癒しのヘッドスパ   作:灯火011

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理事長の天国地獄

 ルドルフを「完全にこの世の理から解き放たれたスライム」へと変貌させた、漆黒のシャンプー台。

 

 その恐るべき威力の噂は、この機材の導入を(半ば職権乱用で)即日承認した張本人の耳にも、当然のように届いていた。

 

 

 数日後の夜。

 

 トレセン学園の生徒たちが寮へ戻り、静寂に包まれた頃合いを見計らったように、トレーナー室のドアがそっと開いた。

 

「……潜入! たづなの目は完全に撒いてきたぞ!」

 

 得意げに帽子を揺らしながら現れたのは、我らが秋川やよい理事長である。彼女は部屋に入るなり、奥に鎮座する黒光りするシャンプー台をぐるりと見渡し、パァッと顔を輝かせた。

 

「壮観! 素晴らしい設備ではないか! 私の迅速な決断とハンコが、これほど見事な癒しの祭壇を生み出すとはな!」

 

「理事長のおかげですよ。……で、今日はご自身の投資の成果を、その身で確かめに来たというわけですね?」

 

「肯定! ここ数日、この極上ウェットヘッドスパとやらの報告を聞いて、私の小さな肩と頭は期待に胸を膨らませていたのだ! さあ、トレーナー。極上のスパを頼むぞ!」

 

 意気揚々と帽子を脱ぎ捨て、理事長は自らシャンプーチェアへとよじ登るようにして座った。彼女の小さな身体に合わせてネッククッションの位置を微調整し、チェアをフルフラットに倒す。

 

「……おお。本当に首が痛くない。雲の上に寝そべっているようだ」

 

「ここからさらに、お湯と泡の魔法がかかりますからね。……ただ、理事長」

 

 俺はフェイスガーゼを用意しながら、少し意地悪く微笑んだ。

 

「ドライの時でさえ数分で寝落ちしてしまう理事長が、この温水の誘惑に最後まで耐えられますかね?」

 

 その言葉に、理事長はムッと頬を膨らませ、小さなウマ耳をピンと立てた。

 

「断言! 決して寝落ちなどせん! これほど素晴らしい設備と君の技術を、記憶を飛ばしてやり過ごすなど、投資家としてあり得ない損失だからな! 今日は最後の一滴まで、この快感を起きて味わい尽くしてみせるぞ!」

 

「その意気や良し、です。では、始めますよ」

 

 俺は目元にガーゼを乗せ、適温に設定したシャワーヘッドから、微炭酸の温水を彼女の頭皮へと注ぎ始めた。

 

「……っ……ぁ……」

 

 宣言からわずか十秒。お湯が髪の根元に触れ、頭皮全体にじんわりとした熱が広がった瞬間、理事長の口から早くも甘く長い吐息が漏れた。

 

「……お、おおぅ……。これは……想像以上の、破壊力、だ……」

 

「我慢しないで、力を抜いてくださいね」

 

 俺はスイートオレンジとベルガモットをブレンドした、少し甘さのあるシャンプーを泡立て、もっちりとした泡のクッションで彼女の小さな頭を包み込んだ。そして、指の腹を使って、側頭部から後頭部にかけての分厚いコリを、泡の滑りを利用して深く揉み込み始める。

 

 激務で凝り固まった理事長の頭皮。そこに温水の熱と、摩擦ゼロのディープマッサージが加わる。

 

「……んんっ……! はぁ……っ、そこ……絶頂……! 頭の芯が、とろけて……」

 

 俺は彼女の小さなウマ耳の根元へと指を滑り込ませた。お湯で極限まで弛緩した耳の筋肉を、下から上へとグーッと引き上げる。

 

「……ひゃんっ!? あ……ぁ……あぁぁっ……!」

 

「どうですか、理事長。起きていられそうですか?」

 

「む、無理だ……! こんなの、抗えるはずが……っ。意識が、遠く、へ……無念……」

 

 ――パタリ。

 

 宣言からわずか三分。理事長の小さな耳が完全に力を失って伏せられ、スースーと規則正しい寝息が響き始めた。やっぱりな、と俺は苦笑し、そのまま丁寧に泡を洗い流す作業に移った。

