文学少女の先輩と放課後の部室でお喋りするだけ 作:天都ダム∈(・ω・)∋
僕が『小説』というコンテンツに触れたのは、とあるアニメがきっかけだった。
小学五年生の時だ。暇つぶしに動画サイトで見ていたその作品が、凄く面白くて、一気に心奪われた。最終回を見終えた後も、続きが見たくて見たくて仕方なかった。
兄に続きはどこにあるの? と聞いたら、アニメ〝は〟まだ出来てないんだよ、と言われて落ち込んだ。あまりに落ち込みすぎて食事をとらなくなった僕を心配して、ネットを探してくれたのだ。
『続きがあったぞ、カク!』
それが、当時最大手だったWeb小説投稿サイトだった。
小学生の頃の僕は原作、漫画、アニメ……というようなコンテンツの『流れ』すら理解してなかったのだ……アニメが一番下流にあって、その上にはずっとずっと先に進んだ『原作』があることを、その時初めて知った。
その作品のアニメ化されていた範囲は、原作で言えば五〇分の一ぐらいの分量でしかなかった。僕の心を揺さぶり、動かし、感情を沸き立たせ、燃え上がらせ、泣かしたものが、ほんのわずか……作品のとっかかりであり、続きがまだまだあることを知れた時の喜びを、どう表現しよう。
敵陣に斬り込んだ角が裏返って、盤面を荒らしに行く時の様な高揚感――出来ることが増えた。見える物が一気に増えた。世界が一気に広がった感覚。
それから僕は家族の共用パソコンを独占した。将棋以外の余暇はほとんど物語を読むのに費やされ、クリスマスプレゼントに自分専用のスマホを求めた。もちろん、いつでもどこでも物語を読むためだ。
一〇〇万文字を読み尽くし、それでも物足りない。
新しく気になった作品の文字数は、多ければ多いほど嬉しい。
そしてそんな作品が、ゴロゴロと転がっている。それはもう、夢のような世界だった。
定額サブスクの加入だけは許可が下りなかったので、将棋道場に行く足で図書館にも通い詰めた。今まで将棋だけに費やされていた小遣いの半分が、本を買うのに当てられた。小学六年生の誕生日プレゼントには、本棚を頼んだ辺りが本当に僕らしい。
そんなわけで……僕の読書趣味は今でも続き、こうして第三文芸部に籍を置くことになったわけだ。
◆
私立風光学園に所属するほとんどのクラブは、男子校舎と女子校舎の間にそびえ立つ共通棟と呼ばれる建物の中に部室がある。
第三文芸部の部室は三階の一番角部屋で、僕と先輩、どちらが先にいるかはまちまちだ。
「あ、かっくん、いらっしゃい」
今日はヨム先輩が先に居る日だった……のだが。
「…………あれ、ヨム先輩、どこですか?」
「眼の前に座っていますけど、見えませんか」
「すいません、眼鏡とおさげが揃ってないとヨム先輩だと認識できなくて……」
普段のヨム先輩は癖のある髪の毛を、後頭部で二つに分けて、それぞれ編み込んで、おさげにして垂らしている。本人曰く『文学少女らしいでしょう』とのことだけど、文学少女を舐めていると思う。
が、今日のヨム先輩は髪をほどいて、ブラシをかけているところだった。執筆でも読書でも雑談でもないヨム先輩は珍しい。
「かっくんから見た私は、眼鏡とおさげだけなんですか?」
「まさか。顔を見ればちゃんとわかりますよ、泣きぼくろがありますから」
「特徴でしか記憶してないんですか? お化粧で隠しちゃったらどうなるんですか」
「うちの先輩を知りませんか? 小さくて、髪がもさもさしてて、小さくて、泣きぼくろがあって、小さくて、眼鏡をかけているんです」
「……………………」
「すいません、ヨム先輩。無言で鉛筆削りを持ち出すのはやめてください。人体に対する用途がわからないので」
「鉛筆削りに〝削る〟以外の行為ができるとでも?」
「僕は今対象の方の話をしているんですが……」
にこっと笑ったまま返答がないのが何より一番怖いので、僕は深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、こんにちは、ヨム先輩」
「はい、こんにちは。かっくん」
辛うじて処刑を免れたようだが、まだ若干トゲトゲしさを感じる。放置しておくと我が身にことが及ぶかも知れない、早めに手を打たなければ。
「それで、一体なんで髪をほどいてるんです?」
「なんで最初からそうやって聞いてほしい話題に入ってくれないんですか」
結構無茶言うなこの人も。
うちの妹たちなんかは、気分で髪型を変えるタイプだから余計にだ。いちいち髪をいじくってる事に理由を求めてたらきりがない。
「体育の時間にぐちゃぐちゃになってしまいまして、編み直しついでにお手入れ中です」
「はあ……災難でしたね」
「まったくです、体育を必修科目にする現代社会に一言物申さないと」
「一言申されるべきなのは恐らくですがヨム先輩の方ですね……」
体育でする運動なんて必要最低限のものなんだから、黙って受ければいいものを。
