セイラちゃん、地獄みたいな環境で育った割に奇跡的に善良な子ではあるけど。
でも、あらゆる意味で人生経験が足りなくて脆い女の子なのだ……。
「おい、どういうことなんだ! 話が違うぞ!」
「あらあら。約束は守ったでしょう? 貴方があの店の店長になるための手伝いをしてあげたじゃないの」
「師匠を殺すなんて聞いていない!!」
洋菓子店の新店長であるフェンネルは、妖精族のシャッカと通じていた。
だが何やら様子がおかしいとセイラからは見えた。
どうも、フェンネルとシャッカの間には行き違いがあるように思われたのだ。
「でもでも、貴方より腕のいい職人を全て始末すれば貴方が店長よ。良かったじゃないの」
「貴様……!!」
殺気だっているフェンネルへと、シャッカは興味深そうに目を細めた。
まるで、予想外に美味しそうな御馳走を見つけた狩人の顔だった。
怒りに震えているフェンネルは、シャッカの舌なめずりに気付かなかったのだろう。
シャッカは……何も言わずに黒い種をフェンネルへと投げつけた。
「危ない!!」
しかし、フェンネルの危機を察していたセイラが踏み込んだ。
フェンネルを押し倒して黒い種を回避させたのだ。
思いがけない乱入者にシャッカは少しだけ驚いた様子であったが、すぐに不快そうに顔をしかめた。
「イライラ、させてくれるわね? 憎しみの刺激的なソウルフルーツを久々に食べるのも良いと思ったのに。まぁヒトバシランダーも居ないことだし、たまには運動するとするわぁ!」
シャッカは……ニンゲンへの擬態を解いた。
赤いゴスロリ女だった外見が、見る間に変わっていく。
本性を現したシャッカの姿は……全高3メートルにも及ぶかと思われるような、赤毛の大猿だった。
セイラは、一瞬だけ恐怖心で動きが鈍ってしまっていた。
久々に目の当たりにした姉の真の姿を前に、家庭内暴力を受け続けて育ったトラウマが脳裏へと蘇ったのである。
赤毛の大猿が、容赦なく腕を横薙ぎに振るった。
動きが遅れてしまったセイラは、それでもとっさにフェンネルを庇おうとした。
「やああああっ!!」
だが、ここで思いがけない助っ人が現れた。
黒いドレスの戦士が、タックルで赤毛の大猿の態勢を崩したのである。
おかげでセイラとフェンネルは大猿の横薙ぎの攻撃から逃れることが出来た。
助っ人はピンクの長髪を流した女性で……セイラが先日に同盟を結んだ、クロニャンさんだった。
偶然近くに居合わせたのだろうか?
「ここは任せて、その人を連れて逃げて!」
「分かりました!」
セイラは、フェンネルを担いで一目散に現場を離れた。
女子中学生ぐらいのセイラが成人男性を軽々と担いだことに、フェンネルは驚いた様子だったが……そんなことには構わずセイラは走った。
倉庫街の適当な一角へとフェンネルを放り込んだセイラは、白と青のドレスを纏った伝説の戦士……ガヴルへと変身して現場へと戻った。
早く戻らないとクロニャンさんが殺されてしまう、という焦りがガヴルを突き動かした。
ガヴルが戦場に戻ったとき、戦いはまだ続いていた。
……それは、かろうじて戦いと呼べる程度のものではあった。
「がはっ……!」
「あらあら、私を殺すんでしょう? 口ほどにもないわねぇ?」
クロニャンが、背中で倉庫の壁をぶち抜きながらブッ飛ばされてきたのだ。
見るからに傷だらけのクロニャンの姿とは対照的に、赤毛の大猿は無傷であった。
「クロニャンさん! お待たせしました!」
「ガヴルちゃん……! 気をつけて! あの妖精族、メチャクチャに強い……!」
ガヴルは、言われずとも彼我の戦力差を理解していた。
あの恐ろしい姉が真の姿となった今、率直に言って伝説の戦士の力を以てしても分が悪いと思われた。
