ライフイズストレンジ Life is Strange 作:しゃちまる
ツー・ホエールズ・ダイナーを後にした私たちは、ジョイスの心配そうな視線を背に、逃げるように水色のトラックへと乗り込んだ。
エンジンが低く唸りを上げ、ワイパーがフロントガラスの雨粒を乱暴に弾き飛ばす。クロエは無言のままアクセルを深々と踏み込み、トラックはタイヤを滑らせながら駐車場を飛び出した。
車内は、息が詰まるような沈黙に支配されていた。
カーステレオの電源は切られたままで、ただ雨音とエンジンの駆動音だけが、私たちの間にある重苦しい空気をかき混ぜている。
私は助手席で丸くなり、冷え切った両手を擦り合わせた。鼻血はもう止まっていたが、口の奥にはまだ微かにサビのような鉄の味が残っている。頭蓋骨の裏側にへばりついたような鈍痛は、私が『タイムグリッチ』という限界を超えた負荷を脳に強いた代償だった。時間を巻き戻す魔法は、無尽蔵ではない。その絶対的な事実が、冷たい恐怖となって背筋を這い上がってくる。
しかし、隣でハンドルを握るクロエの心境は、私の肉体的な苦痛など比較にならないほど荒れ狂っているはずだった。
彼女の視線は前方の道路に固定されているものの、その瞳孔は激しく揺れ動き、行き場のない怒りと混乱が、血の気の引いた横顔に色濃く滲んでいた。
フランクの腕にあった、レイチェル・アンバーの腕輪。
クロエにとって、レイチェルは単なる親友ではなかった。五年前に私が彼女を置いてアルカディア・ベイを去り、ウィリアムという最愛の父親を亡くして暗闇の底にいた彼女を、唯一光の当たる場所へ引っ張り上げてくれた「天使」だ。
そのレイチェルの分身とも言える腕輪を、なぜ、アルカディア・ベイの底辺を這い回る麻薬の売人が身につけていたのか。
「……着いたぞ」
不意にクロエが低い声で呟き、トラックのブレーキを踏んだ。
フロントガラスの向こうに現れたのは、高くそびえ立つ有刺鉄線のフェンスと、錆びついた巨大な鉄の門だった。門の上には、色褪せたペンキで『アメリカン・ラスト(American Rust)――自動車スクラップ場』と書かれた看板が掲げられている。
「ここって……」
「アタシの秘密基地(セーフハウス)。……いや、あたしととレイチェルの、ね」
クロエはエンジンを切り、トラックのキーを乱暴にポケットにねじ込んだ。
私たちはトラックを降り、雨に濡れたスクラップ場へと足を踏み入れた。
そこはまさに、鉄屑の墓場だった。何百、何千という廃車が、まるで近代のピラミッドのように高く積み上げられ、雨に打たれて赤茶色の涙を流している。ひしゃげたドア、割れたフロントガラス、油と泥と錆の匂い。
アルカディア・ベイという町が吐き出した不要物が、すべてここに集められているようだった。社会から弾き出され、デイビッドのいる家にも居場所がなかったクロエが、ここを隠れ家に選んだ理由が痛いほどよく分かる。
迷路のように入り組んだ廃車の山を抜け、一番奥まった一角にたどり着いた。
そこには、トタン屋根と廃材、そして古い列車の車両を組み合わせて作られた、小さな掘っ立て小屋があった。
クロエは南京錠を外し、軋むドアを蹴り開けた。
小屋の中に入ると、雨音はくぐもった響きに変わった。
薄暗い空間に、ランタンのスイッチを入れる。オレンジ色の光が浮かび上がらせたのは、ゴミ捨て場という外観からは想像もつかない、驚くほど生活感のある「部屋」だった。
持ち込まれた古いソファ、空のビール瓶、レコードプレーヤー。壁には無数のグラフィティがスプレーで描かれ、その中央には大きく『CHLOE WAS HERE(クロエ参上)』という文字があり、そのすぐ隣に、それより少し丸みを帯びた赤い文字で『RACHEL WAS HERE TOO(レイチェルもね)』と書き足されていた。
「座りなよ。ちょっと冷えるけど」
クロエはソファを顎でしゃくると、自分は部屋の隅にある古いトランクケースの前にしゃがみ込んだ。
私はソファの端に腰を下ろし、部屋の至る所に残された「消えた少女の残香」を見つめた。
壁に貼られた何枚ものポラロイド写真。そこには、金髪の美しい少女が、クロエと一緒に無邪気に笑い合っている姿が写っていた。ブラックウェル高校のチアリーダーであり、演劇部のスターだったレイチェル・アンバー。
写真の中の彼女は、私が知っているかつてのクロエのような、太陽のような眩しい笑顔を浮かべている。この狭く薄暗い廃材の部屋の中で、二人だけで世界を敵に回して生きているような、危うくも純粋な絆がそこにはあった。
「……あいつ、嘘をついたんだ」
静寂を破ったのは、クロエの絞り出すような声だった。
彼女はトランクケースを開け、その中に大切にしまわれていたレイチェルの衣服や小物を、一つ一つ愛おしそうに、そして憎々しげに撫でていた。
