【完結】少女忍法帖ミチルっち:忍法ブチギレの術 作:ていん?が〜
キヴォトスの朝は、いつもと変わらぬ輝きを湛えていた。
特にここ、百鬼夜行連合学院の朝は格別だ。古い木造建築が並ぶ街並みに、桜の花びらが舞い落ち、登校する生徒たちの喋り声が風情ある景観に彩りを添える。
「ねえ、昨日の数学の試験、どうだった?」
「もう最悪。公式をド忘れしちゃって……」
そんな他愛もない会話を楽しみながら歩いていた二人の生徒。しかし、その一人が不意に背後から聞こえる異様な「音」に気づいた。
――タッタッタッタッタッ!!
それは軽快というにはあまりに重く、疾走というにはあまりに殺気立った足音。そして、背後から波及してくる、逃げ惑う生徒たちの悲鳴。
「え、何……?」
生徒が何気なく後ろを振り向いた瞬間、その瞳は驚愕に見開かれた。
視線の先、桜の舞う美しい坂道を爆走してくるのは、ボロボロに引き裂かれた囚人服を纏い、髪を逆立たせた少女。
かつてキヴォトス全土を震撼させ、昨夜カイザーコーポレーションを事実上の更地へと変えた張本人――八囚人の一人、千鳥ミチルである。
「ギャ、ギャー――――ッ!! 八囚人だぁぁぁッ!!」
生徒が情けない悲鳴を上げて道端へ飛び退く。しかし、当のミチルは弾けるような笑顔を向け、全力疾走を維持したまま右手を高く掲げた。
「おっはよぉぉ――――ッ!! みんな、今日も元気に登校だねッ!!」
「……」
挨拶を返された生徒は、腰を抜かしたまま硬直していた。ミチルが通り過ぎた後の風圧だけで、周囲の桜の花びらが螺旋を描いて舞い上がる。
恐怖に震えながら、隣の友人へ縋り付く。
「ね、ねえ、見た!? 今、あの絶望の狸……じゃなくて、ミチルがいたよ! 死ぬかと思った……ッ!」
だが、隣にいた友人は違った。彼女はスマホを握りしめたまま、頬を紅潮させ、うっとりとした顔でミチルの遠ざかる背中を見つめていた。
「……素敵。あのボロボロの衣装、一晩かけて巨悪を説教で粉砕してきた証拠だわ……。あのアバンギャルドな足捌き、まさに表現者の鏡……。今日のライブ配信も最高だった……」
「……マジで?」
友人のあまりに深い「ガチ勢」ぶりに、恐怖していた生徒は引き攣った顔で呟くしかなかった。
廊下でもミチルの進撃は止まらない。
「あ、あわわっ! ミチルだ!」「逃げろ! 捕まったら24時間は帰れないぞ!」
逃げ惑う生徒たちの群れ。しかし、その中に混じる一部の視聴者たちが勇気を出して声をかける。
「ミチルっち! 昨日の24時間配信、スーパーチャット3万投げたよッ!」
「おー! ありがとーッ! おかげで新しい編集用マウスが買えるよぉー!」
「ミチルっち! プレジデントの謝罪文、Wikiに全文化しておいたから!」
「助かるーッ! 仕事が早いねッ!」
すれ違う一瞬一瞬、投げかけられる言葉すべてに笑顔でレスポンスを返し、ミチルはついに目的の場所へと辿り着いた。
バァァァ――――ンッ!!