2人がかりなら、あるいは……という淡い希望もあるが、満身創痍のクロニャンに無茶をさせるのも躊躇われた。
「戦略的撤退です!」
ガヴルは、クロニャンを抱き上げて一目散に逃げだした。
幸いにして近くにニンゲンさんの姿は見えないので、ガヴルたちには逃亡の選択肢があるのだ。
死角の多い倉庫街の地形を利用して、何とか赤毛の大猿から逃げ出したのである。
大猿の中途半端な巨体も災いして、シャッカはガヴルたちを追うことが出来なかった。
こうして、伝説の戦士たちとギャングルメの一族の初戦は、敗走という苦い結末に終わったのだった……。
傷だらけのまま、ふらふらと立ち去るクロニャンへと、ガヴルは何を言っていいのか分からなかった。
去り際に一言だけ「助けてくれてありがとう」なんて言い残してクロニャンは夕闇へと消えていった。
次は二人で戦えば勝てる、とはガヴルは言えなかった。
シャッカの強さを知っている身としては、断言できなかったのだ。
なんとも苦しい胸中をごまかして、一人になったガヴルは変身を解いた。
元の井上セイラの姿に戻って、とりあえずフェンネルを置き去りにした地点へと足を戻した。
まだそこにいるかどうかは不明だったが、一応の確認である。
だが、フェンネルを置き去りにした物陰へと戻ったセイラを待ち構えていたのは、信じられない光景だった。
「この大馬鹿野郎っ!!」
「ぐあっ!!」
シナモンが、フェンネルへと怒りの拳を叩きつけていたのだ。
殴られたフェンネルは、倉庫街のアスファルトへと倒れ込んでしまっていた。
怒りに満ちた目で、シナモンはフェンネルを見下ろした。
「何をしているんですか! 二人は、同じ師匠の元で修業した友達のはずじゃないですか!!」
セイラは、とっさに大声をあげた。
二人は驚いた様子でセイラへと目を向けた。
シナモンの目には怒りが灯ったままだ。
フェンネルは地面に倒れ込んだままだったが……セイラヘと助けは求めなかった。
「ふざけるな! 直接殺人を依頼した訳じゃないにしても、師匠が死んだのもフェンネルのせいだろう!
それに……例の写真をSNSに広めたのはフェンネルの仕業だったんだ! 私欲のために師匠の死まで都合よく利用しやがって!!」
フェンネルは、シナモンの叫びを否定しなかった。
その目には罪悪感が透けて見えた。
おそらく、先代店長が死んだのがフェンネルの意図した結果ではなかった、という点だけは本当なのだろう。
しかし殺害犯とシナモンの繋がりを示唆する写真を意図的に広めたのはフェンネルの悪意によるものだったのだ。
陥れられたシナモンからしたら、堪ったものではない。
「うるさい! どうして一番弟子の俺よりも、お前の方が何もかも先に上達していくんだ! 俺だって必死にやってきたんだ!!」
シナモンとフェンネルの怒りを止めるべきなのかどうか、セイラには判断がつかなかった。
ギャングルメのせいで人生を狂わされたニンゲンさんたちの怒鳴りあう声が、トゲのようにセイラの心に突き刺さって離れない。
胸倉をつかみあって怒声をぶつけあう二人の姿は、セイラにとって苦しいものだった。
いつしか、セイラは大粒の涙を流していた。
怒鳴りあう二人の姿を見ていたら、心が痛くて、居ても立ってもいられなくなったのだ。
セイラの腕力で二人を強制的に黙らせることは出来たかもしれない。
でも、それをしたらダメなような気がした。
ニンゲンさんたちの諍いを前に、どう言葉をかけていいかセイラは分からず、ただ泣くしかなかった。
……そんなセイラの手を、そっと誰かが握ってくれた。
はぐれていたはずのチヨコが、いつの間にか戻ってきてくれたのだ。
泣いているセイラの手を引いて、チヨコは夕闇の中を歩いた。
