従姉弟の山姥切たちのままならない関係について 作:りんか5434
「……何が言いたいんだ」
どすの利いた低い声で睨みつける。すると、さすがの国広も手の力を緩めた。それでも国広は長義の手を離すことはしなかった。さっさとその手を離せばいいのに。どうして離さないのか。長義には国広の考えていることが全く分からなかった。
「何、か。全く考えていなかったな。まあ、ここからなのか」
国広は顎に手を当てて首をかしげた。長義は国広の言っている意味が分からなかった。つい眉を顰める。そんな長義を見て、国広は緑の目をしばたたかせる。そうしたいのは俺の方だ。そう口にしそうになったが、辛うじて口をつぐむ。
「ここから……? 冗談じゃない。明日は土曜日とはいえ、お前の家は親がいるだろう」
「ああ、親か。俺の親は今日から明後日までは旅行でいないんだ。兄弟たちは家にいるが、あいつらはいってらっしゃいと笑っていた」
少々複雑な関係だが、国広と彼の兄弟との関係はとても良好だ。思い浮かんだ瞬間に頭から即座に消し去りたい言葉が頭によぎるくらいには。
「鏡でも見てみろ。俺たちは制服だ。この服で行くなんて馬鹿げている」
「学校名まで分からないところまで行けば制服なんて意味がないだろう」
「そんな訳があるか」
これ以上は会話を続ける意味がない。国広と話すとその単語が頭に思い浮かんでは離れなくなる。それなのに、長義は国広から視線を逸らすことができない。どうして、どうしてなのか。ぶっきらぼうに返事をして。それでも国広は諦める気配を一切見せない。
「二泊でも、一泊でも、日帰りでもいい。お前が望むなら」
「……」
なぜこの男は突飛に伝えてきたくせに。肝心なところを長義に委ねてくるのだろう。誘ってきたのは間違いなく国広自身なのに。顔を落とし、瞼を閉じる。腕の力をゆっくりと抜く。ため息をつきながら、長義は顔を上げて国広を見据えた。
「ああ、それならついて行ってやろう。それで、どこへ行くんだ?」
言外に、お前の望みなら、と付け加えてやりたいところだった。だが長義にとって癪だったので口にすることはなかった。それに、国広が提案したから長義が提案に乗ったわけではない。長義だって、穏やかな牢獄から背を向けて歩いてみたかった。優等生との呼び声高い長義でも、それくらいは考えるものだ。だから。だから決して国広に委ねたわけではない。断じて。
「それは考えていなかった」
「は?」
国広のあまりの回答に、長義の信条に反する間抜けな声が出た。あんぐりと開いた口が塞がらない。
「いや、いくらなんでも誘っておいてそれはないだろ、偽物くん。全く考えていなかったのか」
「ああ、長義を誘えたらそれでよくて。何も考えていなかった」
「せめて一つくらい考えろ」
呆れを通り越して心配になってくる。でも、長義にとっては好都合だとも言えた。だって、己の望むところに行くことができるのだから。羽が生えたなら。と物心がついた頃に抱いた夢物語を叶えることができる。
「それなら俺が決めていいんだな。どこにしようか……」
「長義、考え込むなら波打ち際よりはいい場所があるぞ」
「許可なく俺の手を引くな」
誰の許可かと言えば、もちろん長義の許可に決まっている。勝手に長義の手を引く国広に文句をつらつらと並べる。だが彼はどこ吹く風といった様子だ。
「せめて靴下くらい履かせてくれ」
「……そういえば、あんた水遊びしてたんだったな」
「言葉を選べ、言葉を」
少々強引に手を振り切って、あえてゆっくりと靴下を履く。濡れた足に靴下が纏わりつくのも不快だが。まあすぐに乾くだろう。両足とも履き終わった瞬間。距離を置いていた国広が近づいてきて、長義の手首を軽く握る。今度は長義も小言を軽く言うに留めた。
国広に連れられて、波打ち際から少し離れた防波堤の上に腰かける。言うまでもなく、国広と長義の間には人が一人入れるほどの距離が空いている。当たり前だが心理的距離はどこまでも遠い。
