ハセオ草紙!~銀のスプーンを守る大食い美少女と同居して格ゲーで世界を救います~ 作:兵藤晴佳
ゆったりとした黒一色の衣をまとった少年が、淡い色のドレスをまとった少女と手を取り合っている。
少女がこの世のものでないことは、その聖なる後光で分かる。
二人の頭上には威厳のある大天使が結婚を祝福し、可憐な若い天使が少年の頭に月桂樹の冠をかぶせようとしている。
地上では、老いた大地の精が、それに仕える若い精霊と共に、この聖なる婚礼にひざまずいている。
僕と紫衣里はしばらくの間、肩を寄せ合って、この荘厳な宗教画に見入っていた。
胸がじんと熱くなる。
紫衣里の胸も、かすかに震えていた。
これから何が起ころうと、もう、怖くはなかった。
いつしか、Web会議に集まった1000人の興奮と熱狂も、次第に収まっていった。
やがて、スマホの画面上のフィービーの顔が大映しになる。
「So, Haseo… you’re sure about this.」(じゃあ、ハセオ……いいのね)
何が言いたいのかは、これだけでよく分かった。
僕の心の中には、感謝しかない。
軌道エレベーターの基盤部に駆けつけてくれたことも、エキシビジョンマッチの後に足を挫きながら紫衣里を探す僕を担いで運んでくれたことも。
夏が終わってから今まで、世界中の仲間が紫衣里を探してくれたことも。
静かに、ゆっくりと頷いてみせた。
「あとは……僕が」
その後は、言葉にならない。
代わりにフィービーが、泣き笑いで宣言した。
「As of this moment… Haseo and the Pretty Girl Crusaders are officially disbanded!」
(現時点を以て……ハセオとプリティガール十字軍《クルセイダーズ》、解散!)
最後の最後で、「え?」と思った。
……ていうか、まだ続いてたのか、アレ!
唖然としている間に、1000人分の歓声がどっと上がる。
それは「フェニックスゲート」の店内までも揺るがせるほどだった。
客の何人かが僕たちのほうを見たが、すぐ、自分たちのゲームに集中した。
店長も給湯室から顔を出したが、すぐに引っ込めた。
スマホの画面には、「会議室を閉じます」のメッセージが浮かんでいるだけだ。
ゲーセンの電子音の中、残されたのは、僕と紫衣里だけだった。
寄せ合っている身体が、熱かった。
だが、いつまでもこうしてはいられない。
紫衣里を見つめると、澄んだ瞳が見つめ返してきた。
必ずやってくる瞬間は、もう、怖くない。
その時は、初めて会う男女に過ぎないのだ。
だが、たぶん、それはそんなに遠いことではない。
だったら。
……もう一度、選んでもらえばいい。
そう心に決めたとき、紫衣里が僕の手に握らせたものがあった。
腕をほどいて掌を開いてみると、さっき書いた、フランス語と日本語訳のメモだった。
Je suis las de porter en moi-même un rival!
心の中に、恋敵を背負って歩くなんて……!
それは、シラノが背負ったクリスチャンの言葉だ。
目を閉じて、その意味を噛みしめる。
……これが、男の心意気だ。
そう思い定めて、目を見開く。
紫衣里が、ここで初めて会ったときのように、じっと僕を見つめていた。
澄んだ瞳でまっすぐに。
そこで、スマホのチャットアプリが高らかに鐘を鳴らした。
何が起こったか察しはついている。
どうしようかと一瞬だけ考えたところで、紫衣里は「どうぞ」という顔で目を見開いてみせる。
チャットアプリを開いてみると、しびれを切らした板野さんが返事を催促していた。
「答えてくれないと、勝手にでっかいシーサー買ってきて困らせちゃいますからね!」
確かに、あの四畳半にそんなものは置けない。
いや、それ以前の問題だった。
慌ててスマホを隠すと、紫衣里は悪戯っぽく、僕を横目で見る。
「……あなた次第だから、ね?」
どこかで聞いた気がする。
返事に困り果てていると、さらに懐かしい言葉が耳をくすぐった。
「どう? ここで一勝負」
その口元から笑みがこぼれるのを見て、僕も苦笑した。
……いいかもしれない。
……どうせ、完敗だろうけど。
(完)