「俺の想定通り、ゼノンと誰かがお前を追うとしよう。林の中で馬を留めておくから、それに乗って、イリオは逃げろ。リサ、お前は敵の足止めだ」
レインが説明すると、リサはイリオの顔をのぞき見る。
「イリオちゃんってさ、馬乗れるの?」
「あの……乗ったのは、何度かだけしか」
自信なさげに肩を落とすイリオに、レインは続ける。
「重要なのは相手に馬を使って、逃げられていると思わせることだ。敵は判断することになる。立ち向かうリサに全力で相手をするか、それとも馬で逃げるイリオを追うか。とんでもないバカでない限りは、邪魔されぬようにリサに戦力を残して、誰かがイリオ追うことになるはずだ。想定では、確実にイリオをとらえるためにゼノンが動く。奴の魔法は拘束に適しているからな。これで、こちらで見える限りは敵戦力の完全な分断ができる」
「あのさ、敵がバカじゃない限りっていうけど、すっごいバカだったらどうなるの?」
「逃げろ、お前のできうる限りの力でな」
リサは机に額を当てると、腹に手を当ててうずくまった。
「あああぁ、痛い痛い、心配でお腹痛いかもぉ」
「無理はしないでくださいね。私のことは気にしないで」
心配そうに、背中に手を添えるイリオ。
リサは顔だけ前に向くと、その額には深いシワが刻まれていた。
「いや、やるけどさぁあ。そんなのはレインがやってよ。レインは何してるのさ」
「自由行動だ」
「はあああぁぁ~~~?」
リサは明らかに不機嫌そうに、口を尖らせる。「お気楽なもんですね、参謀さんは。私らがヤバイって時に、自由行動ですって」
「敵が想定数を上回ったり、イレギュラーが起きた時に対応をするためだ。お前にできるならやらせるが?」
「参謀」
面倒くさそうに割って入るザイロ。「ムカつくのは分かるが、ちょっと思いやりを頼む。コイツはコイツで緊張してるんだ」
レインは、ムスッとするリサと、心配そうに寄り添うイリオを一瞥して、喉を鳴らした。
「まあ、俺は俺で重要な動きがある。この作戦では、一時的にイリオは捕らわれる想定になる。もちろん、それを奪い返すが、最悪のシナリオは、俺達がそれぞれ時間をかけすぎて、イリオをそのまま連れ去られてしまうこと。それを事前に阻止する。俺が敵の機動力を、事前に削ぐ」
時間はあまりないということは分かっていた。
自分がどれだけ早く二人の戦闘に加勢できるか。それでこの戦いの結果が決まる。
レインは森の中を全力で駆け、その目は入る映像のすべてを注視している。
クソ、どこだ。
ゼノン達が馬で来たのは分かっている。
来た方向的にもこのあたりに馬を停めているはず。
が、運が悪かったか、なかなか見つからない。
迷っている時間が無駄だ。さっさと街に戻るべきかと思ったが、その時にやっと視界の端に馬と、無駄に豪勢な馬車が見えた。
チっと、舌打ちをし、抜刀して駆ける。
心苦しいが、馬には死んでもらうしかない。
人じゃない。それに、今は一秒を争う緊急事態だ。
レインは刀身に魔力を込める。
斬撃を飛ばす魔法。
名前を知らないのでレインはこれを『斬空』と呼んでいる。
誰に教わったわけでもない、修練の中で自らひらめいた技だ。
威力はあるが射程は十メートルほど。
射程圏内に入ろうという時、レインは急停止。勢いで地面を数センチ滑った。
違和感。
馬車に人影がない。敵も焦っているとはいえ、無人で残すか?
