この素晴らしい魔法学園に祝福を!   作:バニルの弟子:ショーヘイ

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第二章 ベルディア編
第一話 この旧実験棟に不審個体を!


 学園の喧騒が西日に溶け、食堂にクリムゾンビアの甘い香りが漂い始める時間帯。

 カズマは手元の安価なタブレット端末の画面を睨み、深いため息を吐き出した。

「ポイントが欲しい、それもまとまった量のポイントが」

 絞り出すようなその呟きに、向かいの席でジョッキを傾けていたアクアが反応した。

 彼女は唇に白い泡をつけたまま、カズマを小バカにしたような薄笑いを浮かべる。

「ほーん? 今更何言ってんのよ、そんなの学生全員が思ってることじゃない。なんなら私だって欲しいわよ」

 アクアは自慢げに髪をかき上げ、鼻を鳴らした。

「バカなの? 私より知力のステータス値が高いなんて触れ込みだったけど、所詮は一般科ってことなんですか?」

「……昼から酒精を摂取している自称エリートの言葉とは思えないな」

 カズマはこめかみに青筋を立てながら、アクアのステータス画面を脳内で思い返す。

 彼女の器用度や魔素容量は間違いなく学園トップクラスだが、それを運用する知力が致命的に欠けているのだ。

 カズマは身を乗り出し、机を軽く叩いてアクアの注意を惹きつけた。

「いいか、俺が言ってるのは、その場しのぎの娯楽費じゃない。安定した学園生活を構築するための元手の話だ。来月には学内競技会があるだろ。まさか忘れてるわけじゃないよな?」

 カズマが窓の外を指差すと、アクアは露骨に視線を逸らしてジョッキを煽った。

 学園の中央広場に設置された巨大なデジタルサイネージには、残り三十日を告げる鮮烈な赤文字がカウントダウンを刻んでいる。

 周囲のテーブルを見渡せば、どの学生も血眼になって演算端末を叩き、競技に向けた最適化コードの構築に余念がない。

 学生たちがこれほどまでに殺気立っているのには、生存に直結する明確な理由があった。

「わ、忘れてるわけないじゃない。日頃の演習で培った技術を披露するイベントでしょ? 成績次第でクラスも変わるっていう」

「そうだ。つまりこの競技会で結果を出さない限り、俺たちは一生この二組から抜け出せないんだよ」

 この学園には、選りすぐりの秀才が集う一組と、適性が低いか問題児が集う二組という残酷な格差が存在する。

 一組に上がれば同じ演習でも取得ポイントの倍率は跳ね上がるが、二組に沈んだままでは効率の悪い小銭稼ぎを強いられ続ける。

 もちろんクラス替えのチャンスは日頃の演習評価の積み重ねなど他にも存在するが、この競技会はその停滞を打破し、一気に評価を塗り替えることができる最大のボーナスステージなのだ。

 カズマは、最先端のデバイスを誇らしげに掲げて高笑いする一組のエリートたちを、忌々しげに睨みつけた。

「日々の地味な演習だけで一組に上がるには、気が遠くなるほどの時間がかかる。だからこそ、この競技会というデッドレースで一気に捲るしかねえんだよ」

 カズマはさらに言葉を畳み掛け、逃げ腰のアクアを追い詰めていく。

「本来なら、俺は特典として最高品質のデバイスや特待生並みの奨学金を受け取るはずだったんだ。それを勢いとは言え同行者としてお前を選んだ、それは認める。だが問いたい。お前は俺が本来得るはずだった特典に見合うだけの働きをしているか問い詰めたい、お前が泣くまで問い続けたい。どうなんだ、自称・天界研究所のエリートさんよ」

 アクアのジョッキを持つ手が微かに震え始める。

「うう……、い、一応今も、発生専科の筆頭候補なんだから……」

「筆頭候補! 筆頭候補ってあれだろ、魔素理論を構築して、未踏の事象を証明してみせたり、演習で学生の模範になったりする存在だろ! お前は昼間からビール飲んでる現状で、本当にエリートを名乗っていいのか⁉︎ この、カエル型ユニットに頭から突っ込むしか脳のない、宴会芸しか取り柄のない穀潰しが!」

