文学少女の先輩と放課後の部室でお喋りするだけ 作:天都ダム∈(・ω・)∋
ボロボロのベンチに、その人は座っていた。制服の上からダッフルコートを着て、マフラーを巻いて。
枯れた枝葉の天蓋が失せて、月明かりで見える顔は、暗がりでもわかるほど真っ赤になっていた。
「やっと来てくれた。もう、遅いですよ」
なんて、にへ、と笑って言うものだから。
「な、――――にしてるんですか!」
「わぷ」
思わず怒鳴ってしまった。慌ててコートを脱いで、頭から羽織らせる。
「毎日来てたんですか!? ここまで!? こんな時間まで!?」
だって、そんなの、あの詩が投稿されてから今日まで、何日あったと思ってるんだ。
女子高生が一人で居ていい時間でも、一人で居ていい場所でもない。
「ええ、まあ、はい……そうです。くしゅっ」
「転げ落ちたらどうするんです、こんなに暗いのに!」
「い、いえ、私が上るときはまだ日のある内ですから、そんなには。下りは気をつけますし」
それを聞いて、余計に心が軋む。
それじゃあ、この人は、毎日、何時間ここにいたんだ。
「でも、流石に日付が変わるまではいられないので……もう引き上げようかと思ってたんです、来てくれてよかったぁ」
「よかった、って…………」
「気づいてくれなかったら、どうしようかと思いました」
「気づくわけ……ないじゃないですか、あんな遠回しな」
「気づいてくれたじゃないですか」
「たまたまです、偶然です、運が良かったんです」
夜々美に発破をかけられなかったら、サイトなんて見てなかったし、連絡を取ろうと思わなきゃ、メッセージを送ろうなんて発想もでなかった。
「ふふ……ああ、でも、かっくん。私、すっごく怒ってますからね?」
ふわふわと微笑みながら、まるで怒ってない声で、ヨム先輩はそう言った。
「退部届を見て、びっくりしました。なんで? って思いました。ぐるぐる、いろんな事を考えて、気づいたら下校時刻が過ぎてて、警備の人に声をかけられて、ようやく帰ったんです」
「………………それは」
「わかってます。でも言わせてください。私の怒りは、この程度じゃ収まりません」
座って、とベンチの隣を示されて、僕は素直に腰を下ろした。
「翌日は学校休んじゃいましたし、そうだ、メッセージを送ろうと思ったら、ブロックされてますし……わけがわからなくて、ずーっと泣いちゃいました。わんわん泣きすぎて、両親にも心配されちゃいました」
それは、僕がヨム先輩を傷つけた、という事実の羅列だった。
「でも、きっと理由があるんだろうな、って思いました。将棋部に引き抜かれたわけでもなさそうですし……考えました、いろんな事を」
最大のトリガーはあの日、献本として【ミモザ】を僕に渡したこと。
「かっくんは、私と好きな物が似てますから。きっと【ミモザ】に何か、気に入らない部分があったのかなって思いました。何度も何度も読み直して、気づいちゃいました。かっくんの考えていることなんて、先輩はお見通しなのです」
「…………何に、ですか?」
どこまでも柔らかい笑顔のまま。
ヨム先輩は、はっきり言った。
「
それは、僕が辿り着いた結論であり。
「ああ、その通りだな、って思いました」
――――少し遅れて、
「自分の体験を落とし込んで、表現するのに必死で、私らしさが消えていました。読み物としては良くても、花冠ゆらという作家に求められていたものとは、方向性が違っていたかもしれません。新しい視点を描けるようになったという見方も出来ますが…………」
ふぅっ、とヨム先輩の口から、白い吐息が溢れ出た。
「他ならぬ私が、文章に意図ではなく、私情を込めていたことを知っているので、弁解の余地がありませんでした。かっくんとの思い出を、伝えたかったんです」
ヨム先輩は、年頃の女性で、高校生で――――プロの作家だ。
自分の書いたものを客観的に見て、判断を下せるだけの技量がある。
小説賞の受賞には、運がなんて言われるけれど――運だけでは賞はとれない。
「念のため編集さんにも確認したら、苦笑しながら、そうですねって言われちゃいました。何が売れるかはわからないし、出来は凄く良いものだから、行けると判断してくれたみたいですけど」
「……………………」
言葉が出ない。だけど、思ったよりもショックじゃないのかもしれない。
はっきりと、言われたのに。
「でも……あんな一方的なやり方は、とってもずるいです。だから私もやり返しました」
「もしもかっくんが、私ともう一度話したいと思ってくれて」
「もしもかっくんが、私のメッセージに気づいてくれて」
