癒しのヘッドスパ   作:灯火011

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注:少し独自解釈ゴルシちゃんです。


黄金船の停泊(後)

「お願いします」

 

 いつもの彼女からは到底想像もつかない、消え入りそうな、けれど真摯な声。その言葉を聞いて、俺はただ静かに頷き、ゴールドシップの背後へと回った。

 

 ルドルフは気を利かせてくれたのか、

 

「私は生徒会室へ戻る。終わったら好きに帰らせてやってくれ」

 

 とだけ言い残し、早々に部屋を後にしていた。

 

 

 トレーナールームには俺と、ソファに少し縮こまるようにして座るゴールドシップの二人きりだ。

 

 窓の外はすでに完全な夜の帳が下り、部屋を照らすのはデスクの電気スタンドと、フロアの隅に置かれた間接照明の柔らかな光だけとなっていた。

 

「……リラックスしろよ。痛かったら遠慮なく言え」

 

「……おう」

 

 俺は深呼吸を一つし、両手をしっかりと擦り合わせて熱を作った。そして、彼女の美しい芦毛の髪をそっと掻き分け、首の付け根から肩にかけて、両手を静かに置いた。

 

「……っ」

 

 ビクッと、彼女の大きな肩が微かに跳ねた。だが、逃げようとはしない。ジャージ越しに伝わってくるのは、トレセン学園でも屈指の圧倒的な肉体のポテンシャル。バネのようにしなやかで、鋼のように強靭な筋肉。

 

 だが、それと同時に――俺の掌は、そこに巣食う尋常ではない『疲労の塊』をはっきりと捉えていた。

 

「……ゴルシ。お前、本当にギリギリまで我慢してたんだな」

 

 俺が呟くと、彼女はフンと小さく鼻を鳴らした。

「……うるせぇ。アタシはいつだって余裕しゃくしゃくのパーフェクト・ゴールドシップ様だぜ」

 

「隠しても無駄だ。お前の筋肉がそう言ってる」

 

 俺は親指の腹で、僧帽筋の最も硬い部分――首と肩の境目あたりにじわっと圧をかけた。

 

「……んぐっ……」

 

 強がる言葉は、その小さな呻き声によってあっさりと途切れた。

 

 ここからは、一切の遠慮も手加減もしない。彼女が一切のおちゃらけを封印し、真面目に俺の手に身を委ねているのだ。癒し手として、それに全力で応えるのが礼儀というものだ。

 

 俺は体重を乗せ、彼女の凝り固まった肩の筋肉を奥底から引き剥がすように揉み解し始めた。

 

 普段は奇声を発し、予測不能な行動で周囲を振り回す彼女。だが、その実態は誰よりも周囲の空気を読み、仲間を気遣い、自分自身をストイックに追い込み続ける、不器用なほどに真面目なウマ娘なのだ。その精神的なすり減りが、この強固な強張りを作り出している。

 

 静寂の中、俺の指が筋肉を捉える摩擦音と、彼女の深く不規則な呼吸音だけが響く。

 

 首筋から肩甲骨へと指を滑らせる中で、俺は改めて彼女の『プロポーションの良さ』を実感していた。

 

 背が高く、手足が長く、圧倒的なフィジカルを備えながらも、女性らしい柔らかな曲線美を一切失っていない。完璧なアスリートの肉体でありながら、まるで彫刻のように美しいバランスを保っている。

 

 側頭部へアプローチするために、俺はソファの横へと回り込み、ふと彼女の顔を間近で見た。

 

「……」

 

 目を閉じ、静かに息を吐くその横顔。

 

 長いまつ毛が間接照明の光を受けて淡い影を落とし、スッと通った高い鼻筋、血色の良い唇が、まるで絵画のように浮かび上がっている。

 

 黙っていれば、すれ違う誰もが思わず振り返るほどの絶世の美女。それが、ゴールドシップというウマ娘が本来持っている、隠しようのない美しさなのだ。

 

 俺の手が止まり、無意識に見惚れてしまっていたのが伝わったのだろう。ゆっくりと目を開けた彼女の、宝石のような美しい瞳と視線がぶつかった。

 

「……なんだよ」

 

 少しだけ不機嫌そうに、だがどこか照れ隠しのように彼女が呟く。

 

「……いや。お前、黙ってると本当に息を呑むほど美人だな、と思ってな」

 

 取り繕うこともなく、心からの素直な感想が口をついて出た。ゴルシは一瞬ぽかんと口を開け、それから頭頂部の耳をパタパタと忙しなく動かし、頬をわずかに赤く染めた。

 

「なっ……。お前、アタシにナンパか? 命知らずだねぇ、このゴールドシップ様をこんな密室で口説こうなんざ」

 

 憎まれ口を叩き、いつものように不敵に笑おうとするが、その声にはいつものような刺や余裕がない。俺は真面目な顔のまま、彼女の目を真っ直ぐに見返した。

 

「ナンパじゃない、ただの事実だ。……お前みたいな美人と付き合えるなら、男として本望だよ。本当に」

 

 静かなトレーナールームに、俺の低く真剣な声が響き渡る。冗談でもお世辞でもない。一人の男としての、純粋な賛美だ。そのストレートすぎる言葉を正面から浴びたゴルシは、目を丸くして完全に固まり、やがて耳の先まで真っ赤にしてバッと視線を逸らした。

