従姉弟の山姥切たちのままならない関係について   作:りんか5434

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その手を離さないでほしくて
その手を離さないでほしくて①


 月明かりに照らされたカーテンがゆっくりと吹かれている。透けて零れ込んでくる光もゆらゆらと揺れている。山姥切長義は自室の窓から見える黒い海を眺めていた。全てを飲み込む神秘に少しでも近づきたくて窓を開ける。潮風が入り込んで風呂上がりの髪を乾かしていく。体は寒いと訴えていたが、無視して外の澄んだ空気へ手を伸ばす。

 

 

 夜の海は美しい。だから憑りつかれていたのかもしれない。もう長針は十二を回っていた。それでもベッドに戻る気はなかった。窓枠に頬杖をついてぼうっと波の音に聞き入る。まだ眠りたくないだなんて、子供じみたことを口にしてみる。明日もまた変わり映えのしない。退屈で、しかし胸の痛む日々なのだろう。

 いや、彼がいるならまだ退屈ではない。ところどころ跳ねた金髪を思い出す。彼をからかっていれば退屈は紛らわせる。逆にあの金髪は。ああ、考えたくなんてない。考えてたまるものか。腹の奥が激情にかき回される。あの緑の目で見られると己が冷静でいられなくなる。少なくとも、こんな夜にあいつは似合わない。強く目を瞑って脳裏に浮かんできた顔を消す。

 あの顔が浮かんだら海の余韻には浸れない。さっさと寝てさっさと忘れよう。湿った髪を鬱陶しげにはらう。長義はベッドに体重を預けた。

 

 

 

♢♢♢

 

 はっきり言って寝つきは最悪だった。ほぼ徹夜だった。何度も寝返りを打ったが、どうあがいても寝られやしない。最終的には水平線から昇ってくる朝日を眺めていた。

 髪の毛はぼさぼさだ。目にはうっすらと隈ができている。校則に触れない程度に薄化粧をして、髪はハーフアップにでもしてごまかそう。ついでに毛先は軽く巻いておけばいい。この時ばかりは生まれ持った自分の造形の美しさに感謝するばかりだ。

 長義は制服に着替えていく。ネクタイを締めて、無地のプリーツスカートのホックをとめる。膝丈の靴下を履いて、箱から適当に出したペットボトルの茶をスクールバッグに入れる。学校に行く準備は完璧だ。ついでにメイクポーチも隙間に入れておく。

 

 

 玄関口でローファーに履き替えて、無言でドアを開ける。いってらっしゃいの言葉も、いってきますの言葉も山姥切家にはない。とうに家庭は冷え切っていた。白い息を吐く。長義は駅へ向かっていく。ローファーが刻む足音は冷えた空気に消えていった。

 学校へ向かう満員電車から僅かに海が見える。朝日に照らされてきらきらと煌めいていた。海が見えるなんて羨ましい、と何度も言われたことがある。だが海からほど近い地に生まれた身としては新鮮さなどない。むしろ潮風で髪が痛む分損だと思っている。

 

 

 電車は学校の最寄り駅に到着する。今日もまた変わり映えのしない一日を過ごすのだ。そんなことはどうでもいい。あいつの顔を見なければいけないことに辟易とする。ため息をついてしまえば、それは何かに負けたような気がした。息を長く吐く。髪をざっくりとはらって長義は学校へ足を向けた。

 

 終礼を告げるチャイムが鳴って、クラスメイトがざわざわと騒ぎ始めた頃。長義はスクールバッグを肩に担いで教室を静かに出た。校門へ向かう道でも男女先輩後輩問わず黄色い声や放課後のデートの誘いを受けられる。慣れっこの長義は笑顔でばっさりと断っていく。毎日断っているのに何と懲りないことか。騒いでいる彼ら彼女らも、ただ高嶺の花を愛する自分に酔っているだけだ。長義の何も知らないのに。

 

 

 顔に張り付けた笑みを崩さずに、長義は駅へ向かう。砂埃一つ付いてないローファーが光を反射している。今日は晴れている。それこそ影送りができるほどに。いつかの小学生だった頃、授業の一環で手を繋いで空を見上げたことがあった。その時から、長義は誰かと手を繋いだことがない。もちろん親ともだ。家庭のことで悲しいと感じたことはない。でも、どこかで他人と比較したことはあったのかもしれない。思い出せないほど遠い昔のどこかで。

 

 

 考えごとをしていれば、体はいつの間にか電車の中にいた。いつもの癖で単語帳を開いていた。だが全く頭に入ってこなかったので諦めて音を立てて閉じた。

 