「はい。着いたぞ。ところで場所は決まったか」
「さすがに十秒かそこらで決めることはできないのだけど」
長義は唇に指をあてながら、少しの間雲隠れの予定地へ思いを馳せる。行き先は決まっていない。でも、漠然とした予想図は長義の頭の中で描かれている。予想図を言語化するよりも先に、ぽつりと口にしていた。
「……雪が降るところ。雪が降るところがいいな。地面が見えなくなるほど積もるくらいの場所だ」
しまった。素を見せてしまった。後悔するよりも先に国広の言葉が長義の呟きを無慈悲にもとらえた。
「いいな。そこはどこだ?」
「知らない。お前が調べろ」
「長義。丸投げは良くないと思うぞ」
「さっきの言動を思い返してみたらどうだい? ねえ?」
輝くほどの笑顔で顔を近づける。国広はやれやれと顔に出しながら、スマホをブレザーのポケットから出した。彼はブラウザを起動する。淡々と検索窓に単語を打ち込んでいく彼を横目に見て。太陽が海へ沈んでいく様子を遠望していた。
もう日は暮れた。夜の帳が下りていく。視線を上に向ければ半月が空に浮かんでいた。内湾に浮かぶには、あと少し時が経つのを待つ必要があるだろう。その頃には、自分たちはどこにいるのだろうか。ここから消えてしまうのだろうか。それこそ沈んでいく宝物のように。
「おい、おい、聞こえてるか。大丈夫か、長義」
どこか焦った様子の国広の声が頭に響いてくる。うるさいな、と抗議の意を込めて国広を睨みつける。彼は安堵のため息をついて言葉を紡いだ。
「ああ、よかった。そんなにガンを飛ばせるなら健康に支障はないな。どうも意識が飛んでいるように見えたから」
「この通り至って健康だよ。ご心配ありがとう」
国広から見たら青筋が出ていたかもしれないが、そんなことはどうでもいい。国広の行動が長義の癪に障ることなんて、今に始まったことではないので。それよりも、何としても国広に悟られてはいけない。長義の弱点を。彼に抱いてしまう感傷を。そんなもの、国広に知られたらその時点で長義は舌を嚙み切るだろう。
「そうか。まあ、体調が悪ければ遠慮なく言ってくれ。俺でよければ応急処置はしよう」
「偽物くんの応急処置は不安だな」
「軽口を言えるなら今は健康だな。そうだ、行き先は決まったが、お前はどうしたい?」
「はあ? 何が、どうだって?」
国広のあまりの言葉の足らなさに心底呆れてしまう。そういえば、こいつはそういう奴だった。ほんの一瞬、国広が一条の光のように見えてしまったなんて。馬鹿馬鹿しくて長義の記憶から消し去る。
「今目的地を知るか、現地に着いてから知るかだ。もう夜行バスは予約した」
「……なるほど。それなら、俺は現地に着いてから知りたいね。その方が道中退屈しないだろう?」
流れていく景色にはしゃぐなんて子供心は忘れて久しいのに。あえて軽口を叩いた。
「分かった。長義、荷物の準備はどうする。俺は充電器とケーブルコードは持ったぞ」
「お前の荷物はそれだけなのか? 俺はコンビニで調達するつもりだ。できれば家から少し離れたところでね」
「荷物は軽い方がいいだろう。どうせ制服なんだ。着替えなんていらないだろう」
「いやいるだろう、下着とか」
「それはすでに調達してある」
「手際がいいな」
軽快なやりとりだ。だが確かに、馬鹿げた計画が確かに進んでいることを実感する。この男の行動力は荒唐無稽な領域まで達していることを思い出した。取り返しがつかないところまで足を踏み入れてしまっているのに。長義の心は弾んでいる。
「そうだ。バス代はお前が俺の分まで振り込んだんだろう。後で俺の分を払おう」
「そうだったな。助かる。……忘れていたがお前の財布は平気か? 宿泊先もすでに俺が決めたが」
