最初に聞こえてきたのは雨の音だった。
バラバラとなる音に頭へ当たる雨粒。
目を開くと知らない森の中、木を背に座り込んでいた。
立ち上がり、水気によって額にかかった前髪を後ろへと流す。
果たしてここはいったいどこか。その疑問と同時に、自分が誰なのか、というさらに根本的な部分すらわからないことに、彼は気が付いた。
首をひねり目覚める前のことを思い出そうとするも、何も出てこない。
あるのは、転生者ただ一人となった者に神の力を授ける、という謎の声。
その意味の分からない言葉だけを覚えていた。
数秒考えたが答えが出る気配がなかったので、前へと歩を進める。
それがやってきたのは数分がたった後。
荒い馬の音と共に馬に乗った四人の男が彼を囲った。
盗賊だった。
短剣や斧を手に、金をよこせ、死にたいのかと、分かりやすい脅し。
彼はまるでそれが聞こえていないかのように返事をせず、その盗賊たちを見据える。
盗賊たちは馬に乗り、彼を見下ろしていた。
しかし、その下劣なものを見るような彼の目を向けられると、まるで見下ろされているかのように感じた。
誰かが言う、ここで殺そうと。それに反対する者はいない。
「不愉快だな、弱者どもが」
彼は初めて口を開く。
記憶をなくし、初めて対面した人間に感じたのは、怒りと激しい不快感。
ぐっと腕を握りこむと、その周りの重力が強くなり、盗賊たちの乗っていた馬はすぐに膝を折り、乗っていた者たちは落とされた。
彼は本能的に理解していた、自分の力というものを。
雨の中、馬も盗賊も、そのほかの草木も地面にへばりつき動けなくなっていた。
その中央に立つ彼以外は。
数十秒経った後に能力が解かれる。
馬も盗賊もその強い重力を浴びて、息ができず気絶していたが、かろうじて二人だけ意識があった。
仰向けに倒れる一人に近づき、問う。
「名前を答えろ」
返ってきたのは、ジモールという名。
それを聞いて一瞬だけ考えた彼は、重さを増した足でその首をふみ砕く。
ぐしゃ、と湿った音がした。
彼の顔は微動だにせず、足元の感触に何の興味も示さなかった。
すぐにもう一人のほうに歩いていく。
その男は首を振りながら、命乞いをするが、それを無視して再度問うた。
「名前を答えろ」
返ってきたのはかすれる声で、ゼノン、という返事。
彼はまた考えた。先ほどよりも長く。
その後、続けて質問を重ねていった。いったいここはどこなのか。国は、地名は。どこへ向かえばこの森を抜けられるか。
盗賊は必死に答えた。自らの命を繋ぐために。
一通り思いつく質問を終えて、満足した後、彼は言った。
「ゼノンという名、気に入った。この名は俺がもらう。この世に同じ名の人間がいたら邪魔だ。質問に答えた褒美をやる。その腰の短剣で自害することを許す」
必死に首を振り何かをほざくゼノンだった者に、ゼノンは冷たく答える。
「なるほど、俺様にゆっくりと踏み殺される方が良いのか」
ピタリと、青ざめたまま何も答えなくなった。
「貴様が死ぬことは決まっている。褒美に死に方を選ばせてやるといっているんだ。さあ、選べ」
震える手で腰の短剣を取り出す男を、ゼノンは静かに見下ろす。
果たして自分の身に何があったのか、そして一体、自分は何者だったのか。
ゼノンには一切の興味がなかった。
ただ分かっていることが幾つかあった。
この世には二つの人間がいる。
強者、そして弱者。
弱者を束ね、利用し、そして貪ってやるのが強者の役割。
その理が、本能に焼き付いていた。
そして、強者はただ一人、自分だけであるということも。
『黒華蝶』を教えてもらったのは二日前。
練習したのは一度。右手の指の中に、少し入れただけ。
シェナドの言う通り血中の鉄操作は思った以上にできた。
ただ、指という部分だけでも凄まじい激痛と、体の拒絶反応があった。
全身に巡らせて、それを維持する。到底無理とも思えた。
しかし、今、それを行っている。
想像以上の発熱、嘔吐感、激痛。だが、それでも今はーー
「悪くねぇ気分だ」
