ハセオ草紙!~銀のスプーンを守る大食い美少女と同居して格ゲーで世界を救います~   作:兵藤晴佳

73 / 94
女王の帰還

 店の自動ドアが開いたときの、軽やかな電子音が鳴り響いた。

 それが止まないうちに、明るい声が呼びかける。

「こんにちは……長谷尾さん」

 ポスターを貼り換える手を止めて振り向く。

 胸の前で手を振っている、小柄な女の子がいた。

 板野さんだった。

 少し照明を落とした店内に、白のスニーカーが映える。

 白のブラウスと、フレンチスリーブからのぞく腕の素肌が眩しい。

 淡いデニムのロングスカートを揺らして、小走りに駆け寄ってきた。

 僕はポスターの裏側てっぺんから剥離紙をめくって、壁に固定する。

 先に板野さんへ声をかけたのは、店長だった。

「買い物?」

 僕はポスターを裏返して、左右の剥離紙をめくり取る。

 それを、手元に差し出された掌に乗せた。

 ふた月ほど前も、こんなことをしていた気がする。

 

 ……あれ?

 

 ええ、と店長に答える声がした。

 剥離紙を掴んだ手が引っ込められる先を目で追う。

 小さめのショルダーバッグを肩にかけ直す板野さんが、照れくさそうに微笑んだ。

「いろいろ心配してもらったので、ご挨拶にと」

 目は僕に向けられているのに、話す相手は店長だというのがややこしい。

 それに気づかない声は、上機嫌だった。

「いつから?」

「明日からなんです」

 店長が何か言う前に、僕はその間を盗んで、ようやく板野さんに駆け寄ることができた。

「もうアルバイトじゃないのに」

 9月に入ってすぐ、板野さんは退院の報告を最後に、アルバイトを正式にやめた。

 それでも、日曜日には必ずやってくるようになっていた。

 もちろん、板野さんの修学旅行費は無事、アルファレイドの奨学金で確保されている。

 だが、頷く顔には、ちょっと複雑な表情が浮かんでいた。

「アルファレイドの、奨学金で」

 あの過酷なステージの報酬のつもりかと思うと、忘れかかっていた試合の記憶が怒りで蘇ってくる。

 

 ……板野さんを晒しものにしやがって。

 

 板野さんがエキシビジョンマッチのことを口にしたことはないが、これはこれで腹立たしい話だった。

「大丈夫だった? あれから」

 レッスンでも試合でも、疑似スプーンにあれだけ振り回されて平気でいられるほど、板野さんは頑丈には見えない。

 僕の問いには答えずに、板野さんは頭を下げた。

「あの……すみませんでした」

「え?」

 僕がまごついたのは、話の脈絡が見えなかったからばかりではない。

 ハーフアップの髪のかわいらしさに見とれていたのだ。

 

 ……こんなんだったっけ? バイトしてたときも。

 

 そんな邪念など知る由もない板野さんは、まっすぐに見上げてくる。 

「あんなこと言って、心配してくれたのに」

 いろんなことを話した覚えはあるが、それだけに、いちいち覚えていない。

 とくに、エキシビジョンマッチのときはクリームヒルトが強すぎた。

 板野さんの技を読むのに神経をすり減らして、インカム越しに話したことは全て消え失せていた。

 熱い戦いもまた、記憶という脳の番人を雲散霧消させるものらしい。

「ああ、僕も余計なこと言っちゃって」

 とりあえず、話だけは合わせておく。

板野さんも、次の言葉が出てこないようだった。

 目を伏せて、何だかもじもじしていたが、ようやく口を開いた。 

「結局、何とかなっちゃって」

 そこで、ふと気になったことがある。

 アルファレイドが修学旅行向け奨学金の創設を発表したのは、9月も末になってからだった。

 だが、ワールドタイトルマッチに出るときは確か、こんな話になっていたはずだ。

 

 「優勝したら、板野さんの修学旅行費用もアルファレイド傘下の旅行会社が持つ」

 

