「これは魔晶石と言ってね。魔力を内部に蓄える性質を持った水晶さ」
シェナドは紫色の水晶を、イリオに見せた。
太陽の光で輝き、どこか妖艶な要素を醸す、それに目を奪われた。
ちなみに現在は訓練中。ザイロはその周りを、両手足に砂鉄をまとい、歯を食いしばりながら、重そうに走っている。
この講習はそのついで。
イリオが、自分も魔法を使えないか、シェナドに聞いてみたところ、これを見せてきた。
「これまでは、ただの魔力によって光る石、ぐらいの認識だったけどね。僕の技術により、若干ながらここに魔法自体を詰めることに成功した。どうだい、すごいだろう」
「はい、とてもすごいと思います」
その言葉は本心だが、感情の起伏のない、なんだか棒読みのようなイリオの言葉に、シェナドはちょっと怪訝そうな顔をする。
「まあつまりだ。これを使えば、生まれながら魔法を使えないものにも、少しだけ魔法を使わせることができるんだ」
「なるほど」
イリオの表情は硬い。だがその目だけは力強く、真剣そのものだった。
「ただし、非術者は特性上、その体に宿す魔力は非常に薄い。この水晶、僕は『保術水晶』と呼んでるが、これを使えばそれすらも奪われてしまう。一日に二度も使えるかどうか。魔力の回復能力も非常に薄いから、一週間は寝込むことになるだろう。実際、ベルは二日、立ち上がれなかった」
「構いません。いま、私にできる最大限のことをしたいです。どうか、その水晶、頂けませんでしょうか」
シェナドはちらりと、周りをドスドス言わせながら走る、ザイロを横目に見る。
「弟子の仲間の頼みさ、断れないよ。どうか、彼を頼むよ……僕の、たった一人の弟子なんだ」
何を思うか、シェナドの瞳は、柔らかく、ザイロを思う暖かさを放っていた。
それをみてイリオは頷く。
「できる限りを尽くします」
「それは良かった。じゃあ、僕の右腕を握ってもらえるか?」
言われるがままに、出された手を握る。
「魔力は体のすべての細胞から発せられると言われている。腹の底に力を入れて、自らが薪となり、火となり、からだを燃え上がらせる様子をイメージするんだ。掴んだ手から、君の魔力を遠隔操作して、使いやすくしてあげるよ」
頷き、言われた通り、全身に力を込めた。
ゆっくりと、体が温まっているような気がした。
すると、シェナドの目が見開かれる。
「これはっ……君、すごいよ!」
その反応に、イリオはドキッとした。
もしかして私に、すごい才能がーー
「まっっっったくない! カラカラ! 雨が一年続かなかった砂漠のようだ。こんな魔力のない人間は、見たことがない!」
落胆。
凄まじい勢いで落とされた気持ちと裏腹に、シェナドは興奮気味だ。
「すごい、すごいよ。普通はみんなちょっとはあるはずなんだ。なのに君は一切ない。こんなサンプルは初めてだ、転生者と同じぐらい貴重かもしれない。ぜひ血や皮膚をもらいたい」
「どうぞ、必要ならお渡しします」
そう答えるイリオの顔は、ちょっとだけ不服そうだった。
「なんだい、もしかして、怒っていたりするかな。やめてくれよ、才能がないのは僕のせいじゃ……」
シェナドがイリオの後ろ、遠くの方を眺めているのを見て振り返る。
長髪の男が一人。
本を手に、それに視線を落としながらも、こちらにまっすぐ近づいてくる。
「どなたでしょうか」
疑問を口にしてシェナドへ向き直ると、イリオの背筋に少し力が入った。
シェナドの表情が、いつもと違っていた。
飄々とした、人を食ったような笑みが消えている。
戦闘体制、というわけではない。ただ、瞬きの回数が減り、独特の静けさを纏っていた。
いざとなれば、いつでも動ける。そういう類の。
「シェナドさんですね」
距離としては三メートルほど。
男は警戒しているシェナドの雰囲気を感じたか、少し距離を取って言った。
「そのとおり、僕はシェナドだ。赤獅子の者に知ってもらえていて光栄だ」
