・前回のあらすじ!
クロニャンさんの正体は絆田チヨコだった!
己の無力を嘆いて泣いている絆田チヨコを慰めるため、ガヴルも自身の正体が井上セイラであることを明かす!
妖精族への憎悪を滾らせる絆田チヨコを前に、井上セイラは一人苦しむのであった……!
\ピンポーン!/
とある晴れた日の昼前に。
井上セイラは、いつになく真剣な面持ちで絆田家を訪れていた。
呼び鈴を鳴らすと、チヨコの叔母である石動レモンが玄関口へと姿を現した。
「はろー、ワイルドガール? チヨコちゃんなら留守だよ?」
相変わらず頭はボサボサで、瓶底眼鏡をかけた小柄なニンゲンさんだ。
そして、本日の井上セイラのお目当ての相手でもあった。
実は今回の訪問は、絆田チヨコに会いに来た訳ではないのだ。
一握の緊張を掌に隠し、セイラは口を開いた。
「今日はチヨコさんではなく、レモンさんに聞きたいことがありまして……」
「そっかそっか? とりあえず上がんなよ~」
レモン叔母さんは、いつも通り軽い調子で笑いながらセイラを迎え入れてくれた。
リビングへと通されたセイラは、促されるままにリビングのテーブルについた。
電気式のポットから湯を出してレモン叔母さんは手際よくいつものココアを出してくれた。
湯煙を立てている黒い液体をマグカップから啜りながら、井上セイラは話すべきことを頭の中にまとめなおした。
「実は先日、チヨコさんが伝説の戦士へと変身していたことを知りまして。
アレは……レモンさんの『カガクギジュツ』というやつによるものですか?」
「……そうだよ。アタシの研究成果だ」
レモン叔母さんの声は、なんだか苦しそうに聞こえた。
やはりと言うべきか、チヨコが危険な戦いに足を踏み入れることを快く思っていない様子だ。
しかし、現実にチヨコは伝説の戦士へと変身して戦っていた。
なんだか、ちぐはぐだ。
レモン叔母さんの研究成果のおかげでチヨコが変身できたのは間違いない。
でも、レモン叔母さんはチヨコを嬉々として戦わせるような人には思えないのだ。
だとすると、いったい何がレモン叔母さんに決断させた……?
「もしかして……私のせい、ですか?
私の存在が、チヨコさんかレモンさんに悪い影響を与えてしまいましたか……?」
聞くのが怖いと思いつつ……セイラは聞かずには、いられなかった。
もしも井上セイラの存在が、チヨコたちに悪影響を与えていたとしたら?
……そして、そのせいで絆田ウシオが死んだとすれば?
自分のせいでチヨコに不幸がもたらされているかも、と思うだけでセイラは気が気ではなかった。
「ああ~、ナルホドなるほど? そういう心配ね?
別にセイラちゃんのせいで焦ったとかは全然ないから心配御無用だよ?」
レモン叔母さんは、合点がいったという様子で手を打ってみせた。
部屋の片隅にあったホワイトボードへと、レモン叔母さんは時系列順に情報を書き込んでくれた。
・4月 ←セイラちゃんが人間界に来た(3月かも?)
・5月 ←ウシオさん没
・6月 ←チヨコちゃんが大猿妖精に負けたりゾウ怪獣に負けたり
・7月 ←イマココ!
セイラは正直に言って、あまりニンゲンさんたちの文字を読むのが得意ではないが……。
それでも一応、レモン叔母さんの語り口から大意は掴んだ。
妖精絡みの事件に関しては断定は出来ないけどね、なんて前置きしながらレモン叔母さんは話を続けた。
「ウシオさんの亡くなった原因はキノコみたいな妖精族を深追いしたせいみたいなんだけどさ。
たぶん……その件ってセイラちゃんは関与してないよね?」
「私はその妖精族に会ったことはありません」
キノコの妖精そのものはセイラも見ていないが、その妖精が殺された日がいつなのか推測することは出来た。
おそらく、チヨコが「幸せ手帳」をセイラにくれた日だ。
あの日の夕方に、傷だらけのクロニャンを発見したのである。
アレがクロニャンの初陣だったのだろう。
まさか、その妖精族を殺害しているとまでは思わなかったが……。
「ううーん、一応時系列順に思い出してみたけど、特にセイラちゃんのせいで悪い方向に話が進んだっていうのは無さそうに見えるかな?
