癒しのヘッドスパ   作:灯火011

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新たなるアプローチ

 トレセン学園の頂点に君臨する『皇帝』、そして最強の『貴婦人』をも融解させた俺の極秘ヘッドスパ。その噂は、どうやら紹介という名の口コミによって、水面下で徐々に、しかし確実に広がりを見せつつあった。

 

 だが、どれほど顧客……もとい、疲労困憊のウマ娘たちが増えようとも、俺には優先すべきVIPがいる。

 

「……潜入! トレーナー君、今日の予約枠は空いているかね!?」

 

 ある日の夕暮れ。周囲を警戒しながら、トレーナールームのドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせたのは、トレセン学園理事長・秋川やよいだった。

 

「お待ちしてましたよ、理事長。どうぞ中へ」

 

 俺が笑顔で迎え入れると、理事長は「感謝!」と小声で言いながら足早に部屋に入り、自ら進んでいつものソファへとどっかりと腰を下ろした。そして、バサッと帽子を取り去り、頭頂部の小ぶりなウマ耳を露わにする。

 

 最近ではたづなさんの目を盗んで、こうして定期的に俺の「施術」を受けに来るのが、理事長にとってのささやかな楽しみとなっているようだった。

 

「ここ数日、秋のG1戦線に向けた各所への挨拶回りでな……。疲労! 私の肩には、少々荷が重すぎるほどの激務であった。……今日も、頼むぞ」

 

「お任せください。今日は少し、新しいアプローチから始めますよ」

 

 俺は理事長の正面にスツールを引いて座り、温めたマッサージオイルを掌に馴染ませた。今日用意したのは、心身の緊張を解きほぐすスイートオレンジと、精神を安定させるシダーウッドのブレンドだ。

 

「失礼します」

 

 俺は理事長の小さな両手を、下からそっと包み込むように取った。

 

「おお? 今日は手からかね?」

 

「ええ。たづなさんやルドルフにも試して、非常に効果が高かったんです。理事長のその小さな手も、ペンを握り、扇子を叩き、学園の重圧を支え続けてガチガチになっているはずですから」

 

 俺は親指の腹を使い、理事長の掌の中央、万能のツボである『労宮』へとゆっくり圧を沈めていった。

 

「……っ! あぁ……」

 

 理事長の口から、微かな感嘆の息が漏れる。

 

 骨格自体は子供のように小さな手だが、その掌には長年学園を牽引してきた確かな厚みと、そして恐ろしいほどの筋肉の強張りがあった。親指の付け根、そして一本一本の細い指を、オイルの滑りを利用して丁寧に揉み解し、老廃物を指先へと押し流していく。

 

「……驚愕。まさか、手という部位がこれほどまでに疲労を溜め込む場所であったとは……。君の指が滑るたびに、身体の奥底から熱いものがじんわりと湧き上がってくるようだ……」

 

「末端の緊張を解くことで、脳が『休んでいいんだ』と錯覚するんです。これで、本丸である首や肩の鎧が崩しやすくなります」

 

 両手をじっくりと解し終える頃には、理事長の呼吸はすっかり落ち着き、ピンと張っていたウマ耳も微かに揺れ始めていた。

 

「では、背中側へ回ります」

 

 俺は理事長の背後に立ち、その華奢な肩へと両手を置いた。

 

 ……やはり、凄まじい硬さだ。この小さな背中で、何百人という生徒たちの未来を背負っているのだから当然だろう。俺は手根部を使い、僧帽筋の強張りを奥底から揉み捏ねるように引き剥がしていく。

 

「……くぅっ……! そこ、は……効くぞ……!」

 

「少し痛いですか?」

 

「いや……絶頂! この痛みの奥にある、淀みが流れていく感覚がたまらんのだ……。存分に、やってくれたまえ……!」

 

 理事長は身悶えしながらも、俺の手の圧を真っ向から受け止めている。肩甲骨の縁から首の裏側へ。胸鎖乳突筋をじっくりと流し、後頭下筋群のツボへと親指を沈める。

 

「……ぁ……んん……」

 

 そして、仕上げは頭部だ。頭蓋骨全体を包み込むように筋膜を動かし、いよいよその小さなウマ耳の根元へと指を這わせる。

 

