「一つ、約束してほしい。今から教える魔法は、絶対に使うな」
師匠らしくない随分と合理性に欠けた内容だった。
ザイロはそのシェナドの言葉に、こめかみに手を添えながら、訝しげに見た。
訓練の休憩中。本が散乱したシェナドの家で、突然、その言葉を投げられた。
シェナドがローベンドから連行を告げられて、すぐのことだ。
「ああ、いい。分かってる」
シェナドはそう言って手を横に振る。「使うなっていうなら、そもそも教えるなってことだろ。まあ、そのへんは理由があるんだよ」
「分かった。どうぞ」
ザイロは椅子に座り、続きを促すように手でシェナドを指した。
「僕が師匠だよね、なんか立場変わってないか? まあいいけど」
シェナドは何を思うか、天を仰いで、そしてゆっくりと呼吸をした。
「この魔法を僕が作ったのは、割と最近。五年ほど前かな。とても強力な魔法だ。ただ、その分、リスクも大きくてね……はっきり言うと、死ぬ可能性がある」
話の雰囲気が変わったのを感じ、自分の膝に頬杖をついていたザイロは、それをやめ、背筋が自然と伸びるのを感じた。
「時々、思うんだ。あの時……この魔法を使えていたら。僕はどうしていただろうってね。後から考えることなんて、全ては結果論だが。それでも、考えるのが人間なんだろうね。僕は彼を……デントを助けられたんじゃないかって。今でも僕の隣で、彼はパンを作って、笑ってたんじゃないかって。思ってしまう」
二人の間に、しんとした空気が流れる中、会ったことのないデントのことを思う。
大切な人間を失った経験は今のところない。
ただ、もし、イリオを連れて行かれたら。リサや、レインが殺されでもしたら。俺は一体、何をどう思うのだろうか。
きっとそれは形容しがたく、そして体験したとしても、言葉にすることはできない。
シェナドが何かを決めたか、すうっと息をする音がした。
「もう一度言おう。この魔法は危険だ。死ぬ可能性がある。当然だが、僕は君に死んでほしくなんてない。ただ、僕と同じように後悔もしてほしくない。だから……」
こちらに向けられたシェナドの瞳。そこに決意を感じた。それでも、表情から不安が見える。「これを教える。僕が発案した、磁力魔法の奥義とも言える魔法だ」
対し、ザイロも強く頷いた。
「ありがとう、師匠。頼む。その魔法を教えてくれ」
時刻は夕刻前。
日が少し陰り、光に赤みと、暗さを感じ始める。
「何ぼさっとしてる! 早く行け!」
ニクスの言葉に、レインはハッとして一歩後ずさる。
木々の倒れた森。
相対するゼノンはすでに戦闘態勢だ。
「しかしニクス。お前はもう弾が――」
「人の心配してる場合か! 予備がある。気にするな! 行け!」
ほんの一呼吸の間に、レインは思案する。
状況は二体一。しかし、万全とて勝てるか怪しいし、先程の戦闘で魔力もかなり使い、疲労もある。
今は、自分だけでも逃げのびなくてはいけない。
また、意識が倒れているイリオに向かう。
クソ。
心で悪態をつきながらも、その意識を一旦、外にやり、数メートル先にあるまだ伐採されなかった森の方へと、倒れた木を避けながら走る。
後方でニクスの発砲音。戦闘の音がする。
全力で駆け、木の中に紛れ、隠れながら戦闘の様子を窺うと、すでに戦いは終わり、先ほどとは少し離れた場所でニクスが倒れていた。
天を仰ぎ、目を閉じながら重い息を吐き出す。
作戦は失敗だ。
敵の、ゼノンの機動力を見誤った。
何の魔法なのか、高速移動が可能だった。こちらが万全の状態の、二体一の状況を作るのは、最初から到底無理だった。
ザイロが来る確証がない今、戦いに出ても仕方がない。
馬車も無力化できていない。イリオはこのまま連れて行かれる。
再度、ゼノンの様子を窺う。
