文学少女の先輩と放課後の部室でお喋りするだけ 作:天都ダム∈(・ω・)∋
夜々美襲来の翌日。
一ヶ月ぶりに訪れた第三文芸部の部室の前で、僕は立ち尽くしていた。
ノックする勇気が出ない。ヨム先輩がどんな顔で出てくるのか、全く想像できない。
怒っているか、呆れているか……それらをぶつけてくれるならまだよくて、冷たい瞳で『どちら様ですか?』と言われる可能性も充分にあり……というか何なら一番高いぐらいで、謝罪を受け入れて貰えない事も考えられる。
今更第三文芸部に復帰させてください、と言えるほど厚顔無恥じゃないつもりだけど、せめて一言くらいは。
「…………ええい、ままよ」
コンコン、とノック。
「ヨム先輩、すいません、角行です」
……反応がない。うん、まぁ、これも予測していた。
「…………失礼します」
ならばと、意を決して扉を開く――――ガチ、と強い抵抗が帰ってきた。
「あれ」
鍵がかかっている。四月、僕が乱入したことを反省し、鍵をかけるようにしたのかな――と思ったが、どうやらそうでもない。
多分、誰もいない。中に人が居る気配を感じない。
ヨム先輩の城に、ヨム先輩がいない。僕はその可能性を完全に見落としていた。
……僕のせいで?
部室に顔を出せなくなるほど、ヨム先輩は傷ついてしまった?
ざわ、と胸を黒いものがくすぐる。
何せ私立風光学園は、校舎が男女別なのだ。
この部室以外でヨム先輩と接触する手段が、僕にはない。
連絡先は退部の折、自分から消してしまったばっかりだ。
「ああ、もう、僕の馬鹿野郎」
家はこの街にあるというだけで、具体的な場所は知らない。
校門前で待ち伏せる? いや、女子校舎の前に男子がいたらとにかく目立つ。
ヨム先輩が僕を避けようとしたら、簡単に避けられてしまう。
この期に及んで……ああ、なんて見通しの甘さだ。
謝罪を受け入れて貰えない事は考えていても、そもそも会えない事までは想定してなかった。
女子の知り合いにコンタクトを取って貰う――のも、無理だ。夜々美からは直接、手伝わないと言われたばかり。これを見越していたとしたら、やっぱりあいつの読みは凄い。
考えも行動も底が浅い、たいしたことないのは僕だけだ。
……今日はたまたま、用事があっただけかもしれない。
その可能性に賭けて、翌日も、翌々日も部室の前にやってきて……やっぱり、ヨム先輩はいなかった。一時間サボって待ち伏せしても姿を見せなかったので、そもそも部室に来ていないようだ。
「……そっか」
ある意味、これがヨム先輩からの返答なのかもしれない。
一方的に裏切った僕に話す事など、もうないのだと。
そういえば、ダリアの花言葉は『裏切り』だった。
友達を裏切り、恋敵を裏切り、自分の感情を裏切り、初恋すら裏切った、妄想癖の少女、
決別したのは僕の方からで、謝りたいのも僕の方だ。
拒む理由も自由も、ヨム先輩には充分にあった。
そこから、家に帰るまでのことを、あまりよく覚えていない。
気がついたら食事を終えて、風呂に入り、着替え終わって、ベッドに倒れ込んでいた。
何をしてるんだろう、僕は。
将棋を指さない。本を開かない。文章も書かない。そしてもう、ヨム先輩の後輩ですらない。そんな伊東角行とは、一体何者なんだろうか。
ちら、と自分の本棚を見る。【ダリア】と【ミモザ】が、一番上の列の右端に、並んでいる。
本棚の中身を見せるのは、裸を見せるよりも恥ずかしい……なら、二人で作り上げた部室の本棚は、さながら恥部の共有か。
……何考えてんだ、僕は。
未練がたらたらすぎる。割り切ったのではなく。見ないふりをしていたものを、夜々美に強引に直視させられた結果がこれか。
……駄目だ、考えていると頭がおかしくなる。
投げ出していたスマホを手に取って、久しぶりに小説投稿サイトを開く。
お気に入りに入れた作品がいくつも、何話も更新されていて、これを全部追い掛けるのは、中々大変だ……なんて他人事みたいに思った時。
「…………あ」
『
そうだ。花冠ゆらは、小説サイトの公募賞の出身の作家だ。
だから、ヨム先輩のアカウントも、存在する。
メッセージを送れば、登録しているアドレスに、メールが届く。
一方的ではあるけれど、僕が意志を伝える唯一の手段が、まだ残っていた。
飛び跳ねるように身を起こして、花冠ゆらのアカウントを探す。
検索すると……すぐに出てきた――――――ああ、駄目だ。
スパムや粘着対策として、作家は自分のアカウントのメッセージの受信可否を設定できる。運営からのお知らせなどは別として、個人的なメッセージはシャットダウンできるのだ。