 タイトルとプロ契約を蹴ったとき、いちばん心配したのは、それが反故になるのではないかということだった。

 優勝したら専門学校の授業料を出すという条件の他に、僕がゴリ押ししたものだからだ。

 これを出さないというカードを佐藤が切ってきたらどうしよう、と真剣に悩んだものだった。

 だが、よく考えると、修学旅行費が間に合ったと店長から聞いたのは、エキシビジョンマッチの前だ。

 

 ……計算が合わない。

 

 とりあえず、まずはめでたしめでたしというところで収めることにした。

 考えても仕方がないことだと思って、話題を変えた。

「準備はいいの?」

 もちろん、社交辞令だ。

 出発を明日に控えて忙しいだろうが、好きなだけ、ここにいてほしい。

 そんな気持ちが伝わったのか、板野さんは嬉しそうに笑ってみせた。

「心配してくれたんだから、報告は当然です」

「いや、気にしなくていいよ」

 これ以上、この話題を引っ張ったら、ボロが出そうだった。

 自分で言ったことを覚えていないのがバレて、また泣かれてはかなわない。

 だが、そこで板野さんは、声をひそめた。

「だって……実はあの後、私、本当に病院にいたんです」

 考えてみれば、当然のことだった。

 ゲーマー系アイドルなどという、取ってつけたようなコンセプトのコスプレ姿だけではない。

 歌って踊れるだけでなく、僕と互角に戦えるだけのテクニックを1週間かけて仕込まれたのだ。

 それも、あの疑似スプーンに振り回された結果なのだから、過労で倒れないほうがおかしい。

 紫衣里を探し回っている場合ではなかったのだ。

「ごめん……」

 申し訳ない気持ちが、つい、口を突いて出た。

 板野さんはきょとんとした顔で、僕を見つめている。

 やがて、慌てて首を横に振った。

「いいんです、いいんです、いいんです」

 それでも僕は、頭を下げた。

 悔しさと恥ずかしさが熱い塊になって、頬に溜まる。

 板野さんは、僕の顔よりも低く屈んで、事情を説明した。

「目が覚めたらベッドの上で、どこだろってきょろきょろしたら、お医者さんや看護師さんが行ったり来たりしてて……凄かったんですよ。あ、みんなあのマークつけてて」

 首を捻って、指さす方を眺める。

 レーシングゲームの筐体には、「α」のロゴがデカデカと書いてある。

 アルファレイドのイベントなんだから、系列の病院に担ぎ込まれるのは当然の流れだろう。

 僕が顔を上げたのをいいことに、板野さんは急に背筋を伸ばした。

「で、あのメガネかけた人がこ~んなふうに突っ立ってて」

 このたびは誠に申し訳ありませんでした、と慇懃無礼な口調をそのまま真似て、直角に腰を折る。

 

 ……佐藤か!

 

 板野さんを巻き込んでおいて、よく言う。

 だが、よく考えたら、なぜ板野さんに白羽の矢を立てたのだろうか。

 腕のいいゲーマーなら、いくらでもいる。

 疑似スプーンを使ったとしても、あそこまで追い込まなくて済んだはずだ。

 

 ……僕にぶつけるため?

 

 板野さんと僕の関係を知らなかったとは言い切れない。

 ふたりで給湯室に入るところを、佐藤は見ている。

 確か、〈リタレスティック・バウト・ワールドタイトルマッチ〉出場を持ちかけてきた日のことだ。 

 あれが原因だったとしたら。

 もう、隠すこともなかった。

「ごめん、あんな奴と関わっちゃって!」

 再び頭を下げると、板野さんは余計に慌てた。

「私もいけなかったんです、急に家に尋ねてきて、母の前でなんかいろいろ話してて、なんかアタシをお嫁さんにくださいって言うくらいの勢いで……あ、そんなこと言われてませんよ、そんな感じで気が付いたら、あんなことになっちゃってて」

 怒りで拳が震えてきた。

 

 ……あのスケコマシ、じゃない、人たらし、じゃなくて。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。