こちらを探しているのか、周りを少し見渡したが、すぐに切り上げてイリオを担ぎ馬車の方へと向かった。
当然の選択だ。
ゼノンにとって、イリオの確保が最優先なのだから。逃げた敵を追う理由がない。
肩で息をしながら、レインはまた目を閉じる。
仕方がない。今行っても無駄死にするだけだ。
そう思い、自分を納得させようとするが、自然と木に添えた手に力が入り、前のめりになる感覚があった。
――もし、命が危なくなったら。大怪我しそうになったら、逃げてください。
思い出したのはイリオの言葉。
彼女は自分のせいで、誰かが死ぬのを決して望まない。
無意味なことはするべきじゃない。
冷静になれ。合理的に判断しろ。
今、自分がするべきことを。
「弱者が。邪魔をするな」
ニクスを一蹴し、ゼノンはそう吐き捨てた。
ニクスはサルディの広場で民衆を集めた際にいた一人だ。
突然、やってきて戦ってくれと要求してきた。
利点がないから無視していたが、戦うならイリオを確保するのに協力する、というので、ハデムよりは使えそうだと思って連れてきたが、結局は大して変わらず、こちらに牙すら向けてきた。
腹立たしく、この場で息の根を止めてやろうと思ったが、今は時間が惜しい。
先程、隣にいて逃げ去ったのはレイン。
コイツらははじめから仲間だったのか。馬車は無事なのか。
イリオを担ぎ直し、ぐっと足を踏み込んだ。
重力操作魔法、『グレム』は自身のみに重力をかけることも、また軽くすることもできる。
踏み込む瞬間に重力をかけ、反発する力を溜め、そして瞬間的に軽くすることで、直線的ではあるが、凄まじい疾さで移動ができる。
死なないように気を使っているが、その移動をする度に、肩に担がれたイリオには衝撃があるので、彼女はぐったりとしている。
「待て!」
飛び立とうとした時、背面から響く怒号。
踏み込みをやめ、振り返るゼノン。
「何だ。逃げたり、出てきたり、一貫性のない……羽虫か、貴様は」
「黙れ」
歩き、抜刀して近づいてくるレイン。「イリオを……彼女を置いていけ!」
「愚か者が。俺様に指図するな。己の愚行を後悔して死ね」
レインは自分の行動が、自身でもよく分からなかった。
合理的でもないし。算段もない。
ただ、ここでイリオを連れ去られ、もう二度と会えなくなるかも知れない。
そう思うと、自然と叫び出ていただけだった。
「やあシェナドさん。僕のこと、覚えてらっしゃいますか」
「いや、全く」
シェナド一行がローベンドに連行され、連れてこられたのは軍の中央。ロードハイド王宮にある、軍事区画。
ジーニ少佐の部屋だ。
ご機嫌を取ろうとしているのか、綺麗な、書類が数枚だけ乗った仕事机の奥で、椅子に座り見繕った笑顔をしているジーニと対照的に、三名は無表情。遠回しに嫌悪感を見せ、その後ろでローベンドが本を読んでいる。
「一応、二度ほど顔合わせはしてるんですがねぇ、ハハ」
顔合わせしたということは、二十年前に軍にいたのか。
こんな軟弱そうで、ゴマすりしかできなさそうな男は見覚えはない。
「用件を聞かせてくれるかい」
我慢の限界が来たか、迫るようにそういったのはベル。
それにジーニはぎょっとした仕草を見せた後、また笑って見せる。
「いやいや、重要な話ですのでゆっくりと。どうですお茶――」
「茶ならいらない」
被せ、語るのはシャッジ。「さっさと用件を言え」
その後、視線を泳がすジーニに、三名の無言の圧。
負けたか、ジーニは強張った笑顔で口を開く。
「じ、実は、皆さんにはとても良い話があるんです。三名には赤獅子になっていただけないかと思いまして、こうやってご足労いただきました」
応答はなかった。