いつの間にか、フェンネルやシナモンの怒号は聞こえなくなっていた。
チヨコは、ゆっくりと手を引きながら絆田家へとセイラを迎え入れてくれた。
「おかえり……っと、セイラちゃんも一緒かい? もしかして泣いてた?」
絆田家では、チヨコの叔母である石動レモンが待っていてくれた。
瓶底眼鏡をかけた小柄な女性である。
以前セイラと二人だけで話したこともあり、セイラが妖精族の血を引くと知っている唯一のニンゲンさんでもあった。
レモン叔母さんは、セイラの様子がおかしいのを察してくれた様子だった。
普段はもっと軽々しい雰囲気でチヨコと接しているのだろうが、今のレモン叔母さんは真面目な顔をしていた。
セイラたちをリビングへと通して、ちょっと待っていておくれ、なんて言いながらレモン叔母さんは台所へと向かった。
少し待っていると、お盆にマグカップを3つ載せてレモン叔母さんが二人のもとへと帰ってきた。
湯煙を立てているマグカップの中には、何やら黒っぽい液体が注がれている。
セイラが口をつけてみると、まず甘味が強いと感じた。
そして同時に独特の苦味があり、少しだけ渋味も感じたが……甘味を楽しむのにはちょうど良い塩梅だった。
何だか、セイラは心が少しだけ落ち着いたような気がした。
そんなセイラの隣で、チヨコがマグカップに息を吹き込みながら黒い液体を冷ましていた。
「どうしたのさ、セイラちゃんに、チヨコちゃんも。話せる範囲で良いから、お姉さんに話してみなよ?」
セイラは、妖精族のシャッカのせいで危ない目にあったという点だけはあまり触れないようにしながら、本日の出来事を石動レモンへと話した。
シナモンという浅黒い肌のニンゲンさんと一緒に、洋菓子店の変死体の謎を探ったこと。
フェンネルという、シナモンと同じ師匠のもとで修業した友達が裏切者だったこと。
二人は憎しみあい、怒りに任せて怒鳴りあったこと。
そんな二人の怒号を聞いているうちに、セイラはどんどん心が痛くなって、泣き出してしまったこと。
語りながら思い出しても、セイラは何だか胸の奥が傷んだ。
心の奥底に生傷があるような痛みだった。
「んん~……。チヨコちゃん、ちょっとセイラちゃん借りるよ?」
「うん。夕飯の準備しておくね」
セイラは何となく、チヨコとレモンが真面目な雰囲気で言葉以上の意思疎通をしたように感じた。
なんだか、茶化したらダメな話題を共通認識として持っている、みたいな?
一体なんだろう、と内心不思議に思いながら、セイラはレモンのあとに続いた。
リビングを後にしたレモンを追って、セイラは階段を降りて、レモン叔母さんの地下ラボへと足を踏み入れた。
分厚い鉄の扉を閉めて、パイプ椅子に腰掛けながら改めて井上セイラは石動レモンへと向き直った。
レモン叔母さんは、セイラへとかける言葉を選んでいる様子だった。
アタシも心理学は専門外なんだけど、なんて前置きしながら石動レモンは言葉を続けた。
「ぶっちゃけて聞くけどさ。セイラちゃん、幼少期から理不尽に怒鳴られたり怒られたりする環境で育ってたりする?」
「そ、それは……その通りです。母さん以外の家族は恐ろしい存在でした」
セイラは、レモンの指摘を受けて心臓が止まるかと思うぐらいに動揺した。
腰掛けているパイプ椅子が軋む音がイヤに大きく思えた。
妖精界の屋敷では母親だけはセイラを優しく育ててくれたが、父や兄姉は恐ろしい存在だという環境でセイラは育っているのだ。
特に兄姉は恐ろしく、その時の気分次第で理不尽に暴力を振るわれることもあった。
しかし、そんな家庭内暴力の記憶を石動レモンへと話した覚えはない。
一体なぜ、この小さなニンゲンさんはセイラの経験を的確に当てることが出来たのだろうか?
