静かになった。ルダは続けた。
「リンクは魔王を倒した瞬間、大量の返り血を浴びたはずよ。その血は、魔王の恨み、憎悪、野心、それら全てを形作った『魂』そのものの成分と言っていい。そして、途方もない魔力の源でもある」
「じゃあ...もしかしてリンクルのコンパスって....!」
ルリハは顔を上げた。
「そう。もしこのコンパスが本物だとしたら.....」
ルダは机に置いたコンパスを手に取ると続けた。
「魔王の血を浴びたはず。そしてその影響で元々備わっていた魔法の仕掛けが変質し、『魔』に反応し『魔』の源を指し示す道具となった。これが私の見立てよ」
三人はしばらく沈黙していた。だが診療所の扉が開き、老人がその妻らしき老女に連れられて入ってきた。ルダが彼らを診察室に通して応対している間、ルリハとリンクルは互いに目を見合わせた。
「リンクル....どうするの?そんな物、この先もずっと持ってたら....」
ルリハは小声で言った。だがリンクルは目を伏せて答えた。
「でも...うちにとってはおばあちゃんの形見だもん。捨てられないよ」
それを聞いたルリハは黙り込んだ。誰一人身寄りのない彼女が縁者を偲ぶための唯一のよすがだとしたら、手放せと言うのも酷だ。
「じゃあ、お薬忘れずに。それから一日一度は外を散歩してくださいね」
ルダはそう声をかけながら老夫婦を送り出すと、また執務室に戻ってきた。
「すいません...お仕事の邪魔をしてしまって」
ルリハは腰を浮かせかけたが、ルダはこう言って押しとどめた。
「いいの。私もこのコンパスを見て分かったわ。ここのところずっと気になってたから」
「気になってた?何がですか?」
ルリハは尋ねた。するとルダは急須に湯を注ぎながら答えた。
「十六年よ」
「十六年?」
ルリハとリンクルは同時に聞き返す。ルダは急須から二人のカップに茶を注ぎ、椅子に座り直すと脚を組んだ。
「....今年が十六年目なの。魔王が倒れてから」
「そ...それ、どういう意味ですか?」
ルリハには何がなにやらさっぱりわからない。するとルダは机から一枚の白紙を取り上げ、鉛筆で図形を描き始めた。それは三角形を3つ重ねた図形だった。
「あ!うち知ってる!これトライフォースだよね!」
リンクルがはずんだ声を上げる。ルリハにも見覚えがあった。幼いころリンクに見せてもらった剣と盾。どちらにもこの印がついていた。
「そう。トライフォース。かつて女神から王家に託された神器。そしてこれは天与の力の象徴、ひいては聖なる図形として長らく崇敬の対象となってきたわ」
ルダは顔を上げた。
「三角形は最も強い図形。その三角形が3つ重なっている。幾何学的にも完璧な図形ね。ただし.......」
彼女は3つの三角形の中央にある空白を鉛筆で指し示した。
「ただし、ここに空白があるの。つまり、構造的に強靭であっても、弱点がないわけではない」
「あの....それがさっきの魔王の血と何の関係が....」
ルリハは頭がはてなマークでいっぱいになってくるのを感じて思わず口を挟んだ。だがリンクルが叫んだ。
「うち、わかる!つまり、この図形は、ほんとうには3つの三角形じゃなくって、4つの三角形で成り立ってるってわけでしょ?」
「ご名答よ、リンクル」
ルダが微笑む。ルリハは驚いてリンクルを見た。彼女は得意そうに鼻の下を人差し指でこすると、ルリハを見返す。ルダは続けた。
「ハイラルに伝わる数秘術では、トライフォースそのものが『知恵』『力』『勇気』に支えられた『完璧な統治』を表すものと考えられてきた。だけど今見たとおり、『完璧な統治』にも弱点があり、空白がある。それが4つ目の三角形....つまりどんなに正しい統治をしても、必ずどこかに悪がはびこる余地が生じるということ」
「じゃあ...魔王を倒しても....悪は終わらないって...ことですか?」
ルリハは心に浮かんだ推測を口に出した。ルダは頷き、淡々と続けた。
「勇者リンクはたしかに魔王を倒した。でも、魔王というものは言ってみれば『魔を集約して人格にした』だけの存在に過ぎない。だから、彼が倒れても『魔』は消え去りはしない」
二人が息を呑んで見つめるなか、ルダはゆっくりとこう結論づけた。
