ハセオ草紙!~銀のスプーンを守る大食い美少女と同居して格ゲーで世界を救います~ 作:兵藤晴佳
余計なことに注意がそれたら、がくんと肩の力が抜けた。
それをどう誤解したのか、板野さんはおずおずと、その後の事情を語る。
「……その日のうちに退院できました」
ようやく身体を起こしはしたが、申し訳なくて、まともに顔が見られない。
板野さんは、すっかり困り果てた様子で、話を迷走させる。
「思い切って、もう無理ですってあのメガネの人に言ったらいろんな書類出てきて、帰るの夜中になっちゃいましたけど。で、次の日学校行ったら、なんか凄いことになってて……」
そこで急に、下げた僕の頭を両手でつかんで押し上げた。
満面の笑顔で、力を込めて告げる。
「格好良かったです、長谷尾さん」
その顔にしばし見とれていたのに気付いて、僕は目だけ横にそらした。
「あの……人が見てるから」
実際、ひそひそ噂しあう声や、冷やかしの口笛が聞こえなくもない。
板野さんは慌てて飛びのくと、僕に向けた背中でわざとらしく手を組んで、あさってのほうを向いた。
その様子を見ていたのか見ていなかったのか、店長がそそくさと駆け寄ってきた。
「あ、大丈夫? ほら……最近」
僕たちを見ていた客はそれぞれ、再びゲームを始めたり自販機に向かったりしたが、まだ、ちらちらとこっちをうかがっている者がいる。
そういえば、板野さんは「長靴を履いた猫」で僕と対戦して以来、隠れファンがいるらしい。
しかも、最近、とみに増えた感がある。
その原因は、はっきりしていた。
板野さんは、何でもないという顔で答える。
「ああ、人違いですから、って」
僕が板野さんを救えたのは、フィービーたちがエキシビジョンマッチをLIVE配信してくれたおかげだ。
全世界が注目する中では、アルファレイドも狡猾な真似はできなかっただろう。
それに、プリンスに買い取られて軌道エレベーターを諦めはしたが、転んでもただでは起きなかった。
言わずと知れた、HILDEのブレイクだ。
もちろん、板野さんではない。
それでも、似ているというだけで注目を浴びるのは仕方がない。
店長は、大真面目な顔で僕に言った。
「頼むよ、変なのが星美ちゃんに声かけないように」
実際、学校では大変らしい。
夏休みが終わると同時に、板野さんを見る周りの目はすっかり変わった。
なにしろ、HILDEの地下……海面下コンサートの動画は一晩で世界中を駆け巡ったのだ。
告白してくる男子は引きも切らず、先週で6人目を撃沈したらしい。
何で僕が知っているかというと、週末ごとに、困った顔で報告されるからだ。
店長は、自分ではやらないことを僕に押し付けて、給湯室に去っていく。
その後ろ姿を見届けて、板野さんは再び囁いた。
「店長……知りませんよね」
何の話かは察しが付く。
僕も囁き返した。
「全然」
話したって信じるわけがない。
板野さんが実はHILDEだったなんて。
ましてや、世界中にその名が知れ渡った日のうちに普通の女の子になったなんてことは。
あの日、シラノとクリームヒルトで戦ったときのように、僕たちは共有する秘密を囁きあった。
板野さんは、照れくさそうに目をそらす。
「あたしも……第3ラウンドの途中までしか覚えてなくて」
たぶん、あの疑似スプーンが発動する前だ。
それまでは、インカムで無駄口を叩きあいながら、お互いの必殺技を読んだり、外したりする駆け引きが続いていた。
……いい時間だったな。
苦しい息の中で、僕たちはひとつの世界を共有していた。
それだけに、あの鼓膜を引っ搔くような金属音の中で聞こえた板野さんの悲鳴もまた、忘れられない。
思い出せば、きっとつらい思いをするはずだ。
だから、ちょっと顔をしかめて精一杯、面倒臭そうに答えてみせる。
「いいんだよ、楽しいことだけで」
板野さんは、ちょっと考えて、おずおずと答えた。
「そういえば……中学のとき、ちょっといろいろあって」
「ああ、その話は」
聞きたくない。
修学旅行のときに遭った、いじめの話だ。
「その子たちが、また、いい気になるなとか言って、わざわざ別の高校から」
板野さんがモテ始めて、やっかんだのだろう。
怒りで握りしめた、僕の拳が震える。
それを抑えて、聞いてみた。
「よかったら、僕が……」
腕力にも威圧感にも自信はないが、僕が守らなくちゃいけない気がする。
だが、板野さんは首を横に振った。
「ああ、解決しました。クラスの、空手部の男の子が割って入ってくれて」
「……そう、よかったね」
心配しなくてよくなったのに、胸が痛むのはなぜだろうか。
聞いてはいけないと思いながら、聞かずにはいられなかった。
「その人って、どういう……」
みなまで言わないうちに、板野さんは、さらっと答えた。
「今日、映画付き合ってくれって言われたんですけど、断ってこっち来ました」
……7人目かよ。
そこで、板野さんはちょっと考えてから、思い切ったように尋ねてきた。
「なんか、とんでもないこと言いませんでした? あのとき」
そう言われても、いつのことだか分からない。
思い出せるのは、勝負師としての、あの低い声だ。
あれは板野さんの暗黒面なのか、それとも疑似スプーンのせいだったのか。
どっちにせよ、怖かったのは間違いないので、とりあえずはごまかしておく。
「別に……」
それでも板野さんは、真剣に考えはじめた。
目を固く閉じて、唇を引き結んで、眉間を人差し指でこする。
「確か、何か、言ってほしいって……」
そういえば、そんなことを言っていた気がする。
だが、思い出せることはない。
あるとしても、たいしたことではなかった。
「息が聞こえただけだよ……すっ、て」
たちまち、板野さんの顔が真っ赤になった。
慌てて腕時計を眺めて、ぱたぱたと自動ドアへ向かって駆け出す。
「すみません、こんな時間になっちゃって」
その背中に、僕は声をかけて送り出す。
「いい思い出、たくさん作ってね」
よほど急いでいたのか、返事はなかった。
ようやくのことで板野さんが振り向いたのは、フェニックスゲートから出る前だった。
HILDEの歌声と人々の話し声が、どっと流れ込んでくる。
モールから差し込む光で、板野さんの笑顔は眩しく輝いた。
「お土産買ってきますね!」