森を抜けた先、開けた土地に、見渡す限りの木造の建物が立ち並んでいる。伸びる木の枝のように分岐する整備された道沿いには、民家らしきものもあれば、飲食店らしき大きな建物も見受けられた。
村というには規模が大きく、些か栄えているそこは、一つの街といっても差し支えがない。しかし、その割には村の中から感じる人の気配は少ないように思えた。
村の周囲は柵で覆われていて、柵沿いに少し歩いた先には、村の出入り口らしきものと、門番らしき人影が伺える。同じくそれを見た友人は、こちらに振り返って、気分良さ気に口の端を上げた。
「入り口はあちらのようだな。よし、聖女よ、後についてくるが良い」
「今まで見たことが無いくらい活き活きしてるぞ、お前」
スキップまでしかねない程に意気揚々と、出入口に向かって行く友人を慌てて追いかける。
少し歩いてみると、村の建物越しに向い側にある山の断崖が目についた。どうやら、この村は片側面を森に、もう片側面を断崖に接しているらしい。モンスターから村を守る上では、好都合な立地、村を覆うこの柵もその一環だろう。
やがて、村の出入り口に近づくと、そこから伸びる開けた道が見えて来た。私たちは今まで、随分と人の領域から離れた場所に居たようだ。
門番らもこちらに気が付いたのか、柵沿いに歩いて来た私達を見て怪訝そうに眉を潜めた。
「そちらの方々、どうしてまた森の中からいらっしゃたのです。近頃はモンスターの動きが活発になっていますので、危険ですよ」
「いや、申し訳ない。この村まで最短経路で真っ直ぐ歩いて来た故な。まさか整備された道があるとは知らなかったのだ」
窘めるように言う門番に、前にいた友人がいつもの調子で答えた。元々営業トークなんかも得意だったし、ここは変に口を挟まない方が良いだろう。
友人の話を聞いた門番は、あまり前例のない事なのか、驚いたように目を丸くしてから何やら考え込む様に口元に手をやった。
「左様でしたか…。しかしその出で立ち。もしや、探求者の方ですか?」
探求者、聞き馴染のある言葉に、つい友人と目を見合わせる。
それは、別ゲーでの冒険者などに該当する、『楽園』におけるプレイヤーや特定のギルドに登録しているNPCを指す言葉だ。同じ概念が存在するのなら、やはりここは『楽園』の世界観に準じた世界なのだろう。
探求者は、ギルドに張り出された依頼や、街の人からの個人的な依頼を請け負うことで、生計を立てている。詰まるところ、自由職だ。モンスターも狩る事から、武器等を持っていても不審がられることは無い。
こくりと、友人に頷いてその設定でいこうと伝えると、友人も同意するように頷いて門番に向き直った。
「まぁ、似たようなものだな。して、この村には探求者ギルドは存在するだろうか。…む、門番殿?」
怪訝な声を上げる友人につられて顔を上げると、今の今まで話していた筈の門番は、呆然としたまま私達、主に私へとその視線を向けていた。
どうしたのだろう。私の格好はこの世界では珍妙に映るのだろうか。
「えっと…私がどうかしましたか?」
あまりに熱心に見つめられるものだから、堪り兼ねて問いかけると、門番はハッとしたように意識を取り戻して、即座に頭を下げて来た。
「いえ、失礼いたしました。…探求者ギルドでしたら、ここから村の中央に向かって歩いた辺りにございます。どうぞ、お通り下さい。この村の戦力が増えることは、何より嬉しく思います」
捲し立てるように言うと、門番はそっと横に逸れて道を空けた。横を通る際、唐突に様子を変えた彼を見上げてみると、きゅっと目を瞑って、心なしか顔もそっぽを向いていた。
今一つ釈然としないまま村へと入り、聞いた通りに中央に向かって歩いていると、隣の友人から堪え切れないように零された含み笑いが聞こえて来た。
