部屋の奥に姿を現した女性はゼルダ女王だった。
凛とした佇まい。艶やかな栗色の髪。気品と威厳に溢れた顔立ち。
ルリハにとっては、父親の話で聞いた時の想像と、肖像画でしか見たことのなかった憧れの存在。
絶対的な国の象徴であり、全てのハイラル国民の母。
ゼルダ女王が円卓に近づくと、居並ぶ廷臣が全員頭を垂れる。ルリハは咄嗟に片膝をついて身を低くした。リンクルも分けのわかっていない顔でそれに倣った。
「そのほうら、座ってよいぞ」
やがて廷臣の一人が声をかけてきてルリハは顔を上げた。傍らにいるルダがそっと椅子に腰を掛ける。ドンゴも極力ゆっくりと座るよう努めていたが、それでも椅子がギシギシと鳴る。ルリハとリンクルもやっと我に返って腰掛けた。
「コッコル村のリンクル。そなたに二、三尋ねたき儀がある。包み隠さず答えるように」
廷臣が再び口を開いた。それを聞いたリンクルはみるみるうちに不安な表情になってきた。
すると、部屋の隅に立っていた執事が一枚の紙を持って近づいてきた。
「そのほう、今朝この男と会ったときく。間違いはないな?」
執事が差し出した紙には大きな似顔絵が描いてある。白髪を撫でつけ、分厚いメガネを掛けた痩せ気味の初老の男。
「....う....うん。会ったよ」
「バカ。『はい』でしょ!」
ルリハが横から囁く。だがリンクルは眉をしかめて彼女を睨んだ。廷臣は咳払いすると続けた。
「念のため、そのほうらもよく検分せよ。...ええと、トアル村のルリハ。及び、ゴロン山のドンゴ。そのほうらも見たのであろう?」
ルリハは頷いた。
「はい。間違いありません。この男がリンクルにつきまとってコンパスを盗もうとしたんです。ですよね、ドンゴおじさん?」
「ああ。間違いねェゴロ。気色の悪いやつだったゴロよ」
ドンゴも同調した。すると列席者たちの間でざわめきが起こった。
「やはりノクス博士ですな....」
「抜け抜けと城下町に現れるとは...」
「何か企んでいるとしか思えませぬな...」
ルリハは混乱したまま見回した。だが、各人が囁き交わしている事柄の内容に自分は全く知識がないことは明らかだった。廷臣がまた口を開く。
「リンクルとやら、もう一つ尋ねる。その男は、怪しげな連中を連れていなかったか?」
「うん....ええっと...はい。あのキモオヤジがうちのコンパスを買い取りたいって言ってきて、嫌だって言ったら、変な痩せた男が二人くらい襲ってきたの。うちらのこと」
「その連中の人相風体は?」
廷臣がたちまち興味を引かれたように聞き返した。
「なんか黒ずくめで帽子とマスクしてて目だけしか見えなかった。あ!あと.....」
リンクルは思い出すように上を見上げると付け加えた。
「なんかやたらと爪が長かった気がする。不潔だよね。男の人で爪長い人って」
ルリハは妹分の間の抜けた話し方に恥ずかしさを禁じ得なかった。だが、廷臣たちは彼女の証言に驚き、そしてますます声を高くして互いに話し合った。
「クローナックだ。間違いない」
「これは重大なことだぞ....いかがする?」
その時だった。アッシュが手を上げた。一同が静まると、彼女は立ち上がって発言した。
「ご一同。かくなる上は捜索隊を結成し追跡しよう。ご異存がなければこのアッシュが指揮いたす」
「お待ちくだされアッシュ少佐。追跡といっても一体どうやってやると言われる?」
「そうだ。貴女は何かというと武力行使を選びたがるが、他に良い手段がない場合に限るべきだ」
たちまち廷臣たちから声が上がった。
するとアッシュはしばらく黙った。廷臣たちがようやく静かになってきたところで、彼女は言葉を継いだ。
