癒しのヘッドスパ   作:灯火011

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ウマ娘たちの秘密の癒し手

 あの「鉄の秘書」の岩盤を打ち砕いた激闘から、さらに数週間後の休日。

 

 俺のトレーナー寮の自室は、再び極上のリラクゼーション空間へと姿を変えていた。

 

 部屋を満たしているのは、心を深く鎮め、同時に気品を感じさせるフランキンセンスとベルガモットをブレンドしたアロマの香り。そして、ソファにゆったりと腰掛けているのは、俺の愛バにしてトレセン学園の生徒会長、シンボリルドルフだ。

 

 月に一度の、彼女への『特別なご褒美』の日。今日の彼女は、シックなボルドー色のブラウスに黒のワイドパンツという、落ち着いた大人の休日を感じさせる装いだった。

 

「さて、ルドルフ。今日もいつものように首や肩、耳周りを重点的に解していくが……その前に、少し新しいアプローチを取り入れようと思う」

 

「ほう。新しいアプローチ、とは?」

 

 俺がスツールを引いて彼女の正面に座ると、ルドルフは興味深そうに琥珀色の瞳を輝かせ、頭頂部の耳をピンと立てた。

 

「ああ。この間、たづなさんに施術した時に確信したんだが……末端である『手』や『腕』から緊張を解いていくと、その後の本丸へのアプローチが格段にスムーズになるんだ。お前も、書類仕事やペンを握る時間が長いだろう? 今日は手元から順番に崩していくぞ」

 

「なるほど……。君の探究心には常に驚かされるな。では、遠慮なく私の身体でその成果を試してくれたまえ」

 

 ルドルフはふわりと微笑み、華奢でありながら力強い右手を俺に向かって差し出した。俺は温めておいたマッサージオイルを掌に馴染ませ、彼女の右手を取り、両手でそっと包み込んだ。

 

「失礼するよ」

 

 まずは掌の中央、万能のツボである『労宮』へ親指の腹を当て、ゆっくりと、しかし深く圧を沈めていく。

 

「……んっ」

 

 触れた瞬間、ルドルフの口から微かな吐息が漏れた。

 

 彼女の掌は、たづなさんのような氷の冷たさこそなかったものの、やはりアスリート特有の強靭な筋肉と、絶え間ないデスクワークによる疲労が複雑に絡み合っていた。指の付け根から指先に向かって、オイルの滑りを活かしながら一本一本、丁寧に老廃物を押し流していく。

 

「……ほう……」

 

 親指の付け根の膨らみ(母指球)を揉み解し、続いて手の甲の骨と骨の間を滑らせるようにマッサージすると、ルドルフの目がトロンと細められた。

 

「どうだ?」

 

「……なるほど。これは……至極だ。手の平にこれほどまでの疲労が蓄積し、そしてそれが解き放たれることでこれほどの快感を生むとは、想像もしていなかった」

 

 深く、甘い吐息を交えながら、ルドルフは心底感心したように呟いた。その「至極」という仰々しい表現に、俺は思わず口元を綻ばせ、意地悪く返した。

 

「それはそれは。皇帝陛下のお気に召したようで、一介のトレーナーとしては光栄の極みですよ」

 

「ふふっ……。君は本当に、人が悪いな。だが、その軽口すら心地よいBGMに聞こえるほど、今の私は君の手に魅了されているよ」

 

 ルドルフは目を閉じることなく、俺の指先の動きをじっと見つめ、自身の身体の中で起こっている変化を一つ一つ確かめるように味わっていた。手から前腕へ。肘から手首にかけてのラインを、手根部を使って滑らせるように圧迫していく。腕の筋肉が解れるにつれ、彼女の肩のラインが自然と下がり、呼吸がより深く、静かなものへと変わっていくのがわかった。

 

「よし、両腕の緊張は完全に抜けた。ここから首と肩、そして頭部へ向かうぞ。ブラウスの襟元を少し緩めてくれるか」

 

「ああ、頼む」

 

 彼女にクッションを抱き抱えるようにして少し前傾姿勢になってもらい、俺は背後に回った。オイルを足し、温めた両手を彼女の首の付け根から肩先へと這わせる。

 

「……ぁ……」

 

 素肌に直接伝わる熱と圧に、ルドルフの背中がビクッと波打った。

 

 彼女の筋肉は、たづなさんのような岩盤ではない。しかし、強靭なバネのように極限まで鍛え上げられたアスリートの肉体であり、そこに「皇帝」としての凄まじい重圧がのしかかっている。俺は体重を乗せ、僧帽筋の分厚い筋肉の束を的確に捉え、大きく揉み捏ねた。

 

「……くぅ……っ……そこ、は……!」

 

 肩甲骨の縁に沿って深々と指を入れ込むと、ルドルフが小さく身悶えした。しかし、彼女は逃げない。かつてのように寝落ちしてしまうこともない。半分閉じた瞳には、微かに理性の光が残っている。彼女は押し寄せる圧倒的な心地よさと微かな痛みの波間を漂いながら、その感覚を「自覚的」に堪能しているのだ。

