従姉弟の山姥切たちのままならない関係について 作:りんか5434
海辺近くのバス停から三駅ほどの距離。そこに国広の家がある。国広は海辺から彼の家まで歩く予定だったらしいが、それは長義が全力で拒否した。幸い、五分もせずにバスが来た。運がいいと呟いて長義と国広はバスに乗る。バスは少し混んでいるが、後方の二人席は空いていた。二人はそこに座る。
車窓から流れていく景色は電車とはまた違って趣がある。長義は意図的に国広と目を合わせないようにしていた。国広との無言の間は、長義にとって嫌いではない。何故なら喋らなくてすむからだ。理由は違うだろうが、国広も同じらしいので長義は積極的に黙っている。
十分ほどした時。国広が降車ボタンを押した。そろそろ国広の家に着くらしい。慣れた様子で下車する国広に倣って、長義も見よう見まねで下車する。バスが去ったあと。交通系ICカードをしまった国広が長義に向かって呟いた。
「あんた、バスに乗ったことがないのか」
「……それを本人に言うのはどうかと思うよ、偽物くん」
「それはすまなかった。だが、本当に一回くらいは乗ったことがないのか?」
「記憶の限りではないね。そもそも、両親とどこかに行くことなんてほとんどなかったし、あったとしても車移動がほとんどだった」
幼少期から、両親と共に遊びに行くことも、旅行に行くこともなかった。せいぜい本家の集まりに顔を出すために新幹線や飛行機に乗ったことはあった。だが、移動にバスを使うことはなかった。長義の話を深刻にとらえたのか、国広は妙に静かだった。
「……そうか。変なことを聞いてすまなかった」
「謝るくらいならさっさと家まで案内してほしいな」
「あ、ああ」
右手と右足を同時に前に出しながら歩く国広がおかしくて、思わず長義はクスッと笑みをこぼす。この旅は案外悪くないのかもしれないと思うには、自分は流されやすいのだろうか。知らない自分と会えるのなら、それは長義にとって悪いことではなかった。
国広の家に着く。表札には山姥切と書かれていた。忘れていた胸の痛みを思い出して、長義の眉間に皴が寄る。そんな長義の様子には気が付いていない国広が鍵を開ける。
「ただいま。誰もいないがな」
「お邪魔します。はい、これが俺のいらない荷物。どこにしまうんだ?」
挨拶をして玄関に足を踏み入れるや否や、長義は国広に教科書と参考書を押し付ける。突然持たされた紙の束に嫌な顔一つしないで、国広は質問に答える。
「もちろん俺の部屋だ。入るか?」
「入らないが?」
「ならリビングで待っててくれ。飲み物は出す」
さすがに従姉弟でも、同級生の男の部屋に入ることはためらわれた。これが猫殺しくんなら長義の方から喜び勇んで入っているが、国広となれば話が違う。
長義の荷物を机に置いた国広は台所に入って、未開封のジュースの缶を開けてコップに注いだ。来客用であろうコップは小ぶりな花柄模様で。国広には笑えるほどに似合っていなかった。だが、長義の知らない家庭の温もりがそこにあった。長義の胸がきつく締め付けられる。下を向いて黙り込んだ長義に困惑しながら、国広は長義にコップを差し出した。
「長義。りんごジュースだ。これくらいしかなくてすまないな。……体調が悪いのか?」
「……偽物くんの心配には及ばないよ。あと、飲み物はありがとう」
長義の様子を気遣いながらも、国広は傍に避けてあった長義の荷物を国広の部屋へ置きに行った。人の足音が聞こえるのも、長義にとっては久しぶりのことだった。何より、足音に安堵するなんて。そんなことはありえなかったのに。それでも安らぎには勝てずにうつらうつらとしていると、国広の足音が近づいてきた。
「長義、寝ているのか。俺はもう行けるぞ」
「俺は起きているが? とっくに行けるよ」
「……そうか」
国広の目線がコップに注がれる。まどろんでいたから飲んでいなかったことに長義は気が付かなかった。内心の動揺を見せずにさっとコップを手に取って優雅に飲み干す。羨望ごと飲み込んでしまいたかった。
「よし、偽物くん。バス乗り場まで行くよ」
「ああ。行くか」
いつの間にか国広はネクタイを外して、ブレザーを脱いでいた。代わりに私服のカーディガンを着て、恐らくは長義用であろう大判のマフラーを手に持っている。銀色で、裏地は青い。広げれば一人くらいは覆えそうだ。これで制服を隠せということだろうか。マフラーの使い方を思案しているうちに、国広が長義にマフラーを差し出した。
「長義。これを使え。温かいぞ」
「……助かる」