「なんだよ、いきなり笑いだして」
「くくっ、気付かぬのか?あの門番は、貴様に見惚れておったのだ。こうも容易く人の心を奪ってしまうとは、我ながら自身の才能が恐ろしくなる」
「見惚れる…」
意味が伝わって来ず、言葉だけをそのまま繰り返す。人生で一度くらいは見聞きした事のある筈のそれが、今は初めて聞く未知の単語に聞こえた。
「貴様は、時々忘れているようだが、誰もが見惚れる美少女なのだ。姿が変わったばかりで仕方ないとはいえ、自覚は持っておくが良い」
伸びて来た友人の手が、私の被る麦わら帽子に置かれて、更に目深に被らされる。その間も、混乱した私は何も反応できないでいた。
友人の話がうまく頭に入って来ない。それは、まぁ、友人が理想とする女性像を体現したのだから、他の人間から見てもある程度は同様だろう。分かってるけれど、友人から言われるのは慣れていたから、あまり意識はしていなかった、しないでいられた。
川で自分の身体を見下ろした時も、あくまでアバターの範疇、外見が少し変わった程度の認識でしかなかった。だから、あの門番の態度と友人の言葉で、本当の意味で客観的な現実を突きつけられた気がした。
だってそうだ。自分の姿なんて、自分では見られないのだから。目線が変わって少し体が変わっただけで、あくまで自分の本体は元の身体の気分でいられた。
もしかすると、そうして切り離すことで、考える事から逃げていたのかもしれない。
ふと、民家の窓に映し出された、自分の姿が目に映る。可愛らしい白のワンピースを着て、麦わら帽子を目深に被った少女。少し麦わら帽子を上に傾けてみると、少女も同様に動いて、その顔がハッキリと窓に映る。
女の子だ。誰がどう見ても口を揃えて言うくらいの、可愛い女の子。これが、今の私なんだ。信じられない。けれど、受け入れないといけない。
「はぁ…」
「どうしたのだ、聖女よ、物憂げなため息などついて。さては、俺様の才能に貴様も感嘆しているのだな?」
「別に何でもない…馬鹿厨二病」
持て余した憂鬱をため息と共に吐き出して、麦わら帽子を深く被り直した。けれど、尚も帽子越しに友人の視線が突き刺さって来て、いら立ち混じりに顔を上げて何の用だとにらみ返す。
「ふむ、見た所、随分と疲労が溜まっているようだな。村にも到着した事だ、何処かで休むのも手だが…」
「別に良いから。それより、さっさとギルドに行かないとだろ」
我ながら素っ気ない態度で友人をあしらってから、私は彼から視線を外して少しだけ足を速めた。
それから暫く、興味深そうに辺りを見渡す友人と共に村の中を進んでいると、やがて目立つ旗を立てた大きな建物に辿り着いた。旗に描かれたシンボルは、『楽園』で目にしたものと同じで、此処が探求者ギルドである事を示している。
ギルドは、周囲の建物と比べても立派な造りをしていて、如何に探求者が重要な職であるのかを表しているかのようだった。
両開きの扉を開いて中に入ると、外装に負けず劣らずの内装もさることながら、何より驚かされたのはそんな建物に対する人の少なさだった。広いロビーの幾つもあるテーブルに、一人か二人点在する程度で、受付では職員が暇そうに書類仕事をしている。
来訪者もあまりいないのか、ギルドに入った途端、それらの人から一斉に好奇の目が向けられる。
「ふむ、随分と少ないな。幾ら地方であったとしても、NPCの探索者はそれなりに居た筈だが…」
友人も同じ感想を抱いたようで、ギルド内を一目見るなり顎に手をやって首を傾げている。
「モンスターの動きが活発だって言ってたし、その辺が関わってるんじゃない?」
「調査か、駆除に回されているか…何にせよ、人手不足ではあるのだろうな」
