癒しのヘッドスパ   作:灯火011

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ルドルフ、いつものヘッドスパ?

 秋の深まりを感じさせる、心地よい風が窓から吹き込む放課後のトレーナールーム。

 

 俺とルドルフは、デスクに広げた資料を挟んで、今後のレースに向けたローテーションの最終確認を行っていた。

 

「……秋の天皇賞からジャパンカップ、そして有マ記念へ。王道とも言えるこのローテーションだが、中間の調整が鍵になる。ルドルフ、疲労の抜け具合はどうだ?」

 

「問題ない。君が組んでくれた完璧なトレーニングメニューと、そして何より……君の定期的なコンディショニングのおかげで、これまでにないほど万全の仕上がりだ。次走も、必ずや皇帝の名に恥じぬ走りを見せよう」

 

 自信に満ちた笑みを浮かべるルドルフ。その紫水晶の瞳には、レースに向けた静かで力強い闘志が燃えていた。だが、その闘志を維持するためには、心身のバランスを常に最適に保つ必要がある。

 

「よし。打ち合わせはここまでにしておこう。……少し、解そうか」

 

「ああ。お願いするよ」

 

 もはや言葉を重ねる必要すらない、自然な流れだった。ルドルフはデスクから離れ、部屋の奥にあるリクライニングソファへと腰を下ろす。俺は彼女の背後に回り、両手を擦り合わせて人肌に温めた。

 

「失礼するよ」

 

 温まった掌を、彼女の首筋から耳の根元へとそっと添える。

 

「……んん……」

 

 触れた瞬間、ルドルフは目を細め、その瞳をトロンとさせた。ピンと立っていた頭頂部の立派な耳が、俺の手にすり寄るようにパタパタと揺れ、やがて力を抜いて心地よさそうに伏せられる。

 

「少し右の側頭部が張っているな。書類仕事で目を酷使したか?」

 

「……流石だな。少し、各部からの予算案の確認で数字を追いすぎたようだ……。君の手にかかれば、誤魔化しは効かないな」

 

「だから誤魔化すなっていつも言ってるだろ」

 

 俺は苦笑しながら、親指と人差し指で彼女の耳の根元の筋肉をしっかりと挟み込み、頭頂部に向かってゆっくりと引き上げるように圧をかけた。

 

 すでに何度も繰り返してきた、俺たちの間のルーティン。

 

 癒し手と受け手としての絶対的な信頼関係が構築されているからこそ、ルドルフは俺の指先に一切の抵抗を見せず、完全にその身を委ねてくれている。

 

「……ふぁ……ぁ……。やはり、最高だ……」

 

 深く、長い吐息が漏れる。俺は側頭筋から前頭部、そして耳の裏側のツボへと指を滑らせながら、順調に彼女の頭部の強張りを抜いていった。

だが、その時だった。

 

(……耳の『内側』は、どうなっているんだ? ライスの時もかなり耳ツボをアプローチしたが……)

 

 ふと、俺の中の探究心が頭をもたげた。

 

 今まで俺は、ウマ娘の耳に対して「根元の筋肉」や「耳介の縁」といった外側からのアプローチを中心に行ってきた。もちろんそれだけでも絶大な効果はあった。

 

 しかし、人間の耳にも内側に無数の自律神経のツボが密集しているように、ウマ娘のあの大きく立派な耳の内側――複雑な軟骨のくぼみや、毛の薄い内皮の部分にも、深いリラックス効果をもたらすポイントがあるのではないか。

 

「……ルドルフ。少し、新しいことを試してもいいか?」

 

「ん……? 新しいこと……?」

 

 夢うつつの状態のルドルフが、不思議そうに小さな声を返す。

 

「ああ。少しだけ、耳の内側に触れてみたい。自律神経にダイレクトに効くツボがあるはずなんだ。……嫌なら、すぐにやめる」

 

 俺の問いかけに、ルドルフは数秒だけ沈黙した。耳の内側。それは音を直接拾う器官であり、ウマ娘にとって外界との境界線とも言える極めてデリケートな場所だ。だが、彼女はゆっくりと首を横に振り、俺の掌に頬をすり寄せた。

 

「……君の探究心には、いつも驚かされる……。だが、君なら……悪いようにはしないだろう。好きにしてくれたまえ」

 

「ありがとう」

 

 俺は彼女の絶対的な信頼に応えるべく、指先の感覚を限界まで研ぎ澄ませた。

 

 両手の人差し指の腹を使い、伏せられている彼女の耳の、その内側の空間へと静かに滑り込ませる。

 

「……っ!!」

 

 指先が耳介の内側の、柔らかな皮膚に触れた瞬間ルドルフの身体が、まるで微弱な電流を浴びたようにビクンッ!と大きく跳ねた。

 

「大丈夫か?」

 

「あ、ああ……! 驚いた、だけだ……。今までに、他人に触れられたことのない場所だから……っ」

 