虚ろながらも、その声は闘争に燃えている。
生命の危機から、脳がバグでも起こしているのか、それとも快楽物質でもでているのか、不愉快と快楽が腹の底で混ざり合っているような感覚がある。
そして、何より実感がある。
俺は今、強い。
コイツに、ゼノンに対抗できるほどに。
まるで体全体が鉄になったかのように、自分の肉体に磁力をかけて操作ができた。
宙に浮き、砂鉄をまとった時以上の疾さが出る。
だが、それを行う度に骨から肉を引き剥がしているような痛みが走る。
それでも飛び、ゼノンへと詰め寄るザイロ。
その逆、ゼノンは後方へと飛び立つ。
「愚かだな。その力、どれだけ持つ」
吐き捨て、着地と同時に両手を前に魔力を込めるゼノン。
重力が展開され、ザイロは地面、倒れていた木の上に落ちる。
ニヤリと笑むゼノン。しかし、ザイロはすぐに立ち上がり、若干重い足取りながら迫る。
重力下でもこの状態なら動ける。全身の鉄分に磁力を走らせ、地面の鉄分と反発させることで、押しつぶす力に逆らえる。
「なにっ」
ゼノンの驚嘆の声とともに、黒拳が首元を撃つ。
重力下での攻撃なので威力は落ちるが、それでもゼノンの表情は苦悶に満ちていた。
ダメージはある。
『黒華蝶』の継続時間は定かじゃないが、体感としては一〇分持つか怪しい。
短時間でケリをつける。
「調子に乗るな! このっ弱者がぁ!」
怒号と共に魔力を込めた右手を向けた瞬間、ザイロは横へと高速移動。重力を避ける。
横へと回るザイロへ、ゼノンは追撃の重力を放つも、手を向けた瞬間にまた避けた。
魔法の発動から重力が掛かるまで、若干の時間差がある。
今の疾さなら、その間をぬって避けられる。
その次、手を向けられた瞬間に、ゼノンへと高速で迫る。
拳を突き出すがほぼタックルのような攻撃だった。
ゼノンが間一髪、横に躱すと、止まることなく通り過ぎてしまう。
初めて使う魔法だ。制御が利かない。
「小賢しい!」
ザイロが急停止すると同時、魔力を右手に込め、自らの足元へと構えるゼノン。
次にきたのはゼノンを中心に半径一〇メートルほどの、広範囲重力。
これでは避けられない。しかし、範囲を広げた分、その威力は弱い。
「んな魔法、効かねぇよ!」
また重力下を突き進もうとした時、ゼノンは展開していた重力を一気に解いた。
解放された魔力をそのまま自身に転用し、重力操作で高速移動するゼノンが迫りくる。
先ほどの広範囲の重力はこのためのブラフ。
突然のことに虚を突かれた。
また蹴りが来ると思い、両腕を体の前に構えたが、ゼノンは急停止。
狙ったのは足だった。右の腿を上から踏みつけるように蹴られる。
痛みのあまり呻くと共に、膝をつく。
ゼノンは蹴りの反動で飛び上がり、距離を取ったと思うと、両手を前に構えて重力を発動させる。
足をやられて機動力を削がれた、避けられない。
先ほどより数倍強い重力が掛かり、強さのあまり頭が落ち、四つん這いになった。
すぐに立ち上がろうとするが、ゼノンが手を前に出し、またやってくる重力。
次は膝と、右手をつく。
また立ち上がり、そして重力。
三度目。次は右膝だけつく。
磁力で全身を張り巡らせるザイロには、それが肌で分かった。重力場の濃度が、回を重ねるごとに薄れていく。
いける、やれるぞ。
立ち上がり、後ずさるゼノンへと歩くザイロ。
また二度、三度と重力が来るが、歯を食いしばり耐える。
「クソッ……」
また重力を放とうとした時、ゼノンは右手が痛んだか、その手首を左手で握る。
魔法はそう何度も全力で使えるものではない。
また魔力も無限ではない。底が見え始めると、コントロールもおぼつかなくなる。
その最中、眼の前に立ち、見下ろすザイロ。
逡巡の間、ゼノンの目に恐怖の影。
「見下ろすなこのーー」
ゼノンの言葉を遮り、頬に打ち込まれる黒拳。
満身創痍の拳だったためあまり勢いがない。
よろめくゼノンに追撃の拳を打ち込もうとした時、
ドクンーー
耳に入ったのは強い心臓の音。その後、消え去る視界と停止する心拍。