勢いよく蹴破られた忍術研究部の部室の扉。
「イズナ! ツクヨ! ただいまぁぁ――――ッ!! 部長、たった今カイザーを倒して帰還したよぉッ!!」
元気いっぱいの帰還報告。そこには、いつものように部室で待機していた久田イズナと大野ツクヨの姿があった。
「部長! おかえりなさいませ! イズナ、部長の勇姿を影から(画面越しに)ずっと拝見しておりました! さすが部長、忍法の極致ですね!!」
「ぶ、部長……。お疲れ様……です……。ツクヨ……ずっと……ログを……追いかけていました……」
二人は恐怖の色など微塵も見せず、いつも通りの忠義に満ちたセリフで応対する。
……しかし、それは彼女たちの「魂(幽体)」だった。
ミチルの目の前には、部室の椅子に座っている本体のイズナとツクヨが、白目を剥いて完全に気絶している。
あまりの恐怖と昨夜の配信の衝撃により、本体は限界を迎えていた。その本体の口から、幽体離脱した魂がしゅるしゅると伸び、中空でミチルに応対していたのである。
「あはは! 二人ともお寝坊さんだなぁ~!」
軽い感じで受け流すミチルはバシバシと彼女たちの背中を叩く。
と、その時。部室の奥から、聞き慣れた穏やかな声が響いた。
「……おかえり、ミチル。無事に帰ってきてくれて、本当によかった」
「おー! 先生殿ー! 久しぶりー! なんかまた痩せたー? ちゃんとご飯食べてる?」
そこにいたのは、シャーレの先生だった。
先生は優しく微笑んでいたが、その顔色は土気色を通り越し、もはや透き通るような白さであった。
無理もない。最近の先生は、アビドスの小鳥遊ホシノが引き起こした「100トン体重による地盤沈下および各種建物崩壊」の謝罪と賠償の一部補填、そして書類作成の山に追われていたのだ。
先日などは、ホシノがシャーレに来訪した際、彼女の存在自体が発する圧倒的な「重力」にシャーレビルが物理的にミシミシと悲鳴を上げ、倒壊しかけた。
その結果、先生とホシノの両者合意により、ホシノのシャーレ当番業務は「人類の安全のため」永久除外されたばかりだった。
胃薬を心の友とし、胃痛の合間にミチルの24時間破壊配信を監視していた先生は、今まさに限界の縁に立っていた。
「はは……ありがとう、ミチル。……さて。ミチル、君が昨夜やったことは、キヴォトスの平和という観点からは少し……いえ、かなり度が過ぎていたかもしれないね」
先生は言葉を慎重に選ぶ。地雷原をタップダンスで渡るような緊張感。ミチルが嫌うワードを徹底的に排除した、完璧なカウンセリング話法である。
「……カイザーの悪行は許されることではないけれど、君のような才能あるクリエイターが、怒りに身を任せて自分を削ってしまうのは悲しいことだ。……わかるだろう?」
「うんうん、そうだね先生殿! 確かに昨夜はちょっと徹夜しすぎて、肌のレンダリング設定がガタガタになっちゃったかも!」
真面目に頷くミチル。久しぶりに大人しく説教(?)を聞いている部長の姿に、いつの間にか蘇生して本体に戻っていたイズナとツクヨが、小声で囁き合う。
「す、すごいです……主殿……。あの阿修羅のような部長を、言葉だけで鎮めるなんて……」
「先生……まさに……キヴォトスの……防波堤……」
先生は手応えを感じていた。あと一押しだ。ミチルに寄り添い、彼女を肯定し、その存在を認めてあげること。それこそが、教師としてのシャーレの役目である。
先生はミチルの手を取り、慈愛に満ちた表情で最後の言葉を贈った。
「ミチル。いろいろなことがあったけれど、これだけは忘れないで。……君は僕にとって、本当に大切で、かけがえのない『生徒』なんだよ」
その瞬間。
パリンッ!!
部室の照明が、物理的な衝撃も受けていないのに粉々に砕け散った。
「「「は……?」」」
先生、イズナ、ツクヨ。ミチル以外の一同が、凍りついた。
何が起きたのか分からない。先生は心の中で必死にログを見返した。「データのゴミ」「趣味の延長」「地味」「定番」「教科書通り」……。
そのすべてを回避したはずだ。ミチルを最高の賛辞で包んだはずだ。
しかし。
ワナワナと、ミチルの肩が震え始める。
彼女がゆっくりと顔を上げた。
その顔面。
今まで数多の敵を葬り去ってきた「怒り」の表情。だが、今回はレベルが違った。
その顔色は、激昂の赤でも、怨嗟の紫でもない。
光をすべて吸収し、周囲の空間さえも歪ませる、純粋な、漆黒。
「……『生徒』ぉ?」
地の底から這い出してきたような、この世の終わりを告げるような声が部室に響いた。
「……先生。今、なんて言った?」
「えっ? あ、いや、君は僕の自慢の『生徒』で……」
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
ドォォォォォォンッ!!