シャッジは右の眉が上がり、ベルの額には血管が見え、そしてシェナドの目に暗い色が宿る。
随分と荒唐無稽な話だ。
赤獅子などなれるはずがないし、そうだとしてもわざわざ連行を行う意味がわからない。
口からでまかせ。連れてこさせたのはいいが、正当な理由を考えついていなかったか。
不穏な空気が漂うと、不意にローベンドが出口に動き出す。
「あ、ローベンド君、どこへ」
ジーニが聞くと、ローベンドは目線を本に向けたまま、足を止める。
「僕の指令は彼らの連行。此処から先は指令外です。僕にも別の仕事がある。失礼します」
「いや、ちょっとまってくれたまえ」
ジーニは椅子から立ち上がり、ローベンドを止める。「実は別件もあるんだ、彼らの話が終わるまで――」
「お断りします」
ローベンドは即座に一蹴する。「赤獅子への指令は大佐以上の者からの承認が必要です。少佐であるあなたに指令権はありません。個人的に一つ忠告しておきます。僕が連行に出向いた時に、彼らの状況はあまり良いものではありませんでした。その中、なんの抵抗もなく僕についてきてくれた」
ローベンドの本に向いていた目。それが一瞬だけジーニの方へと向いた。「言葉にはお気をつけください。僕の視界外で何が起きても、僕はあなたを守れませんし、察知しようと思えるほど、暇でもありませんので。では」
「あ、ちょっと」
ジーニの言葉を無視し、ローベンドが外に出て、扉が閉じるのとほぼ同時、ベルの拳が机を叩き割り、破壊音と共に木くずが散る。
「その頭蓋、叩き割るぞボケ野郎が!」
その気迫と勢いに押されてか、椅子ごと後ろに倒れ、後頭部を打つジーニ。
今にもそれに殴りかからんとしているベルの肩に手を置いて、シャッジがなだめる。
「待て、落ち着け。今コイツを殺すのは簡単だが、あまり得がない」
「ああ、分かってるさ!」
ツバをちらし、歯を剥きながらベルは睨みつける。「ただ、アイツらの身になにかあったら、四肢を引きちぎってやる」
あまりの恐怖に身震いし、固まるジーニ。
「それも面白いが、別の方法もある」
無感情のようだが、声の奥に怒りを孕ませながら、一歩前に出たシェナドが語る。「最近、毒魔法を研究していてね。その効果は素晴らしい。生きることを諦めさせることも、産まれたことを後悔させることも簡単だろう。嬲り殺すなら、これ以上に適切な魔法はないと断言できる」
シェナドは静かに首を傾げる。「ぜひとも、サンプルとして誰かに試してみたいと思っている」
三人の殺意を持った目に見下されたジーニには、あまりの恐ろしさに呼吸困難になると、口の脇から泡を吹き、気を失った。
「おいおい、王宮内で何してるんだ」
後ろから声がして振り返ると、初老の軍服姿の男が1人。
「あなたは……もしかして、ゼイロンさん?」
シェナドが男にそう問う。
その昔、戦時中に同じ赤獅子にいた、『獄震』のゼイロン。その人だ。
雰囲気は随分と変わった。
赤の長い髪を前にも垂らしていた彼だが、今は短くまとまって、額のシワなどがよく見えた。
「お互い、年食ったな、シェナド」
ゼイロンはジーニを一瞥した後、三人を見る。「ただ、これはどういう状況だ。俺も今じゃ大佐。事件は見過ごせない」
「ゼイロンさん。軍の家具を壊したことは謝ります。聞いて下さい。僕らは、これは憶測ですが、とある男の策略によってここに無理やり集められた。狙いは僕らの弟子達なんです。どうか、今は僕らをすぐに帰して頂けませんか? 罰なら後からいくらでも受けます」
困ったように頭を掻くゼイロン。
「話が追いつかないな。策略だの、弟子だの。大体、お前らはサヘッドの……」
そこまで言ったところで、強い意思を帯びた三人の視線に、困ったように首を傾げる。「分かった、ここは俺がなんとか収める。さっさと行け」