「もしもかっくんが、私に会いに来てくれたなら」
「……謝罪の機会ぐらいは、与えてあげようかなって。寛大な先輩でしょう?」
本当に、その通りだ。
「寛大すぎて……馬鹿ですよ、先輩」
「へぇっ!?」
「風邪引きます、そもそも、どうやって親御さんを説得したんですか。こんな時間に、出歩いて。階段なんて、よく上る気になりましたね」
「感情に決着をつけるためだと言って、説得しました。私が泣いてたのを知ってましたから」
「……許してくれたんですか、それ」
「理解のある両親なんです。それに、階段の上り方は、かっくんが教えてくれたんですよ」
「え?」
「呼吸の仕方です。すっすー、はっはーと、長距離走の要領で上ってきました。何日かのぼっているうちに慣れてきましたし……でも、凄く疲れるので、そのたびにかっくんが来たらどれほど恨み言を吐いてやろうかと思っていたぐらいです」
そんなの、もう、か弱い生物なんて呼べなかった。
「…………じゃあ、いくらでも吐いてくださいよ、もう」
「それは、この後のかっくん次第です」
ヨム先輩は、ひょいと立ち上がって、僕の前に立った。
ボロボロの丸太の柵の向こうには、太陽の代わりに月が浮いて、暗闇に飲まれた町並みを、人の暮らす小さな灯りの粒が彩っている。
街を一望出来る、この場所。僕とヨム先輩の因縁の場所。
……僕が花冠ゆらに惹かれた、一番の理由。
僕も、
だから、【ダリア】の最後のシーンが、この場所である事がすぐにわかった。
同じ場所なのに……描写の密度も、そこに至る必然性も、具体性も、全てを上回られて――それを自覚し、理解し、納得して――――僕の熱は、落ちたのだ。
その熱が、落ちて、流れて、辿り着いた先で――ヨム先輩に出会った。
「……一言もなく、退部届を置いていって、すいませんでした」
「………………」
「きちんと伝えるべきでした。僕はヨム先輩の邪魔になるって。でも、自分の口から言えませんでした」
それだけ、あの場所は……第三文芸部は、居心地が良かった。
本を読みながら、他愛ない話をして、時々、訳のわからないようなこともして。
多分、僕の熱はもう本を読むことそのものではなくて。
ヨム先輩と過ごす、あの部室にあったんだと思う。
いや、それ以上に。
その熱は……何かにではなく、誰かに向けたことがなかったから。
だから、それをヨム先輩から突きつけられるのが、怖かった。
怖かったから――……逃げ出した。
格好悪すぎる、こんな奴、何がどう間違ったって、主人公になれるわけがない。
「ごめんなさい、ヨム先輩」
「いいえ、絶対許しません」
近づいてきたヨム先輩は――――勢いよく。
ばしんっ、と僕の頬を、両手で挟んだ。
いつの間にか手袋が外れていて……それでも、寒空の下にずっと居たから、元々冷え気味のヨム先輩の手は、氷みたいに冷たさになっていた。
脳をダイレクトに包むような冷たさが、顔一杯に広がっていく。
ぐい、と視線を矯正されて、ヨム先輩の顔が視界いっぱいに映る。
見慣れたアンダーフレームの眼鏡、透明なレンズの向こう側。
大きな瞳一杯に、溢れる滴を溜め込んで。
ヨム先輩は、大声で叫んだ。
「かっくんは、勘違いをしています」
ぼろり、ぼろりと伝う滴が流れていく。
「花冠ゆらに、伊東角行は必要ありません。それは、事実です」
僕はそれから、目を離せない。
「私は認めて、受け入れました。けど、だけどっ!」
ぎゅう、と顔を押さえる手の力が、強くなる。
「
側に居るべきじゃないと思った。作家としての花冠ゆらを、濁らせてしまうから。
僕にとって、第三文芸部での日々は――いつのまにか、本を読むための場所ではなくて、ヨム先輩に会いに行くための場所になっていて――熱が籠もるぐらいに、なっていて。
じゃあ、ヨム先輩はどうだったんだろう。
考えたことが、なかったわけじゃない。だけどそんなの、都合が良すぎて、あり得ない。
だってそんなの、まるで、ライトノベルの、ラブコメか何かみたいじゃないか。
「…………ごめんなさい」
「許さないって、いいましたっ」
「どうしたら、許してもらえますか」
それ以上の言葉はくれなかった。
代わりに、手をそっと離し、涙を蓄えたままの、大きな瞳を閉じた。
――――ヨム先輩は、負けず嫌いで、とびきりのロマンチストで。
――――露骨なぐらいの、構われ待ちだから。
踏み出す機会を与えられた。
足りない勇気は、確かに今胸にある、熱で後押しするしかない。
どうか、これからすることが、自惚れではありませんようにと願いながら。
涙で濡れて、冷たくなってしまった顔に触れて。
僕らはその日、キスをした。