「........十六年前の勇者リンクの勝利は、『応急処置』に過ぎなかったのよ』
「お.....応急処置.....」
ルリハは驚いて呟き、同じように目を丸くしたリンクルと顔を見合わせた。
自分の考えが根底から覆されたような気がした。
勇者リンクは魔王を倒し、世界は平和になった...はず。
そう思っていたのに。
「....で、ここからが本題ね」
女医は咳払いすると、紙に大きな正方形を描き、その上に十字を引いた。
「四つの合わさった四角形。これらすべての辺を構成する線はいくつある?」
唐突な質問にルリハは戸惑った。さっきから何の話をしているのかまるでわからない。
「十二!」
リンクルが元気よく叫ぶ。ルリハはまた驚いて彼女を見る。ルダが微笑んだ。
「そう。ハイラル数秘術では四角形は混沌、災厄、ひいては『魔』を表す。ちょうどトライフォースを構成する三角形ひとつひとつが『知恵』『力』『勇気』といった美徳を表すのと対照をなす図形ね。そして重なった三角形が互いを強めあって完璧なトライフォースを形作るのと同様に、四つ重なった四角形は『魔の充満』を表すと考えられてきた」
そこまで言うとルダは紙に書いた図形の上に取り消し線を引き、今度は三角形を四つバラバラに描いた。
「トライフォースが真実には『空白』の三角を含む四つの三角形だとしたら、それらを構成する辺の合計は....」
「十二!」
またリンクルが答えた。ルリハは慌てて口を挟んだ。
「先生...。ごめんなさい。さっきから...何を言ってるのかぜんぜん....」
「だからこういうことでしょ?」
リンクルが人さし指を上げて屈託のない声で言う。
「トライフォースも、『魔』のなんじゃらっていう四角形も、元をたどればおんなじ。そうでしょ?先生!」
「そう。よくできたわね、リンクル」
ルダは紙を片付けてしまうと、二人に顔を近づけた。
「勇者と魔王が戦ったとき、ゼルダ姫もそこにいた。それが意味するところはわかる?」
「はイッ!」
リンクルが手を上げた。
「手の甲にトライフォースの印のある人たちが全員集まった...ってことでしょ?」
「そう。その通り。そして.......その現象が起きると、世界の時計は『巻き戻される』。これは古来から観測されてきた事象よ。そして、その時点からカウントダウンが始まるの」
ルリハはもはや会話についていく気力を失った。それと同時に、思いもしなかったリンクルの機転と知識に驚嘆した。
「......もし世界が良い方向に動いていけば、数秘術では九年で良き統治が完成する、とされていた。『知恵の三年』『力の三年』『勇気の三年』を通じて。魔王が倒れたとき、多くの学者たちはそう考えた。そしてゼルダ姫は戴冠し、善政を敷き、国は栄えた.....だけど」
ルダは言葉を切り、数秒黙ると、続けた。
「魔物の数も、魔王の死後一時的減少していたのが再び増加に転じた。特にここ最近の増加は異常よ。西平原なんかは、事実上立入禁止区域になってるわ」
「あ......あたしたち、西平原を通って城下町に...」
ルリハが思わず言うとルダは驚いて彼女を見た。
「なんですって!....なんて無茶をするの...!」
「し...知らなかったんです。そんなことが起こってたなんて」
ルリハとリンクルは顔を見合わせた。そして西平原での悲しい出来事を思い出し目を伏せた。
「....二人とも無事で本当によかったわ。ともかく」
ルダは息をつくと、言葉を継いだ。
「魔物の数の多さに城は非常事態宣言を検討してるわ。そして学者たちは魔王の死から計算される『九年』を通じた統治の完成という見立ては間違っていたかも知れないと言い始めた。そうではなく、『十六年』が正しいと」
ルダは窓のほうに目をやると、静かに締めくくった。
「『混沌』の四年。『災い』の四年。『争い』の四年。『病』の四年。十六年目にそれらが頂点に達する。―――つまり『魔』の充満よ」
ルリハはゴクリと唾を飲み込んだ。
想像もしなかったような異常事態が、この国を襲っている。それだけはわかった。
...その時だった。診療所の扉を叩く音がした。
ルダが立ち上がって応対に出る。扉を開くと、兵士が数名立っていた。
「急患ですか?鎧は脱いでおいて下さいね。今体温測りますから」
だが兵士が慌てた口調で答えた。
