ハセオ草紙!~銀のスプーンを守る大食い美少女と同居して格ゲーで世界を救います~ 作:兵藤晴佳
こういうやり取りだけしていると、佐藤一郎もヒマ人に見えるが、そこは巨大コングロマリット「アルファレイド」の末端社員だ。
〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のお披露目を控えて、あちこち走り回らなければならない。
そんなわけで、いっぺん来たら、しばらく顔を見せることはないだろう。
僕は僕で、バイト先で時間をもらっては、筐体に向かう日々を過ごした。
それでも、ジークフリートの「
当日を翌々日に控える頃には、いい加減、気分も沈んできた。
そのうえ、板野さんは入院してから連絡がつかない。
チャットの画面は、〈ワールド・タイトルマッチ〉が終わってすぐ送った僕のメッセージで止まっている。
……勝ったよ!
今朝、返事がないのを確かめてから向かうバイト先への道は、曇り空の下だった。
朝のひんやりとした空気は、いささか湿っぽくなっていた。
僕に寄り添って歩く紫衣里がつぶやいた。
「秋が近いね」
もうすぐ、夏が終わる。
それは、紫衣里との生活の新たな局面を意味する。
たとえアルファレイドの籠の鳥になろうと、負けるわけにはいかない。
そう心を決めて「フェニックスゲート」に足を踏み入れると、店長がいそいそと駆け寄ってきた。
「実はね、言いにくいんだけど、英輔君……」
開店前なのにひそひそと囁いた一言に、ぼくはつい大声を出した。
「バイトをやめた……板野さんが?」
詰め寄るところに二歩も三歩も引いてたじろぐ店長との間に、普段は知らん顔をしている紫衣里が割って入る。
そのくらい、僕は逆上していた。
めっ、という顔をする黒髪の美少女の後ろで、店長は丸めた背中を弾ませながらようやく顔をのぞかせて答えた。
「まあ、修学旅行はキャンセルしないで済んだことだし……」
それならそれで、チャットの返事くらいくれてもよさそうなものだ。
今日の対戦相手は、旧約聖書の英雄「怪力サムソン」だ。
ユダヤの神に祝福された無敵の勇者で、獅子も千人の軍勢も敵わない。
「
長い髪の房が揺れると、金色の粒子が舞い上がる。
先の膨らんだ棍棒を手に、光る髪の残像を引いて突進してくる巨体は、速い。
ここは、反撃技だ。
「
金色の光と共に棍棒の一撃を受け止めたバルムンクが、反撃斬りを放つ。
サムソンの気力ゲージ「祝福」が一気に下がる。
今だ!
牽制から中段の水平斬り、大振りの一撃を食らわしたところで、「
背景に現れた竜の咆哮と共に、閃光を放つ4連コンボが決まった。
第1ラウンドに勝ったところで、ふと雑念が浮かぶ。
……勝ったんだから、修学旅行費は出たはずだ。
第2ラウンドで先制攻撃を食らったのは、その報いだ。
サムソンの手の中に現れたロバの顎骨が巨大化する。
「
風を切る鋭い音をたててロバの顎骨を振り回すたびに、地面を割った衝撃波が砂埃を舞い上がらせる。
その連続ヒットに、倒れた兵士の幻影が何度となく浮かび上がった。
もっとも、そこは「
体力低下は避けられたが、「竜の血」ゲージは減っていく。
それでも、僕の心は板野さんへと飛んでいた。
……アルバイトを続ける理由はなくなる。
ロバの顎骨を投げ捨てたサムソンがジークフリートに掴みかかる。
「
画面が白くフラッシュして衝撃波が広がり、ジークフリートの身体は粉々に吹き飛ばされた。
だが、この負けは悔しくない。
問題は、板野さんがいつ退院できるかだ。
修学旅行は10月だと聞いている。
交通事故だったというが、重いケガだったら、せっかくの修学旅行が再び幻に終わる。
入院先もわからないので、見舞いようもない。
悶々と考えていると、紫衣里が僕の傍らに立っていた。
「だいたい分かる……何考えてるか。でも」
その通りだ。
板野さんの戦いは終わった。
今は、僕の戦いに集中しなければならない。
第3ラウンドが始まった。
……今度こそ、「
画面を見つめて、サムソンの次の攻撃を読む。
牽制の棍棒を見切って、バルムンクで弾き返す。
「バルムンク連撃《ライゲン》!」
高速の刃が何度となく巨体を切り刻み、最後の一撃が真っ向から振り下ろされる。
大きなダメージに怯んだ隙を突いて、衝撃波のお返しを見舞う。
「
もんどりうって弾け飛んだところを抱きとめて、自分の身体ごとバルムンクで貫く。
「
爆発的に吹き上がる血と共に宙に舞ったサムソンは、地面に叩きつけられる。
お互いのダメージは70%に達したが、望むところだ。
30%を切った体力に、必殺技の3ヒットコンボ。
……あとは、サムソンが立ち上がったところで「
だが、背景は一瞬で巨大な神殿に切り替わった。
立ち上がったサムソンが両手で押し広げるた柱は、ヒビが入り、光が漏れ出す。
「
轟音と共に、地響きを立てて神殿全体が崩落した。
瓦礫に打ちのめされたジークフリートもまた光の中に消える。
いつのまにか勝負に見入っていた客たちが、重い溜息をついた。
しかし、神罰を思わせる重いエコーは、いつまでも消えない。
勝負の最中に板野さんのことを考えていた僕を責め立てるように……。
もっとも、それはゲームが終わっていないことも意味する。
虚脱状態で立ち尽くすサムソンの前に、ジークフリートがゆっくりと歩み寄る。
発動はしなかったが、「
「
まっすぐ突き出されたバルムンクが、サムソンの胸板を貫く。
店中に拍手が響き渡ったが、僕は筐体から離れた僕は、満足げに客の顔を見渡す店長の目の前に立ちはだかった。
「教えてください、星野さんの携帯番号」
「連絡がつかないんだよ、実は」
目を伏せたまま、大丈夫じゃないか、と付け加えはしたが、胸騒ぎがしてならない。
そのやりとりを黙って見ていた紫衣里は、僕が仕事に戻ると再びそばに寄り添った。
一言だけ、囁く。
「お願い……二人きりでいたいの、明日だけは」
考えてみれば、〈リタレスティック・バウト・ザ・ビヨンド〉のお披露目が終わっても、そんな機会はいくらでもあるはずだった。
それでも店長には、バイトがいなくなるとわかっていながら、無理を言って休みをもらった。
シフトは明るいうちに終わったが、紫衣里と帰る道の空は、今朝にも増して厚く曇っていた。
下宿に帰ってテレビを見ると、明日の天気は雨だった。