顎で外を指すと、ありがとうございます、とシェナドは軽く頭を下げた。
「それともう一つ。ゼイロンさんの階級は大佐。でしたら、赤獅子への指示権があるはずです。どうか、その力を使って、ローベンド君の魔法で僕らを帰していただけませんか? 今は一刻を争っていますので、お願いしたい」
「それはできません」
その言葉と共に、ゼイロンの後ろに立っていたローベンド。
「君、いたのかい」
不思議そうにシェナドが言うと、ゼイロンが親指で彼を指す。
「ローベンド赤獅子なら、ずっとドアの横で立ってたぜ」
「中の様子が少し気になりましたので。それよりも、ゼイロン大佐の命であったとしても、指令には申請が必要です。赤獅子は軍の部隊。たとえ大佐であっても、個人の意思で使うことはできません。更に話が変わって申し訳ないのですが、ゼイロン大佐。今、早退をさせていただけませんか? 急用ができまして。早退申請なら後からでも構わないはずです」
「ああ……いい、が」
突然かつ、まくしたてるようなローベンドの言葉に、たじろぐゼイロン。
「ローベンド君!」
この場を去ろうとする雰囲気を感じ、シェナドは食い下がった。「急用と言うのはなんだろう。急であれば僕らも要しているんだ。僕ができることなら何でもする。頼むから僕らに協力を――」
ローベンドが静かに人差し指を前に立てると、シェナドは口を閉ざした。
「少し、落ち着きを。シェナドさん、それは矛盾します。僕の用はあなたをミルヘドに送り届けること。ですので、あなたが僕に頼むことはないはずです」
目を丸くして驚くシェナド。
「あ、ありがとう。しかし、どうして急に、そんな」
「僕は、本ばかり読んでいて、あまり感情がない人間と思われがちですが、そうでもありません」
パタリと、ローベンドが本を閉じる。「必死な人間を助けたい。その気持ちはあります。早く行きましょう。どうも、本を読んでいる暇もなさそうですから」
「この女との約束が一つある」
そう言うと、ゼノンはおろしたイリオの腹を蹴る。
ウっと呻く声。
「やめろ」
目を血走らせるレインにゼノンは続けた。
「一人だけ、女の周りの連中から生かすと。さっきそれを別の男に使った。もう他を殺すのは決まっている。貴様はここで死ぬ」
「ほざくな」
歯を食いしばり、現状を思案するレイン。
木々はなぎ倒され視界は開けている。
足元に斬られた木が散乱。近づこうにもそれが邪魔をして、足を取る。
この状況だと中距離でも重力攻撃のできるゼノンが優勢となる。
勝利するためにはレインの間合いである、近距離に持ち込むしかない。
二人の距離は五メートルほど。
『斬空』を駆使し、これを詰める。
刃圏内に入れば勝算が――
思案の刹那、それはまるで極限まで引き絞り、放たれた矢のように目の前に飛んでくるゼノン。
あまりにも想定外の、そして瞬きすら許さない疾さの突撃に反応が遅れた。
そのままゼノンは足を前に蹴り込む。
間一髪、刀を構え防ぐがあまり意味がなかった。
それは怒り狂う馬の、後ろ足に蹴飛ばされたかのよう。
左腕から全身に響く衝撃、軋む骨。
後ろに吹き飛び、倒れていた木にぶつかって体が跳ね、そして地面に落ちた。
視界が揺れ、激痛と衝撃で息ができなくなる。
だが、突っ伏している場合じゃない。
気力で立ち上がるが、次に来た全身に浴びる高重力により、膝をつく。
気づけばゼノンが右手を前にして重力を放っていた。
重力範囲外へ抜け出そうとするが、膝は中程から上がらず、剣先は地面に刺さったまま上がらない。
動けず、時間とともに重力が強くなっている。
ここまで差があるのか。
時間を稼ぐことすら敵わぬ、その覆しようのない力の差に打ちひしがれる。