「わ、わああああーっ!」

 アクアがテーブルに突っ伏してワッと泣き出したところで、ようやくカズマの胸のすく思いがした。

 周囲の学生たちが怪訝な視線を向け始めた頃、二人の影がテーブルに落ちた。

「昼間から何を騒いでいるんですか、カズマは結構えげつない口撃力がありますから、遠慮なく本音をぶちまけていると大概の女性は泣きますよ?」

 杖型デバイスを小脇に抱えためぐみんと、不自然に上気した顔で自分の腕をさすっているダクネスだった。

「……ん。何かストレスがあるのなら、私がアクアの代わりに受けよう、カズマの罵詈雑言、激しい叱責……想像しただけで細胞が歓喜に震えるというか……」

 カズマは溜息をつき、泣き止まないアクアから視線を外した。

「お前ら、いいところに来た。演習を受けるぞ。とにかくポイントを稼いで、競技会を勝ち抜くための高級な演算器を用意する。二組の安物機材のままじゃ、一組に昇格するなんて夢のまた夢だからな」

「演習なら、ちょうど良いのがありましたよ。掲示板の隅に放置されていた案件です」

 めぐみんが手元の端末を操作すると、詳細な募集要項が青白いホログラムとして空間に展開された。

【学園指定演習課題:S-42】

名称:旧実験棟地下・高密度残留魔素の循環浄化および不審個体情報の真偽確認

「旧実験棟地下の残留魔素浄化演習ですね。私たちでも受注可能ですし、時間単価の報酬も悪くないですよ」

 現代の魔素工学における浄化技術というのは、極めて実用的な維持管理技術として定義されている。

 学術的なプロセスは、至って物理的だ。

 まず対象の魔素波形に干渉波をぶつけて共鳴させ、そこへ励起させた純粋な魔素を大量に流し込む。

 言わば、高密度のエネルギーによる物理的な洗浄だ。

 今回の演習ではこの浄化技術を用いて、大気中にこびりついた変質魔素を力業で押し流し霧散させる必要がある。

「だが、作業環境が劣悪で高度な浄化技術と根気が必要なため、他の学生からは敬遠されているようだな」

「へー、結構安全そうだな」

 募集要項を眺めるカズマの表情が、ようやく少しだけ緩んだ。

 要項によれば、旧校舎の地下には過去の実験で排出された高密度の無属性魔素が、澱のように堆積しているらしい。

 これを放置すると、保管してある精密機器に認識阻害のバグを引き起こすため、定期的な循環パージが必要なのだという。

「……待て。この項目は何だ? 未登録の不審個体情報の調査?」

 カズマが画面の一角を指差すと、めぐみんとダクネスが補足するように頷いた。

「どうやら当該区画で正体不明の不審個体が目撃されているそうです。もし知性を有した個体が観測された場合は、浄化だけでなく捕獲および回収が求められていますね」

「まあ、おそらく劣化した魔素の塊が、駆動型の実験機か何かに混入して動作しているだけだろうがな」

 大気に溜まった魔素が故障した機械に入り込み、エネルギー源として勝手に駆動を始める事象は、この都市ではまま観測されている。

 学園側も、今回の件はその一環であると考えているようだった。

「アクア、お前の専攻って高密度魔素干渉だったよな? そこの技術を使えば、あんな霧状の魔素、一瞬で浄化して消し飛ばせるんじゃないか?」

 そんなカズマの懸念を余所に、

「……くかー」

 説明が少し退屈すぎたのか、アクアはいつの間にか子供のように眠りこけていた。

「……おい。まあいい、こいつは寝てても連れて行くぞ。浄化コードの入力には、こいつの生体認証を使えばいいんだからな」

 カズマは呆れ果てた顔で、熟睡するアクアの頭を指先で軽く小突いた。

 

 

 

 不審個体の目撃証言は深夜帯に集中しているとのことで、一行は演習開始までの時間を学生寮の談話室で潰すことにした。

 テーブルの上には、エイミーが差し入れてくれた夜食の肉や野菜が並び、香ばしい匂いが漂っている。

「ちょっとカズマ、その肉は私が目を付けてたヤツよ! ほら、こっちの野菜が焼けてるんだからこっち食べなさいよ!」

「俺、野菜苦手なんだよ。この間のキャベツ演習以来、焼いてる最中に飛んだり跳ねたりしないか心配になってさ」

 アクアと肉の奪い合いを繰り広げながら、カズマは手元の汎用デバイスを弄り、最近変換専科で習ったの基礎変換技術を試していた。

 