一斉にこちらを見た視線には、よそ者に対する驚きこそあれ迫害の意図は感じない。友人の言うように、これは普段から人が少ない故の反応なのだろう。
注目を浴びながら受付へと向かうと、担当の受付嬢は営業スマイルとは思えない華やかな笑みを私達に向けた。
「ようこそ、探求者ギルドへ。依頼の受注ですか?では、お先に探求者カードの提示をお願いいたします」
快活な挨拶と共に、受付嬢から探求者である事の証明を求められる。
カードと言われて、インベントリを探ってもそれらしいものは見つからなかった。『楽園』では、プレイヤーは当たり前に探究者で、当然の様にギルドを利用していたが、ここではその区分は意味をなさない。
友人に目配せでそれを伝えると、一つ頷いて友人は職員へと声を掛ける
「新規の登録を頼みたい」
端的に告げられた要件に、受付嬢は目を瞬かせて、友人の顔とその腰に帯びた剣との間で視線を行き来させた。無理もない、私は兎も角として、友人の装備はそこらの探求者と比べても上等なものだ。どう見ても歴戦の勇士といった格好の人物から、新人です、ルーキーですなどと言われても信じられないだろう。
案の定困惑している受付嬢は、それでも受付としての意地か、笑顔を崩さないままに対応を続けた。
「はい、新規のご登録ですね。…あの、カードを無くされたのであれば、再発行も出来ますが…」
「元々持っておらぬのだ。何分、探求者ギルドを利用する機会が無かったものでな。しかし、故あって必要になってしまい、急ぎギルドに来訪した次第だ」
「はあ、そうでしたか…」
懐疑的な様子で相槌を打つ受付嬢は、それ以上追及してこようとはしなかった。訳アリの人間なんて山ほどいるだろうし、私達もあまり深く聞かれると答えに困る部分はあるから、その対応は都合が良かった。
受付嬢は「少々お待ちください」と一言断りを入れてから奥に行き、すぐにその手に見慣れぬ道具を持って戻って来た。
「では、波長を記録しますので、こちらに手を翳して魔力を込めて下さい。記録した波長で本人確認を行いますので、取り換えや代用などは出来ません。その点は御留意ください」
「ほほう、魔力の波長か。それはまた理に叶ったシステムだ、大変興味深い…!」
瞳を輝かせて鼻息を荒くする友人を見る受付嬢の眼が、段々と生温かくなっている様な気がした。これは都会に来てはしゃぐ田舎者を見る目だ。あながち間違いではないけれど、一緒に居る身としては、少々気恥ずかしく感じる。
友人が手を翳した後、次いで私も手を翳して魔力を込めると、二枚の金属製のカードが道具から吐き出される。
「最後に名前の印字を行いますので、お名前をお聞かせ願えますか?」
カードを手に取って受付嬢が言うと、隣の友人が微かに口角を上げた。その様子に嫌な予感を覚えていると、案の定と言うべきか、この厨二病は大仰なポーズを取って高笑いを上げた。
「フハハハ、よくぞ聞いた、受付嬢よ!神に禁じられしこの真名を、その耳にしかと焼き付けるが良い!我が真名は…!!」
「うっさい。…あ、この馬鹿の名前は厨二病でお願いします」
ギルド内に響き渡る声量で話し始めた厨二病を、聖杖で物理的に黙らせて受付嬢にそう告げる。
大してダメージも無いだろうに、友人は大袈裟に床に倒れ伏して、立ち上がるなり心外だと言わんばかりに詰め寄って来る。
「何をするのだ、聖女よ。我が真名を披露する絶好の機会であったのだぞ」
「お前の真名とやらはピカソだろうが。あんまり受付の人困らせるな、この厨二病」
以前から幾度となく聞かされてきたこいつの真名とやらは、私でも未だそらんじて言えるかと問われれば首を傾げざるを得ない。そんなものを覚えさせる、ましてや金属製のカードに印字させるなど、正気の沙汰ではない。
