ライフイズストレンジ Life is Strange 作:しゃちまる
季節外れの雪は、私たちの沈黙を真っ白に塗りつぶすように降り続いていた。
クロエの運転する水おんぼろののトラックが、ブラックウェル高校の女子寮――皮肉なことに「プレスコット寮」という名前がついている――の駐車場に滑り込んだ。
ワイパーが、フロントガラスに積もりかけた雪を重たげに拭い去る。ゴムが擦れる「ギュッ、ギュッ」という単調な音が、車内に奇妙な安堵感をもたらしていた。
暖房の効いた車内と、窓の外の凍えるような世界。その薄いガラス一枚の境界線が、今の私とクロエが共有している唯一の安全地帯だった。
「クロエ……送ってくれてありがとう」
私はシートベルトを外し、助手席のドアノブに手をかけた。
「いいよ別に。どうせこっちも帰り道だし」
クロエはハンドルに肘をつき、相変わらずのぶっきらぼうな口調で答えた。しかし、夕暮れの灯台で見せたあの痛切な涙の跡は、もう彼女の顔からは消えていた。ただ、微かに赤くなった目元だけが、あの時間が幻ではなかったことを証明している。
「クロエ」
私はドアを開ける前に、もう一度彼女の方を見た。
「さっきの話……時間を巻き戻せるって話、信じてくれなくていい。でも、私が見たあの竜巻のヴィジョンは、どうしてかはわからないけどただの夢じゃない気がするの。この雪だって、絶対に普通じゃない。だから……クロエ……気をつけてね」
「気をつけるって、竜巻に? それともネイサンにか?」
彼女は片方の眉を上げた。
「……両方に」
私は静かにそう言った。
「了解。まあ、あのプレスコットのクソ野郎に関しては、アンタこそ気をつけなよ。トイレでベルを鳴らしたのがアンタだってバレたら、ただじゃ済まないだろうから。なんせあいつは銃持ってるしな。」
クロエはそう言うと、ダッシュボードから無造作にポラロイドカメラを掴み上げた。
それはクロエの父、ウィリアムの形見のSX-70ではなく、私が彼女の部屋に置き忘れていた、私のスペクトラだった。
「ほら、これ。忘れ物」
「あっ、ごめん。ありがとう」
受け取ろうと手を伸ばした瞬間、彼女はふいっとカメラを引っ込め、レンズを私に向けた。
「マックス、ちょっと動かないで」
――カシャッ。
不意打ちのフラッシュ。
私は思わず目を細め、手で顔を庇った。
「ちょっと、クロエ!今の絶対変な顔してたよ私!」
「仕返し。アンタ、五年ぶりに再会した親友の写真を一枚も撮ってないでしょ? 写真家失格ね」
彼女はジージーと吐き出された黒いフィルムをヒラヒラと振り、楽しそうに笑った。今日一番の、昔のままの無邪気な笑顔だった。どこか二人の間にあった五年間のうちにできたわだかまりがほとんど消えたような気がした。
「また明日、学校でな。マックス」
「……うん。また明日」
私はトラックを降り、冷たい雪が舞い散る中へ足を踏み出した。
重いドアが閉まり、トラックは独特の低いエンジン音を響かせながら、雪の闇の中へと消えていった。テールランプの赤い光が完全に見えなくなるまで、私はその場に立ち尽くしていた。
プレスコット寮の廊下は、嫌になるほど平和だった。
ドアの向こうから漏れ聞こえる誰かの笑い声、アコースティックギターの拙い弾き語り、電子レンジが鳴る音。
外で季節外れの雪が降っていることなど、そしてアルカディア・ベイの全滅を告げる巨大竜巻が迫っているかもしれないことなど、誰も気にかけていない。この温室のような空間で、彼女たちはそれぞれの小さな悩みに没頭している。
自分の部屋――219号室のドアを開け、鍵をかける。
安堵の溜息が、白い息となって部屋の空気に溶けた。
ベッドの上に鞄を放り投げ、ずぶ濡れのパーカーを脱ぎ捨てる。壁に貼られた写真たち、窓辺で静かに息づく観葉植物のリサ、そして机の上に置かれた日記帳。
