## 第8話:文化祭、束の間の協奏曲
全国大会への切符を掴み取り、北宇治吹奏楽部が沸き立っていた九月。校内はコンクールの緊張感から一転して、文化祭の浮き足立った空気に包まれていた。
「久美子、これ……どう思う?」
教室の隅で、私は自分のクラスの出し物である『喫茶店』の衣装を広げて溜息をついた。二年生の私たちのクラスは、あろうことか「執事&メイド」というベタなコンセプトを選んでいた。
「似合ってるよ、麗奈。……でも、私のこれ、フリル多すぎない?」
「久美子こそ、普段より大人っぽく見えるわよ。……それより、あっち」
麗奈が顎で示した先――廊下の方が、何やら女子生徒たちの悲鳴に近い歓声で騒がしい。
「キャーッ! 如月くん!」「こっち向いてー!」
そこにいたのは、隣のクラスの出し物である『演劇』の衣装に身を包んだ**響くん**だった。
---
### 1. 王子様の「受難」
「……あはは。久美子ちゃん、麗奈ちゃん。……助けて」
人混みをかき分けてこちらに逃げてきた響くんを見て、私は思わず絶句した。
白い軍服風のジャケットに、金色の肩章。少し長めの前髪をサイドに流し、額を出したその姿は、まさに中世の王子様そのものだった。
「……響くん。それ、反則だよ」
「演劇部の助っ人でさ、どうしてもって頼まれちゃって。……でも、こんな格好で歩くの、恥ずかしくて死にそうだよ」
響くんはいつものように困ったような眉を浮かべているけれど、その「困り顔」さえも、周囲の女子たちには可憐な魅力に映っているようだった。
「如月。……あんた、その格好でホルン吹くつもり? ベルに袖の飾りが当たって雑音が出るわよ」
「麗奈ちゃん、そこ!? ……でも大丈夫、本番は着替えるから」
吹奏楽部としてのステージも控えている。コンクールという極限の勝負から離れ、学園祭という日常に戻った響くんは、どこにでもいる「少し目立ちすぎる高校生」の顔をしていた。
---
### 2. 模擬店と「四人の時間」
午後の自由時間。私と麗奈、そしてクラスの仕事を終えた秀一と響くんの四人で校内を回ることになった。
「ほら、秀一。口の横にソースついてる」
「あー、わりぃ。……つーか、響。お前さっきから女子に囲まれすぎだろ。焼きそば買うだけで三十分かかるとか、どんなアイドルだよ」
「僕だって並びたかっただけなんだけどな……。はい、これ、久美子ちゃんの分のタピオカ」
響くんが差し出してくれたカップを受け取る。
「ありがとう、響くん。……なんだか、不思議だね。つい数週間前までは、あんなにピリピリして楽器を吹いてたのに」
「……そうだね」
響くんは、少しだけ遠くの山を眺めるように目を細めた。
「でも、こういう時間が、僕にはすごく新鮮なんだ。……シュヴェフィルにいた頃は、音楽以外の時間は全部『練習のための休息』でしかなかったから。……久美子ちゃんたちと、こうしてどうでもいい話をしながら歩くのが、今の僕には一番の贅沢だよ」
「……響くん」
彼の言葉には、嘘偽りない実感がこもっていた。
孤独な天才として育てられた彼が、北宇治という「普通の高校」で見つけた、かけがえのない安らぎ。
「……ふん。浮かれるのは今日だけにしなさいよ。明日からはまた、滝先生の地獄の合奏が始まるんだから」
麗奈がストローを噛みながら釘を刺す。
「わかってるよ、麗奈ちゃん。……でも、今の僕は、この『楽しい』っていう気持ちを音に乗せられる気がするんだ」
---
### 3. ステージ、そして「束の間の協奏曲」
文化祭のメインイベント、吹奏楽部の体育館公演。
コンクールの曲とは違い、ポップスや映画音楽が中心のプログラム。
響くんは王子様の衣装を脱ぎ、いつもの北宇治の制服姿でステージに立っていた。
けれど、彼がホルンを構えた瞬間、体育館の空気が一変した。
一曲目の『宝島』。
響くんのホルンが、太陽のような明るい音色でメロディを奏でる。
それはコンクールの時の「黄金の咆哮」とは違う、弾けるような、弾むような、心からの「喜び」に満ちた音だった。
秀一のトロンボーンがそれに答え、麗奈のトランペットが華やかに舞い、私のユーフォニアムが底からリズムを支える。
部員全員が、笑顔で、体を揺らしながら吹いている。
「(……ああ。これが、私たちの『音楽』なんだ)」
客席で見ている生徒たちも、手拍子を送り、歓声を上げている。
専門的な評価も、首席の座も、父の叱責も関係ない。
ただ、目の前の誰かを笑顔にするために音を出す。その根源的な楽しさを、響くんは今、誰よりも全身で表現していた。
演奏が終わった後。
アンコールの拍手の中で、響くんは私と視線を合わせ、誇らしげにホルンを掲げた。
それは、どんな華やかな王子様の衣装よりも、ずっと彼を輝かせて見せた。
夕暮れの体育館裏。
「……楽しかったね、久美子ちゃん」
「うん。……最高の文化祭だったよ」
束の間の協奏曲は終わり、明日からは再び、全国大会という「夢の続き」へと向かう日々が始まる。
けれど、今日この場所で共有した「楽しさ」という魔法は、私たちの音の中に、消えない輝きとして刻まれたはずだ。
「……次は、名古屋だね。響くん」
「うん。……行こう、全国へ」
二人の影が、オレンジ色の校庭に長く伸びていく。
北宇治高校吹奏楽部、黄金の二年生たちの物語は、いよいよ最終章へと加速していく。
---
【第9話:孤高の冬、全日本ソロコンへの道】へ続く