プロデビューして名前の売れた作家のアカウントならば、むしろ当然の措置といえる。
一縷の望みが断たれて、大きな溜息が出た。
花冠ゆらの作品は【初恋はダリアのように】の一作だけで、それも書籍の発売と同時に非公開になっているから、作品のコメント欄に何かしらを書き込む、という荒らしすれすれの行為も、当然出来なくて――――――。
「………………あれ?」
掲載作品が存在しないはずの、花冠ゆらのページに、一つの短編が投稿されていた。
日付は……僕が第三文芸部に退部届を出した一週間後。
【かくて想いはミモザのように】の発売日。
タイトルは【ラベンダー】、二〇〇〇文字ぐらいの短い詩のようなもので、コメントは書けないようになっている。
新作の発売における販促なんだろう、内容は……はっきり名前は明言されていないものの、本編を見ていれば一目でそれとわかる、【ミモザ】の主人公、
ミモザの花言葉は『秘密の恋』、心花の『秘密』が最終的な物語の鍵となるのだが――。
「…………」
【ミモザ】は、面白かった。一人の読者としては満足できた。
目の前でヨム先輩が、悩み、唸り、我儘を零し、時々僕に八つ当たりしながら書いた作品だ。面白くないわけがない。
だからこそ、不純物になってしまった自分が許せなくて――――。
「…………なんでラベンダー?」
【ダリア】も【ミモザ】も花言葉を話の肝に据えた作品だ。
だから作中で〝花〟というアイテムの扱いにはかなり気を遣われている。品種が出てくるような花には何かしらの意味やメタファーが込められており、それが後々の伏線として響いてくる。
だから……タイトルの【ラベンダー】が、僕には不自然に思えた。
少なくとも【ミモザ】や【ダリア】には登場しない。
何かしらの意味があるんだろうか。そのままブラウザに『ラベンダー』、と打ち込むと、サジェストで『花言葉』が追加されたので、そのまま検索して――――。
「…………は?」
嘘だろ、と思った。
こんなことして、誰が気づくんだ、と思った。
いや、そもそも、これは本当に僕に宛てられたものか?
何かの伏線か、仕込みか、あるいは意味なんてないのかもしれない。
それは流石に、自惚れだろうと思う。だけど、妙な確信がある。
「ああ、くそっ」
寝てる場合じゃなかった。時間も状況も関係なかった。
ベッドから飛び降りて、手早く着替える。
空振りでも、勘違いでも、思い違いでも、自惚れでも、過大評価でも、何でもいい。
「ごめん、ちょっと出かけてくる!」
「ちょっと兄さん、どこいくの!」
「おにぃ! もう九時だよ!」
急いで階段を降りて、リビングを横切る。将棋に興じていた妹たちの声を背に、コートをひっつかんで自転車に飛び乗る。
妹の言うとおりだ、もう十一月の夜九時。
雪が降ってないとはいえ、息がどこまでも白くなる、底冷えする寒さ。
居るわけがない、常識的に考えろ、と理性は言っている。
でも、それでも、確認しに行かなきゃいけない、じっとして居られない。
だって、僕の知っているヨム先輩は、まさか、と思うようなことをするのだ。
隙が多くて、小さくて、軽くて、か弱くて、構われ待ちで。
…………そして、驚くほどに、負けず嫌いで、ロマンチストな人なのだ。
『
それが……ラベンダーの花言葉。
何の意味もないのかもしれない、だけどこれが、これがもし。
一方的に別れを告げた僕に対して……負けず嫌いなヨム先輩がやり返したメッセージだったとするなら。
もし、たった一人、僕だけに向けられたものだと仮定したら。
ヨム先輩はどこで待っている?
部室には居なかった。
だったら、もうあそこしかないのだ。僕とヨム先輩の、因縁の場所。
ペダルを回す。冷たい冬の風が、剥き出しの顔を冷気で裂いてゆく。
構わない。夜の商店街を、住宅街をすっ飛ばして、転がすような勢いで自転車を止めて、鳥居の前までたどり着く。
人の手がはいらなくなってしばらくたった、山の上の小さな神社。
急な階段は湿れば滑る。街灯もなく、明かりなんてほとんどない。間違っても、こんな時間に来る所じゃない。
まして…………運動嫌いなヨム先輩が、居るわけがない。
さかしい理性は引き続き告げる。でも、僕は足を踏み出した。
手すりを掴んで、踏み外さないよう慎重に、
長距離走も、長い階段も基本は同じだ。
ペースを崩さず慎重に、一定の負担を保ったまま、確実に前へ前へと進めば、辿り着く。
もっとも、境内まで上ったところで、明かりがあるわけもなく、スマホのライトを頼りに、例の藪を抜けて――――。
「あ、かっくん」
しばらく聞いていなかったのに、全く懐かしいと感じない、間の抜けた声がした。