「えぇっと、厨二病さん、ですか?…では、次にそちらの方は…」
最早戸惑いを隠しきれない様子の受付嬢から、矛先がこちらに向けられる。うちの厨二病がご迷惑をお掛けして申し訳ないと内心思いつつ、口を開く。
「私は…」
「聖女である」
自分の名前を告げようとした所で、友人が食い気味に言葉を被せた。何をするのだこいつは。
「おい」
「貴様が始めた物語であろう。嫌とは言わせぬぞ、聖女よ」
抗議の視線を向けるも、ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべた友人に言われて、思わず口を噤んだ。確かに、言い出したのは私だけど、あそこで止めていなければピカソである。理不尽に感じるのは正常だと思いたい。
受付嬢は、既に考えることを放棄したのか、私達のやり取りを耳に、諦観を交えた清々しい笑みを浮かべていた。
「はい、聖女さんですね。では、お二人の名前をカードに印字しますので、少々お待ちください」
道具にカードをセットし直して、受付嬢が手際よく操作すると、数分ともせずカードに私たちの名前がそれぞれ、アルファベットで厨二病、聖女と刻まれた。
カードを受け取って、私はこれから自身の事を聖女と名乗らなければならいなのかと思うと、どんよりとした何かが両肩に乗っかるように感じる。打って変わって、友人は殊の外嬉しそうにしていたから、らしければもう何でも良いのだろう。
「これで登録は完了となります。何かご不明な点はございませんか?」
一仕事終えた顔で受付嬢が私達に問いかける。
友人が目配せしてきたので、手の仕草で任せると伝えると、友人は一瞬考え込んでから口を開いた。
「ならば、幾つか聞いておきたいことがあるのだが。まず、ここでモンスターの素材買取などは行っているか?」
「此処ではありませんが、この建物の隣にある解体屋にお持ちいただければ、素材に応じた金額が支払われます。もしかして、道中で何かモンスターを討伐されたのですか?依頼に該当するモンスターであれば、達成扱いとして依頼金をお支払い出来ますが…」
「うむ、ウルフを数匹ほどな。…この通りだ」
インベントリが開かれてウルフの頭が顔を覗かせる。全体を取り出すと血が滴り落ちかねないため、半分だけ顔を見せている状態だが、それでも確認としては十分だったみたいで、受付嬢はぱっと顔を輝かせた。
「ウルフですか!少し前からやたらと数を増やしていまして、困っていたんですよ。三匹で一つ分の依頼達成扱いとなりますので、討伐した証として、右耳の先だけ提出いただけますか?」
「右耳か、成程、そこは原始的な確認方法なのだな…」
友人は剣を抜くと、手際よくインベントリからウルフの頭を覗かせて、耳を切り落としてと繰り返していき、三匹分の耳を受付嬢へと提出した。受付嬢はそれを確認すると、カウンターの下から取り出した、ちゃりちゃりと音を鳴らす小袋をこちらに渡す。
「…これは、どのくらいの値になるのだろうか?宿代の足しになれば良いのだが…」
「依頼金が一匹当たり金貨一枚と銀貨七枚で、合計が金貨五枚と銀貨一枚になります。宿でしたら、銀貨二枚で一泊に食事がつきますね」
説明を聞きながら、友人が物珍しそうに銀貨を取り出して眺めている。
金貨と銀貨。『楽園』では、纏めてなんとかゴールドの表記だったけど、この世界では異なるらしい。ゲーム内の宿屋が二千ゴールドだったことを考えると、銀貨が千の値になるのだろう。依頼金の計算の仕方から、銀貨十枚で金貨一枚の価値として考えてよさそうだ。
「これなら、直近の宿の心配はなさそうだな」
内緒話をするように友人にそう耳打ちをしようとして、少し身長が足りなかったから踵を上げて伝えると、途端にびくりと友人の肩が跳ねた。