「やめてください!」
イリオは両手を縛られながらも駆け、ゼノンの足にしがみついた。
「どうか! どうかお願いします」
か細い声で懇願するが、鼻を鳴らしたゼノンはその掴まれた足でイリオの胸を蹴る。
「黙れ。生かすのはあの男一人。この剣士は殺す」
胸部の蹴りに咳をしたイリオは、長い髪を地面にすらしながら、死の淵にいる老婆のような動きでゼノンの方を向いて、両手をついて頭を下げる。
その長い髪が土に汚れた。
「私にできることなら、何でもします……もうやめてください」
それを見て、ククっとゼノンは歯を見せて笑う。
「無駄なことを。神が貴様の願いを聞いたことがあるか? 強者にとって、弱者たちの懇願など塵屑同然だ。無意味なことと悟りながら、そうやって頭を垂れて祈っているといい。自らの運命を――」
その時、ゼノンの前まで迫っていたレインが剣を構える。
イリオが足を掴んだ瞬間、重力が緩んだ。
なんとか重力範囲を脱し、接近、剣を横に振るったがゼノンの姿が消える。
視線を左右に探すがどこにもいない。
「愚かだな。まだ足掻くか」
後ろから声。
振り返ると、振り切った刀の上にゼノンが乗っていた。
剣にあまり重さを感じないのは、重力操作により体を軽くしているからか。
振り落とそうと力を入れた瞬間、一瞬にして重さを増し、刀が落ちる。
両手を強く握り、刀は離さなかったが、先端は重さで地面に突き刺さる。
ゼノンはその刺さった部分を右足でおさえながら、左足でレインの胸元を蹴り飛ばす。
その身長と体重から放ったとは思えない、重い蹴りだった。
恐らく重力により自らの体重を重くしているのだろう、衝撃で手から剣が離れ、後ろによろめくと、その場で膝をついた。
もう、立ち上がる力も、気力もない。
ゆっくりと、日の当たる池でも散歩しているかのような悠然さで、ゼノンが傍らに立つ。
終局を感じながらも、レインが考えていたのは、淡く、そして満ちていた、四人の旅路。
刀の名前……蒼天、何だったか。バカな名前を。
頭を垂れながらも、思い返し、そして微笑んでいた。
ゼノンはその後頭部の上に、拳を作り魔力を集中させていく。
「お願いします。お願いします」
震える手を組み、泣くような声で懇願するイリオ。
それに対し、ゼノンは一瞥もしない。
「いい、イリオ。もういい」
虚ろに笑うレインが、首を振って言う。「俺のために、祈る必要はない。忘れろ、俺のことなど」
終わりを悟ってこぼれ出た、諦めの言葉だった。
「仲間のために無駄死にか。一人では何もなし得られない、群れに縋った者の末路だな」
吐き捨てられたその言葉に、レインは顔を小さく縦に振る。
「確かに、その通りだ……前の俺ならそう応えただろう……ずっと一人で生きていくものと、仲間などいらないと、そう思っていた……だが、どうだ。いつの間にか、縁ができ、絆ができ、仲間ができた。そしたら……失いたくなくなった」
地面に着いていた手がぐっと握り込まれ、土を握る。「命を賭してもいい。そう思うほどに」
「それが最後の言葉か」
問うゼノンに、レインは顔を上げる。
「貴様は確かに強い。だが……ザイロは確実に、お前を越える……そういう奴だ」
相手を煽るための嘘じゃない。
ザイロは越えていく。その確信を持って語った。
「それを見られないのが、残念だ」
最後を受け入れるように、また下を向くと、頭上から強い魔力の気配。
「イリオ。アイツらに伝えてくれ……楽しかった。ありがとう」
いい。もうこれでいい。
満足だ。
「虚無の希望と共に死ね」
時刻は夕刻前。
日はなお陰り、赤みは血の色を深めていく。
そんな中、腕を取り、ザイロを見つめるリサの力強い瞳は、眩いほど鮮明に見えた。
私が倒す? 最後だと思う?
