ハセオ草紙!~銀のスプーンを守る大食い美少女と同居して格ゲーで世界を救います~ 作:兵藤晴佳
そこで、僕は自動ドアの外へと目を向けた。
店の外で、妙なざわめき声が聞こえたのだ。
「おい、リムジンだぜ」
「初めて見た」
確かに、こんな田舎のショッピングモールにリムジンで乗り付けるほど場違いなことはない。
どこの誰だと思った瞬間、嫌な予感が全身を駆け抜けた。
……佐藤か?
思わず立ち上がって身構えると、店の自動ドアが開いた。
少なくとも、佐藤ではない。
だが、見覚えはあった。
体格のいい背広姿男たちに囲まれた、車椅子に乗った少年だ。
……あのヘッドレストは、確か。
16オンスのグローブそっくり、というか、そのものだ。
鳩尾に、鈍い痛みが蘇る。
やがて、店内でも客が囁き交わす声が聞こえてきた。
プリンスだ、の声が聞こえる前に、向こうから僕に声をかけてきた。
「見つけたぞ、ハセオ君!」
返事をするのがやっとだった。
「あ、ええと……」
名前が出てこないからだ。
思い出そうとすれば、しばらく眺めているほかはない。
車椅子。
不健康なまでに白い、というか青白い肌。
だが、僕を見据えるその目は、ぞっとするほど冷たく、鋭い。
アングロサクソン系と思しき端整な顔立ちには、下手に触ったら指が切れて飛びそうな気迫が秘められている。
……やっと、忘れかけていたのに。
その記憶を、また呼び覚ますのはつらかった。
口を引き結ぶ。
それが気に食わなかったのか、流暢な日本語で、しかし皮肉っぽく、向こうから名乗ってくれた。
「覚えておいてほしい、エセルバート・ウィルフレッド=ヒュー・スウィンナートン4世だ」
その名を聞いて、店の客の中にはスマホを向ける者もいた。
もっとも、そんな連中など、プリンスは眼中にない。
用があるのは、ほかならぬ僕だった。
車椅子に座ったまま、黙礼ひとつで詫びる。
「もっと早く来るつもりだったが、例の件に手間取った」
横目でちらと眺められただけで、店長は縮み上がった。
平身低頭、お騒がせしましたと客に詫びて回る。
僕は腰をかがめて、プリンスの耳元に囁いた。
「場所……変えませんか?」
かくして僕はモールの客の視線を浴びながら同乗したリムジンで、狭い田舎道を行くことになった。
車椅子ごと昇降できる特別仕様のシートの隣に腰かけた僕に、プリンスは軌道エレベーター買収の経緯を語った。
「事の起こりは、あのフィービー・マイケルスだ」
話には聞いていたが、やはり、ごく少数の〈リタレスティック・バウト〉プレイヤーが参加する交流戦サーバーがあるらしい。
それを通じて、プリンスとフォーコンプレに、軌道エレベーターの目的と疑似スプーンの存在が伝わったというのだ。
「もっとも、当日になるまでは信じなかったがな」
当然だろう。
軌道エレベーターに人類の潜在能力を覚醒させる素材が使われていて、それをアルファレイドが企業なり国家なりに競り売りしようとしているというのだから。
プリンスは半ば呆れたように言った。
「そんな荒唐無稽な話を信じて、世界中から観光気分で人を集めた挙句に、あんな騒動を起こすとは」
考えてみれば、警察や海保のヘリまで飛んでくる、とんでもない事件だった。
だが、その声は急に真剣さを帯びた。
「シエリ……とかいう、あの少女のためか? 君の戦いは」
僕は黙って頷いた。
ようやく忘れかかっていた名を聞かされても、動じることはなかった。
冷たかったプリンスのまなざしは、少し穏やかになる。
「彼女を人質に取られては、実力が発揮できまい? だから、軌道エレベーター基盤そのものを買収したのだ」
フィービーの配信動画だけで察しがつくとは、驚くべき洞察力だった。
やがて、リムジンは僕が指定した場所に着いた。
竜の形をした松の木がある、あの寺だ。
狭い道なので、車を停めてはおけない。
後部座席のリフトで車椅子を下したプリンスは、食事でもしてくるように運転手に告げて、リムジンを移動させた。
そのとき、さっと振った手は、ここから先は僕たちだけの聖域だと言わんばかりで気が引けた。
大きな楼門にバリアフリーのスロープがついているのは、お遍路さんの他に観光客も意識してのことだろう。
車椅子の後に境内に入ると、目はどうしても、あの松の枝へと向かう。
秋も半ばの高い空に向かって昇っていくような姿を尾の方から頭へと負いながら、思い出したことがあった。
……紫衣里は、「変」って笑ったっけ。
その思い出は、不機嫌な声で遮られる。
「人を招いておいて案内もしないのか、君は」
そうは言っても、ろくに見て回ったこともない。
……お堂に三重塔に、大きな菩薩像。
鯉がゆったりと泳ぐ静かな池を巡って、僕たちは本堂の前にたどりついた。
プリンスと同じ目の高さになるように石段に座る。
さっきの、竜に似た松の木の枝が青空の中に小さく見えた。
いざ、何から話そうかと思うと、多すぎて分からない。
とりあえず、今朝のニュースで見たことからにした。
「何で、壊しちゃうんですか? あれ」
軌道エレベーターのことなど、本当は思い出したくもない。
眉根を寄せて僕を一瞥したプリンスも、同じくらい遠回しに答えた。
「アレを、私が私に使わないためだ」
疑似スプーンのことだということは、すぐに分かった。
いけないとは思いながらも、その手を見てしまう。
つやかかな、白いなめし皮の手袋をはめていた。
……そりゃ、中身は見せられないよな。
そう思った瞬間、僕はプリンスの目の前で頭を下げていた。
「許してくれ! あれを買い取った君を、僕は一瞬だけ……」
ヘッドレストになっていた16オンスのグローブが、僕のテンプルにフックを見舞う。
ふらつく頭を振って、ようやく身体を起こした。
……太宰治『走れメロス』か!
……メロスだってセリヌンティウスのセリフは最後まで聞いたぞ!
プリンスが、ぶつぶつ言いながら車椅子の手すりに付いたコントロールパネルを操作している。
「試作品でね。まだ調整が必要らしい。人の表情の微妙な変化を感知して……」
……嘘つけ。
グローブをヘッドレストに戻したプリンスは自分の話を続ける。
「心配はいらない。アレを解析できるだけの研究機関は、わがスウィンナートン家の財団にもある。ひとつひとつの技術は、さらに細かい機関に管理させる。信頼できるなら、別の国や機関に預けてもいい。だが……」
そこで、プリンスは僕をまっすぐに見つめた。
「君の友人をあんな目に遭わせた技術だけは、完全に破壊する」
板野さんの悲鳴が、頭の中に蘇る。
……「いやああああ!」
思い出したくなかった。
目を固く閉じると、プリンスがいつになくためらう声が聞こえた。
「君の戦いを見るために……私も……オーナーとして手を貸した。だから……シエリの言葉はこたえた」
暗い天井を、いや、もっと遠くを見ていた、紫衣里の姿を思い出す。
……「見てるんでしょう? プリンス!」
目を開けると、自嘲の笑みが見えた。
「インターバルを設けはしたが、手を貸したことには間違いない。それに、アレは……」
誇り高い貴公子は、ため息混じりにつぶやく。
「一瞬だけ、この心を動かしたからな」