一瞬の不整脈だった。限界の肉体は、一瞬だが心臓を止めた。
刹那の間、意識が飛び、すぐに戻る。
ゼノンはその一瞬の硬直を見逃さなかった。
地面を蹴る音と共に、飛び蹴りが胸部に突き刺さるように当たり、骨が砕ける不愉快な音が響いた。
高速移動の蹴り。ゼノンは反動で宙を舞う。
その顔は驚嘆している。
「バカな!」
目下、勢いで後方へ吹き飛ぶはずのザイロが、磁力で体を留めていた。
判断ではない。長い修行と、いま命を賭けてる無意識が、咄嗟に全身の磁力を地面へと食い込ませていた。
本来、後ろに飛んで和らぐはずだった衝撃が、ザイロの全身を巡る。
胃液が逆流し、口の中を不愉快な酸味で満たす。
それを口の脇から垂らしながらも、耐える。
ここが勝負の際。距離を離されるわけには行かない。
「この野郎ぉお!」
叫んで飛び上がり、ゼノンの眼の前に迫るザイロ。
ゼノンが咄嗟に前に出した防御のための両手をすり抜けて、投げるように放った黒拳が、左目の上に直撃する。
勢いよく落ちるゼノン、着地したが、すぐに膝をつくザイロ。
「チ、チクショウ!」
血が流れる額を押さえながら、ゼノンは痛みに悶えた。脳への衝撃か、立ち上がれずに手がブルブルと震えている。「ごの……弱者が! 舐めやがっで……グゾ! 俺っ……俺様は、強者だぞ!」
「強者強者って。ゴチャゴチャうるせぇんだよ」
力ない様子で立ち上がるザイロ。
肩で息をし、膝は震え、今にも倒れそうだった。
しかし、その目だけは、灰の中、一箇所だけ赤く燻る残り火のように、鈍い光を放っていた。
「く、来るな、弱者が!」
ゼノンの重力を使った蹴りは、自身の体重以上の威力を出せる。
しかし、その反動も同じく足に受ける。
連発できる技ではなく、そして、ザイロが磁力により衝撃を受けきったことにより、ゼノンの右足にもより強いダメージがきていた。
強烈な脳震盪もある。立ち上がれず、腰を擦らせながらゼノンは下がる。
「強者だか……弱者だかぁよ」
よたり、よたりと、右足を引きずりながら、一歩ずつ近づくザイロ。
ゼノンは何度も立ち上がろうと足に力を入れるも、うまくいかない。
「グゾっ、クソォ!」
手を前に重力を放とうとするが、指先が震えるだけで何も起きない。
「貴族だか……奴隷だか」
意識が今にも飛びそうで、自分が何をしているのかも、完全に理解ができずにいた。
それでもザイロは前に進む。
もうゼノンは後ろにも下がらず、過呼吸のような状態でそれを見つめている。
「神か……人間か! なんだか、知らねぇが」
ザイロは右の拳を強く握り、振りかぶる。
それに砂鉄は纏われていない。体外の磁力を操作する余裕も魔力もなくなっている。
最後の一撃。それを見舞うために、とうに限界を迎えているが最後の力を絞り出す。
「俺のっ……俺達の、明日を!」
二人の力はほぼ、拮抗していた。
勝敗を決したのは、ほんの僅か差。
鼻から息をすい、全神経を研ぎ澄ますゼノンは、一瞬、意識が鮮明となり、腹の底で微かな魔力を感じていた。
日々の慣らしによって生まれていた、微かな、チリのような魔力。
それを操作し右手に込める。
力を振り絞り放った『グレム』
それはとても弱々しかった。
ほんの一瞬、虫すら殺せぬほどの弱々しい重力。だが、限界のザイロの心を折るには十分だった。
受けたザイロは、拳を構えたまま停止。
目に、もう火はない。
勝利を感じたゼノンの頬が釣り上がり、ザイロの体は前に落ちる。
それは偶然、視線の先にあった。
ザイロ自身、それが見えていたのか定かではない。
少し離れた場所で、イリオが、両手を組んでいた。
仲間の勝利を願い、静かに祈っていた。
彼女にはそれしかできないから。
ただ直向きに。
ザス、と地面を蹴る音。
右足が前にでて、落ちる体を支えた。
再度前を向いたザイロの目。ゼノンの表情から笑みが消える。
それは思い、そして思われた人の差か。
その目にまた、火が灯る。
「この弱っーー」
「邪魔すんじゃねぇええ!」