彼女の言葉の、意味が分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
ザイロは直感的に嘘を見抜く。
それなりに時間を過ごしたリサの嘘など、手に取るようにわかる。
嘘を語ってはいない。ザイロはそれが怖かった。
「何いってんだよ、お前」
そう問いかける。「意味がわからない……お前が、ゼノンを……倒せるワケがないだろう」
その言葉はどんどんと弱くなり、最後はか細く、願うような声に変わっていた。
分かっている。
心のどこかで察していた。
リサの目は、命を燃やすことを覚悟している。
デントも最期は、きっとこんな目をしていたと思う。
「わっ、私さ、わかっちゃったんだよね、爆破魔法! コツ掴んだっていうかさ」
「うるさい、黙れよ」
頼む、黙ってくれ。
そう願うも、リサは止まらない。
「すごいんだよ、今は見せらんないけど『爆裂拳』も使えるようになっちゃってさ。やっぱ私って天才なのかな? その、ボカンって! 思いっきりさ、力調整せずに爆破すれば、倒せるよ……あの……私、死んじゃうかもだけど」
かもってなんだよ。
その言葉は喉の奥に引っかかって、出てこなかった。
気丈にリサは語り続ける。
「あのさ! 私、すっごい楽しかったんだよね! ザイロも、イリオちゃんも、レインは……ちょっとガキみたいなところあるけどさ、みんな優しくってさ! 前の世界の記憶とか全然ないけど、こんなに楽しかったの、たぶんない!」
ザイロは返答しない。
頭を垂れると共に、喉の奥から呻くような声が漏れる。
「おいしいものもいっぱい食べれたし、楽しいこともいっぱいあったし! うんうん、全く悔いなし、満足! あ、でも、ベル師匠にはちょっと怒られちゃうかもだから、代わりに謝っといてよ」
小さく振り返って目線を上げると、必死に笑いながらも、ぐしゃぐしゃにした両目から大量の涙を流したリサが見えた。
鼻水もたれ、いつもなら変な顔だなと笑っているような、そんなめちゃくちゃな顔だ。
チクショウ。
口惜しさがこみ上げ、熱い何かが体を満たし、ザイロの頬にも涙が伝う。
「あのざ! やっぱちょっと、怖いけどさ! わだし、みんなが大好きだから! 私のかわりに、みんな生きてよ!」
これが最後だといわんばかりに、リサは思い切り笑って見せる。「ありがと、私、ザイロたちにあえて――」
「うるせぇんだよこの野郎!」
最後の言葉。それをザイロの怒号がかき消した。
空に響き渡り、街の住人がいくらか顔を出す。
熱くなった体を揺らしながら、ザイロは続ける。
「死ぬだとかなんだとか、勝手なこと言いやがって。イリオを守るために、殺させないために俺たちは戦ってるんだろうが! 誰かが犠牲になるとか……そんなの意味ねぇだろうが」
「でもさ……だってさ……」
取り繕おうにも限界が来たか。リサの顔は恐怖と悲しみに崩れ、口をすぼめ始めた。「あいづ……すっごい強いんだもん。もしかしたら、みんなやられちゃうかもしんないんだもん……わだし、そっぢのが怖いもん……だから、わだじ、みんなのために死ぬよぉ」
「黙れって言ってるだろうが」
ザイロは振り返り、リサの服の襟ぐりを強く握った。
「でもさ、だってさ」
「でももだってもねぇだろ……お前が死んだらよ……誰が……誰が俺を起こすんだよ」
思わぬ回答だったか、へ? とリサはきょとんとする。
「俺はよ……朝が弱くて、全然起きれねぇんだよ。知ってるだろ。イリオは優しいから無理に起こさないし、レインは、あいつは自分のことしか考えねぇから、起こす気なんてさらさらねぇ。お前ぐらいガサツに起こしに来ないと、俺は起きられねぇんだよ」