 

 ――だが。この『ウェットヘッドスパ』の真の恐ろしさは、ここからだった。

 

 泡を洗い流し終えた俺は、総仕上げとして、耳の裏側にある自律神経のツボ『完骨(かんこつ)』と、首の付け根の『天柱』に対し、温水を含ませた手を押し当てながら、全体重を乗せた「最大圧」の持続プレスをかけた。

 

「……ぐぅっ」

 

 その瞬間。完全に夢の世界へ旅立っていたはずの理事長の身体が、ビクンッ!と大きく跳ね上がった。

 

「……はうっ!? あ、あぁっ!?」

 

 ガーゼの下で、理事長がガバッと目を見開いたのがわかった。

 

「……な、なんだ今の途方もない感覚は!? い、痛いわけではないのに、頭の奥底が痺れるほど気持ち良すぎて……強制的に、意識が引き戻されたぞ!?」

 

 つまるところ。あまりの快感に、脳が「寝ている場合ではない」と錯覚して強制覚醒したのだ。だが、目覚めたところで、彼女を待っているのは俺の、逃げ場のない極上のマッサージである。

 

「おや、おはようございます。起きて味わうと宣言していましたからね、サービスですよ」

 

 俺はニヤリと笑い、今度はスチーマーで熱々にしたホットタオルを、彼女の首の裏側にガッチリと挟み込んだ。そして、タオルの上から再び、後頭部の筋肉をグイッと引き上げる。

 

「~~~~っっ!!? ひぃっ……あ、あぁぁぁーーーっ!!」

 

 熱と圧のダブルパンチ。

 

「あ、だめ、だめだ……! また、意識が……飛ぶぅ……っ!」

 

 ガクンッ。再び、寝落ち。しかし数十秒後、俺が耳の穴の手前、神門のツボを優しく、だが鋭く刺激すると。

 

「……はぁっ!? な、なんだ!? また引き戻された……! 気持ちいい……っ、でも、眠い……! あぁっ、トレーナー君、これは……っ!!」

 

 ガクンッ。――三度目の寝落ちだ。

 

「……ふぁっ!? ひゃんっ……! あ、あぁぁ……」

 

 落ちては、引き戻され。引き戻されては、また強烈な快感の波に呑まれて意識を失う。

 

 それはまさに、終わりのない『快楽地獄』。極上の癒しという名の暴力に、理事長の小さな身体はされるがままに波打ち、嬌声を上げ、そして寝息を立てるというバグのようなループを繰り返していた。

 

「……はい、お疲れ様でした。お湯から上がりますよ」

 

 すべての行程を終え、俺がチェアを起こしてフェイスガーゼを外した時。

 

「……あ……ぅ……。……ほわぁ……」

 

 そこには、完全に廃人と化した秋川やよい理事長の姿があった。

 

 髪は濡れてペタンとなり、目は完全に焦点が合わずぐるぐると回っているようにも見える。口は半開きで、小さなウマ耳はピクン、ピクンと痙攣するように時折跳ねるだけだった。

 

「……驚愕、だ……」

 

 ふらふらと立ち上がり、俺の腕に寄りかかりながら、理事長は掠れた声で呟いた。

 

「……寝て、起きて、また寝て……。私の脳細胞が、快感の波状攻撃で完全に焼き切れてしまった……。……君は、とんでもない魔の装置を……この学園に、生み出してしまったぞ……」

 

「お気に召したようで何よりです。予算を回していただいた甲斐がありましたね」

 

 俺が涼しい顔でタオルドライをしてやると、理事長は、

 

「……完敗だ……」

 

 とだけ呟き、へにゃりとだらしない笑顔を浮かべた。自ら投資した装置によって、究極の快楽地獄へと叩き落とされた学園のトップ。彼女がふらふらと千鳥足で夜の学園へと消えていくのを見送りながら、俺は、

 

「次は誰をこの沼に引きずり込んでやろうか」

 

 と、シャンプー台を磨きながら静かに笑うのだった。

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