と、思っても顔に出さないことが先輩と仲良くやっていくコツだ。僕は本が読めればそれでいいのだから。
「なにか言いたそうな顔をしていますね、かっくん」
「ヨム先輩、日本国には内心の自由という権利があるんですよ」
「かっくん、部活の後輩に許されている返事は『はい』と『わかりました』以外ないんですよ」
「はいぃ?」
「尊敬の念を全く感じませんっ!」
「凄いな、とは思っているけど尊敬はあんまりしてないので……」
「尊べとまではいいませんが、敬うぐらいはしてください!」
「はいはい、じゃあ髪でも結んであげましょうか」
めんどうくさいなーもー。
僕が半ば自棄っぱちにそういうと、ヨム先輩は自分の髪の毛を指で束ねて、ぎゅっと手で自分の頬に寄せた。
「か、かっくんに、かっ、髪の毛を………………!?」
猟奇殺人鬼が血まみれの凶器片手に助けに来たよ、と言われてもこんなツラはしないだろうな、という凄まじいまでの拒絶だった。
…………ちょっと先輩に対する態度を改めようかな。
なんにせよ、誤解されたままだと流石に不本意だ。
「ヨム先輩、一応言っておきますが………………僕はみつあみが得意です」
「なんで!?」
「小さい頃の妹たちに結べ結べとせがまれて、覚えさせられたんですよ」
朝忙しくて母の手があいてない時に限って、今日はみつあみがいいだのお団子がいいだの我儘を言うもので、手に馴染んでしまったのだ。
しばらくむむむ、と唸っていたヨム先輩だったが、
「…………今度、髪の毛を結んでもらうシーンを書こうと思います」
そう言って、椅子の上でくるりと方向を変えて、僕に背中を向けた。
自分の椅子を持ってきて座って、ヨム先輩の髪を軽く束にして持つ。
ところどころぴょこぴょこ跳ねた癖っ毛は、生来のものであって、決して手入れを欠いていたわけじゃないんだろう。細いけれど枝毛はなく、軽く指で梳いてもつっかえたり、ひっかかったりしない。
ただ、汗ばみ始めた陽気の、体育後の放課後ということもあって、わずかに湿り気があって、それが指に伝わってくる。
髪の毛を洗ったのは昨日の夜だろうけれど、まだ残っている、シャンプーとリンスの仄かな香り。
いくつかに分けた束を、指の間にとって、それぞれを編み込んでいく。
「ひゃ」
作業中、剥き出しになったうなじに、かすかに爪の腹が触れた。
故意ではないとわかってくれているのか、声をあげてしまったものの、身動きはせず、少しだけ身を強張らせながら、僕の作業の続きを待っている。
なるべく引っ張らないようにはしているつもりだけど、多少なりとも頭皮に何かしらの感覚を与えてしまうことは止められず、ぴく、と体を縮めたり、ふっ、と笑いをこらえるように口元を手で抑えたり、ただ座っているだけなのに、驚くほど賑やかだ。
背中を見せる、というのは無防備で、後頭部を見せる、というのはもう、信頼と呼んでいいものなのだと思うけれど。
この人は一体、僕の何をそんなに信用しているんだろうか……。
都合一〇分ぐらいで、作業が終わった。我ながら会心の出来映えだ。
「終わりましたよ、ヨム先輩」
「あ、ありがとうございます。な、なんだか、ドキドキしちゃいましたね。えへへ」
うっすら汗ばんでいるように見えるのは気のせいじゃなさそうで、ヨム先輩の耳が気持ち赤くなっていた。
「あ、でも本当に上手に編めて……………………かっくん?」
「…………はい、なんでしょう、ヨム先輩」
「返答次第ではかっくんは明日の朝日を拝めなくなるんですが……私の髪の毛、今どうなってます?」
「このようになっております……………………………………」
スマホで後頭部を撮影し、ヨム先輩に見せる。
細かく分けた髪の束を編み込んでは丸め、編み込んでは丸め、気づいたらめちゃくちゃ細かい編み込みで構成された、お団子状のシニヨンになってしまった。
途中で気づかれるかな……と思ったんだけど、くすぐったさとかでそれどころじゃなかったらしい。
「………………………………」
ヨム先輩の凄く複雑そうな顔。眉は寄り、目を細め、むむ、と唸り、軽く手で触れたりして感覚を確かめて、むぅ、と黙り込んでしまった。
「あれ、ヨム先輩、どうしました? 沙汰のほうは…………」
死を覚悟して身構えていたら、思いのほか反応が鈍い。
ばたばた足を動かしたり、所在なさげに手を動かしたり。
「もしかして……髪の毛にいたずらされたことは許しがたいが、お出しされた物が意外と気に入っちゃって、怒るべきか喜ぶべきかわからなくなっている……!?」
べし、と脇腹に貫手を喰らったので、どうやら正解らしい。
「えー…………ほどきましょうか? 今度はちゃんと結びなおしますので……」
なるべく誠意を込めず、今度は本当に余計なことをするつもりはなかったが、ヨム先輩は首を横に振った。
流石に信用を損ねてしまったか……いかん、反省しないと、と思った矢先。
「……………今日は、もうちょっとこのままでも、いいかなって、思います」
そう言って、またぷいっと顔を背けた。