ウシオさんの死因にも特に絡んでなさそうだし、チヨコちゃんが戦うことを決心したのも別にセイラちゃんのせいじゃないし」
「そうでしたか……」
……一応、ソウルフルーツの種を配っている元締めがギャングルメの一族なので、因縁自体が全くのゼロという訳でもないのだが。
レモン叔母さんとしては、ギャングルメの一族の悪行に関してセイラに言及するつもりは無い様子だ。
セイラとしては有難い限りである。
加えて、セイラが直接的にチヨコの周辺の悲劇の元凶になっている可能性を否定してもらったのも大きかった。
精神衛生上の問題である。
セイラは、ほっと息を吐いてしまっていた。
「ま、ウシオさんの仇はもう討った訳だし、姉さんの蒸発に関しては手掛かりも無い。
今のところは『誰のせい』なんて言っても仕方ないっしょ。それよりも大切なのは今と未来だよ」
「今と、未来……」
なんとなく、レモン叔母さんがイイことを言っている雰囲気だけは察したセイラ。
しかし、その解像度もとい理解度は決して高いとは言えなかった。
そんなセイラの戸惑いを、瓶底眼鏡の奥の瞳は見抜いている様子で。
「復讐は何も生まない……なんてキレイゴトを言うつもりは無いけどね。
やっぱりチヨコちゃんの子供時代を出来るだけ楽しく過ごしてほしい、とは思ってるんだよ」
なんだか少しだけ湿っぽい語り口の深いところに、暖かい何かが垣間見えたように思えた。
こういうのを、優しさや親心だなんて呼ぶのかもしれない。
……思えば、セイラの母親の遺した言葉も内容としては近いのかもしれない。
――いつかセイラはこの屋敷を出てニンゲンたちの中で生きる日が必ず来る。
――その中で自分の幸せを見つけなさい。
「レモンさん、なんだかチヨコさんのお母さんみたいです」
セイラは、好意的な言葉として口に出したつもりだった。
……だがしかし、言い終わってみてから妙な雰囲気を感じた。
レモン叔母さんは、表面上は普段通りに軽々しく笑っているように見えるが……。
なんだか、目の奥に少しだけ動揺が見えた気がした。
「すみません。私、レモン叔母さんを不快にさせることを言ってしまったでしょうか……?」
「……いーや、怒った訳じゃないんだけどね。
一応の線引きとして、アタシはチヨコちゃんの母親になるつもりは無いって決めてるのさ」*1
怒っていないというレモン叔母さんの言葉の真偽は判断しかねるところだが、少なくとも冷静ではある様子だ。
おそらく、チヨコに対して踏み込みすぎるのを自重しているのだろう。
もしかすると……チヨコの母親だった人物が帰還した時のために、その椅子を空けておきたいという願掛けでもしたのだろうか?
「暗い話は
そんなことより、実は楽しい催しものがあったり無かったりするんだからさ!」
露骨な話題転換だ、とセイラは思ったが言わなかった。
いつもの軽い調子で、レモン叔母さんは楽しいイベントの話を切り出した。
果たして、その内容とは……?
「実はね、明日……7月7日はチヨコちゃんの誕生日なんだ。
セイラちゃんも一緒にどう? 祝え! 祝っちゃえよYou!」
「タンジョウビ……? それは、いったいどんな催しものなんですか?」
「……あっ。……そっか、そうだよね。そこからか」
たぶん、ニンゲンさんたちはタンジョウビというものを知っていて当たり前なんだろうな、とセイラは察した。
一方、妖精族の世界で生まれ育ったセイラの事情を知っているレモン叔母さんも、セイラの困惑を察してくれた様子だった。
セイラとしても、なんとなく嬉しそうな催し物なんだろうと予想はついたが、やはり解説は欲しいところだ。
「人間たちの風習でね、子供が生まれた日付を周りの大人たちが覚えておくものなんだよ。
それで、一年たつごとに一つずつ年齢を積み重ねていって、明日はチヨコちゃんの15回目の誕生日ってワケ!」
セイラは、思いもしなかった概念を聞いて頭の中で噛み砕いた。
一応、妖精族の屋敷に監禁されている間も母親から算数は習っているので、計算は問題なかった。
「……なるほど? チヨコさんの年齢は明日で15という訳ですね?」
「いや、1回目の誕生日で0歳だから、明日で14歳だよ」
「あれ……? ええっと……?」
セイラは、混乱した!