コートは着ているが、上半身に対して下半身の温もりが心許ない。マフラーはありがたく使わせてもらおう。長義はマフラーを首に巻いた。大判なので顔が若干埋もれたが、身支度は終わったのでこれでいつでも出発できる。マフラーから国広の家の匂いがしたことは黙っておこう。いつか長義にとって気に食わないことがあった時、交渉材料にでもしてやるために。
「偽物くん。俺はいつでも行けるが」
「分かった。では行くか」
国広が玄関の鍵を開ける。自分たちはこれから未知の世界に行くのだ。いつの間にか、握り拳ができていた。短く息を吐いて、長義は顔を上げる。上空には北極星が煌めいていた。
国広邸から彼の最寄り駅まで無言で歩いた二人は、これまた無言で電車に揺られていた。彼らの友人を除けば、大抵の人間は悲鳴を上げて逃げ出すほどに耐えきれない空間だっただろう。長義と国広の周りには人が寄り付かないまま、二人を乗せた電車は目的地に到着した。
改札を出た二人は駅の大きさに感嘆の声を漏らす。ここは長義たちの住む県の中でも特に大きな駅だ。長義は知らないうちに頭の中の感想を言葉に出していた。
「さすがに大きい駅だな。ここからバス乗り場を探すのか」
「俺の情報だと夜行バスの乗り場は分かりにくいところにあるらしい。長義、俺が迷っていたら言ってくれ」
「お前が迷っていたらそれは俺も迷っているんだよ……ほら、貸せ。地図を見てやる」
国広が起動した地図アプリに従って、バス乗り場を探す。探している途中で品ぞろえのよさそうなコンビニを見かけたので長義は振り向いて国広に声をかけた。
「偽物くん。コンビニに寄るぞ」
「分かった。出口で集合な」
「ああ」
会計を同時にして、店員に駆け落ちでもするのかと怪しまれでもしたら話にならない。長義も国広もそのリスクは理解していたので早々に分かれて別々のタイミングでコンビニに入る。
長義が買うものは洗顔料や下着、あとは寒さ対策のカイロだ。一応コンセントに繋ぐタイプの充電コードも買うことにした。充電器だけではスマホの充電が心許ないので。
出口の方をちらりと見ると、国広が手を組んだ状態で立っていた。もう買い物は終わっているようだ。長義も買い物を済ませてコンビニを後にする。荷物の一部はスクールバッグに入りきらなかったので、長義は手にカイロの束を持っている。
「旅支度は終わったかい? 偽物くん」
「俺はとっくに終わっているが。むしろあんたの方がかかっているだろ。ほら」
呆れた様子の国広に指をさされたそれは、長義のスクールバッグだった。長義の荷物が全て入っているそれは、買ったものや元々学校に持って行っているものでパンパンになっている。対照的に、国広のリュックは長義の荷物を入れたとしてもまだ余裕があるように見えた。
「お前の分まで用意してるんだから、感謝しなよ」
「……俺の分まであるのか?」
「カイロとかいるだろう? 偽物くんはカイロなしで雪国に行きたいのかい? ねえ?」
未開封のカイロの束を国広の目の前で揺らすと、国広がため息をついて両手を肩まで上げて降参のポーズをとった。
「分かった、分かった。まあ、まだ時間はあるか。長義、夕飯はどうする。どこかで食べるか」
「……それなら」
「ん? なんだ?」
「行きたい場所がある」
長義が今まで行ったことがないところに行く。それが今回の旅のひそかな目標だ。国広にも内緒だ。人生経験が少ないなんて、国広に思われたら長義は憤死しかねないからである。
「へえ。そこはどこなんだ?」
「……ルド」
「はあ?」
「あの外国発のファストフードチェーン店だよ! 悪いか!?」
国広に理不尽に突っかかっている自覚はある。だが長義は感情の高まりを止められなかった。国広なら特別視しないほど通っているであろう店は、長義にとっては一度も入ったことない未踏の地であり憧れである。長義が頑なに親から言われてきたファストフード店への否定の言葉を、国広は生まれてこの方聞いたことがないのだ。
国広が店のロゴが入ったハンバーガーを食べているところに何度も居合わせる度に羨望を募らせてきたため、長義が抱く感情も厄介なものとなっていた。そんな長義の内心を知ってか知らずか、国広は平時と変わらない声で自分たちが通ってきた道を指さす。
「ああ、あのハンバーガー屋か。いいんじゃないか? 確かさっき通ったところにあったと思うぞ。近くにあってよかったな」
「……ああ」
軽く受け流されたことに安堵を覚える自分がいたことに、長義は狼狽した。己の取り乱している姿を国広に見られたくない一心から取り繕うことになんとか成功したが、それでも長義の中に渦巻く言語化できない感情がある。自分に自信があるからこそ、その事実は長義にとって許しがたいことだった。けれど、こんなことを考えていても仕方がない。長義は来た道を戻る国広の後ろを無言でついていった。