振り下ろされた拳はゼノンの脳天に打ち込まれ、顔は勢いよく地面に落ちた。
立ち上がる気配はない。
戦いは完全に終わった。双方限界を振り絞り、勝ったのはザイロだった。
だがそのザイロも、そのゼノンの隣で膝をつき、うつ伏せに倒れる。
もう全身の感覚がない。痛みもない。
気を失ってはいけない。『黒華蝶』によって全身を巡った鉄を体外に出さなければ、血管が詰まり、確実に死ぬ。
ギリギリの意識の中、ゆっくりと背面、心臓の辺りから鉄を排出し、地面にパラパラと鉄が落ちていく。
「おい、ザイロ」
傍らから声がした。レインの声だ。
そばで肩に手を添えている。
「死ぬな。お前が死んだら、意味がないぞ! ザイロ!」
レインらしくない感情的な言葉に、笑みを作りたかったが、それもできなかった。
体から砂鉄を出し切れていないと思うが、もう操作できない。そして体温が落ちていくのか寒気が全身を覆う。
レインが何かを言っている気がするが、もう聴こえない。
死ぬのかも知れない。
抵抗したい思いもあるが、もう十分やったんじゃないかと、それを容認してしまう自分もいた。
いや、心残りがあるとすれば……。
誰かが背中に手を当てる。
体に入った鉄が動いている気がする。
果たして何が起きているのか、ザイロには何もわからなかった。
ダメだ、意識……死ぬ前に、せめて、あれだけでも……。
「アップ……ル、パイ……」
僅かな口の隙間からでた、誰にも聴こえない小さな声と共に、意識は消えた。
いったい、いつまでこうしていただろうか。
シェナドは青い空を見上げていた。じっと見ていると吸い込まれそうになるほど、透き通る青。そこから差す温かい陽光。
ほんの少しだけ、ひんやりとした空気が頬を流れていく。
それがとても心地よかった。
いつまでも感じていたいほどに。
「普段、研究ばっかりやっていると、自然というものの良さを忘れてしまうようだ。机じゃなく、たまには空に目をやるべきかな」
空に浮かぶ、輪郭が綺麗にわかる白雲。
それを見ながらシェナドは語る。
英雄の眠る場所。周りには誰もいない。彼女だけだ。
それでも続ける。
「ザイロはいっていたよ。まるで何かに引っ張られるようにここに来たって……君が呼んだのかな?」
また空に問いかける。
声は返ってこない。それでも、瞳を閉じれば、そこにデントを感じる。
「未練がましくこんなところに住んでいる僕を、さっさと解放したかったんだろ。君の考えることなんて、手に取るようにわかる。ずっとその気持ちをわかっていたけど、離れられなかった。未来を進むというのは、とても力がいるからね。それに、君を忘れてしまいそうで怖かった」
そう言うと、フフっと、いたずらっぽく笑う。
「大丈夫、忘れない。忘れられる訳がない。そうやって自分に言い訳してただけさ。過去に捕らわれることを、肯定したかったんだ……でももう、それはやめるよ。前に進もう」
天に目をやる。
空が静かに佇み、シェナドを見下ろしていた。
「ありがとう、デント。僕と出会ってくれて。彼を連れてきてくれて……ありがとう」
また目を閉じる。
背後に彼の気配を感じる。
見えなくても、その表情は手に取るようにわかる。
なあ、デント。
君も、笑っているんだろう。
感じたのは腹への重さだった。
何かが乗っている。
そう思いながら、ゆっくりと目を覚ます。
ぼやけた視界を整えるように何度か瞬きすると、見えてきたのは木目の天井。
ベルから借りている、酒場の部屋だ。
ぼーっとそれを眺め、記憶を呼び起こす。
戦って、倒れて、それから随分と長い時間、暗闇の中にいた気がした。
きっと一日以上、寝ていたと思う。
未だ痛む体を起こし、重さの正体を探ると、そこにあったのはリサの頭。
彼女はベッド横にある椅子に座り、ザイロの腹に頭をのせ、すやすやと寝ていた。
「起きろよぉ、ザイロぉ」
寝苦しそうにしながら、そんな寝言をいっている。
「お前……重いんだよ」
どかそうにも力が入らずに諦めて横を見ると、レインも壁近くの椅子に座り、腕を組んで眠っていた。