 基礎変換技術とは、環境中の魔素を火・水・風・土といった四元素の事象へ再構成する魔素工学の基本技術だ。

 そのプロセスは、体に馴染んだ呼吸に近い。

 まず意識を研ぎ澄ませて周囲の魔素を自分の中へ引き込み、利用可能な純度まで練り上げる。

 次に、出したい現象――例えば「水」なら、その分子構造や温度の数理モデルを脳内で素早く記述し、現実の物理定数へと翻訳するのだ。

 最後に、練り上げた魔素エネルギーを思い描いたモデルに流し込み、現実空間に現象として固定する。

 デバイスはあくまでその精密な演算や安定化をサポートする補助具に過ぎず、熟練すれば己の感覚のみでこの全工程を完遂できる。

 

 カズマは手際よくそのサイクルを回し、マグカップの中に『クリエイト・ウォーター』と唱えて冷たい水を満たした。

 さらに出力の末端を絞り、着火用の微弱な熱変換『ティンダー』を指先から走らせてカップの底を炙る。

「すいません、私にもお水ください。というかカズマ、何気に私より基礎技術を使いこなしていますね」

 めぐみんが感心したように自分のコップを差し出した。

「基本の属性変換なんて、今どきライターや水道代わりにしか使われませんが、カズマを見てると妙に便利そうです」

「いや、サバイバルではこれくらいが丁度いいんじゃないか? ……あ、そうだ、『クリエイト・アース』! これって何に使うんだ?」

 カズマの手のひらに、さらさらとした粉状の土が生成される。

「えーっと、魔素を含んだ良質な土で畑の肥料代わりに使えます。それだけです」

 めぐみんの解説を横目に、アクアが肉を頬張りながら吹き出した。

「何それ、カズマさん農家にでも転向するんですか! 土も作れるし水も撒ける、クラス農家って天職じゃないですか、やだー! プークスクス!」

 カズマは無言で、右手の手のひらに乗った土をアクアへ向けた。

 すかさず左手で新たに変換技術を叩き込む。

「『ウインド・ブレス』!」

「ぶああああっ! ぎゃー! いったい目がああああかっ!」

 突風に煽られた土埃がアクアの顔面を直撃した。

「なるほど、こうやって目潰しに使う技術か」

「違いますよ! 普通そんな悪質な使い方しませんよ! なんで基礎技術をそんな器用に使いこなしてるんですか!」

 めぐみんのツッコミが響く中、談話室の時計が深夜零時を告げた。

「おっし、腹も膨れたし、いくとするか」

 カズマの言葉を合図に、目に砂が入ってのたうち回っているアクアを除いた三人が、夜の旧実験棟に向けて腰を上げた。

 

 

 

