癒しのヘッドスパ   作:灯火011

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貴婦人の襲来

 放課後の日差しが、ブラインドの隙間から細い帯となってトレーナールームの床に伸びている。

 

「……ふぅ……むぅ……」

 

 静かな室内に響くのは、壁掛け時計の秒針の音と、俺の目の前で完全に「融解」しているウマ娘――シンボリルドルフの、だらしなくも幸せそうな吐息だけだった。

 

 いつものように日課のヘッドスパを施した結果、今日の彼女はことのほか深くリラックスし、ソファの背もたれに身体を沈めたまま、まるで日向ぼっこをしている猫のようにトロトロになっていた。

 

 誇り高き『皇帝』の威厳はどこへやら。頭頂部の立派な耳は完全に重力に負けてへにゃりと伏せられ、口元には緩みきった笑みが浮かんでいる。

 

「ルドルフ、終わったぞ。紅茶でも淹れようか?」

 

「……んん……。もう少し、このままでいさせてくれ……。君の手の余韻が……ぽかぽかして……」

 

 呂律の怪しい甘えた声で返す姿は、完全に俺に心を許しきった「正妻」のような安心感に満ちていた。俺は苦笑しながら、タオルの上で手を拭き、彼女が起き上がるまで見守ることにした。

 

 その時だった。

 

 コン、コン、コン。

 

 ノックの音が響いた。いつものゴルシが叩くような乱暴なものでも、たづなさんのような控えめなものでもない。優雅でありながら、どこか有無を言わさぬ絶対的な自信に満ちた、力強い響き。

 

「はい、開いてますよ」

 

 ガチャリとドアが開き、現れた人影を見て、俺は思わず居住まいを正した。

 

「ごきげんよう。突然の訪問、お許しくださいませ」

 

 そこに立っていたのは、トレセン学園が誇る最強の貴婦人――ジェンティルドンナだった。

 

 ビシッと着こなした制服姿。優雅に微笑んではいるものの、その全身から発せられる覇気と圧倒的な存在感は、部屋の空気を一瞬でピンと張り詰めさせるほどだ。

 

「ジェンティルドンナ? いったいどうしたんだ、こんな時間に」

 

 俺が驚いて尋ねると、彼女はふふっと口元を隠すように上品に笑った。

 

「ええ。実は、あの方……ゴールドシップさんから耳寄りな情報を仕入れまして。なんでもこちらのトレーナーさんの元へ伺えば、至に尽くされた『極上のヘッドマッサージ』が受けられるとか」

 

 あいつ……! 定期的に頼みたいと言った舌の根も乾かぬうちに、さっそく次の紹介(という名の丸投げ)をよこしやがったな。

 

 俺が頭痛を堪えるようにこめかみを押さえていると、ジェンティルドンナは部屋の中へと優雅に足を踏み入れ、そして、ソファの上で「融け」ているルドルフの姿に気がついた。

 

「あら……?」

 

 ジェンティルドンナの目が、面白そうに細められた。

 

 普段、誰に対しても毅然とした態度を崩さず、学園の頂点として君臨する生徒会長。それが今、見る影もなくドロドロに甘やかされた姿でソファに横たわっているのだ。

 

「なるほど……。あの会長さんが、このような無防備なお姿になるとは。ふふっ、噂は真実だったようですね。とても興味深いですわ」

 

「……むぅ……ジェンティル……か……?」

 

 ルドルフが重い瞼を少しだけ開けて後輩の名前を呼んだが、身体を起こす気配はない。ジェンティルドンナは納得したように頷き、俺の方へと視線を戻した。

 

「というわけですので、私もその魔法のような施術とやらを、ぜひ一度体験してみたいのですけれど。よろしいかしら?」

 

 圧倒的な力の象徴のような彼女からの、逆らえないオーラを纏ったお願い。俺は小さく息を吐いた。

 

「まぁ、構わないけど……一つだけ、確認しておきたいことがある」

 

「なんでしょう?」

 

「俺のマッサージは、眼精疲労や脳の疲労を抜くために、ウマ娘の『耳』やその根元の筋肉をガッツリと揉みほぐす。君の耳も触ることになるんだけど、大丈夫か?」

 

 その言葉を聞いた瞬間。ジェンティルドンナの優雅な微笑みが、ピタリと止まった。

 

「……耳、ですか?」

 

 彼女の声音から、先程までの余裕がスッと消え去った。

 

 頭頂部の美しい耳が、警戒を示すように僅かに後ろへ反る。誇り高き貴婦人にとって、自身の最も敏感でデリケートな部位を他人に、それも担当外の男性に触れられるというのは、本能的な抵抗感があるのだろう。

 

「……いくらマッサージとはいえ、それは……いささか、無遠慮というものではなくて? 私の耳を安易に触れさせろなどと……」

 

 珍しく、彼女の顔に明らかな「不機嫌」の色が浮かんだ。その場にいるだけで威圧感を感じるほどの彼女が不機嫌になれば、部屋の空気は凍りつく。

 

 俺が、嫌なら無理にとは言わないぞ、とフォローを入れようと口を開きかけた、その時。

 

 ソファで半分夢の世界にいたはずのルドルフが、目を閉じたまま、ポツリと、確信に満ちた声で囁いた。

 

「……心地よいぞ」

 

 その一言が、静かな部屋に深く響き渡った。

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