従姉弟の山姥切たちのままならない関係について 作:りんか5434
「長義、長義。一旦降りるぞ」
「なに? もうついたのかな」
「まだ寝ぼけてるな。ここは休憩所だ。目的地まではしばらくかかるぞ」
暗かった照明がついた。それと同時に国広の声がしたので、長義はうっすらと瞼を開ける。視界いっぱいに国広の顔がある。彼は随分と困った表情をしていた。困っているのはこっちだ。自分が何故目の前にいるのか。
「うーん、寝る」
「今寝ると大変だ。顔くらい洗っておけ」
一瞬自分の顔が目の前にあるのだと勘違いする。現実かと疑って、もう一度寝ようとした。だが国広にぺちぺちと頬を触られて止められた。やっと起きる意思を得た長義は寝ぼけまなこをこすって起きようと試みる。足掻いているうちに、国広に手を引かれた。バスを出て歩く。歩いているうちに意識が覚醒していく。どうやらここはパーキングエリアのようだ。意識が覚醒しきったところで国広が長義の手を離した。ようやく自分が今いるところが手洗い場だと判断する。
「ここで集合にするか」
「ああ、わかったよ」
「……不安だな。もしあんたが来た時に俺がいなかったら先にバスに戻っててくれ。バスの番号は覚えているよな?」
「覚えているよ」
「よし、なら平気だ。またな」
再三顔を覗き込まれ。しまいには子どもに諭すように言われると、長義も一言くらい言いたかった。だが明らかに自分が負けることは分かり切っていた。そのため口げんかに発展することはなかった。
手洗いを済ませて、ふと空を見上げてみる。集合場所から見える夜空は車のライトや建物の光に紛れて見えなかった。けれど、長義にとっては人工の光こそが明日への希望のように感じられた。
長義らしくないと鼻で笑われそうなことを考えられることに解放感を覚えながら、長義は国広を待つ。彼が長義を待たせることはあまりない。なぜなら、待たせるようなことがあったら長義が国広にぐちぐち文句を言うからである。微妙な空気の中、謝罪の意思が見られない国広に、長義が余計に腹を立てて収拾がつかなくなったことも幾度となくあった。さすがに二人旅でわざわざ空気を険悪なものにする必要はないのだから。国広も配慮しないはずがない。
「偽物くんは何をしてるんだろうか……」
「俺はここにいるが」
「! ……なんだ、いるならさっさと言ってくれれば良かったじゃないか。これだから偽物くんは」
「ああ、すまなかったな。長義を待っている間、これを買っていたんだ」
寒さに耐えようとして、バス内ではひざ掛けにしていたマフラーを首に巻き直す。その瞬間、長義の真後ろに国広が立っていた。その気配のなさと感情の読み取れない表情に長義は思わず声を上げて飛び退く。長義の反応に面食らっていた国広は意識を現実に呼び戻すと、長義に手に持っていたものを見せた。
それは温かい水が入ったペットボトルと、ホットアイマスクだった。ペットボトルは即席のカイロになりそうなもの。ホットアイマスクに至っては国広に似合わない可愛らしいデザインで。思わず笑いを禁じ得ないものだ。
「あんた、バスの中であまり寝られていなさそうだったから。これがあれば寝られるだろうかと」
「……俺は普通に寝られたが」
「うなされてはいたぞ。あんたは記憶にないようだが」
「…………」
「俺は寝言は聞いてないし、あんたの事情はそれほど知らない」
国広は不器用だ。誰よりも優しくて、本気で他人と向き合える。それでいて、要領は良くないから長義のように上手には生きられなくて。向き合おうとした他人に裏切られるようなこともあったのに、まだ人間を信じている。現状以上に傷つきたくなくて、全てに背を向けた長義とは大違いだ。国広の存在が長義を焼き焦がす。目を逸らしたいのに、逸らすことができない。その事実を、国広は知っているのだろうか。長義が魂から知られたくない。知られてたまるかと思っていることも。
「……バスに戻るよ、偽物くん」
「わかった」
結局、話をうやむやにして長義と国広はバスに戻る。バスに着いた国広はまた長義に窓際の席に座るよう促した。やはり一言くらいは言いたかった。だが、人の行為を無碍にすることは長義の矜持に反することなので大人しく受け取っておく。
「俺は寝るから、偽物くんも寝ておくといいよ」
「わかった。あんたもぐっすり寝られるといいな」
「……ああ」
前言撤回。やはりこいつにときめいたことは忘れよう。というよりそんなことはなかった。誰が何と言おうとなかったことだ。こんな朴念仁に、と膨らむ疑問を押さえつけて長義はアイマスクをつける。ぐっすりと寝られるかどうかはともかく、訳の分からない夢を見ることは確定しているな、と長義は先を案じた。腕に微かに触れる国広の体温が妙に温かかった。
まどろんでは覚めていくのを幾度となく繰り返していると。不意にバスの明かりがついて運転手のアナウンスが鳴り響いた。すると横で腕を組んだまま深い眠りについていた国広が顔を上げる。彼はそのまま停車駅の名前を確認した。
「……おはよう、長義。あと数駅で降りるぞ」
「おはよう、偽物くん。昨日はありがとう。おかげでそれなりには眠れたよ」
眠れなかったことを素直に言えば、どこか繊細な国広は自分を責めるだろう。どうしてか、国広には罪悪感を抱いてほしくなかった。だから長義は嘘の申告をした。おそらく国広には悟られているだろうが。ただ、長義自身の問題なだけなのだから。国広に介入する余地はないことだ。
「……それならよかった。ところで、もう朝なのか」
「カーテンでも開けろと言いたいのかい?」
ご要望なら、と軽口を叩いた長義はきっちりと閉まっているカーテンの隙間をちらりと覗き見た。その動作だけで朝日が自分達の席に入り込んでくる。眩しさで思わず目を細めた。この眩しさで他の乗客の迷惑になってはいけない。慌ててカーテンをしっかりと閉める。
「……」
「……今ので分かったかな。しっかりと朝だ」
「実演感謝する」
「……自分からやらせておいてその言い方はなんだ」
互いに沈黙して、長義が話題を切り出したと思えば言葉の足りない国広が火をつける。いつものやりとりに安心感すら覚えた。夜中、夢を見ることさえできずにずっとカーテンの柄とアイマスクの暗闇を見ていた。そんな長義からすれば今のやりとりすら心地がいい。
「降りる時になったら俺が声をかけるから、まだあんたはゆっくりしてていい」
「はいはい分かったよ偽物くん」
唐突に話題を変えた国広にぞんざいな返事を返す。ぷいと顔を逸らして、長義はカーテンをこっそりと静かに開ける。目的地に着いたら顔を洗いたいし髪も洗いたい。朝食も食べたい。朝食を食べるなら何を食べようか。ご当地料理でも食べようかと考えていると、国広が床に落ちていたマフラーを拾う。夜中に長義の膝にかけていたのだが、どうやらうなされているうちに体から落ちていたらしい。長義の足元に落ちているのを国広が屈み込んで拾った。その腕が長義に触れそうになった。
「……一言くらい声をかけたらどうだい」
「それはすまなかった。確かに言えばよかったな。気が付かなかった」
「次からはよろしく頼むよ」
平静を保ちながら話していたが、本当のところ長義の指先はほんのりと赤くなっていた。二人旅に出てから長義にも分からないことがたくさん起こっている。長義にとって国広は従姉弟で、憎むべき存在だ。どうしてそんな彼に長義は惹かれようとしているのだろう。その答えは知りたくなくて、心の奥に鍵をかけて忘れることにした。