「……っ!」

 

 触れた瞬間、理事長の身体がビクンと跳ねた。

 

 俺は両手の指で耳の付け根の筋肉をしっかりと挟み込み、頭頂部に向かって、ぐーっと引き上げるように圧をかけた。

 

「……あぁっ……!! ぁ……っ……」

 

 理事長の口から、完全に理性を手放した甘い吐息が漏れる。限界まで張り詰めていた学園トップの重圧が、俺の掌の中で音を立てて崩れ去り、溶けていく。

 

「……ふぁ……ぁ…………」

 

 ものの数分。

 

 俺の腹部にコトンと頭を預けたまま、理事長は完全に意識を手放し、スースーと無防備な寝息を立て始めた。小ぶりなウマ耳は完全に力を失い、ぺたりと伏せられている。

 

「……お疲れ様です、理事長」

 

 俺はオイルを拭き取り、彼女の小さな肩にブランケットを掛けてやった。

 

 こうしてまた一人、極上の眠りへと誘うことができた。だが、寝息を立てる理事長を見下ろしながら、俺の中の『癒し手』としての探究心が、ふと頭をもたげていた。

 

 頭、首、肩、そして手。

 

 上半身のアプローチは、我ながらかなり洗練されてきた実感がある。しかし、ウマ娘たちにとって、最も酷使している部位はどこか?

 

 言うまでもない。ターフを蹴り、風を切り裂く『脚』だ。

 

 もちろん、トレーナーとして、日々のトレーニング後のアイシングや、乳酸を散らすための軽度なスポーツマッサージ、ストレッチの補助は日常的に行っている。

 

 だが、それはあくまで「アスリートとしての機能回復」を目的とした物理的なケアだ。

 

 俺が今、この部屋で行っているような、自律神経に働きかけ、深い精神的疲労を抜き去り、内臓の働きすら活性化させる『リラクゼーションとしてのマッサージ』とは根本的に異なる。

 

「第二の心臓、か……」

 

 俺は自身のデスクに戻り、最近買い集めていた解剖学やリフレクソロジー(反射療法)の専門書を開いた。足裏には全身の臓器や器官に対応する「反射区」が密集している。ふくらはぎのポンプ機能を極限の弛緩状態から促し、足裏の反射区を的確に刺激すれば、頭部のヘッドスパと組み合わせることで、今とは比較にならないほどの『完全な疲労回復』を提供できるのではないか。

 

 ウマ娘の脚。それは彼女たちの命そのものだ。

 

 そこへ、アスリートとしてのケアではなく、極上の癒し手としてのアプローチを試みる。俺の探究心は、静かに、しかし熱く燃え上がり始めていた。

 

 

 それから数日後の放課後。

 

「……以上が、次週の合同トレーニングのメニュー案だ。どうだろうか」

 

「ああ、完璧だ。各人のコンディションもよく考慮されている。これで進めてくれ」

 

 トレーナールームで、俺とルドルフはいつものように書類を挟んで向かい合っていた。

 

 秋の涼風が窓から吹き込み、彼女の美しい髪を揺らしている。

 

 業務の打ち合わせを終え、ルドルフがコーヒーを一口飲んで息をついたタイミングを見計らい、俺は切り出した。

 

「ルドルフ。最近、マッサージの技術をさらに上げようと思って、色々と勉強し直しているんだ」

 

「ほう? これ以上腕を上げて、いったい学園のウマ娘たちをどうするつもりだい? 今でも十分すぎるほどの魔法使いぶりだと思うが」

 

 ルドルフはクスクスと笑いながら、面白そうに耳を立てた。

 

「いや、実はな。今まで頭や肩、手ばかりやってきたが、一番肝心な場所が抜けていたことに気がついてね。……『脚』と『足裏』だ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ルドルフのコーヒーカップを持つ手が、ピクリと止まった。

 

「ふくらはぎのポンプ機能と、足裏の反射区。ここをリラクゼーションの観点から徹底的に解し、その後にヘッドスパを行えば、今の倍以上の疲労回復効果が見込めるはずなんだ。……どうだ、ルドルフ。俺の新しい技術の被験者第一号になって、受けてみないか?」