「本当に手際がいいな。そこだけは褒めてやろう。あと、金については平気だ。好きにしていいと言われているクレジットカードがあるし、現金も多めに持ち歩いているからな」
クレジットカードについては嘘はついていない。長義の親名義で利用できるクレジットカードもあるが、今回の旅で使うのは別のカードだ。長義の家庭を心配してくれた親戚から「必要となったらこれを使って」と渡された。自由に使えるカード。これなら履歴で自分たちの居場所が分かることはない。今度親戚に会ったら心からのお礼を言うことを決意した。
「分かった。ちなみに宿泊先はビジネスホテルだが駅から近いぞ。しかもバイキングまである。食い放題だ」
「食べ過ぎて出禁になるなよ」
「気をつけて腹八分目を心がけておく」
思い返してみれば、長義が国広とここまで話したのは久しぶりだ。いや、初めてかもしれない。少なくとも、高校に入ってからは初めてのことだった。肝心の会話は長義が目くじらを立ててばかりだ。だが意外と心地がよい。本人には一生言ってやらないが。
「それで、夜行バスはどこで乗るんだ? ここから近いか?」
「いや、電車とバスを乗り継いで一時間半だ」
「けっこうかかるな。まあ、夜行バスの発車時間を考えればそれくらいが丁度いいか」
夜行バスと国広が言うのだ。発車時間は恐らく二十二時か二十三時頃だろう。旅を好む親戚の、どこまで本当か分からない突飛な話を話半分で聞いていたことが功を奏した。彼が夜行バスの経験者でよかった。長義は空を見上げてみる。彼が好んで羽織っている外套の裏地の色には程遠かった。
「夜行バスが出るまでどうするか。せっかくだから観光でもするか?」
「物資の調達の方が先に決まっているだろう。まあ、調達が終わったら土産物くらいは見ておくか」
「土産か。あんたに渡す予定があることに驚いた」
「親戚へ礼をしなければいけないことが増えたからだ。主にお前との旅について」
礼よりは、長義が旅の話をする。それだけで彼らはこれ以上ないほどに喜んでくれるだろう。でもそれは長義にとっては本意ではない。受けた恩はきちんと返したい。長義にとって数少ない、自分を慈しんでくれる相手であるからこそだ。
「長義にとって信頼できる大人がいるのなら何よりだ」
「誰目線だ」
「従姉弟目線だ」
普段なら長義と国広が血縁関係であることをさほど意識しないのに。思いもよらない些細なところで意識させられることがある。それは長義にとって、小さな棘を飲み込んでいたことを痛みで思い出すようなもので。痛みを忘れようと長義は強引に話を切り替える。
「そうだ。スマホの設定を一応機内モードにしておくから、調べたりするのは偽物くんに任せたよ」
「俺か?」
「生憎、俺のスマホでは親からの通知が煩わしくなることが分かりきってるものでね」
「言われてみればそうだな」
心底納得した様子の国広が腹立たしく思えてくるが、実際に腹を立てるのも馬鹿馬鹿しい。何より、人間関係の機微に鈍い従姉弟にはっきり面倒だと理解されている親への苛立ちが長義の内心にある。
「そろそろ移動するか。まずは駅までバスに乗るぞ」
「その前に偽物くん。言いたいことがあるのだけど」
「なんだ? もったいぶらないでさっさと言え」
「旅に必要ないものはどうするんだ? まさか持っていくだとか、捨てるとは言わないよな」
「ああ。俺の家に置いていけばいい」
「…………不可だよ、不可」
最悪。最悪だ。そうなるならいっそ言わなければよかった。紛うことない失言だ。しかし、荷物の問題は避けられようがない。なので国広の提案を受け入れざるをえない。
「一瞬だけ、一瞬だけだぞ」
「分かってる。今なら兄弟たちもいないからすぐに済むぞ」
あの人の良い彼の兄弟たちが国広の家にいた場合。長義を心から歓迎した結果バスに乗り遅れる可能性がある。それはそれで大変だ。会わずに済むなら越したことはない。後日菓子折りを持っていくかと考えて、長義は先を歩く国広を小突いた。