だが同時に、レモン叔母さんがセイラと二人きりで話したいと言い出した意図は察した。
セイラの家族といえば妖精族の話になってしまうので、レモン叔母さんはチヨコに聞かせないように気を遣ったのだろう。
「人間の世界でも、まぁまぁ居る症状なんだけどね。理不尽な保護者の顔色を窺いすぎて育つと、子供は共感性が過敏になっちゃうことがあるのさ。
セイラちゃんが感じた苦しみも、たぶん元はシナモンやフェンネルって人たちの苦しみだよ。それを過敏に感じ取っちゃったのかもしれないね」
家庭環境に問題が無い場合でも先天的な素養として共感性が過敏な人もいるみたいだけど、なんて一応の補足を入れてくれながら。
レモン叔母さんは、セイラの理解を待ってくれている様子だった。
――師匠を殺すなんて聞いていない!!
改めて思い出してみると、フェンネルも苦しんでいたのだろう。
シナモンを陥れたのは同情できない悪行だが、師匠と慕っていた先代店長を死なせて自責に苦しんでいたのは確かだと思った。
――俺は……フェンネルが裏切者であってほしくないと思ってしまっている。同じ師匠のもとで腕を磨いた仲なんだ……!
そして苦しんでいたのはシナモンも一緒だ。
理不尽に師匠を殺され、友達だと思っていたフェンネルに陥れられたシナモンは、苦しくて当然だった。
頭で考えれば、フェンネルやシナモンが苦しんでいるのは理解できた。
その苦しみをセイラが心で映しとってしまったのも、そう言われれば腑に落ちる。
しかし、問題なのはその先だ。
「私の、この症状は……どうやったら治りますか?」
「……大変言いづらいんだけどね。現代医療では、心的外傷の完治は不可能だ」
真面目な顔をしながらレモン叔母さんが返した言葉を、セイラは冷静に噛み砕いた。
この苦しみと一生付き合っていかなければならない。
常に苦しみ続けている訳ではないものの、やはりなかなかに辛いと思った。
「アタシに言えるのは、泣きたいときには無理にガマンせずに泣け、ってことぐらいさ」
だがレモン叔母さんも、ただ突き放すだけで終わらせるつもりは無い様子で。
一応の方針案をセイラへと提示してくれた。
悪く言うと対症療法的とも言えるだろう。
しかし、根本的な治療が不可能ならばやむを得ないのかもしれない。
「もう一つ言っておくと、胸の中の感情を吐き出した方が良いっていうのは、そのシナモンとフェンネルって人たちにしても一緒だよ。
セイラちゃんが苦しんでまで最後まで付き合う必要はないけど、その当事者2人が本音を吐き出して話し合えたこと自体は、悪いことじゃないんだ」
「その結果として、お互いのことを好きでいられなくなっても……ですか?」
まぁ、腹を割って話すのが一般論として大事だというのはセイラとて分かるのだ。
だがフェンネルとシナモンが腹を割って話したとして、その先に和解が待っているかと考えると怪しい気はした。
なんだかあの二人は、永遠に道を違えてしまうように感じられた。
そして、そんな彼らの姿が……チヨコとセイラの未来に重なって見えた気がしたのだ。
チヨコと心が離れてしまうのが、何よりも怖く思われた。
泣いていたセイラの手を握って、先を歩いてくれたチヨコの優しさは……何よりも暖かかった。
そんなチヨコとの繋がりが失われると思うと、苦しくてたまらない。
「ま、大好きな人が離れていくのは苦しいよねぇ。だからこそ……何を話すべきか、セイラちゃん自身の意思で決断することが大切だ。
月並みだけど、どういう結果になったとしてもそれが一番後悔が無いとお姉さんは思うよ」
「それは……そう、なのかもしれません。心にとめておきます」
レモン叔母さんも、人の心に関しては断言できない様子で。
セイラとチヨコの心が離れてしまう未来を否定することはできなかったようだ。
それでも。
「アタシだってそうだよ。セイラちゃんを信じてみたい、って自分で決断したことに後悔は無いよ。期待してるぞ、ワイルドガール!」
「私、もっと頑張ります……!」
セイラは、この小さなニンゲンさんの期待に応えたいと、心から思った。
可愛い姪っ子の心配をしながらも、怪しいセイラを信じると言ってくれた石動レモンの信頼に報いたかった。
母親の行方を探っているチヨコを支え抜いてみせる、と。
不安は胸の中に巣食ったままだったが……それでも精一杯に笑いあってみせたのだった。
敏腕メンタルケアの石動レモンを信じろ……!