「他に良い手段があると仰る方は、無論ご発言を歓迎する。このアッシュ無学ゆえ、高貴な方々の知恵に学ぶまたとない機会と心得る」
そして彼女は着席した。だが、案に相違して誰も挙手する者はいない。
「ちょっといいかな」
すると、メガネを掛け、洒落たジャケットを身に着けた四十代の男が手を上げた。
「僕はそのコンパスってものが気になるよ。何しろノクス博士が触手を動かすくらいだから、ただの骨董ではないことは間違いない」
彼は立ち上がると、リンクルに向かって言った。
「リンクルと言ったね。もし良かったら僕に見せてくれないか?君のコンパスを」
「ええっ?...」
リンクルは躊躇した。するとメガネの男は席を離れて歩み寄ってきた。
「君が手離したくない大切なものだというなら、身につけたままでもいい。近くにいって見させてもらって構わないか?」
男は近づいてくると、優雅に膝を曲げて一礼した。
「申し遅れたね。僕はシャッド。学者をやってる」
「シャッド・デ・ル・ヒンス博士だ。ハイラル大学学長および王家の学術顧問を務めておられる」
アッシュが後ろから補足する。その名を聞いて数秒すると、ルリハの脳裏に記憶が蘇り、彼女は思わず声を上げた。
「シャッド博士って....あの...『レジスタンス四勇士』の...!」
「やめてくれよ、その言い方は。僕はただ『おまけ』としてくっついていっただけさ」
シャッド博士は恥ずかしそうに笑った。
リンクルが、恐ごわとした動作でコンパスを博士の前に差し出す。すると博士はメガネを外し、代わりに虫眼鏡を取り出すと真剣にそれを調べ始めた。そしてしばらくすると溜め息をついて、メガネを掛け直した。
「ありがとう。間違いないよ。これは勇者が使っていたコンパスだ」
「やっぱり!やっぱり本当なんだよね?おばあちゃんの言ってたとおりだった!」
リンクルは思わず立ち上がって飛び跳ねた。ルリハは慌てて彼女の肩に手をかけて座らせた。
「...まあ、僕自身見覚えがあったからね。懐かしいよ」
そう答えた博士は、ふとリンクルの太腿に掛けられていたボウガンに目をやった。
「うん?君のそのボウガンは連射式なのかい?」
「え?....うん。そうだけど...それがどうしたの?」
「なんてこった!こんなところでこのボウガンと再び会えるなんて!」
シャッド博士は嬉しそうに大声を上げた。そして目を輝かせながら彼女に尋ねた。
「君は一体これをどこで手に入れたんだ?誰にもらったんだ?」
「え?これ?死んだうちのお父さんが作ったんだけど...........」
リンクルが言う。それを聞いた博士は一瞬口を閉ざした。そして数秒黙ると、小さな声で呟いた。
「...そ...そうか。そうだったんだな......」
彼は溜め息をつくと、微笑んで言った。その目には、なぜか深い寂しさが浮かんでいるように見えた。
「君の....父さん....か。そうか....コッコル村だったのか.....」
すると、最初に尋問をしていた廷臣が大きく咳払いした。
「シャッド博士!そろそろ本題に戻っていただけますかな?」
「...こ...これは申し訳ない。ハハハ...僕といえばいつもこうだ」
博士は決まり悪そうに頭を掻くと、リンクルに向き直った。
「で、君のこのコンパスは、南北を指すのではなく、その時その時でランダムに反応する。そうだね?」
「おじさんどうしてわかるの?」
リンクルは目を丸くする。ルリハは彼女の脇腹をつついて訂正した。
「『博士』、でしょ!」
「いや、いいのさ」
シャッドは微笑んで手を振った。
「勇者が使った品物ならば、魔王の血を大量に浴びたはずだ。そうするとコンパスに備えられた魔法機構が変質し、『魔』の源を指す性質を獲得したとしても不思議じゃあない」