私は暖房のスイッチを入れ、椅子に深く腰を下ろした。
引き出しからペンを取り出し、日記帳を開く。
手首が、そして右の手のひらが、微かに熱を持っている気がした。
時間を巻き戻す力。
頭の奥で、まだあの「世界が砕け散る」時の金属音と、強烈な鉄の味がフラッシュバックする。私は震える息を吐き出し、白いページに向かってペンを走らせた。
10月7日(月) 夜
狂気の一日が、ようやく終わろうとしている。
いや、終わっていない。外ではまだ、10月だというのに信じられないような雪が降り続いている。
灯台の丘の上で、私は再びあの悪夢を見た。
すべてを破壊し、飲み込み、無に帰す巨大な竜巻。
あれが単なる私の脳のバグなのか、それとも近い未来にアルカディア・ベイを襲う「現実」なのかは分からない。でも、顔に当たった雪のあの冷たさは、間違いなく本物だった。
私は今日、時間を巻き戻した。
自分の意思で、物理法則を捻じ曲げた。
授業での恥ずかしい失敗を帳消しにするため。
そして何より、クロエの命を救うために。
彼女は信じてくれなかった。「魔法なんて信じる子供じゃない」と笑い飛ばされた。当然だ。私だって、自分がこんな力を持っているなんて信じられない。
でも、私は確かに見たのだ。
ネイサンの放った銃弾がクロエの腹部を貫き、彼女が冷たいタイルに倒れ込む、あの血の海に染まった「もう一つの現実」を。
時間を戻せば、悲劇は回避できる。
私が選択を変えれば、世界線は枝分かれし、新しい未来が構築される。
まるで、神様にでもなったような万能感。
でも、その裏側に張り付いている絶対的な恐怖を、私はどうやって飼いならせばいいのだろう?
カオス理論。バタフライ・エフェクト。
一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所で竜巻を起こすという気象学の理論。
もし、私が今日、女子トイレでクロエの命を救ったこと――運命によって定められていた彼女の「死」を、強引に「生」へと書き換えたこと――その選択自体が、あの巨大竜巻を引き起こす原因(バタフライ)なのだとしたら?
私が彼女を救えば救うほど、この町は破滅へと近づいていくのだとしたら?
……考えないようにしよう。今はまだ。
いくら深い考察を巡らせても、答えは出ない。
ただ一つだけ確かなことは、五年前、傷ついた彼女を置いて逃げ出した臆病な私は、もうどこにもいないということだ。
私はアルカディア・ベイに戻ってきた。
クロエは今、生きて、私の手の届くところにいる。
彼女の棘だらけの言葉も、タトゥーも、煙草の匂いも、すべてが彼女がこの五年間を生き抜いてきた証だ。
どんな代償を払うことになろうとも。
どれほど巨大な嵐が、この町を飲み込もうと迫ってこようとも。
私はもう、二度と彼女から逃げない。
私に与えられたこの呪いのような力が、彼女を守るための盾になるのなら、私は何度でも時間を巻き戻す。何度でも、何度でも。
10月8日(火) 深夜
窓の外では、昨日の狂ったような雪が嘘だったかのように、冷たく静かな雨が降っている。
眠れない。目を閉じると、今日寮のシャワールームで見かけたケイト・マーシュの、ひどく痩せ細った背中がフラッシュバックする。
シャワーの水音で必死に誤魔化していたけれど、彼女は泣いていた。肩を震わせ、まるで自分の皮膚にこびりついた何かひどく汚れたものを、削り落とそうとするかのように。
これからのこと、そして私が何をすべきかを整理するために、ケイトについて書き留めておかなければならない。彼女は今、崖の縁に立たされている。
ケイト・マーシュ(Kate Marsh)
このブラックウェル高校という、見栄と欲望が渦巻く毒々しい水槽の中で、ケイトは唯一の清らかな水草のような女の子だ。