 

 俺が自信満々に提案すると。ルドルフはカップをゆっくりとソーサーに置き、なぜかスッと視線を逸らした。

 

「……脚と、足裏、か」

 

「ああ。スポーツマッサージじゃなく、アロマオイルを使った本格的なリフレクソロジーだ」

 

 俺が言葉を重ねるが、ルドルフの反応はどうにも歯切れが悪い。

 

 普段であれば「君の探究心には恐れ入る、ぜひ頼もう」と二つ返事で快諾するはずの彼女が、組んでいた足をそっと組み直し、スカートの裾を無意識に直すような仕草を見せた。そして、ほんのりと頬を朱に染め、困ったように頭頂部の耳を後ろへ伏せたのだ。

 

「……トレーナー君。その、君の提案は非常に魅力的だし、学園のウマ娘たちのケアの質をさらに一段階引き上げる素晴らしい試みだとは思う。思うのだが……」

 

 ルドルフはちらりと、革靴に包まれた自身の足元へ視線を落とした。

 

「……今日は、その、遠慮しておこうかと思う」

 

「えっ? どうしてだ? どこか痛むのか?」

 

「違う! 違うのだ、そうではなく……!」

 

 珍しく慌てた様子で否定するルドルフ。

 

 彼女はコホンと一つ咳払いをして、どうにか『皇帝』としての威厳を保とうと背筋を伸ばしたが、その耳は恥ずかしさからか、熱を持ってピクピクと揺れていた。

 

「……よく考えてみたまえ、トレーナー君。トレーニング後、シャワーを浴びた直後のスポーツマッサージならいざ知らず。今は一日中、制服のローファーとタイツで過ごした放課後だ。……年頃の、その、淑女の嗜みとして。いくら君相手とはいえ、一日中靴の中にいた素足を、顔の近くで丹念に揉み解されるというのは……いささか、精神的なハードルが高いのだよ」

 

「あ……」

 

 俺はそこで初めて、自分の配慮の無さに気がついた。

 

 癒し手としての探究心が先行しすぎて、相手が「うら若き年頃の乙女」であることを完全に失念していたのだ。

 

 確かに、スポーツとしての割り切ったケアとは違う。密室で、アロマオイルを使い、素肌をじっくりと、しかも足裏という極めてプライベートな部位を触り続けるのだ。匂いや清潔感といった、乙女としての恥じらいが先行するのは当然のことだった。

 

「……っ、すまん! ルドルフ、俺が完全に無神経だった! 忘れてくれ、今の話は!」

 

 俺が顔を赤くして勢いよく頭を下げると、ルドルフはふっと表情を和らげ、小さく吹き出した。

 

「ふふっ……謝ることはない。君が純粋に、私の、そして皆の疲労を抜くことだけを真剣に考えてくれている証拠だからね。その気持ちは、とても嬉しいよ」

 

 ルドルフはそう言って、組んでいた足を解き、俺の方へと少しだけ身を乗り出した。その瞳には、恥じらいを越えた、悪戯っぽい熱が灯っている。

 

「……ただ、コンディションが整っていない状態で君のその素晴らしい技術を受けるのは、私自身の美意識が許さないというだけだ。……だから、トレーナー君」

 

「ん?」

 

「後日。私の休日に……君の寮の部屋で。事前に完璧にシャワーを浴び、隅々まで磨き上げた状態で向かう。……その時に、君のその新しい技術とやらを、心ゆくまで堪能させてもらうとしよう。……約束だぞ?」

 

 上目遣いで、艶然と微笑む皇帝陛下。

 

「素足を触らせない」のではなく、「完璧な状態で触らせる」という、彼女らしい高貴な妥協案。

 

 俺はドキリと跳ねた心臓の音を悟られないよう、必死に平静を装いながら頷いた。

 

「……ああ。わかった。極上のオイルを用意して、待ってるよ」

 

 ウマ娘の第二の心臓へのアプローチ。

 

 次なる休日は、俺にとってもルドルフにとっても、かつてないほど濃厚で、深い癒しの時間になることだけは間違いなさそうだった。

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