「う、うむ、然り。これに加えて解体分の金額も上乗せされるのだから、中々割りの良い仕事であるのだな」
「なんでいきなり早口になるんだよ、ちょっと声裏返ってるし」
胡乱気に見つめるも、友人は誤魔化すように顔を背けた。変な奴だなと思っていると、そんな私達を見ていた受付嬢がくすくすと笑い声を上げる。
「仲がよろしいのですね。あ、もしご結婚なされているのでしたら、同じ姓を印字することもできますが、如何なさいますか?」
「うむ、よろしく頼む!」
「違います、結構です」
私と友人の声が重なる。けれど、一致しなかったそれぞれの言葉に、胸の内壁を氷が伝ったように感じた。
聞き間違いでなければ、今、この厨二病は肯定しやがったように聞こえたけれど、何かの間違いだろうか。淡い希望的観測から友人を見上げるも、けれど、その満足げな表情に、私は先の言葉が真実であることを悟った。
「厨二病?」
「フハハハ!なんだ聖女よ、恥ずかしがるでない。だが、そういうところも…む、これは本当にダメなやつか?」
こちらを振り向いた友人が尻すぼみに声量を下げていく。心なしかその表情が引き攣っているが、今更反省したところで後の祭りだろうに。そんな事を考えながら、背中に掛けた聖杖を手に取って構える。
「待て、聖女よ!?」
「『神の御心をここに、ジャッジメント』」
慌てた様子の友人の制止の声を無視して詠唱を完遂させれば、天から降った光が友人を飲み込んだ。昨日のように片手だけの麻痺ではない、身体の自由を奪う全身麻痺を受けた友人は、どさりと音を立てて床に倒れ伏した。
「十分くらいで解けると思うから、そのまま寝てろ、馬鹿厨二病」
「ぐおお、聖女よ、そんな無体な…!…む?」
頭以外は完全に動けないみたいで、嘆きの声を上げる友人だったが、ふとこちらを見上げて何かに気付いたような声を発すると、唐突に黙り込んだ。
もっと騒ぐと思っていただけに、この反応は予想外で、一体何を見ているのかと首を傾げる。そして、その視線を辿ろうとした所で、それより先に友人から答えが開示された。
「聖女よ、…その、なんだ、その立ち位置だと下着が見えるぞ。いや、俺様からすれば絶景に他ならぬのだが…」
「…っ!?」
一拍遅れて、かっと顔が熱くなって羞恥に思考が真白に染まる。反射的にスカートを抑えて後ろに下がるも、既に起こってしまった事は変えられない。いきなりなんだと、罵倒を浴びせようと口を開くも、声にもならない吐息が洩れるだけで、それが言葉の形を成すことは無かった。
「ど、どうした、聖女よ…?」
友人が戸惑いながら声を掛けて来るも、それに反応する余裕はなかった。
どうして自分がこうも動揺しているのか、思考が纏まらない、訳が分からない。何故の疑問が次から次に湧いて出る。動揺と疑問に埋め尽くされて、何も考えられない。
これは駄目だ、そう自認できる程の動揺は、容易く私から思考力の類を奪い取って行った。だから、切り離す。冷静な思考を取り戻す為に、余分なものを纏めて思考の中から除外する。
「『花よ、罪人を縛り給へ、フラワー・バインド』」
詠唱と共に、床から生えた花を咲かせた蔓が友人に巻き付いて、その身体を持ち上げる。そのまま、横目に見えたテーブルの傍にある椅子へと友人を誘導し、座らせると蔓は椅子へとその身体を縛り付けた。
友人は魔法は操作が効くと言っていたけれど、確かにこれは便利に思える。
「…これはマズイ、地雷を踏んだ」
「地雷とは何の事でしょうか?床に寝転んだままですと、他の方のご迷惑になりますので、移動させただけですよ。私の不始末を私が片づけるのは当然の道理です」