 

「ルドルフ、眠いなら無理せず寝ていいんだぞ?」

 

「……いや。……寝てしまうのは、あまりにも惜しい。君の指が、私の身体の淀みを的確に捉え、流し去っていく……この至高のプロセスを、最後まで起きて味わい尽くしたいのだ……」

 

 荒い吐息を混じらせながら、それでも彼女は口元に微かな笑みを浮かべていた。疲労を取り除かれる過程そのものをエンターテインメントのように楽しむ。なんとも彼女らしい、貪欲で高貴な姿勢だ。

 

「わかった。なら、最後まで極上の時間を起きて味わわせてやる」

 

 俺はさらに手技を深めた。首の横、胸鎖乳突筋をじっくりと流し、後頭下筋群のツボへと親指を沈める。

 

「……んんっ……!」

 

 ズーンと響く圧に、頭頂部のウマ耳がビクンビクンと反応する。

 

 そして、仕上げの頭部。頭蓋骨全体を包み込むようにして筋膜を引き剥がし、側頭部からいよいよ彼女の立派な耳の根元へと指を滑らせた。

 

「……っ、あ……」

 

 耳の付け根の筋肉を掴み、ゆっくりと、しかし力強く、上へと引き上げるように押し伸ばす。それは、彼女を縛り付けるあらゆる重圧からの解放の儀式だ。

 

「……ふぁ……ぁ……あぁ……っ」

 

 ルドルフの口から、今日一番の、蕩けきった長い長い溜め息が漏れた。彼女の身体から完全に抗う力が抜け、俺の腹部に寄りかかるようにして体重が預けられる。ピンと立っていた耳はペタンと伏せられ、俺の掌の中で完全にその張力を失った。

 

 それでも彼女は、意地のように薄く目を開け、その心地よさを噛み締めるように微笑んでいた。

 

「……終わったぞ、ルドルフ」

 

「……あぁ……。素晴らしい……本当に……」

 

 俺がオイルを拭き取ってやると、ルドルフはゆっくりと身体を起こし、深く息を吸い込んだ。その顔は、内側から発光しているかのように瑞々しく、憑き物が落ちたように清々しい。

 

「まるで、新しい身体に生まれ変わったようだ。手の先から頭の頂点まで、血が巡り、活力が漲ってくる。……君の手は、私にとって最高の特効薬だよ」

 

「お気に召して何よりだ。ハーブティーを淹れ直すから、少し休んでてくれ」

 

 俺が立ち上がり、キッチンへと向かおうとした時だった。

 

「……あ、そうだ。トレーナー君」

 

「ん? 何だ?」

 

 振り返ると、ルドルフはソファの背もたれに寄りかかりながら、少しだけ悪戯っぽい、それでいてどこか計算高い光を瞳に宿してこちらを見ていた。

 

「君のその素晴らしい技術、そして私や理事長、たづなさんをも虜にした実績……。もはや学園の隠れた伝説になりつつあるのだが」

 

「おい待て、嫌な予感がするぞ」

 

「気が向いたらでいいのだが……もし私が、さらに何人か、心身の疲労が限界に達している有望な生徒を『紹介』したら……君のその手で、施術してもらえるだろうか?」

 

 ニコリ、と。

 

 一切の隙のない、完璧な皇帝の笑顔。それは提案という名の、確信犯的なおねだりだった。

 

「……お前なぁ。俺の休日は、マッサージの予約枠じゃないんだぞ?」

 

 俺は呆れたようにため息をついた。エアグルーヴ、ナリタブライアン、理事長、たづなさん。そして今度は、彼女の「紹介」と来る。いったいどれだけのウマ娘が、俺のこの素人マッサージの列に並ぼうとしているのか。

 

 だが。

 

 俺の目の前で、これほどまでに晴れやかな顔をして、心底リラックスした様子で微笑んでいる愛バの姿を見せられてしまっては。

 

「……はぁ。わかったよ」

 

 俺は肩をすくめ、諦めの笑みを浮かべた。

 

「まぁ、お前の紹介なら……無下にはできないからな。ただし、俺の身体がもつ範囲で、だぞ」

 

「ふふっ。感謝するよ、トレーナー君。君のその優しさと技術は、必ずや学園全体のパフォーマンス向上に寄与するだろう」

 

 ルドルフは上機嫌に耳を揺らしながら、どこか誇らしげに胸を張った。

 

 窓の外では、休日の穏やかな夕暮れが街を赤く染めようとしていた。

 

 どうやら俺のトレーナー人生には、「ウマ娘たちの秘密の癒し手」という、とんでもない副業が完全に組み込まれてしまったらしい。

 

 だが、あの安らかな寝顔と、憑き物が落ちたような笑顔を見られるのなら――それも悪くないかもしれないと、俺はココアのお湯を沸かしながら、密かに思っていたのだった。

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