いつも聖書を持ち歩き、「純潔クラブ(禁欲クラブ)」に入っていて、チェロを弾く。ウサギのアリスを溺愛していて、温かいハーブティーの淹れ方を知っている。私がシアトルからこの学校に転校してきて、周囲の誰もが敵に見えていた時、最初に優しい言葉をかけてくれたのは彼女だった。
でも、今のケイトは完全に「ピンボケ」してしまっている。
あの優しかった微笑みは消え失せ、目の下にはひどい隈ができている。廊下を歩く時はいつも俯き、誰とも目を合わせようとしない。まるで、自分という存在をこの世界から少しずつ消し去りたがっているみたいに。
原因は分かっている。あの「動画」だ。
先週末、校内を牛耳るボルテックス・クラブのパーティがあった。普段なら絶対にそんな場所に行かないケイトが、なぜかその日に限って参加してしまった。
そして翌日、一本の動画が学校中の生徒のスマートフォンにばら撒かれた。
薄暗い部屋の中で、見知らぬ複数の男たちに囲まれながら、普段の彼女からは想像もつかないようなふしだらな振る舞いをしているケイトの姿。
ビクトリア・チェイスとその取り巻きたちは、水を得た魚のように彼女を嘲笑っている。彼女たちが流した「ケイトのやつ、純潔なクリスチャンぶってるくせに、実は一番のビッチだった」という噂は、またたく間に学校中を蝕んだ。
今やケイトの部屋(222号室)の横にあるホワイトボードには、毎日卑猥な落書きや中傷が書き込まれ、ネットの裏掲示板は彼女を非難する言葉で溢れかえっている。
さらに最悪なことに、警備主任のデイビッド・マドセンまで、彼女がクスリをやっていると疑い、執拗に追い回して尋問を繰り返しているのだ。
おかしい。絶対に何かがおかしい。
動画の中のケイトの目は、焦点が合っていなかった。あれは彼女の意志じゃない。誰かにクスリか何かを盛られ、無理やりあんな状態にされたに決まっている。
なのに、誰も真実を見ようとしない。みんな、清廉潔白だった「天使」が泥の中に引きずり降ろされるのを見て、ただ楽しんでいるだけなのだ。人間の悪意の群れほど、恐ろしいものはない。
私はどうすればいい?
昨日、私は時間を巻き戻して、トイレでクロエを銃弾から救った。
でも、私の力は「今」からほんの少しだけ過去に戻れるだけで、ケイトが傷ついた「あのパーティの夜」までは戻れない。それに、すでにネットの海に拡散されてしまったデジタルな悪意を、時間を巻き戻して消去することなんて誰にもできない。
彼女の虚ろな目を見ていると、胸が締め付けられる。
私が声をかけたら、彼女は心を開いてくれるだろうか? 何もできずにただ遠くから見ているだけの私なんて、ビクトリアたちと同じ「傍観者」という名の加害者でしかないんじゃないか?
怖い。関わることで、私まであの悪意の標的にされるのが怖い。
でも、彼女が一人で部屋のベッドにうずくまり、泣きながらお祈りをしている姿を想像すると、自分をひどく恥じたくなる。
この力を手に入れたのは、クロエを救うためだけじゃないはずだ。
明日。明日、勇気を出して彼女を部屋でのお茶に誘ってみよう。
私にできるのは、ただ彼女の隣に座って、誰も味方がいないわけじゃないと伝えることくらいしかないのだから。
……手遅れになる前に。
ペンを置き、私は深く息を吐き出した。
文字にすることで、自分の中の混沌とした感情が、少しだけ輪郭を持った気がした。
椅子から立ち上がり、窓辺へと近づく。
ガラス越しに冷気が伝わってくる。
キャンパスの街灯に照らされて、真っ白な雪が音もなく降り積もっていた。
それは美しく、そして致命的なほどに不吉な光景だった。
この雪の下で、ネイサンはどんな狂気を孕んで息を潜めているのだろう。
灯台の丘で見たあの竜巻は、今どこで生まれようとしているのだろう。
そして、私の親友は、どんな夢を見ているのだろう。
私はガラス窓にそっと額を押し当て、目を閉じた。
嵐は、まだ始まったばかりだ