ずれ落ちないように椅子に固定したけれど、上手く座れているようで安心した。ふと見れば、友人の頬に汗が伝っている。動けないだろうから拭いてあげたいけど、生憎とハンカチに準ずるものを持っていない為、代わりにそっと手を伸ばして指ですくっておく。
私を見上げる友人から受付の方へと視線を移すと、呆然とこちらを見ている受付の女性が目に入ったので、気恥ずかしさから帽子を胸に抱いて笑みを返す。
「申し訳ございません、騒がしくしてしまって。少々お聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」
「は、はい、何なりと…!」
「ありがとうございます。この村でおすすめの宿を教えていただきたいのですが、お聞かせ願えますでしょうか」
ぴしりと、わざわざその場に直立して気を付けの体制を取った受付の女性は、私の問いかけに一瞬ぼうっと固まった後、思い出したかのように宿の名前と道順を教えてくれる。
聞く限りだと、この場所からあまり離れていない様だし、これは先に宿を確保した方が良いのかもしれない。そう判断して、受付の女性にお礼を言ってから、先ほどから顔を引きつらせて
大人しくしている友人へと向き直る。
折角拭いたのに、また汗が頬を伝っている。友人はそんなに汗かきだったかな。
「と、いう事ですので、私は先に宿で部屋を取ってきますね。厨二病さんは、ここで麻痺が取れるまで休んでいてください。解体屋へは後で一緒に行きましょう、良いですか?」
「む、無論だ、そこな金も持って行くが良い。…しかし、この状態の聖女には、未だ慣れぬな」
最後何か呟いていたけど、小声で聞き取れなかった。疑問に思いつつ、こくこくと頷いた友人が顎で指し示した先、床に放り出されたままだった小袋を拾い上げる。
「では、お借りします。宿が取れたら戻ってきますので、少しの間待っていて下さいね」
それだけ言い残して、早速先ほど聞いた宿へと向かう事にする。
ギルドを出る直前で、「聖女よ、帽子は被っておくのだぞ…!」と後ろから友人の声が聞こえてきた。そういえば、と手に持ったままだった帽子を被り直して、振り返ってひらひらと友人に手を振ってから、私はギルドを後にした。
この村は規模に比べて少し人が少ない。それが、改めて村を歩いてみて思った私の感想だった。
勿論、人が居ない訳ではない。村の道を駆けまわる子供たちや、露店を出して商売をする商人もいる。行き交う人もそれなりにいて、目についた酒場には、まだ昼間だと言うのにお酒を飲み交わしている人の姿もあった。
それでも、あくまで比較しての話だけど、村の規模を見るともっと人が居てもおかしくない筈。もしかすると、この辺りに、モンスターの動きが活発になっているという話が関わっているのかもしれない。
とはいえ、寂れている印象は受けないのは、誰も悲壮的な顔をしていないからだろう。丁度、すれ違った子供たちも、きゃっきゃと揃って眩しい笑顔を浮かべている。
「あっ…!」
微笑ましい気持ちになっていると、後ろからそんな短い悲鳴と共にどたりと倒れ込むような音がした。振り返ってみれば、すれ違った内の一人の子供が転んでしまったようで、地面に座り込んだ彼を心配するように他の子供たちが集まって固まっていた。
「大丈夫ですか?」
堪らず駆け寄って転んだ少年に声を掛ける。
「だ、大丈夫、全然痛くない…」
そう話す彼の眼は涙に潤んでいた。しゃがみ込んで患部を見ると、擦りむいた膝から血が滲んでいる。痛くない筈がないのに、やせ我慢をしているのだ。
なんだか覚えのあるその反応に、つい頬が緩んで少年の頭を撫でる。この子は、強い子なのだ。本当は声に出して泣きたいだろうに、必死にそれに耐えている。