「いえ、先生。リンクルという少女がここに来ていませんか?」
「え....リンクル?」
ルダが戸惑った声を上げた。ルリハとリンクルは再び顔を見合わせた。
「至急、城に同行して頂きたい。先生、中に入ってよろしいですか?」
小隊長らしき男が言う。だがルダは毅然として答えた。
「待ってください。事情を説明していただかなければお入れできません」
「そ...そうおっしゃいましても...」
戸口で押し問答が続く。ルリハは困惑顔でルダの背中を見、そしてリンクルを見た。だが彼女はすっくと立つと戸口に向かって歩いていった。
「うちがリンクル。おじさんたち、うちを逮捕しに来たの?」
リンクルがそう言うと、ルダは驚いた顔で振り向いた。だがリンクルは続ける。
「うち、悪いこと何もしてないから。連れてくなら連れてって。でも調べればすぐわかるはずだよ」
リンクルは全く物怖じせずに続ける。
「さ、早く行こ。ルダ先生に迷惑かけたくないし」
「待って!あたしも行く」
ルリハは声を上げて立ち上がった。そして兵士たちが見つめるなか続けた。
「この子...あたしの妹だから」
「私も同行するわ。自分を弁護する術のない未成年がたった一人で大人たちの取り調べを受けるだなんて、あってはならないことよ」
ルダも声を上げる。兵士たちは困惑して顔を見合わせたが、やがて頷いた。
「い...いいでしょう。ともかく急いで来てください」
* * * * * * * * * * * *
兵士たちに伴われ、三人は城の正門を潜り、そのまま建物の中に通された。そして広々とした『請願の間』から階段を上って二階部分のバルコニーについた。
目の前の扉を兵士たちが開く。
恐る恐る中に足を踏み入れたルリハは、そこにあった光景に驚くあまり息を呑んで立ち止まってしまった。
内部は会議室だった。巨大な円卓の周囲に、身なりの良い廷臣たちがズラリと着席している。
その中には銀色の甲冑を着たアッシュも混じっていた。だが彼女の目には相変わらず感情らしきものがない。ルリハがしきりに目線を送っても、こちらを見ようともしない。
「そこに座るんだ」
兵士がルリハたち三人に声をかける。我に返ったルリハは、手前の壁際に置かれた椅子に腰を掛けた。リンクルと、続いてルダも部屋に入ってきて腰かけた。
座ったまましばらく茫然としていたルリハだったが、彼女はやがて横にいるリンクルの耳に囁いた。
「ちょっとリンクル!あんたよっぽど悪いことしたんじゃないの?これ、絶対ただの取り調べじゃないよ」
「うちなんにもしてないよ!ルリハお姉ちゃんまで疑うの?酷い!」
リンクルが場をわきまえず大声を上げる。廷臣たちの視線が集まり、ルリハは慌てて妹分の口を押さえた。
「待ちましょう。そのうちわかるわ」
だがルダは何かを悟ったかのように落ち着いて呟いた。
すると、背後の扉が再び開いた。振り向くと、戸口を塞がんばかりの巨漢が突っ立っている。
「....ったく仕事中に呼び出して、いったい何の用事だゴロ?早く済ませて欲しいゴロよ」
ドンゴの声だった。彼は部屋に入ってくると丸い目を殊更に丸くしてルリハたちを見た。
「お前ら、ここで何やってるゴロ?」
だが彼は兵士たちにせっつかれて、人間用の椅子に巨躯を捻じ込むように座った。
「ドンゴおじさん、おじさんは信じてくれるでしょ?うち、何も悪いことしてないよ」
リンクルが懇願するように言う。ドンゴは困った顔で自分の頬を掻いた。
「そ...そりゃぁ信じるゴロ。お前さんまだ子供だし、今朝怪しい奴を撃ったのは正当防衛だってことは明らかゴロなぁ」
リンクルが、それ見たことか、と言いたげな顔でルリハを睨む。だがルリハが人さし指を口に当てると、頬を膨らませて黙った。
やがて数分が経過した頃、部屋の奥から高らかに呼ばわる声がした。
「女王陛下のおなり!一同、起立!」
それを聞いたルリハは驚愕で頭が真っ白になった。
廷臣たちが一斉に席を立つ。
これは夢?それとも現実?
何が何やらさっぱりわからないまま、ルリハは立ち上がった。リンクルとルダも続く。そしてドンゴも腰を上げた。
部屋の奥に、女性が姿を現した。
凛とした佇まい。艶やかな栗色の髪。気品と威厳に溢れた顔立ち。
それは、ゼルダ女王だった。