わたしだけ、魔物じゃなくて【人間】を殺害しないと経験値をもらえないんですが?~『癒やし系大天使』とバズった幼女、実は配信の裏で『虐殺』しています~   作:北川ニキタ

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9話 はじめての買い物

 馬車の扉が開いた瞬間、わたしを包み込んだのは、圧倒的な「世界」の熱量だった。

 

「わぁ……っ!」

 

 わたしは思わず、小さな口を開けて感嘆の声を漏らした。

 

 そこは、城塞都市オーベニールの中央大通り。

 通称「赤レンガ市場」。

 

 どこまでも続く石畳の道は、長年踏みしめられて角が取れ、飴色に輝いている。

 道の両脇には、色とりどりのテントや露店が所狭しと並び、まるで虹をそのまま地上にぶちまけたような鮮やかさだ。

 

「すごい! セーラ、見て! あそこの看板、動いてる!」

 

 わたしはセーラの手を引いて、はしゃいだ声を上げる。

 指差した先にあるのは、酒場の看板だ。

 木製の看板に彫られたビールのジョッキから、魔法による幻影の泡がポコポコと溢れ出し、空中で弾けては黄金色の粒子になって消えていく。

 

「ふふ、あれは風属性の魔石を使った簡易魔術ですね。アリス様、はぐれないようにしっかりと手を繋いでいてくださいね」

 

「うん!」

 

 わたしはセーラの温かい手をしっかりと握り返す。

 

 すっごく楽しい!

 わたしは周囲を見渡しながら、興奮で身震いするのを抑えるのに必死だった。

 今までゲーマーとして、いろんなダイブ型のこの手のゲームをやってきたけど、『Gnosis Online』は他と比べてクオリティが段違いに高いと即答できる!

 

 光の散乱、影の落ち方、行き交う人々の服の繊維の質感。

 すれ違った冒険者の革鎧についた古傷や、商人のおじさんの汗ばんだ肌のテカリまで、すべてに物理演算が備わっている。

 

 鼻をくすぐるのは、焦がしバターと未知のスパイスが混じり合った、暴力的なまでに食欲をそそる香り。

 耳に届くのは、荷馬車の車輪が軋む音、遠くで響く鐘の音、そして無数の人々が織りなす喧騒のシンフォニー。

 わたしは、隣で優しく微笑むセーラや、油断なく周囲を警戒するグオークとルスカーを見上げる。

 この世界の住人たち――彼らの中身は、わたしと同じ「プレイヤー」だ。

 でも、彼らは記憶を封印され、自分がゲームのキャラクターであることを露知らず、この世界を唯一無二の現実だと信じて疑わずに生活している。

 

 ――そりゃあ、信じるよね。

 

 わたしは冷や汗交じりの感嘆を飲み込んだ。

 もし、この世界の解像度が低かったら? 歩き方が不自然だったり、壁のテクスチャが荒かったりしたら、人間の本能が「ここは偽物だ」と警鐘を鳴らしたかもしれない。

 けれど、ここには「違和感」が入る隙間なんて1ミリもない。

 風の揺らぎも、人の体温も、空気の匂いすらもが、あまりにも圧倒的に「本物」すぎる。

 

 こんなの、気づくわけがない。

 脳が「現実だ」と誤認するラインを、この世界は遥か彼方に飛び越えてしまっているんだから。

 

「アリスお嬢様、足元にお気をつけて。ここは人が多いですから」

 

 護衛のグオークが、岩のような体で巧みに人波を割り、わたしの歩くスペースを確保してくれる。

 ルスカーは、ニヤニヤしながらも油断なく周囲に視線を走らせている。

 

「へぇ、今日は『黄金桃』が入荷してるみたいですね。甘い匂いがしますよ」

 

「おうごんもも?」

 

 わたしは首をかしげて見せる。

 

「ええ。南方の島でしか採れない、初夏の珍味ですよ。薄い皮を一口かじれば、甘い蜜が溢れ出してくるんです」

 

 ルスカーが指差した露店には、ソフトボールくらいの大きさの、黄金色に発光する果物が山積みにされていた。

 うっすらと産毛に覆われたその肌は、朝焼けのような美しいグラデーションを描いている。完熟した果実特有の、濃厚で甘やかな香りが鼻先をくすぐり、わたしの喉がごくりと鳴った。

 

 ――美味しそう……!

 

 本能が「今すぐこれをかじりつきたい」と訴えかけてくる。

 わたしはショーケースに並んだその宝石のような果実たちから、どうしても目が離せなくなってしまった。

 

「食べてみたいですか?」

 

 セーラが屈み込んで、わたしの顔を覗き込む。

 

 わたしはコクコクと頷いた。

 

「うん! 食べてみたい! ……だめ?」

 

 上目遣いビーム発射。

 セーラは一瞬で撃墜されたようで、頬を赤らめて「うぅっ」と呻いた。

 

「だめなわけがありません! 店主! 一番甘くて美味しそうなのを一つ! いいえ、四つ包んでください!」

 

 即決である。

 買い与えられた果実は、カットされると琥珀色の果汁を滴らせた。

 わたしは小さな両手でそれを受け取り、ハムッ、と一口かじる。

 

「んんっ……!」

 

 口の中に広がったのは、強烈な甘みと、パチパチ弾けるような酸味。

 