博士の発言にルリハは驚いた。ルダが言っていたことと全く同じだ。
「よし。アッシュ....こうしてはどうだい?」
シャッド博士は両手を打ち合わせると、アッシュのほうに向き直った。
「このコンパスがあれば、『魔』の源を捜索できる。ノクス博士も必ずそれを探そうとするだろう。君の部隊は、奴っこさんが到着する前に到着したら、その『源』を封鎖する。もし遭遇したら、逮捕する」
「ふむ....」
アッシュは腕を組んで片手を顎に当てた。
「そ...そんなうまくいくものなのか?」
「もし見当違いの場所を指していたら...」
廷臣たちが再びざわめく。するとアッシュが何の感情も籠もっていない声で言った。
「....良き提案がある方は挙手されてはいかがか」
すると一同は押し黙った。そしてしばらくすると、また囁き声が広がった。
「確かに...他に良い手段もないな」
「やはり元『四勇士』に任せるしかあるまい、こういう荒事は」
やがてシャッド博士はリンクルに向き直った。
「どうだろうリンクル。君のコンパスを買い取らせてくれまいか?いや、貸し出してくれるだけでもいい。お礼はする」
突然の申し出にリンクルは目を白黒させた。
「君のおばあさんの遺品だということはわかる。だが、それによって、国の重大な危機が回避できるかも知れないんだ」
博士は続けた。だがリンクルは顔を伏せた。沈黙が部屋を支配する。
しばらくの後、リンクルはまた顔を上げた。
「や...やっぱできない。うち、たった一人のおばあちゃんの形見を....」
すると、別の廷臣が立ち上がって声を上げた。
「娘!そのほう、身分をわきまえないか。これは王家からの要請に等しいのだぞ!」
リンクルはビクッと顔を上げた。だが、彼女は肩を震わせると呟いた。
「い...嫌なもんは嫌だもん。どうしてうちの大事なものを、国のためだからってあげなきゃならないの?」
「リンクル.....」
ルリハは困惑と同情がないまぜになった感情で胸が一杯になった。だが廷臣は容赦しない。
「この娘は何を言っているのだ!国の危機だぞ!たかが村娘の情など――」
「おやめなさい」
その時、ずっと黙っていたゼルダ女王が軽く手を上げた。喋っていた廷臣は雷に打たれたように固まった。
「古来より、王家といえども法律で定められた税以外の手段で庶民の財物をかすめ取ることが許されたためしはありません。民が自ら捧げるのでなければ、渡すよう強要することは大きな罪です。違いますか?」
女王の声は低く、澄んでいて、途方もない威厳があった。廷臣は額から汗を流しながら頭を垂れた。一同は皆、身じろぎもしない。
「コッコル村のリンクル。私から事情を説明します」
女王は口を開いた。リンクルは思わず居住まいを正して相手を見つめた。
「今、彼は『国の危機』と申しました。この表現に嘘偽りはありません。いま、ハイラル王国は危機に見舞われようとしています」
女王の声が部屋に響く。
『国の危機』。ルリハの胸にはさきほどのルダの言葉が蘇ってきた。
「魔王が倒れてより16年が経ち、国は再建されたかに見えました。ですが、魔物は再び跋扈するようになり、国の各所で民を脅かしています」
女王がシャッド博士に手振りで合図すると、博士は急いで自席に戻り書類を何枚かカバンから取り出した。
「それだけではありません。かの男......ノクス博士は長年の研究を通じて、おぞましき怪物を生み出そうとしてきました。魔物の増加と軌を一にするように、博士の研究の産物もその凶悪さと力を増したのです」
博士がリンクルに近づいてきて書類を見せた。
「これさ。ノクス博士は魔物と人間のハイブリッドの研究に取り憑かれていたんだ。そしてその集大成として『魔王復活計画』を目論んでいた」
