癒しのヘッドスパ   作:灯火011

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注:少し独自解釈ゴルシちゃんです。


黄金船の停泊(前)

 放課後の静寂が訪れたトレーナールーム。窓の外では、茜色の空が少しずつ紫の夜へと溶け始めていた。

 

 最近ではこの時間は、学園の要人たちの「隠れ家サロン」と化している。マックイーンをドロドロに溶かしたあの日から数日、俺は内心、次はいったい誰が来るのかと戦々恐々としていた。

 

 

 コン、コン。

 

 慎重で、なおかつ一定のリズムを刻む、極めて常識的なノックの音。

 

「開いてるぞ、入ってくれ」

 

 俺の言葉に応えてドアが開いたが、入ってきた影を見て、俺は思わず手に持っていたペンを落としそうになった。

 

「……よぉ、トレーナー。邪魔するぜ」

 

 そこに立っていたのは、トレセン学園最大の問題児にして、予測不能のトリックスター――ゴールドシップだった。

 

 だが、おかしい。いつもならドアを蹴破る勢いで入ってくるか、窓から侵入してきてもおかしくない彼女が、今日は驚くほど「普通」なのだ。奇妙なポーズを決めることもなく、大声で謎の呪文を唱えることもない。

 

 その後ろから、苦笑いを浮かべたルドルフが顔を出した。

 

「驚くのも無理はないが、落ち着いて聞いてくれたまえ、トレーナー君。今日は彼女を、正当な『手続き』を経て連れてきたんだ」

 

「手続き?」

 

「ああ。彼女、わざわざ生徒会室までやってきてね。私に『例の、噂のやつを自分にも頼めないか』と、非常に真面目な態度で頭を下げにきたのさ」

 

 ルドルフの説明を聞きながら、俺は改めて目の前のゴールドシップを観察した。

 

 彼女はバツが悪そうに視線を泳がせ、耳をパタパタと動かしている。いつものあの、人を食ったような不敵な笑みは鳴りを潜め、どこか所在なげに佇んでいた。

 

「……なんだよ、そんな珍獣を見るような目で見るんじゃねぇよ。アタシだって、たまには真面目に休みてぇ時くらいあんだよ」

 

「いや、すまん。あまりにもお行儀が良いから、てっきり偽物かと思ってな」

 

「偽物だったらドロップキックぶち込んでるわ! ……ったく、マックイーンが『アイツの手は魔法だ』なんて吹聴するもんだから、気になっちまったじゃねーか」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも、ゴールドシップは俺が促す前に、ソファへとどっかり腰を下ろした。その仕草はいつもの彼女らしい奔放さがあったが、深く沈み込んだ背中からは、隠しきれない重苦しい疲労が漂っていた。

 

「……ゴルシ。お前、相当キてるな」

 

 俺がその背中に声をかけると、彼女はふんと鼻を鳴らした。

 

「……わかるかよ。アタシはいつだってパーフェクトなゴールドシップ様だぜ?」

 

「隠しても無駄だ。お前の筋肉がそう言ってる」

 

 俺は彼女の横に立ち、その肩に軽く手を置いた。ジャージ越しでもわかる、鋼のように硬く、それでいてどこか熱を持った強張りが。

 

 傍らでルドルフが、静かに口を開いた。

 

「彼女はああ見えて、根は非常に真面目なのだよ、トレーナー君。普段はおちゃらけて周囲を振り回しているが、その裏では誰よりもストイックに自分を追い込み、そして実は、周囲の空気を読み取ってバランスを取ろうともしている。……その蓄積が、彼女をこうして追い詰めてしまったんだろう」

 

「……余計なこと言わなくていいんだよ、会長さんは」

 

 ゴールドシップは顔を背けたが、その耳が力なく伏せられたのを俺は見逃さなかった。彼女が抱える疲労は、単なるトレーニングによる肉体的なものだけではない。あの破天荒な振る舞いを維持し続けるための、彼女なりの神経の使い減らし。それが、彼女の身体を内側から蝕んでいるのだろう。

 

「わかった。……事情は理解した。今日は『ゴールドシップ』じゃなく、ただの一人のウマ娘として、ゆっくり休ませてやるよ」

 

 俺がそう告げると、彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに

 

「……ふん、勝手にしやがれ」

 

 と小さく毒づいた。

 

「よし。……ところで、ゴルシ。ルドルフから聞いてると思うが、俺のマッサージは耳周りを重点的に解す。お前にとって大事な急所なのはわかってるが……触ってもいいか?」

 

 その問いに、ゴールドシップは目に見えて戸惑った。

 

 彼女の耳――それは彼女にとって、外界のノイズを拾い、時にシャットアウトするための大切なアンテナだ。それを他人に預けるということが、彼女のような警戒心の強い(と言えば本人は怒るだろうが)タイプにとってどれほどの意味を持つか。

 

 彼女はしばらく沈黙し、自分の耳にそっと手をやった。それから、覚悟を決めたように深く息を吐き出す。

 

「……ああ、わかったよ。ここまで来て『やっぱヤメだ!』なんて言うほど、アタシはヤワじゃねーからな。……あー、その……なんだ。……お願いします」

 

 最後の方は消え入りそうな声だったが、それは彼女が心からの信頼を俺に預けようとした証だった。

 

「ああ。任せろ」

 

 俺は両手を擦り合わせ、彼女の疲れ果てた心身を解き放つための熱を、その掌に宿し始めた。

 

 トレセン学園最大の問題児。その分厚い「鎧」の奥底に眠る素顔の疲労を、今から俺が、すべて溶かし尽くしてやる。

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