 そして、飲み込んだ瞬間に胃の腑から広がる、優しい温かさ。

 

「おいひぃ……!」

 

 わたしは頬に手を当てて、満面の笑みを浮かべた。

 

 ガチでおいしい。

 食感、香り、喉越し。そのすべてが脳髄を直接刺激してくる。

 

「ああ……アリス様がモグモグしている……尊い……」

 

 セーラが何やら危ないことを呟きながら、ハンカチでわたしの口元を拭ってくれる。

 

 わたしは、この世界のことをまだなんにも知らなかったのかも。

 だって、食べ歩きをするだけで、こんなに楽しいなんて知らなかった。

 

 わたしたちはさらに市場の奥へと進んだ。

 

 武器屋の軒先には、ミスリル銀でコーティングされた長剣が冷たい輝きを放っている。

 

 魔道具屋のウィンドウには、宙を浮く青い炎のランプや、話したことを勝手に書いてくれる自動書記のための万年筆が飾られている。

 

「見て見て、セーラ! あの猫ちゃん、尻尾が二本ある!」

 

「あれはケット・シーですね。人語を解する賢い猫ちゃんですよ」

 

 路地裏を横切った猫が、わたしの方を見て「ニャア」と鳴いた気がした。

 

 楽しい。

 ホントに、楽しい。

 石畳のひび割れ一つ、街灯の錆び一つに、この世界のこだわりを感じる。

 

「ふふっ、アリス様。あちらでは大道芸をやっているようですよ」

 

 セーラに促されて広場に出ると、そこでは火吹き男が、なんとドラゴンの形をした炎を空中に吐き出していた。

 

 観客たちからの割れんばかりの拍手。

 わたしもパチパチと手を叩く。

 

 平和だ。

 あまりにも平和で、鮮やかで、美しい。

 

 ――だからこそ。

 

 わたしの内側にある、冷徹なゲーマーとしての「ミライ」の人格が、ふと囁くのだ。

 

 『この中の、誰を殺せばいいのかな?』

 

 わたしは、無邪気な笑顔で大道芸を見つめながら、視界の端で通行人たちを見る。

 

 あの優しそうなお婆さん?

 一生懸命客引きをしているお兄さん?

 それとも、親とはぐれて泣いているあの子供?

 

 ……いいえ、違う。

 

 そんな「害のない一般人」じゃ、後味が悪すぎる。

 

 わたしが探しているのは、この美しい絵画に垂れた、一滴の黒いシミのような存在。

 

 わたしは残りの果実を口に放り込み、ゴクリと飲み込んだ。

 

 その瞬間。

 

「うおおおおおおおおっ!!」

 

 大地を揺らすような爆発音とともに、火吹き男が巨大な炎の竜巻を巻き上げた。熱風が吹き荒れ、興奮した数百人の観衆が、どっと前へ押し寄せる。

 

「きゃあッ!?」

 

「なっ、押すな! 下がれ貴様ら!!」

 

 群衆の雪崩のような圧力に、さしものグオークも体勢を崩しかける。ルスカーは舌打ちし、咄嗟に群衆を押し返そうと両手を広げた。

 

「お嬢様、離れないでください!」

 

 セーラが叫び、わたしの手を強く握りしめる。

 彼女は自分の身を盾にして、わたしを人波から守ろうとしてくれていた。

 完璧な判断。完璧な忠誠心。普通なら、絶対に離れない。

 

 ――ごめんね、セーラ。わたし、悪い子なんだ。

 

 ドンッ、と背後から大柄な男がセーラにぶつかった、そのコンマ一秒の衝撃の瞬間。わたしは、彼女の手のひらの力が緩む「力の空白点」を見切った。

 

 わたしは、まるで手品のように手首を返し、スルリと拘束から抜け出した。

 かつてわたしがPvPの近接戦闘で磨き上げた、関節の隙間を突くちょっとした「技術」だ。

 

「えっ……アリス、お嬢様……!?」

 

 セーラが振り返った時には、わたしの小さな体は、すでに熱狂する大人たちの壁の向こう側へと沈んでいた。

 

「アリスお嬢様ァァァ!!!」

 

 悲鳴のようなセーラの声が聞こえる。

 ごめんね。あとでちゃんとお説教は聞くから。

 

 わたしは雑踏の隙間を縫うように移動し、賑やかな広場から離れた、一本の細い路地へと滑り込んだ。

 そこは、光の届かない場所。喧騒が嘘のように遠ざかり、腐った生ゴミと鉄錆の匂いが漂う、冷たい闇。

 

「……さてと」

 

 わたしはスカートの埃を払い、誰もいない路地裏で、ニヤリと唇を吊り上げた。

 天使の仮面を少しだけずらして、最強のゲーマーとしての顔を覗かせる。

 

 さっき、広場で大道芸を見ていた時、視界の端に映ったのだ。

 楽しげな観衆の中で、明らかに「大道芸」ではなく、着飾った金持ちの懐を品定めするような、粘着質な視線を飛ばしていた男たちが、この路地へ消えていくのを。

 

 わたしの「ゲーマーの勘」が、そこに獲物があると告げていた。

 わたしは暗闇に向かって、とびきり可愛く、そして残酷に微笑みかけた。

 

「――さあ、出ておいで。悪役さん?」

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