ぐっと、全身の力を込めてザイロは手を握りこむと、その脳裏に皆の顔が浮かぶ。
「イリオはまだ笑わせてない。レインには負けっぱなしで、まだまだ戦ってもらわなきゃ困るんだよ。そんで……俺はまだ、お前のアップルパイ……食ってねぇだろうが」
「えっと、私のアップルパイを食べるまで、死ねないってこと」
鼻をすすり、そうだよ、と投げ捨てるように言うと、リサは作りものではなく、心から笑った顔を見せた。
「えへ、えへへ。なんかプロポーズみたいで、結構うれしい」
「笑ってんじゃねぇよ、バカ野郎。ダメなんだよ、一人だって欠けたら意味ねぇ。俺の明日には、お前らが必要だ」
ザイロは鼻から息を吸い、はち切れんばかりに肺に空気を満たした後、天を仰いでそれを吐き出した。「そうだ、お前らが……必要だ」
赤みがかった空を貫くように視線を向ける。
その瞳の奥に、師匠であるシェナドを見た。
ありがとう。師匠。
俺は悔いのない道を行く。
その瞳を下ろし、まっすぐリサを見た。
「俺がゼノンを倒して、必ずイリオを連れ戻す。だから、お前は酒場で待ってろ。いいな」
一拍置いて、リサは力強く、その気持ちをしっかりと受け取るようにうなずいた。
「うん、わかった。待ってる」
その返答ののち、振り返って歩を進めるザイロ。
「待ってるからね! アップルパイ作って、待ってるから!」
背にかかるリサの言葉。振り返らずに、それを受け取る。
「とびっきりおいしいやつ、今までで一番おいしい奴を作るからさ、だから! ザイロも絶対に、死んじゃやだよ!」
返事をせず、ザイロは駆けだした。
懐から小瓶を取り出し、それを握りこむ。
よかった。ゼノンの攻撃で割れてはいなかった。
足がちぎれてしまいそうになるほど、全力でレインのいるであろう方向へ駆ける。
待ってろ、みんな。
俺が必ずゼノンを倒す。
小さなナイフで指先を切る。
痛て、と小さいつぶやきとともに、血が出るとゆっくりと滴った。
ポタポタと、等間隔で血が落ちる。
通常であれば止血しなければすぐには止まらないはずが、滴る血は徐々に勢いがなくなっていき、ピタリと止まる。
血が瞬時に固まったわけじゃない。シェナドの指先は未だに赤い切り傷がある。
不思議そうに見ていると、シェナドは自慢げに笑って見せる。
「磁力魔法を研究するにあたって、僕はすごい発見をした。その昔、西の方ではワインに削った鉄を入れるという風習があった。そうすると体調が良くなるんだとか。迷信と思っていたが、もしかしたら人体には鉄が何処かにあるのではないかと思い研究した。それが血だ。血液は、若干ではあるが鉄と同じように、磁力に影響を受ける。本当に少しだけどね」
鉄分、というワードと、オールに腹を刺された時の記憶が脳裏をよぎる。
「俺が腹を刺され、死にかけた時、なぜだか血が止まったことがあった」
「覚醒時のことだろ」
シェナドはザイロの顔を指さした。「恐らくそれも、超強力な磁力魔法によるものと考える。生命の危機に、体が本能的にそれをしたんだろう。腹部刺し傷の止血は僕でも不可能だから、再現性はないね。さあ、ただここからが問題だ」
シェナドの顔に真剣味が帯び始め、そこからとても重要かつ、そして危険な話になることを、ザイロは察する。
「僕らは磁力魔法を使える。故にわかるはずだ。周囲にある鉄の位置や、そして血液の感覚が。魔法適性的に単一である君のほうが、僕よりもね」
その言葉にちょっとだけ驚いて、顔を上げる。
「そうなのか?」
「そうさ。僕の魔法適性は広い。五大属性全てに、その他派生。故に、一つ一つの適性は単一者よりも低くなる。火の単一適性者は火に強くなって、火傷をしにくくなるけど、僕にはそれがない。複数の適性があるからといって、利点ばっかりじゃないんだ。故に、この魔法は僕よりも、君の方が使いやすいと思う」