 

「……んだよ、それ。調子狂うじゃねーか……バカ」

 

 小さく呟いた彼女の耳が、羞恥で限界まで熱を持っているのがわかった。その年相応の、いや、彼女らしからぬ乙女のような反応が、酷く愛おしく思える。

 

「ふふ。さて、無駄話はこれくらいにして、本丸にいくぞ。耳周りだ」

 

 俺は気を取り直し、熱を持った彼女の耳の根元へと指を這わせた。

 

「……おう。やってくれ」

 

 先程の照れを引きずっているのか、大人しい返事だった。俺は両手の人差し指と中指、親指を使い、彼女の耳の上の側頭筋をしっかりと挟み込み、頭頂部に向かってゆっくりと引き上げるように圧をかけた。

 

「……っっ! ぁ……っ……!」

 

 ゴルシの口から、声にならない呻きが漏れる。常に周囲のノイズを拾い、時に自らピエロを演じるために空気を測り続けてきた彼女の耳。その根元には、鉛のように重く冷たい疲労がこびりついていた。

 

 俺は固まった筋膜をミリ単位で引き剥がし、血流を一気に解放するイメージで、深く深く指を沈め込んでいく。

 

「……あぁっ……そこ、は……! あ、ぅあ……!」

 

 ゴルシの口から、甘く熱っぽい吐息が次々とこぼれ落ちる。強靭な肉体が俺の指先一つでビクンビクンと震え、ソファに深く深く沈み込んでいく。が、意識は手放さない。

 

 ルドルフやたづなさんでさえ抗えずに意識を手放した究極の弛緩の波。その圧倒的な心地よさの奔流の中で、彼女は必死に目を半分開け、荒い息を吐きながら、その快感を一滴残らず味わい尽くそうとしていたのだ。

 

「……すげぇ……。頭の中の、ドロドロしたもんが……全部、押し出されていくみたいだ……」

 

 恍惚とした表情で、彼女は掠れた声で呟く。

 

「眠いなら、無理せず寝ていいんだぞ」

 

「バカ……言え……。こんなすげぇモン、寝て記憶飛ばすなんて……もったいねぇマネ、アタシがするわけねぇだろ……最後まで、起きて、味わってやる……」

 

 意地っぱりで、どこまでも貪欲なその言葉。俺は微笑み、「わかった」とだけ応えて、さらに深く、的確にツボへと圧を沈めていった。

 

 ――それから数十分後。

 

 すべての施術を終え、俺が静かに頭部から手を離すと、ゴルシは「ふぅー……」と、身体の中の古い空気をすべて入れ替えるような、長く深い溜め息を吐いた。

 

「終わったぞ、ゴルシ。お疲れ様」

 

 俺は立ち上がり、給湯スペースでカモミールとレモングラスをブレンドしたハーブティーを淹れた。

 

 ティーカップをローテーブルに置くと、ゴルシはゆっくりと身体を起こし、カップを両手で丁寧に包み込んだ。そして、姿勢を真っ直ぐに正し、フッと息を吹きかけてから、静かにハーブティーを啜る。

 

「……」

 

 その姿に、俺は再び目を奪われた。

 

 窓の外の夜景を背に、間接照明に照らされた芦毛の髪が銀色に輝いている。長い脚を上品に斜めに揃え、伏し目がちにカップを傾けるその出で立ちは、どこぞの王族か、あるいは世界的なセレブの休日にしか見えなかった。

 

 一切の奇行を封印し、ただ静かに満ち足りた時間を優雅に味わうゴールドシップ。

 

 そのあまりにも完璧で、息を呑むほどの美しさに、俺は思わず溜め息交じりに言葉をこぼしていた。

 

「……美味いな、これ。五臓六腑に染み渡るぜ」

 

 静かなトーンで感想を述べる彼女に向かって、俺は言った。

 

「……普段からコレなら、お前……」

 

 言葉を濁した俺の言いたいことは、彼女には十分に伝わっていたはずだ。

 

 ―――黙ってその優雅な振る舞いをしていれば、誰もがひれ伏すほどの高嶺の花になるのに。

 

 だが、俺のその言葉を遮るように、ゴルシはカップをコトンとソーサーに置き、ふっと口角を上げた。いつもの、あの悪戯っぽく、人を食ったような、けれど誰よりも魅力的な不敵な笑みで。

 

「……それじゃーつまんねーだろ?」

 

 彼女のその一言に、俺は一瞬ポカンとし、やがて腹の底から堪えきれない笑いが込み上げてきた。

 

「ははっ……! 違いない。お前はお前だから、魅力的で面白いんだ」

「だろ? まぁ、たまにはこういう『ご褒美』も悪くねぇけどな」

 

 ゴルシは立ち上がり、大きく、気持ちよさそうに背伸びをした。その身体からは、先程までの重苦しい疲労の気配は完全に消え去り、本来の瑞々しい生命力が満ち溢れている。

 

「サンキューな、トレーナー。……また、アタシがギリギリんなったら、頼むわ」

 

 照れくさそうに背を向け、ひらひらと手を振りながら部屋を出ていくゴールドシップ。

 

 ドアが閉まった後も、部屋には仄かなハーブティーの香りと、彼女が残していった強烈な美しさの余韻が漂っていた。

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