 俺は無理に押し込むことはせず、まずは耳介の内側の浅いくぼみに沿って、人差し指の腹で優しく、円を描くように撫でていった。

 

 ウマ娘の耳の内側は、外側のビロードのような毛並みとは違い、極めて滑らかで、驚くほど温かかった。そして、その薄い皮膚のすぐ下には、複雑な形状をした軟骨が走っている。

 

「……ここだな」

 

 俺は耳の穴の少し上、Y字型に分岐している軟骨の間のくぼみ――人間でいうところの『神門(しんもん)』と呼ばれる、自律神経のバランスを整え、精神的な緊張を解きほぐす最強のツボを探り当てた。

 

「少し、押すぞ」

 

 俺は人差し指の腹をそのくぼみにピタリと密着させ、ごくわずかな力で、しかし持続的な圧をかけ始めた。

 

「……ひゃぅっ……!! ぁ……っ……!」

 

 ルドルフの口から、可愛らしい悲鳴が漏れた。彼女の両手がソファの肘掛けをギュッと握りしめる。

 

「これはっ……痛いというより、頭の奥に直接、響くような……っ! あぁっ……なんだ、これは……っ」

 

「副交感神経のスイッチを強制的にオンにしているんだ。身体の奥底に溜まっていた緊張が、一気に抜けていくはずだぞ」

 

 あくまで「癒し手」として。

 

 俺は冷静に、だが愛情と労わりを込めて、そのデリケートなツボへ一定のリズムで圧迫と弛緩を繰り返した。

 

「……はぁっ……、……あぁ……、……んん……っ」

 

 ルドルフの抵抗はすぐに溶け去った。肘掛けを握っていた手から力が抜け、彼女の身体は完全にソファのクッションと一体化していく。呼吸は極限まで深くなり、紫水晶の瞳はとろけるように細められ、焦点はどこにも合っていない。

 

 耳の根元を解した時とはまた違う、脳の芯からとろけ出すような、静かで深い弛緩状態だ。

 

「……すごい……。頭の中が、真っ白に……なっていく……。君の手が、私の中の……重たいものを、全部……」

 

 呂律の回らない声で呟きながら、ルドルフは俺の手にすり寄るように頭を傾けた。

 

 俺はそのまま数分間、耳の内側のツボを優しく刺激し続け、最後に耳介全体をふわりと包み込んで、ゆっくりと手を離した。

 

 

「……終わったぞ、ルドルフ。お疲れ様」

 

 静かに声をかけると、ルドルフは数回の瞬きをした後、深く、長い深呼吸を一つした。

 

「……見事だ。……まさか、耳の内側にこれほどのスイッチが隠されていたとは……。君の『癒し手』としての腕前は、もはや神の領域に達しつつあるのではないか?」

 

「大げさだ。ウマ娘の身体の構造と、東洋医学を少し組み合わせただけさ。でも、これで秋のG1戦線も万全の状態で挑めるだろう?」

 

 俺が微笑みかけると、ルドルフは完全に憑き物が落ちたような、清々しく瑞々しい笑顔を浮かべた。そして、彼女はゆっくりとソファから立ち上がると、振り返って俺と真っ直ぐに向き合った。

 

「ああ。君のおかげで、最高の状態で走れそうだ。……だが、トレーナー君」

 

「ん? どうした?」

 

 ルドルフはふっと優しく、そしてどこかイタズラっぽい笑みを浮かべ、俺の手を両手でそっと包み込んだ。

 

「いつもいつも、私ばかりが君の魔法で癒やされている。……これでは、皇帝としての恩義が一方的に溜まるばかりだ」

 

「俺はトレーナーなんだから、担当のケアをするのは当然の仕事だぞ?」

 

 俺が苦笑して返すと、ルドルフは首を横に振った。

 

「いいや。それでは私の気が済まない。それに……君のその技術をこの身で何度も受けているうちに、私の中にも少しばかり『心得』が芽生えてきてね」

 

 彼女は俺の手を引いて、自分が先程まで座っていたソファへと促した。

 

「……えっ?」

 

「さあ、座りたまえ。いつも激務をこなしている君の肩も、相当張っているはずだ」

 

「いや、ルドルフ、お前は生徒会長だし、これからレースも……」

 

「いいから」

 

 有無を言わさぬ、しかし圧倒的に甘く優しい威厳。

 

 俺が戸惑いながらソファに腰を下ろすと、ルドルフは俺の背後に回り、先程まで俺がしていたのと同じように、両手を擦り合わせて温めた。

 

「……今度は、私が君にやってみたいのだ。……私の『トレーナー君』」

 

 背中にそっと添えられた、滑らかで温かい手。俺の『癒し手』としての技術は、どうやら思わぬ形で、俺自身へと還元されることになったらしい。

 

 秋の夕暮れが部屋を赤く染める中、俺は少しの気恥ずかしさと大きな幸福感に包まれながら、愛する担当ウマ娘の、少し不器用で優しい掌の感触に身を委ねたのだった。

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