 学園の西端、人跡稀な森の深くに沈むように佇む旧実験棟。

 かつては最先端の叡智が集ったとされるその場所も、今では無謀な実験の末に棄てられ、外壁が蔦で覆われていた。

 不気味な静寂に包まれた建物の前で、一行は錆びついた重厚な金属扉を見上げていた。

「一応、これを窓口のルナさんから借りてきた。レンタルの方が保険が効くからな」

 カズマが手首のデバイスを起動させると、ノイズ混じりのホログラムが展開された。

 周囲の魔素濃度を視覚化するスキャナーの画面には、幾何学模様が脈動するように明滅し、それだけでこの先の異常さを物語っていた。

 一行は一度、互いの顔を見合わせた。

 重苦しい沈黙の後、先頭に立ったダクネスが扉に手を掛ける。

 ギ、ィィィ……。

 骨を削るような金属音が、静まり返った森に高く響き渡った。

 扉の向こう側は、光さえも吸い込まれるような絶対的な暗闇だった。

 一行はスマートフォンのライトを灯し、地下へと続く急勾配の階段を慎重に降りていく。

 地下通路へ足を踏み入れた瞬間、肌を撫でたのは湿り気を帯びた不自然な冷気だった。

 それは単なる気温の低さではなく、まるで目に見えない何かが首筋を這い上がってくるような、生理的な嫌悪感を伴う冷たさだ。

 天井の旧式照明は、断末魔の喘ぎのようにチカチカと不規則に瞬いている。

 カズマが手元のスキャナーに目を落とすと、画面上には青黒い魔素のノイズが、まるで血管のように通路の至る所を這い回る反応として表示されていた。

「……なんか、嫌な感じね。ねえカズマ、本当にここ、心霊現象とか起きないんでしょうね? 不浄な残留思念とか、そういうのが実体化したものとか、絶対にいないわよね?」

 アクアがカズマの袖をちぎれんばかりに掴み、歯の根も合わない様子で震え出す。

「幽霊なんて非科学的なものはいないって何度も言わせるな。いるのはせいぜい、劣化した魔素が電子回路を狂わせ、奇妙なバグや残像を見せているだけだ。お前は浄化のプロだろ、しっかりしろ」

 自分自身に言い聞かせるように吐き捨てたカズマの言葉も、奥へと続く暗闇の深さに、力なく吸い込まれて消えた。

通路の奥へ進むほどに、カズマの腕のスキャナーは悲鳴のようなアラートを上げ始めた。

 画面上の数値は限界値を超えて明滅し、バグった電子音が静寂の中で神経を逆撫でする。

「待て……この先の実験ホール、魔素濃度が異常だ。……おい、何かいるぞ」

 カズマの掠れた声に、全員の動きが凍りついた。

 スマートフォンの頼りない光が、広大なドーム状のホールを薄暗く浮き彫りにする。

 ホールの中心、複雑に絡み合う魔素収束回路の結節点に、それはいた。

 黒い防護ローブを深く纏い、床に這いつくばるようにしてうずくまっている一人の人影。

 どうせ魔素が混入した古い実験機か何かが誤作動しているだけだと思っていたカズマにとって、その「人間」の形をした異形は、理屈を超えた恐怖を呼び起こした。

 周囲に滞留していた重金属のような濁った魔素が、吸気音さえ立てずに濁流となってその人影の体内へと吸い込まれていく。

 それは技術的な回収作業などではなく、呪われた儀式か、あるいは底なしの怪物による捕食の光景に見えた。

 微かに聞こえてくるのは、陶酔したような、あるいは苦痛に耐えるような、湿り気を帯びた吐息だけだ。

「――っ! あ、あ、あああ――っ!!」

 突如として、アクアが裏返った絶叫を上げた。

 その顔は恐怖ではなく、剥き出しの不快感と生理的な嫌悪に歪んでいる。

「なによあいつ! あんなヘドロみたいな未精製の残留魔素を、直接体内に溜め込んで……見てるだけで吐き気がするわ! 不潔! 不浄! あんなの歩く公害よ! 私の美しい魔素理論に対する冒唆だわ!」

