ハセオ草紙!~銀のスプーンを守る大食い美少女と同居して格ゲーで世界を救います~ 作:兵藤晴佳
ふたり並んで、傍目から見れば彼氏彼女の関係にしか見えない様子でゲームセンターを出てから数分後のことだった。
すぐ目の前に座った紫衣里は、期待にあふれた、きらきらした目で見つめ返していた。
限度を超えたプレッシャーに気後れしながら、答える言葉はこれしかない。
「あ……どうぞ、お先に」
急いで席を選んで場所取りを紫衣里に頼んで、ナンパされないように目を光らせながら、食券を買って店の前に並ぶ。
番号を呼ばれて、やはり周りの男どもを警戒しながら席に戻る。
そんな苦労をして買ってきた、目の前のヤキソバ1杯が、僕と紫衣里の時間を保証してくれている。
「いただきま~す!」
長いお預けの反動か、紫衣里はすさまじい勢いで大盛りのヤキソバにむしゃぶりつく。
百年の恋もいっぺんに醒めようかというほどの食らいつきようだった。
僕はというと、ああいう話の後では、たかがヤキソバ1杯でも食欲が湧かない。
「修学旅行か……」
ありがたいことに、そのひとりごとは、食べることに夢中の紫衣里には、たぶん、聞こえていない。
実は、僕には板野さんを救う手段があった。それを使うか使うまいか、僕は悩んでいたのだ。
結論の出ないことを頭の中で行きつ戻りつしているうちに、あっと言う間に一皿平らげた紫衣里が、不意に口を開く。
「それ、もらっていい?」
行儀の悪いことに、揃えた箸で僕の分のヤキソバを指している。
もともと、その辺りを指摘する気はないし、今もその気力はない。
「どうぞ……」
恭しく、掌を裏返してみせたりもする。
紫衣里は満面の笑顔を浮かべて、甲高い声を上げた。
「ありがと~!」
言うが早いか、手が動く。
あの老人、どういう事情があったか知らないが、これだけ食う娘を連れて歩くというのは並大抵のことではできない。
そんな俺の想像など知る由もない紫衣里は、俺の分のヤキソバまでぺろりと平らげて手を合わせた。
「ごちそうさま」
それだけ言って、紫衣里は食器を返しに行く。
何ということもない彼女の言葉は、非難にも聞こえて、社交辞令を返すしかなかった。
「いえいえ、お粗末さま……」
紫衣里が二皿目のヤキソバを夢中になって食べている間に、僕が考えていた恩着せがましいこと。
それを見透かされていて、こう言われた気がしたのだ。
……「キミ、温いよ」?
心の中に響いた言葉は、紫衣里がふと見せる横顔のように厳しく、冷たかった。
そう、僕のやっていることは、板野さんに比べたら、かなり温い。
僕が親に背いてe-スポーツのプロになるため、専門学校進学費用として貯めたのは、12万円。
板野さんの修学旅行費用も、ちょうどその額らしい。
……そういえば、僕も今年の3月に自腹で春先の北海道へ修学旅行に行った。
親には旅行費の積み立てを止められていたので、行かなければ行かないで済んだ。
別に行きたくもなかったが、それでも行った。
バイトで何とかやっていけるという見栄を張るためだった。
e-スポーツのプロになるために、親の反対を押し切って専門学校に通うなら、学費と生活費は自分で稼がなければならない。
紫衣里が戻ってくるまでの間、そんなことを独りで考えて悶々としていると、結論の出ない堂々巡りが急に通せんぼされた。
「……ちょっと、よろしいですか?」
いきなり声をかけられて、僕はびくっとした。
あちこち視線を泳がせる。
フードコートの白いドーム状の天井は、高い。
正面はガラス張りで、遠くの金華山が見える。
その前を行き来する人々は、まだ多い。
「……へ?」
もしかすると、あの老人ではないかと思って、うろたえる。
紫衣里を連れ戻しにきたのなら、絶対に渡さないというつもりで身構えた。
だが、目の前にいたのはスーツ姿の朗らかな青年だった。
縁の細い眼鏡の向こうには、優しげな細い目がある。
端整な顔立ちに微笑みを浮かべて、丁寧に話しかけてきた。
歯がやけに白いが、それも計算し抜かれた肖像画のような、さもありなんと思わせる爽やかさだった。
「長谷尾英輔さんですね? お願いしたいことがあるんですが……」
まるで大手企業から思わぬ営業でもかけられたかのように、僕はかしこまる。
言葉が、なかなか出てこない。
「え……と」
紫衣里が行ってしまったほうを振り向いてみたが、その姿はどこにも見えなかった。
そんな動揺を見透かしたように、青年は恭しく頭を下げてから、こういうときの決まり文句を口にした。
「私、こういう者です」
差し出された名刺を見て、はっとした。
ご丁寧に、青年は名前を読み上げてくれる。
「佐藤一郎と申します。どうぞよろしく」
偽名にはもってこいの、いちばん平凡で、そして忘れやすい名前だった。
これがサラリーマン同士の営業だったら、名刺はしまい込まれて、それっきり何の音沙汰もないだろう。
だが、僕の目を引きつけたのは、そこではない。
青年の肩書を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
……アルファレイド?
……ゲーム開発部門!
進学希望先の親会社。
しかも、ドンピシャのセクション。
ここで会ったが百年目、じゃない、一世一代のチャンスだった。
返事次第で人生が変わると思うと、かえって言葉が出ない。
その沈黙をどう取ったのか、青年はちょっと低めの声で念を押した。
「ご存知ですよね? 私どものことは」
それは、知っていて当然、という口調だった。
僕がe‐スポーツでプロを目指す対戦型ゲーム「リタレスティック・バウト」に関することは、巨大コングロマリット「アルファレイド」の下で運営されている。
そして、この青年は、僕の名前を知っていた。
つまり、プレイヤーとしての長谷尾英輔に声をかけてきたのだ。
だが、僕は緊張のあまり、ゲームセンターのアルバイトとしての言葉を口走っていた。
「あ、店長なら下に……」
スポンサーがつくプロになりたい、という思いが奴隷根性を刺激したのだろうか。
そそくさと、案内に立ち上がる。
だが、そこで紫衣里がまだ戻っていないのに気が付いて慌てた。
このまま、ここに放り出していくわけにはいかない。
その振る舞いにせよ、ナンパの危険性にせよ、その両方にせよ。
だが、青年はそれを忘れさせようとでもするかのように、僕に語りかけた。
「では、そちらでお相手していただけませんか……私と」
身体が熱くなるのを感じて、聞き返す。
「……相手?」
そこには、不敵な挑戦の響きがあった。
「リタレスティック・バウト」のプレイヤーとしての僕を奮い立たせるだけの。