「でも、これだと走り辛いですよね。すぐに治してみせますから、じっとしていて下さい」
「うん…分かった」
少年がしっかり頷いたのを確認してから、聖杖を手に取って、ゆるりと傷口に先を向ける。
「『花よ、かの者を癒し給へ、フラワー・ヒール』」
杖の先から迸る淡いライトグリーンの光は一輪の花を形どり、少年の膝の怪我を瞬く間に治癒していく。花が消えるころには、怪我の面影も無い綺麗な肌が露わになっていた。
「はい、終わりましたよ。次は転ばないように、気を付けて下さいね」
「すげー…、ありがとう、お姉ちゃん!」
顔を上げた少年の顔には、再び笑顔が戻っていた。たたっと、軽快に走り去っていく子供たちを見送る。内心『お姉ちゃん』呼びされたことに、少しばかり複雑な気持ちになりながら、宿へ向かう足を再開した。
教えられた道を進んでいると、そう時間も掛からずにそれらしい建物を見つけた。
到着した建物は、探求者ギルドには及ばないまでも、かなり大きな宿屋だった。三階建てで、部屋数もそれなりにある。宿の前に出された看板に描かれたマークと、共に書かれている名前を確認して、そこが目的地であることを確信する。
入り口の扉を開けて、中に入るとちりんと扉に備え付けられたベルが音を鳴らした。
「こんにちは、誰かいらっしゃいますか?」
人の見当たらない受付を一目見て、宿の奥の方へと声を掛けると、やがて階段の方からどたどたと慌ただしい足音が駆け下りて来る。
「はーい、お待たせー!ようこそおいで下さいましたお客様、なんとなんと、お客様は本日一人目の御来店だよ!ハイ拍手、ぱちぱちぱち」
快活な声が聞こえたと思ったら、畳みかけるような怒涛の言葉のラッシュに思わず面食らいつつ、流されるがままに拍手を返す。
階段から降りて来たのは、一人の少女だった。ザ・村娘、といった風貌の彼女は、おさげの赤銅色の髪を後ろに流して、天真爛漫を絵にかいたようなくりくりとした瞳を輝かせている。年齢的には高校生か少し上程度に見えた。
「おっと、自己紹介。あたしはこの宿の看板娘兼オーナーのミリー・メルシーといいます。さてさて、お客様、本日はご休憩?それともご宿泊?どちらでも良いですよ!なんたって、今日は全部屋空いてますからね!」
「えっと…宿泊でお願いします。二人部屋で、一先ずは十日ほど」
少女、改めミリーさんの勢いに完全に圧倒されつつ、要件を伝える。すると、ミリーさんはキョトンと目を瞬かせた後、私の背後へ視線を向けてきょろきょろと辺りを見回してから、にまーと口角を上げた。
「ほっほうー、もしや男性と同伴ですか?お客様も隅に置けないねー。このこのー!」
「うーん、何故でしょう。この感覚にとても覚えがあるのですが…。確かにもう一人は男性ですけど、ただの友人で、変な関係ではありませんから」
既視感の正体は、もしかしなくとも友人である。
友人と気が合いそうな方だなと思いつつ、変な勘繰りをされないようにきっぱりと断っておくも、生温かい目を向けてくるミリーさんがそれを信じているとは到底思えなかった。
「ま、そういう事にしておきましょう。あ、そうだった。宿泊欄に書くので、お客様のお名前を教えて貰っても良いですか?」
思い出したかのようにミリーさんが言って、話が手続きへと戻る。そして、名前を問われた私は自分の頬が引き攣るのを感じていた。
なにせ、聖女である。人から呼ばれるならまだしも、自分からそう名乗るハードル高さときたらこの上無い。
「あー…、その、名無しの権兵衛とかは駄目ですよね」
「もちろん駄目ですよー、その名前をどこかのギルドで登録してるなら別ですけど。例えば探求者ギルドのカードとかも一緒に確認させてもらってますので」