 カズマが慌てて制止するが、パニック状態のアクアには届かない。

「おい、静かにしろ! バレるだろ!」

「うるさいわよ! あんな不潔な存在が、学園の施設を汚染しながら勝手な真似してるなんて許せないわ!」

 アクアはカズマの腕を振りほどくと、あろうことかホールの中心へと駆け出した。

「ちょっと、何やってるんですか⁉︎ 危ないですよ!」

 声からして女性のようだ。

 中心にいたその人物が驚いて顔を上げるが、アクアは聞く耳持たず、床に描かれた魔素収束陣を力任せに踏みにじり始めた。

「な、何をするんですか⁉︎ やめ、止めてください! せっかくここまで安定させたのに、壊さないでください!」

 その女性は泣きそうな顔でアクアの足にしがみつき、必死にそれを止めようとする。

「離しなさいよ、この不潔女! あんたのやってることは私への冒涜よ! こんな気味の悪い回路、私が全部綺麗に書き換えてあげるわ!」

「そんな、ひどいです! 私はただ、みんなのために……!」

 必死に縋りつく女性を、アクアは冷たく見下ろした。

「ふん、生意気ね。実力の差ってやつを教えてあげるわ! 『ピュリフィケーション』!」

 アクアの瞳が青く輝き、彼女の手から放たれた純白の閃光が、ホール全体を暴力的なまでの白濁で飲み込んだ。

 中心にいた人影が驚いて顔を上げた瞬間、その華奢な体を見えない衝撃が貫いた。

「ぎゃああああ! 止めて止めて! 私の体、私の中に定着させた魔素が無理やり引き剥がされる! 初期化されちゃう、消えちゃうううう!」

 女性は地面をのたうち回り、身をよじるようにして絶叫する。

 カズマが駆け寄ると、彼女の肌が光を浴びた箇所からデジタルノイズのように透け、存在の輪郭が不気味に揺らいでいた。

「おい、アクア! なぜか知らんが人殺しになりそうだから止めろ!」

 カズマは制止も聞かないアクアの背後に回り、全力で後頭部をスキャナーのハードケースで殴りつけた。

「ぐえっ⁉︎」

 鈍い音と共にアクアが地面に顔面から突っ込み、ホールの閃光が霧散するように消える。

 カズマは慌てて、半透明になったまま震えている女性の肩を抱き寄せた。

「おい、大丈夫か? しっかりしろ、意識はあるか!」

 カズマが声をかけると、彼女の体は徐々に実体を取り戻していったが、それでも立ち上がる力はないようだった。

「だ……大丈夫です。……危うく、浄化されて消滅するところでした……」

 フードが脱げ、現れたのは二十代前半ほどの、知的で儚げな印象を持つ茶髪の美女だった。

「えーっと、あんた名前はなんて言うんだ? それに、こんなところで何やってるんだよ?」

 彼女はよろよろと立ち上がり、消え入りそうな声で答えた。

「危ないところを助けてくださり、ありがとうございます。私は……ウィズと申します。一応、環境魔素制御技術者の資格を持っていて、ここで浄化作業をしていたんです」

「資格? なら、これは正式な業務なのか?」

 ダクネスが怪訝そうに尋ねると、ウィズは力なく首を振った。

「いえ……。実はこの旧実験棟、学生さんたちから苦情が絶えなかったんです。でも、正式な浄化申請を出すと、予算の承認だけで半年はかかるのが現状で……」

 ウィズは消え入りそうな声で、事務方の世知辛い内情を吐露した。

 学園の官僚的なシステムを前に、彼女がどれだけ心を痛めていたかが伝わってくる。

「それで、学生さんたちが困っているのを見ていられなくて。独断で倉庫から備品を持ち出して、内密に処理をしていたんです」

 ダクネスが感銘を受けたように、その不器用な善意を汲み取って問いかける。

「……しかし、先ほど魔素が逆流していたように見えたが、一体どのような方法で浄化を?」

 その問いに、ウィズは自身の腕を摩りながら、悲しげに視線を落とした。

「私は過去の実験事故の影響で、周囲の低純度魔素を体内に吸着・定着させてしまう特殊な体質になってしまいました。だから、私にしかできないこの方法で……少しずつ学園の澱みを肩代わりしようと」

 ウィズの瞳には、規律を破ったことへの自責と、学生を思う純粋な善意が混在していた。

 己の身をフィルターにして毒素を吸い出す。

 そのあまりに献身的で、かつ孤独な作業の過酷さを想像し、カズマは言葉を失った。

 自然と目から涙が溢れ出した。

 なんて聖人なのだろうか。

 この学園に来て初めてまともな人格者に会った気がした。

 一方、足元で転がっているアクアは、自分のプライドと実績のために彼女を消し飛ばそうとしたのだ。

 カズマは、ウィズの爪の垢を煎じて、アクアに飲ませてやりたい衝動に駆られた。

「そっか。あんたの献身は素晴らしいけど、俺たちこれでも演習で来てるんだ。ここの浄化と、不審な影の目撃情報があったからそれを調査してくれって言われてさ」

 今回の件を考えれば、不審個体の正体は間違いなくこのウィズのことだろう。

 だが、これをありのまま報告してしまえば、彼女の立場は悪くなり、資格剥奪もあり得る。

「ああ、演習には発注されていたんですね。ずっと放置されていたので、てっきり対応されていないのかと。えーっと、私としてはここの問題が解決すればそれでいいのですが、どうしましょう」