「フランクの野郎、自分がレイチェルと親密だったなんて抜かしやがった。ありえない。レイチェルが、あんなヤクの売人のクズと付き合うわけがない。あいつはレイチェルの腕輪を奪ったんだ。……きっと、金か何かのトラブルで」
「クロエ……」
「でも……」
クロエの肩が、小刻みに震え始めた。
「もし、あいつの言葉が本当だったら? 私が、何も知らなかっただけだとしたら?」
彼女はトランクの中から、一枚の紙切れを取り出した。それは、レイチェルが失踪する直前にクロエに宛てた短い手紙だった。
「レイチェルは私に、『天使じゃない誰かに出会った』って言ってた。この町を出るための計画があるって。私はずっと、その『誰か』ってのはロサンゼルスのモデル事務所の人間か何かだと思ってた。でも、もしそれが……クスリの売人だったとしたら?フランクの野郎だとしたら?」
クロエは手紙を握りしめたまま、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
彼女の目から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
「レイチェルは私に隠し事なんてしないはずだった。私たちは、すべてを共有してたんだ。……なのに、どうしてあんなクズが彼女の腕輪を持ってやがる。彼女は今、どこにいるんだよ……!」
悲痛な叫びが、トタン屋根の小屋の中に反響した。
私はたまらず立ち上がり、彼女の隣に膝をついて、その細く震える肩を強く抱きしめた。
冷たい革ジャンの感触越しに、彼女の心の奥底が完全にへし折れていく音が聞こえるようだった。父親を失い、私に去られ、そして最後に残ったレイチェルまでが、自分の知らない「別の顔」を持っていたかもしれないという絶望。
「ねえクロエ、聞いて」
私は彼女の背中を撫でながら、静かに、しかしはっきりと言葉を紡いだ。
「レイチェルがあなたを裏切ったなんて、絶対に思わない。あの写真の笑顔を見れば分かる。彼女にとって、あなたは間違いなく特別な存在だったよ」
「……でも、腕輪はあいつの手の中にあった」
クロエは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「だから、調べるしかないんだよ」
私は彼女の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「フランクがどうやってあの腕輪を手に入れたのか。レイチェルとどんな関係があったのか。そして、レイチェルが今どこにいるのか。……泣いてるだけじゃ、何も解決しない。私たちが、真実を見つけ出すの」
「真実を……私たちで?」
「そう。ネイサンの銃だって、私が非常ベルを鳴らして止めたでしょ? タイムグリッチで頭は痛いけど、私はまだ時間を戻せる。この力があれば、鍵の掛かったドアの向こう側だって、隠された嘘の裏側だって、絶対に暴き出せるはずだから」
私の言葉に、クロエは驚いたように目を見開いた。
臆病で、いつもカメラのファインダー越しに世界を観察してばかりだった私が、自ら泥沼に足を踏み入れる決意を口にしたことが信じられなかったのかもしれない。
でも、これは私自身の贖罪なのだ。
五年前、私は彼女の手を引いて暗闇から連れ出してあげることができなかった。その代わりを、レイチェルが担ってくれた。なら今度は、私が彼女たちのために戦う番だ。たとえこの脳が焼き切れることになろうとも。
「……フランクのキャンピングカーに、証拠があるかもしれない」
クロエは腕で乱暴に涙を拭い、鼻をすすりながら言った。その声に、かすかな闘志が戻ってきている。
「あいつ、いつもポンゴっていうデカい犬をキャンピングカーの前に繋いでるの。近づけば確実に吠えられるし、あいつはヤバい連中とも繋がってる。……マックス、本気なの? バレたら、ただじゃ済まないわよ」
「本気だよ。クロエのポケットのレシートを言い当てた『預言者』を信じなさい」
私はわざとふざけた調子で言い、クロエの手を握って立ち上がらせた。
「……バカ。スーパーマックスのくせに」
クロエは今日初めて、皮肉ではない、少しだけ歪んだ本心の笑顔を見せた。
「分かった。レイチェルを見つける。ネイサンの野郎が隠してることも、フランクの腕輪の秘密も、全部私たちの手で暴いてやる。……相棒(パートナー)」
彼女は差し出した右手を、私の右手と強く握り合わせた。
小屋のトタン屋根を打つ雨音は、いつの間にか少しだけ弱まっていた。
私たちは今、ただの高校生という安全な枠組みを完全に踏み越えた。アルカディア・ベイという呪われた町に隠された、巨大な嘘と暴力の渦の中へ、自らの意思で飛び込もうとしている。
その代償がどれほど恐ろしいものになるのか、この時の私たちはまだ、何も知らなかった。