些細な抵抗は、太陽のような笑顔に一蹴されてしまった。私の持つカードには、ばっちりと聖女と印字されてしまっている以上、誤魔化しようが無かった。
こうなってしまっては、覚悟を決める他ないと、すっと深呼吸を一つ入れてから、意を決して口を開く。
「私の名前は、聖女…です」
言ってしまってから、かっと顔に熱が籠っていく。案の定、あれほど口数の多かったミリーさんが目を点にして、ローディングを行う機械のように固まっていた。
一応、カードを差し出してみると、受け取ったミリーさんはそれに目を落として、二度三度と私の顔と見比べる。
「本当に聖女さんなんだ…。家名もないし、これ本名…じゃないよね?」
「はい、友人から呼ばれるあだ名のようなものでして…。諸事情で本名が使えないのと、友人の悪ノリで、今はそちらで通してるんです。…やはり、本名じゃないと駄目…ですよね」
堂々と偽名を騙ってしまっているけれど、かと言って本名を名乗るのは、それはそれでこの外見では違和感が生じてしまう。恐る恐るミリーさんの動向を伺っていると、しかし、ミリーさんはことのほかあっさりと「カードと一致してたらそれで良いですよー」と了承した。
「重要なのは名前じゃなくて、ギルドに登録してある魔力の波長なんですよねー。そっちで本人確認を取れるから、名前はギルドの登録情報と一致してたらなんでも良いってこと」
「手軽に行えるDNA鑑定みたいなものなんですね…。でしたら、その名前でお願いします」
もうこうなったら行く所まで行ってしまおうと、半ば自棄になって聖女の名で手続きをお願いすると、ミリーさんは「はいはーい」と軽快に返事をして、手に持った名簿らしきものへと筆を走らせる。
名簿への記入中も、ミリーさんはそわそわと体を揺すっては視線をこちらに何度も上げていて、身振り手振りで興味を示すその様は、子犬のそれを連想させた。やがて、記入を終えた名簿をぽいと受付のテーブルへと投げると、ミリーさんはずいと体を寄せて来る。
「それよりそれより、聖女さん、あたしとそこまで歳離れてないよね!お友達になろうよ!と言うか、今からあたし達お友達ね!あ、聖女ちゃんって呼んでも良い?あたしの事はミリーでもミリーちゃんでも何でもいいから!」
「わ、分かりました?えっと、ミリーさん、あの、お顔が近いのですが…」
ぐいぐいと迫って来るその迫力に完全に気圧されて、手で制しながら仰け反るように後ろに身を引く。しかし、制するために上げた手を取って、空いた距離をさらに詰めて来るミリーさんに、既に内心では降伏の白旗が掲げられていた。
「えー、聖女ちゃん意外と恥ずかしがり屋なんだー。…って、ちょっと待って、帽子の陰に隠れてたけど、めっちゃ顔整ってない?ねね、帽子とって見せてよー!」
鼻と鼻が触れ合うくらい近づくと、ミリーさんの瞳に更なる輝きが宿った。興奮のためか些か鼻息も荒くして、肩を掴んだまま距離を少し離したミリーさんに催促されるまま、私は恐る恐る帽子を取った。
途端、息を呑んだミリーさんだったけれど、直ぐに絶叫と共に飛びつくように抱き着いてきて、気づけば私はその腕の中に閉じ込められていた。
「うっはー!やっぱり超絶美少女だっ!綺麗、可愛い、スタイル良いの三拍子!男性と二人部屋なんていわずに、今日はお姉さんの部屋で一緒に寝ようか…うひひ!」
「え?…えぇ!?」
歓喜の声と共に始まる頬ずりの嵐。心なしか、ミリーさんの眼に情欲のそれが映ったように見えて、思わず困惑の悲鳴を上げて身をよじるも、がっちりとホールドされたその手から逃れる力が私には無い。
捕食者に捕まった小動物の気分とは、このような感じなのだろうか。現実逃避気味にそんな事を考えながら耐えの姿勢を保つも、待てど暮らせども、降り立った嵐が過ぎ去る事は無かった。