シェナドはローブの内側から、手のひらサイズの瓶を取り出す。
それには瓶の半分ほどまで、黒い何かが沈殿している。
磁力魔法の使い手であるザイロは、その沈殿物をすぐに理解した。
鉄だ。それも非常に細かい。
うなじがゾワゾワとする感触があった。
それまでのシェナドの説明と、細かい鉄が入った瓶。
その意味を探っていくと、あまり考えたくない結論に行き着く。
「君、賢いね」
笑ってそういうシェナドだが、その笑顔の奥からは戸惑いも見える。「なんとなく、想像はついたみたいだ」
「師匠……まさか」
「ご想像どおり」
シェナドは瓶を瞳の前にやる。鉄の奥に、不安を強く映す黒目があった。「これを……自分の血液に混ぜる……ザイロ、最後にもう一度だけ言う。この魔法は使うな」
重力をまとった拳。
それを振り下ろすと、拳は空を切った。
レインが頭を垂れていた場所、そこに彼はいない。
拳を落とす瞬間、黒い影が視界の端から現れ、落ちきる前にレインを連れ去ったのだ。
凄まじい疾さだったため、後から強い風が横へとなびいた。
「なんだ、貴様は」
風が落ち着くと、ゼノンは影が向かった方に顔を向ける。
見えたのはレインを抱える男の背中。
異様な見た目だった。
背面からでもわかる、非常に血色が悪く、その全身の肌は灰色に見えた。
そして、うなじの少し下、その部分だけが破け、固まった血と黒い砂鉄が、羽のように広がっている。
「お前……殺す気か」
助けられたとはいえ、その勢いにダメージがあったか、レインがそういった。
「悪い。初めて使うから、調整が難しいんだ」
そういって、立ち上がりこちらに振り向く男。
ザイロだった。
しかし、雰囲気がかなり変わっている。
背面から見た通り、皮膚の色が灰色に近く、目も赤く充血。
そして、今にも倒れそうなほどに体が震えていた。
その背中に広がる羽を見ると、今にも息絶える寸前の蝶のようだ。
原理はわからない。
ただ先程の疾さ。命を削る魔法と判断する。
ゼノンはククっと、歯を見せて笑う。
「貴様の考えは正しい。強者と戦うにはそうするしか――」
刹那、ザイロはその距離を拳の届く範囲に詰める。
その疾さはゼノンの重力加速と同じレベル。
黒い拳を横に振るうも、ゼノンはギリギリのところで後ろに避ける。
「所詮は弱者! 命を捨てたとて、強者には敵わない!」
返す蹴りが腹に命中する。
重力操作によりそれは重く、強い衝撃があったはずだった。
通常なら吹き飛ぶ。
しかし、ザイロは不動。
足の裏が地面を滑りながらも、歯を食いしばりその蹴りを耐え、即座に直線の黒拳で反撃。
ゼノンの肩にめり込む黒拳の衝撃が、全身に痛みを走らせる。
「貴様っ」
その形相は怒りで歪み、獣のような低く濁った唸り声が喉の奥から漏れでる。「……くたばりかけの虫が。踏み殺してやる」
「死ぬ気は……ねぇよ」
ザイロは虚ろな目で、しかし、鋼のような執念を漂わせて語った。「皆でまた、飯を食うんだ」
詰まってしまうような、細い血管を避けて鉄を固定するんだ。
心臓から脳へと流れる血液は量が多く、制御が難しいから、背面から一度、体外へ鉄を出し、再度、体内へ取り込む。
血流の悪化により皮膚は変色。血中に異物を取り込んだことによる激痛と、常時の不整脈、四十度を越える高熱で頭がおかしくなりそうになるが、その効果は絶大だ。
僕が発案したこの魔法に正式な名前はない。
ただ、黒い砂鉄が羽のように背へ舞い、その合間に鮮血が飛沫いて散る、その様から——
『黒華蝶』
僕はそう呼んでいる。