「魔王....復活....?」
横で聞いていたルリハは驚愕に目を丸くした。
「ハイブリッドを禁じる法律ができてからも、彼は研究を続けたことで逮捕され投獄されたんだ。その際の家宅捜索で発見されたのがこの計画書さ。そしてこの計画によれば、ハイラルの三地方に所在しているはずの三箇所の『培養場』を見つけ出し、その場所で『魔王の胚』を製作する」
ルリハとリンクルは互いに顔を見合わせた。だがルリハは疑問を口にした。
「でも...逮捕されたのにどうして今朝町にいたんでしょうか?」
「脱獄さ」
博士は苦い顔をして答えた。
「ある時、牢獄が謎の男たちに襲撃された。痩せていて背が高く、獣のように鋭い鉤爪を持っていた。しかも、何度剣で斬られても倒れないタフさだ。奴らは兵士たちを殺し博士の牢を破ったんだ」
シャッド博士は、リンクルの手にある書類から一枚を抜き出すと示した。
「これは、『培養場』が所在すると考えられている地域の大まかな図だよ。実は正確な所在地はいまだに分かっていない。何しろ、ハイラル人によって造られたものではないから、歴史に残っていないんだ」
「ハイラル人によって造られたものではない...?どういうことなのかしら」
それまで黙っていたルダが怪訝な顔で呟いた。するとシャッドが答えた。
「造ったのは『影の王』ことザントさ。魔王の指示に従ってね。彼の肉体を蘇らせるために」
「娘、もう分かっただろう。このままでは魔王が復活し、王国は破滅してしまう。助けると思って協力するのだ」
最初の廷臣がやや穏やかな声で話しかけた。リンクルはしばらく迷った挙げ句、こう答えた。
「じゃあ....うちが一緒に行く」
「なに?」
廷臣が素っ頓狂な声を上げた。
「うちが一緒に行く。それでそのなんとか場を一緒に探せばいいんでしょ?」
リンクルは迷いのない語調で答えた。すると廷臣は慌てた様子で遮った。
「な...何を申すか。そのほうはまだ子供ではないか。危険過ぎる!」
「.....でも....コンパスは渡せないもん。おばあちゃんの形見だから。でも一緒に行くなら...貸すよ」
リンクルは言った。廷臣は困り果てた様子で目を白黒させるばかりだった。
「これで決まり、ということでよろしいか。各々方」
やや間を置いてアッシュが声をかける。わずかにさざめきが広がったが、廷臣たちは皆同意を示すように頷いた。
「仕方あるまい」
「アッシュ少佐がいれば間違いはなかろう」
シャッドは微笑むとリンクルに手を差し出した。
「というわけだね。よろしく頼む。アッシュがついていれば安心していいよ」
「う...うん。わかった。おじさん。じゃなかった、博士」
リンクルも手を握りながら答える。
「ところで実はリンクル、君のお父さんは僕の大学の時の.....」
シャッドは一呼吸置くと、話し始めた。だがその瞬間だった。
「緊急事態です!緊急事態です!」
兵士たちの慌てた声が近づいてくる。階段を慌ただしく駆け上って来る音も聞こえた。
「緊急事態です!鬼の群れが大量発生し、町に侵入しようとしています!」
ドアを激しく開け放って転がり込んできた兵士が叫んだ。
「な....なんだと!」
廷臣の一人が立ち上がる。するとアッシュは腰の剣を抜いてその刃を素早く点検し、彼に言った。
「長官殿。大隊の出撃許可を」
「う...うむ」
長官と呼ばれた身なりの良い男が額に汗を浮かべながら答える。アッシュは足早に戸口に向かいながらリンクルとルリハに声をかけた。
「貴女らはここに居られよ。安全のためだ」
ルリハは部屋を出ていくアッシュの背中を見送りながら思った。
『国の危機』はもうすぐそこまで来ているのだ。