シェナドがそういった時に、イリオははっとして気がついた。
男の肩に、赤獅子の証、肩当てがあったことに。
「『千魔』……後にも先にも、それだけの称号を持つものはきっといません。紹介が遅れました、僕の名前はローベンド。二つ名は『歪界』 。察しの通り、赤獅子です」
「その赤獅子の人が、何の用ですか」
答えたのは、いつの間にかシェナドの背後にいたザイロ。「この人は俺の師匠です。強くしてもらってるんですよ。変なことされると困りますよ」
「変なことではありません。ただ、僕は軍の命を受け、シェナドさんと他二名を王都につれていくのが目的です」
ザイロとイリオは息を呑む。
シェナドは冷静。表情を崩さない。
「つまりそれは、逮捕? 連行ってことですか」
「それは状況によって変わります。僕は任務を遂行するだけ。大人しくついてくれるなら送迎。逃げるというのであれば」
本に向いていた目がギロリと光り、シェナドを捕らえた気がした。「捕獲し、強制連行する。それが僕の任務だ」
「理由は」
「知りません。僕には知ったところで意味のないことだから。赤獅子として、彼女を連れて行くというだけです」
「だったら、なおさら少し遅れたっていいんじゃないですか。三日でいい。三日後、師匠達は大人しくあんたについていくよ」
「ザイロ。勝手に僕の連行日を決めないでくれるか」
とシェナドは不敵に微笑む。「とはいうが、僕もザイロと同じ意見だ。もう少しだけでいい、時間をくれないか」
「断ります」
考える間も一切なく、そう返される。「僕に利点がありません。本日の昼に馬車がでる。それに乗ってもらいます」
なんとも理屈っぽい返事だ。
そういや、こんなふうに突っ返されたこともあったな、と思いながらザイロはシェナドの後頭部を視界の端で捉える。
「理由もなく、説明もなし、今すぐつれていく。そんなことがまかり通るか?」
そう言って、ザイロは一歩、シェナドへと近づいた。
国だかなんだか知らないが、訓練の邪魔されたら困る。
シェナドの魔法を使えば、逃げるのはそう難しいことではないはずだ。
「ザイロ……」
肩越しにザイロを見て呟くシェナド。
その瞳は、何かを訴えているように見える。
「どうした師匠。もしかして、心当たりがーー」
「やめておいてくれ」
真後ろ。ローベンドの声と、肩に置かれる手の感触。
全身の毛が逆立ち、一瞬にして額が汗で濡れる。
先程までいたはずのローベンドの場所には、一切の人影も移動の痕跡もない。
高速移動……いや、これは、瞬間移動?
「僕は軍からの使者だ」
ローベンドは淡々と、あまり感情を込めずに、背後からザイロに説明する。「下手に抵抗するなら、君も連行することになる……それはシェナドさんも望まないだろう」
思えば、彼は軍からの使者だというのに、護衛も連れずに単騎で来た。
それはつまり、シェナドを逃がすことなく、一人で捕らえるだけの実力があるということ。
おそらく、さっき向けられたシェナドの目はそれに気づいているものだった。
「なるほど……よくわかりました」
振り返らずにザイロはいった。
「分かってもらえて助かります」
ローベンドが肩から手を離すと、体から強張りが抜ける。
クソ……上には上がいるってことかよ。
こうなってはもうジタバタしても仕方がない。ザイロは深呼吸して、現状を受け入れる他なかった。
「街の外に馬車を待たせています。空の色が変わる前には、そこに来てください」
そう説明してその場を去ろうとするローベンド。
「随分と信用してくれてるみたいだね」
シェナドがそう返答すると、
「あなたが、それほど愚かとは思いません。それでは待っていますよ」
ローベンドは本を読みながら、その場を離れていった。
「うーん、もうちょっと塩味がたりないなぁ」
ベルが酒場の準備をしている休憩時間、リサは倒れた木に座りながら、自作のパンをむしゃむしゃと食べながら待っていた。