ミチルの咆哮一閃。部室の窓ガラスがすべて粉砕され、棚に並んでいた忍術の巻物が塵となって舞う。
「『生徒』だとぉ!? 先生、お前まで私をそんな『保護される側』の、型にはまった甘っちょろい言葉で括ろうってのかッ!! 私は昨日までの自分をデリートして、常に最新の自分をフルレンダリングし続けてるんだッ!! そんな教育課程のテンプレートに収まるような、マニュアル通りの存在に私が見えるのかぁぁッ!!」
ミチルの顔面は、怒りのあまり漆黒の闇に染まり、瞳だけが紅く発光している。
「私は千鳥ミチルだッ!! 世界を震撼させる表現者であり、既存の枠組みを焼き尽くすクリエイティブの化身なんだよッ!! それを……『生徒』だなんて、そんな牧歌的で安定しきったカテゴリーに押し込めるんじゃねぇぇぇッ!!!」
「「「ええええええええええ――――ッ!? なんでぇぇぇッ!?」」」
驚愕の絶叫を上げる三人。それもそのはずだ。以前、先生はミチルに対して「生徒」という言葉を何度も使っていた。
その時、ミチルは普通にそれを受け入れ、むしろ嬉しそうにさえしていた。イズナとツクヨもその光景を何度も見てきた。
だが、今は違う。
そこから導き出される、絶望的な、あまりにも理不尽な結論。
先生が、震える唇でその答えを口にした。
「ミチル……君の、NGワード……。まさか……『リアルタイムで更新(アップデート)』されているのか……?」
その言葉を聞いた瞬間、イズナとツクヨは深い絶望に叩き落とされた。
クリエイターとして常に進化し、昨日までの自分を否定して進み続ける千鳥ミチル。彼女のこだわり、彼女の情熱は、常に変化し続けている。
つまり。
昨日まで「褒め言葉」だった言葉が、今日の彼女にとっては「自らの可能性を縛る、古臭いレッテル」に成り果てる可能性があるのだ。
今のミチルにとって、「生徒」という言葉は、未熟な子供として保護され、枠に嵌められることを意味する、最悪の「侮辱」へと変換されていた。
「私はッ!! 日々是、新星ッ!! 昨日までの『生徒』という定義に安住している私だと思ったかぁぁッ!! 先生、お前は私を、その程度にしか見ていなかったのかッ!!」
「あ、いや、そうじゃなくて! それは最大限の親愛の……ぐふっ!?」
ガシィッ!!
ミチルの鋼鉄の指が、先生の胸ぐらを鷲掴みにした。
そのまま、ひょいと、先生の体は天井近くまで持ち上げられる。
キヴォトス人でさえ、彼女の説教を受ければ再起不能になる。
ましてや、神秘もヘイローも持たない、ただの普通の人間である先生が、この臨界点を超えたミチルの説教の濁流を至近距離で浴びたらどうなるか……。
その答えはあえて書かない。聡明なる読者の皆様方の想像にお任せしよう。
「答えろッ!! お前のその凝り固まった脳ミソを再レンダリングしてやるぅぅッ!! 今すぐッ!! 私の編集のこだわりを、既存の『生徒』や『子供』なんていう安っぽいカテゴリーを超越した高次の視点から批評しろッ!! 納得いくまで、一週間は離さんからなッ!!」
「1週間ッッッッ!? ミチル、それは流石に死ぬ! 物理的に餓死するッ!! イズナ! ツクヨ! 助けてくれぇぇぇ――――ッ!!」
先生は、部室の隅で震えている生徒たちに、最後にして最大の手助けを求めた。
しかし。
「……ヒュ~、ヒュヒュ~♪」
イズナは、空中に描かれた架空の点を見つめながら、不自然すぎる口笛を吹いて目を逸らした。
「わー……部長の……最新動画……面白い……です……」
ツクヨは、音さえ流れていないスマホにイヤホンを差し込み、ガタガタと震えながら画面を凝視し、何も聞こえないふりを貫いていた。
忠義、愛、絆。
そんな尊い概念も、絶対的な「死」の予感の前では、道端に落ちた空き缶ほどの価値もなかった。
「お前らぁぁぁ――――ッ!!」
先生の叫びが虚しく響く。
もがきながら、先生は開きっぱなしの忍術研究部の扉に目をやった。
そこには、扉の間からひょっこりと顔を出し、扇子で口元を隠している陰陽部の部長、天地ニヤの姿があった。
「(ニヤ……! 助けて……! 君の権限で、この暴走タヌキを止めてくれッ!)」
先生の必死の眼差し。
それに対する返答として、ニヤは扇子を閉じ、扉の影からニュッと最新型のスマホを突き出した。
「先生、ごめんなぁ? うち、ミチルはんのチャンネルのメンバーシップ、レベル3やねん。……こんなおもろいもん、生で見逃せるわけないやん?」
「お前もかよぉぉぉ――――ッ!!」
いつの間にか、部室の外には「巡礼者」たちが集まり始めていた。
百鬼夜行の生徒、獣人の視聴者、オートマタのカメラマン……。
彼らは音もなくレンズを構え、先生が天に召されようとするその歴史的瞬間を、1フレームも逃さぬよう記録し始める。
ミチルの背後に、漆黒のオーラが立ち昇る。
彼女が大きく息を吸い込んだ。
「いいか先生ェェッ!! 教育という名のレンダリングミスを、今ここで一ピクセルずつ修正してやるからなぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
「ぎゃああああああああああああああああ――――ッ!!」
ミチルの絶叫が炸裂し、百鬼夜行連合学院の校舎が大きく揺れた。
朝日が、そんなカオスな忍術研究部の部室を、眩しく照らしていた。
お わ り
終わりです。
ここまで見てくださりありがとうございました!
この物語は終わりですが、他作品にミチルが出張したりしなかったりするかもです笑。