そんなセイラの様子を察して、レモン叔母さんがホワイトボードを用意して、左右方向に長い線分図を書いてくれた。
線分図の左端には「0才」「誕生日1回目」と書いてある。
さらに、レモン叔母さんはその右側に「1才」「2回目」と書き加えた。
どんどん右に書き並べていって、最終的に「14才」「15回目」と書き終わった。
線分図を見て、ようやくセイラはレモン叔母さんの理屈を理解できた。
確かに、誕生日が15回目なら14才だ。
……理屈としては、分かるのだが。
…………なんだか騙されている気がするというか、釈然としないというか、直感的でないというか。
「……それって、生まれた時に1才ということにした方が分かりやすいのでは?」
「実は……数え年っていうのがセイラちゃんのいう方式で、昔はその数え方をしてたんだけどね。
明治維新のときに近代化の一環で西洋の満年齢方式に変わったんだよ」
歴史の授業だぞー、なんて言いながらレモン叔母さんはホワイトボードに情報を書き足してくれた。
満年齢方式は、出生時を0才として誕生日ごとに年齢を追加する方式で、令和の日本ではコレが一般的らしい。
この満年齢方式は、年号を西暦で一括管理する文化圏で便利な換算法なのだとか。
自分の生年さえ覚えておけば、現在の西暦からの引き算で一発で年齢が分かる……というのが非常に便利なのだそうだ。
話が脱線しすぎたね、なんて言いながらレモン叔母さんは話題の軌道修正を試みた。
ここで戻るべき本題といえば……チヨコの誕生日の件だ。
「それで、セイラちゃんへの提案なんだけどね。
チヨコちゃんの誕生日をお祝いするときに食べる特別なお菓子を、作ってみないかっていうお誘いな訳だよ」
特別な、お菓子……?
そう言われても、いまひとつセイラとしてはイメージが掴めなかった。
お祝いのためという情報から漠然とした想像をするしかない。
そんな大役が、本当にセイラに務まるだろうか?
「なんだか、責任重大に思えますが……本当に私が手を出しても大丈夫でしょうか?」
「まぁアタシが監修するから、よほどのことが無い限りは大丈夫だよ」
実際の誕生日は明日だから今日は何回か失敗してもリカバリは利くし、とレモン叔母さんは続けた。
軽々しく笑っているレモン叔母さんの様子からは、不安の色は見えない。
セイラは、迷った。
タンジョウビという祝い事にだす特別な出し物を作るということだが……。
レモン叔母さんに大丈夫だと言われても、やはり不安に思うところはあった。
大失敗をしてチヨコたちにガッカリされたら……と思ってしまうのだ。
――チヨコさんも食べてみてください!
――おいしい!
そんなセイラの脳裏に蘇ったのは、街はずれの洋館でパンを焼いたときの記憶だった。
雲のように膨らんだ白いパンを、洋館の老婆と一緒に作ったのだ。
あの時、セイラたちが焼いたパンをチヨコは喜んで食べてくれたものだった。
そしてその時にセイラもまた、嬉しいと確かに思えた。
セイラにとって、大切な思い出だ。
キラキラした思い出が、セイラの背中を押してくれた気がした。
「私、やってみます。お祝いのお菓子作りに挑戦してみます!」
「よく言ってくれた! きっとチヨコちゃんも喜んでくれるよ!」
そんなセイラの踏み出した一歩を、レモン叔母さんも嬉しそうに受け入れてくれた。
……と、そこでセイラは今更な疑問に気付いた。
そもそも、これから作る特別なお菓子の名前を聞いていない。
「そういえば、特別なお菓子というのは、どのようなものなんでしょうか?」
「そっか。セイラちゃんは見たことないかもしれないね。それはズバリ、『ケーキ』だよ!」
レモン叔母さん監修の、楽しいケーキ作り実習が幕を開けるのであった!!
・今回のNG大賞
レモン「じゃあ、まずは全卵とグラニュー糖をゆっくり混ぜてみよっか!」
セイラ「グラニュートウ……。不思議と耳になじむ単語ですね」