「調味料すくないからなぁ。高いし。魔法で作れないかな、火で海水をーー」
瞬間、ゾクリと来る直感。
咄嗟に横に避けると、座っていた自分の場所に、斧が振り下ろされた。
強烈な勢いに木が両断され、皮が散る。
それを振るったのは、鳥の羽で作られた仮面で顔の上半分を隠したベル。
「なにしてんのベル師匠」
そう問いかけると、バレると思わなかったのか、ちょっとだけベルはたじろいだ。
「わ、私はベルじゃない。この森を守る……妖精だ」
「いや、師匠でしょ。てか、妖精って。斧振り回す妖精がどこにいんのさ。どっちかっていうと珍獣ーー」
「黙れ!」
その口元から恥ずかしさをにじませたベルが、一瞬にして間合いを詰める。
再度、脳天めがけ振り下ろされる斧。
半歩引いて最小限の動きで回避する。
「当たらなーーうわ!」
次は目を狙った一撃。体を引いて避ける。「ちょっと、ストップストップ! ほんとに危ないよ!」
いつもとは違う雰囲気だった。
リサの回避能力が高いとはいえ、急所を集中して狙うことはない。
直感で動きが分かっても、回避は絶対じゃない。
状況によっては躱せない攻撃だってある。ベルもそれは承知の上のはず。
命の危機。それにリサの表情は一気に真剣味を帯びる。
この人は本当に……師匠じゃない?
と、一瞬思うも、その疑問はすぐに消える。
果たして、何度ベルと立ち合ったか。
その動き。その姿勢。その所作。すべてがベルであると語っている。
ただこれはいつもの模擬戦じゃない。殺し合い。
どちらかが戦闘不能にならないと、終わらない。
三回、四回、五回。
何度も振るわれた斧を避けるも、反撃ができない。
しかし、その中で気がつく。
攻撃が甘い。
ピンポイントではない。おそらく、狙った場所へうまく攻撃できていない。
理由は一つ。あの変なお面。
目の周りの毛が邪魔して、視野を狭めている。
大きな横ぶりの攻撃。それは、面の羽を揺らし、一部視界を遮る。
それを逃さず、リサは懐に入りこみ、魔力を込めた掌を顔にかざした。
「『爆裂掌!』」
ボンっという音。
それは小さな爆発だった。
ちょうどベルの面だけを吹き飛ばすような。
舞い散る羽。そこに立っているのは、どこか満足げなベル。
「ふん、やるじゃないか。びっくりしたかい。本当は森の妖精なんかじゃない。私だ」
「いや、わかってたけど……まあいいや、なんでこんなことしたの」
「理由もなしに、こんなことしないさ」
ベルは斧を肩に置くと、目を閉じて重い溜息を落とす。「私は、これから王都に連行される。今日で修行は終いだ」
それを聞いて、リサは慌てふためく。
「ええええ! 嘘、ベル師匠、犯罪者だったの! もう!何したの、最低ーーってぇ!」
ベルの高速の平手がリサの頭を叩く。
殺気のない攻撃は読むことができない。
「最後まで話をききな。私はね、くだらない生き方をした覚えは無い。ただね、どうも裏がありそう。これは予測だけど、あんたらの敵は、そういうこともできるってことだね」
説明されるもピンと来ない。
「うーん、わかんないけど、師匠が犯罪者じゃなくて良かった!」
もう何をいっても無駄だと悟ったか、ベルは額に手を置く。
「はあ、もういい……私の言いたいこと、分かるか。きっとアタシ達が居ない間に、あんたらは敵と戦うことになる。そん時に、当然だがアタシは助けられない。そんな緊張感のないーー」
「大丈夫だよ」
ベルの言葉を遮ったその声は、いつもの間延びしたものとは違っていた。
短く、低く、揺るぎない。
リサの瞳。
それはとても力強く、口元には自信の現れたか、少し上がる。
「私の師匠、誰だと思ってんの。ベル師匠だよ。負けないよ」
それをみて、ちょっと驚いたベルは、満足そうな顔をしてプっと吹き出した。
「まったく、どっからその自信がわくんだか……そうだね。もう一回いってやる。あんた、大当たりだよ」