 今日の自分はまるで夢の中にいるようだ。膝の上のスクールバッグの重み。それが現実にいると示している。子どもの時から長義は夢と現実の区別が曖昧になる時がある。そんな時は、現実にいると実感するために今日あったことを思い返す。今日は猫殺しくんが授業中に寝落ちしていた。学食の定食がハンバーグだった。それから。そうだ。席替えで偽物くんが隣になった。最悪だ。しかも猫殺しくんと離れてしまった。

 そういえば国広は長義の方をちらちらと見ては明後日の方向を向いていた。何がしたかったのかよく分からなかった。挙げてみれば総合的にいい記憶はなかった。

 それでも長義は今日を生きていた。そうだ。それでいいじゃないか。安堵のため息をついて、長義はゆっくりと目を閉じた。

 

 最寄り駅に着いた足は改札を出てから歩みを止める。往来のど真ん中で長義は空を見上げていた。家へ帰りたいと思わなかった。幼い感情だ。今までだって家に帰りたくないと考えたことだって山ほどある。それこそ年齢が一桁だった時は。でも、今の長義は高校生だ。大人には遠いにしろ、わがままが許されるような歳ではない。

 そう誤魔化していたのに。心は家とは正反対の場所へ向かっていく。つられて長義の体は砂浜へ進んでいった。もう、いいか。今日ぐらいはこんな日があってもいい。衝動を受け入れてしまえば、長義は弾むような足取りで目的地へ歩いていく。

 

 いつの間にかローファーの輝きは砂埃によって失われていた。だが、長義にはどうでもよかった。目的地に着いたからだ。ここは家から反対の地にある浜辺。日の出も近いが、ここは観光客が来るような地ではない。人気はほとんどなかった。

 

 

 雑に砂の上にスクールバッグを放り投げる。長義はローファーをおもむろに脱いで。ついでにハイソックスもスクールバッグの上にぽいと投げた。ためらいなく素足で波へ踏み込んでいく。冬のひんやりとした波は体温を奪っていく。それが今の長義には心地が良かった。

 平時なら不快感を覚えるであろう砂が纏わりつく感覚も、全く気にならない。足跡を刻み込むように。それでいて軽やかに一歩、二歩と水平線へ進んでみる。ステップを踏んで、くるくると回ってみる。腰まである髪が風に揺れていた。波はふくらはぎを濡らしていく。

 

 顔を上げれば夕日が波に反射してきらきらと煌めいていた。見慣れていても、見るたびに美しいと見入ってしまう。全てを包み込む生命の行きつく先。沈んでいく太陽に手を伸ばす。世界が己の手のひらにあるように感じられた。

 

 一月の風は冷たい。腕まくりをした手首に滴る塩水が風に当たって凍ってしまいそうだ。そろそろ陸に上がるべきだと頭では理解しているのに。体は現実を拒んでいた。しゃがみ込んで、手で海水を掬う。砂時計のようにはいかない。歪に水が零れていく。曲線に沿って動いていく姿が、長義の心に染みて離れなかった。

 

 

 固く作った皿を瞳のあたりまで掲げていた。すると、ざつざつと足音がこちらに向かってくる。足音へ流し目を送る。そこには長義が一番会いたくなかった相手が立っていた。夕日と混ざった金髪。卑屈げで。それでいて長義を射抜いてくるような緑の瞳。余計なことばかり言う、真一文字に引き締まった唇。長義の従姉弟こそ、山姥切国広。もとい偽物くんがそこにいた。

 

 

「山姥切か、そこで何をしているんだ」

「……それは俺の台詞だ。お前こそ、どうしてここにいる」

「俺は偶然来ただけだ。あんたに会う気だったわけじゃない。……質問に答えてないだろ。山姥切」

 

 砂で元の色が分からなくなっているスニーカーが、水を染み込ませながら近づいてくる。どうして靴下一つ脱がずに、長義のもとに来るのか。合うことのない視線。棘のない声。彼のもう何もかもが気に食わない。

 

「はいはい、答えればいいんだろう。海を見ていた。それだけだ。他に答えが欲しいか?」

「……あんたがそう言うなら、それでいい」

「……ちっ」

 

 これ以上の対話は無用だと判断して、背中を向けて海から上がろうとした瞬間。国広が長義の手首を力強く握る。舌打ちをする暇さえなく、思わず手を振り払おうとする。だが振りほどくことはできなかった。

 

「……っ! この馬鹿力が……。離せ……!」

「っ……。いや、ああ」

 

 長義の手を離さないくせに、意地でも目を合わせやしない。なんなんだとぐつぐつと腹から熱いものがこみあげてくる。腰を落として肘打ちでも入れてやろうかと目論む。それは叶わなかった。何故なら国広がとんでもない発言を砂浜へ落としたからだ。

 

「……長義。逃げないか」




3/31追記:改行等の編集しました
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