ザイロは申し訳なさそうに、頭を掻いた。
「悪いな。心配かけて」
そう呟くと、どこから香る甘い匂い。
枕元だった。
目を向けると、ベッドの頭にある棚の上に、作ってからだいぶ時間が経ったのか、乾燥して水気のなくなったアップルパイがある。
ザイロは笑った。
「目ぇ覚めてから作ってくれよ」
自然とそう呟くと、ガチャリとドアが開く。
開けたのはイリオだった。
寝ているザイロを看病しようとしたのか、手には水の入った桶とタオルがある。
彼女は驚いたように「あっ」といって目を丸くした。
ふと出会った時のことが脳裏をよぎった。
あの時もそうだ。俺はベッドに寝かされて、そして彼女がドアを開けた。
状況を理解したか、イリオは困ったように首を傾げた。
「もう、いくら話しかけても全然、起きないんですから。心配したんですよ」
投げかけられたのは、死にかけた人間に対する言葉とは思えない、いつもの朝のような会話だった。
「ああ……ごめん。俺、寝起き悪くてさ」
寝起きの問題じゃないが、そういってみた。
腹元のリサを一瞥した後、また顔を上げる。
イリオの目元から頬へと伝う、一筋の涙。
それでも、ザイロは微笑む。
「おはよう」
いつもの朝のようにそう言うと、
「おはようございます」
と彼女もいつものように返した。
ただ、一つだけ、いつもと違った。
彼女は確かに、笑っていた。
俺の旅が今、一つ終わった。
「これで、君は永遠の地獄を見れる。口は閉ざさないよ。泣いて、喚いて、どういう気持ちか教えてくれ。研究のために知りたいんだ。頼むよ」
シェナドのその顔は強烈に歪み、よもや人のそれではないとも思えた。
青紫色になり、造形を留めていないような、毒手がゆっくりと顔に近づいていく。
体を揺らすも縛られているのか全く動かない。
眼の前に来ると、鼻腔の奥を針で刺されたかのような強烈な臭いがした。
「やめっやめて! 頼むからやめてくれええぇ!」
「黙れ、起きろ」
ガンっと頭に衝撃があって、ジーノは悪夢から覚めた。
痛みで頭に手を乗せると、見えたのは壊れた机に座るゼイロン。
「た、大佐! お、御三方は!」
視界を振るも他に人影はない。
「帰ったよ」
落胆したかのようにそういうゼイロンに、すぐに事の重大性をジーノは理解する。
「申し訳ありません! まさかアイツら、少佐であるこの僕にーー」
「言い訳はいい」
ゼイロンは考えるように自らの額に手を当てていうと、ジーノの口はピタリと止まる。
ゼイロンは怒鳴ることはなかった。
ただ、彼の声色は冷えた金属のように、ジーノの背筋を撫でた。
怒っている時より、こうしている時のほうが、彼は恐ろしい。
「転生者ゼノンを使う、シェナドを排除する……ここまでは悪くないが、詰めが甘い。アイツらがすぐに戻ってイリオ・ハイメインの手助けをすれば、全てが水の泡だ」
ジーノは何も応えない。
ただ顔を青くして、口を強くつぐんでいる。
「お前なりに知恵を凝らしたことは理解してやる。イレギュラーもあった。まさか、ローベント赤獅子が味方するとはな。ただ、もう間違えるな。次は作戦を変更する。理想は捕獲だが、それは難しそうだ」
ゼイロンは足元に落ちている木の破片を手に取る。
それに魔力が込められると、木片は微細に震えだした。
どんどんと振動が強くなり、輪郭がぼやけだすと同時、パンっという破裂音とともに砕け散ると、ジーノは顔に当たる破片に咄嗟に目を閉じた。
「イリオ・ハイメインを殺害し、そしてその証拠をもってこい。手段は問わない。もし、次を間違えれば、その頭、この木片と同じ様になると思え。いいな」
返答はしない。拒否する権利はジーノにはない。
それよりも、今、頭の中で考えているのは一つ。
毒殺と振動殺、どちらの方がマシだろうか?ということだけだった。
第一章、完結です。
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二章は書き溜めが作れ次第投稿予定です。