 困り果てたような、だがどこかおっとりとしたウィズの言葉に、カズマは固い決意を抱いた。

 

 

 

 旧実験棟からの帰り道、時刻はすでに空が白みがかってくる時間帯だった。

「納得いかないわ!」

 一人だけ不満げに頬を膨らませているアクアが、静寂を切り裂くような声を上げる。

「あんなのただの不潔女じゃない! 私の完璧な技術を邪魔した不審者よ! 明日になったら、絶対に学園に報告してやるんだから!」

 憤慨しながら端末を取り出そうとするアクアに、カズマの冷徹な声が響いた。

「おい、アクア。もしお前がウィズさんのことをチクってみろ。俺は今ここでお前の不祥事――演習中の居眠りと、一般市民への暴行未遂を全力で事務局に報告するからな」

「な、なんでよカズマ! 私は正しいことをしようとしただけじゃない!」

「いいから黙れ。あんなに優しい人を、お前の浅ましい手柄のために犠牲にさせるわけにはいかねえんだよ」

 カズマの断固とした態度に、アクアは「うう……」と唸りながら、渋々端末をポケットにねじ込んだ。

 結局、カズマたちはあのウィズの行動を見逃すことに決めた。

 演習報酬でもらえるポイントが減るかもしれないが、こればかりは仕方がない。

 カズマは、ウィズから手渡された一枚の紙切れを眺めながら呟いた。

「しかし、あんなおっとりした人が店をやってるなんてな。しかも国連の認可済みって、何者なんだよあの人は」

 それは、ウィズが経営しているという個人商店の割引チケットだった。

 彼女は学園の人間ではなく、国際機関から特別な許可を得て、校外で小さなショップを営んでいるのだという。

 というか、俺が期待していた平穏な学園生活とは程遠い。

「カズマ、その貰ったチケットを私に渡しなさいよ。あの女より先に店に行って、入口に浄化変換を書き込んで涙目にしてやるんだから」

「や、やめてやれよ……」

 ウィズが不憫すぎて、やっぱりアクアは近づけない方がいいかもしれない。

 カズマは夜空を見上げ、独り言のように漏らした。

「……まあ、あんな人が損をしないような世の中になればいいんだけどな」

 その言葉は、深夜の静寂に吸い込まれて消えていった。

 

 

 

 翌日、カズマたちは学園の総合事務窓口で、受付嬢であるルナの前に立っていた。

 窓口越しに提出された報告書を読み終えると、彼女は困ったように眉を下げて、瞳に同情の色を浮かべた。

「……サトウさん。本当に申し上げにくいのですが、今回の演習は失敗、最低評価のEランクとなってしまいました」

 その言葉にカズマの思考が止まる。

「……いや、いやいやいや、確かに不審個体については分かりませんでしたが、地下の魔素は全部アクアが浄化して綺麗さっぱり消しましたよ?」

 納得がいかないというカズマの反論に、ルナは申し訳なさそうに言葉を重ねる。

「ええ、環境が改善されたのは事実です。ですがこの実習の目的は、残留魔素の成分分析による環境評価プロセスの習得にあるんです。データを残さず現象そのものを消滅させてしまった以上、評価の対象にすることができないんです。それどころか、設置されていた精密測定器の校正設定が過剰なエネルギー干渉で全て吹き飛んでしまっていて……」

「……えっ、じゃあ報酬は」

「すいませんが、報酬ポイントの付与は認められませんでした。そればかりか、機材の再設定費用と演習不備のペナルティとして、パーティー全員の基礎保有ポイントから一律で五千ポイントが差し引かれることになります」

 ルナの口から告げられたのは、あまりに非情な宣告だった。

 この学園においてポイントの喪失は、学生寮のグレード低下や、最悪の場合は退学に直結する死活問題だ。

「そんなあ⁉︎ あんなに苦労したのに、マイナスってどういうことだよ!」

「わ、私に言われましても、それがここでのルールなので……。つ、次は、もっと慎重に要項を確認してくださいね」

 ルナの優しい慰めも虚しく、窓口を出たカズマの背中は、魂を吸い取られたかのように丸まっていた。

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