それと、肌に感じる、殺気めいたもの。
ビシっと足元に何かが穿たれる音がすると、レインは木の上、動きのあった場所を視界に捉え、刀を構える。
見えたのはハットを被り、クロークに身を包む男。
歳はシャッジと同じくらいだろうか。黒いヒゲがよく目に付く。
「馬には手を出さないでくれよ。アイツラは夜通し頑張ってくれたんだ」
木の葉と一緒に落ちてくる男。
目を合わせると、体の芯からやってくる、違和感と震え。
男は不敵に笑ってみせた。
「お、転生者かい。最近よく会う。信じるたぐいじゃないが、これは運命ってやつーー」
軽口を叩く男に対して、『斬空』を放つも、横に避けられた。
切断された後ろの木を横目に、男はほくそ笑んだ。
「そんな焦るなよ。ジジイからのアドバイスだ。余裕がないやつは……モテない」
返事はしない。今、そんな暇はない。
次の攻撃のため、刀身に魔力を込め直す。
「つれねぇな。珍しい剣。レインっていうんだろ」
楽しそうに歯を見せる男。顔の前に出した手、その指と指の間に小さな鉄球が挟まっている。「俺はニクスってんだ。二度目の人生だ、楽しんでいこうぜ」
依然、何も応えない。
楽しむ? そんな余裕はない。
レインの目に、刀身と同じ鈍い銀が光る。
仲間の命がかかってるんだ。
手綱を握る掌は、もう感覚がなく、今にも足が取れ落ちそうなほどに股が痛む。
涙をにじませながらも、少しでも遠く離れるためにイリオは馬にまたがり急いでいた。
「頑張って、お願い……もう少し、もう少しだけ早く」
祈るように呟いていると、突然、頭上を通る影が目の前に降り、馬が驚いて立ち上がる。
勢いでそのまま後頭部から落ちそうになると、降り立った男が俊敏な動きで眼の前に来て、イリオの服の胸あたりを強引に掴み、頭が落ちるのを防いだ。
乱雑に服を掴まれ、ぶらんとなっている状況で、恐らくゼノンらしき男を見上げる。
恐怖。
その見下ろすゼノンの目に憤怒を感じた。
瞳が震え、呼吸を忘れる。
腰を強く打ち、手や股だって痛いはず。しかし、痛覚を遮断されたかのように、すべてを感じられなかった。
「イリオ・ハイメインだな」
本能的に真実を答えそうになったが、歯を食いしばった。
「お答えしません」
それは、イリオができる最大の抵抗。
皆が頑張っているというのに、私が屈するわけには行かない。
ゼノンは鼻から息を吸うと、目がどんどんと見開かれる。
「あなたが何者か存じ上げませんが、私はーー」
抵抗の言葉を発しようとした瞬間、服から手が離されたと思うと、今度は首を掴まれた。
指が喉に食い込み、息ができない。
それを解くために、隙間に指を差し込もうとするが、凄まじい力で掴まれて入りこまない。
その力で無理矢理に立たされると、ゼノンが顔を眼の前に寄せる。
「汚さず、生かして渡せとのことだ。死なないなら、どれだけ苦しもうと問題はない」
突然、手が離されると、イリオはその場で崩れ落ちた。
おぼろげな意識をはっきりさせるため、必死に息をしていると、悲痛を思わせる馬の声がする。
顔を上げると、馬がその場に倒れ込んでいる。
ゼノンが手を出し、馬に対して魔法を使っていた。
「やめてください! その馬はただーー」
またも、もう一方の手で、今度は顎を掴まれ口を遮られる。
「黙れ弱者が。許可なく話すな。よく見ておけ、この馬がどんなふうに死ぬかを」
自分のせいで……そんな。
見ていることができず、涙を流して目を閉じる。
パキパキと、聞いたことのない、恐らく馬の骨が折れる音が響く。
「一人だ。いいか、貴様の周りの連中、同じように殺す。その中で、一人だけ生かしてやる」
イリオは目を開いて、ゼノンを見る。
向けられていたのは、虫けらを見るような目。
「貴様が選べ。誰を生かし、そして誰を殺すのかをな」
脳裏に三人の顔が思い起こされた。
私が選ぶ? 生かす者と、殺す者を。
そんな事……できない。
屈服してしまいそうになる。いっそのこと死にたいとすら思ってしまう。
「深く絶望しろ。その生かしたやつと二人でな」
涙がとめどなく溢れ、氷水のような考えが頭を満たす。
それでも、まだ、イリオは絶望しなかった。
それだけは、決して。
頬から落ちる涙が、強く、祈るように握られていたイリオの手に落ちた。
「あの、ですね。最後にちょっとよろしいでしょうか」
作戦会議が終わり、準備を始めようとした時にイリオが焦った様子でいった。「何度も申し上げてると思うのですが、これは私が原因の問題です。ですから皆さんーー」
「イリオ!」
その言葉を止めたのはザイロ。
話そうとしていたことは、なんとなく分かる。
いまはそういう話は聞きたくなかった。
「俺たちは、自分の意思でお前を守ると決めたんだ。だから、最後まで全力でやる。途中でやめることだってない……だからイリオも、俺達を信じて、祈っててくれよ」
「祈る、ですか」
しゅんと、肩を落とすイリオ。「そうですね。私にはそれぐらいしかできませんから」
「それぐらいなんかじゃないよ!」
励ましたかったのか、大きな声でリサが反論する。「イリオちゃんが祈ってるって考えたら、なんかね、力でるよ! 考えてくれてるって思うと嬉しいし。すごいよ、イリオちゃんは」
励ましの言葉に、イリオの目に涙が溜まった。
「ありがとうございます。皆さん、本当に」
イリオは両手を組んで、祈った。
神よ。お願いいたします。
私のすべてを捧げます。
どうか彼らに、幸運を。