公園から立ち去る絆田チヨコの背中を、井上セイラは見送った。
家出初日からあんなに素敵なニンゲンさんと友達になれるなんて最高に運が良い、とセイラは心から思ったはずだった。
……その絆田チヨコの悲鳴が、公園の外から聞こえた。
セイラは弾かれるようにベンチから立ち上がって、悲鳴の元へと駆けつけた。
公園の近くの街角で……チヨコが不審者に追い詰められていた。
不審者は上から下まで真っ赤な衣装でそろえたゴスロリ服の女だった。
「セイラちゃんっ! 逃げて!!」
「シャッカ姉さん!? チヨコさん!!?」
現場に駆け付けたセイラに気付いたチヨコは、涙をいっぱいに溜めた瞳でセイラへと訴えかけた。
そして、その直後……真っ赤なゴスロリ服の不審者は、黒い種をチヨコへと植え付けた。
苦悶の声をあげながら、チヨコの姿が変わっていく。
チヨコの姿は、真っ黒な全高2メートルほどのヤマネコへと変わっていった。
「シャッカ姉さん……! チヨコさんを解放してください!」
真っ赤な不審者は、セイラの身内だった。
セイラの腹違いの姉で、セイラと違って人間の血が混じっていない妖精族だ。
今はニンゲンのような姿をしているシャッカだが、それは仮初の姿だった。
「あらあら。我が家から逃げ出した、汚らわしい妖精モドキちゃんとこんなところで鉢合わせるなんてねぇ」
「ニンゲンさんたちに酷いことをしないでください!」
セイラは、唸り声をあげている黒いヤマネコ怪獣を脇目に、シャッカへと声をあげた。
シャッカによって黒い種の苗床になってしまった人間は、やがて頭に生えた植物を成長させて実をつける。
そして、怪獣が実をつけた段階で苗床はミイラのように干からびて死んでしまうのだ。
チヨコがそんな末期を迎えることなど、セイラにとって許せることではなかった。
しかしシャッカはそんなセイラの怒りを嘲笑う。
「くすくす。ニンゲンなんて、ソウルフルーツの肥料でしょう。どんな美味しい実をつけるのか、楽しみだわぁ」
このシャッカの言葉が飾らない本音であることを、実の妹であるセイラは理解していた。
シャッカにとって、ニンゲンなど肥料でしかないのだ。
セイラは、拳を握りしめた。
「ふふふふ。我が家の恥を清算する良い機会ねぇ。ヒトバシランダー! 殺っておしまい!」
「っ!」
ヒトバシランダーと呼ばれた黒いヤマネコ怪獣が、牙をむいてセイラへと襲い掛かった。
セイラは正面から迎え撃つふりをしながら接近を許し、巴投げの要領でヤマネコ怪獣を投げ飛ばした。
民家の塀を巻き込んで、大音響と土埃の中に消える漆黒のヤマネコ怪獣。
しかし……土埃が晴れたとき、そこには無傷の姿があった。
「ヒトバシラァ!」
「チヨコさん……っ!」
漆黒のヤマネコ怪獣は、獰猛な爪を振るい、時に鋭い牙を突き立ててきた。
セイラは必死に反撃を試みた。
投げ技も、やはり効かない。
打撃も効いている様子はない。
それでも、セイラは必死に活路を見出そうとした。
ソウルフルーツの実が成る前に、ヤマネコ怪獣を倒してチヨコを助け出さなければならない。
――そっか、素敵な思い出だね。セイラちゃんのことを考えてくれる、いいお母さんだったんだね。
今さっき出会ったばかりの短い関係でも、一生忘れることは無いと思った。
セイラの大切な思い出を素敵だと言ってくれる声は、何よりも優しかった。
――じゃあ、コレは知ってる? セイラちゃんにあげちゃうね!
ヤマネコ怪獣の爪を回避したセイラの懐から、四角い手のひらサイズの袋が落ちた。
中から、動物を模した形の可愛らしいグミが顔をのぞかせていた。
――昔の人は仲良しの例えとして『同じ釜の飯を食べる』なんて言ったらしいよ。これで私とセイラちゃんも友達だね!
セイラ一人が逃げて生き延びるだけなら、問題なく可能だった。
でも、それだけは絶対に嫌だった。
ボロボロになっても、セイラの目は死んでいなかった。
全高2メートルにも及ぶヤマネコ怪獣の動きを全力で視て、反撃を試みた。
ガードレールだったもので殴り、鉄パイプで突き、ガラス片で刺した。
何の成果も得られなかった。
そんなセイラの悪あがきを、上から下まで真っ赤に染めたゴスロリ服の女は嗤う。
いったん距離をとったヤマネコ怪獣が、今にもセイラに飛びかかろうと牙をむいている。
「あらあら。モドキちゃん、そんなに命が要らないの? それとも、何か理由でもあるのかしらねぇ?」
「理由なんて……私が今度こそ助けたいと思った、ただそれだけで十分です」
一人でニンゲンたちの街を歩きまわって、本当は不安だったセイラを助けてくれた一人のニンゲンさん。
短い時間の付き合いの中でも、一生忘れないであろう楽しい思い出がキラキラしていた。
そう、セイラが思った瞬間だった。
腹の底から、力が湧いてくるのを感じた。
イヌの顔をした水色のグミが、脳裏によみがえった。
光に包まれたセイラは……生まれ変わったような感覚に満たされた。
眩い光の中から、新たな姿で世界へと向き合った。
白と水色のドレスに、イヌのような耳と尻尾を生やした姿だった。
不思議と、新たな姿で何が出来るのか理解できた。
妖精界の屋敷で読んだ本の一節が脳裏によみがえった。
ニンゲンと妖精の力を合わせた時に伝説の戦士が生まれる、という御伽噺だ。
なんだか、伝説の戦士という言葉がしっくりくる気がした。
牙をむいたヤマネコ怪獣が、伝説の戦士へと襲い掛かった。
だが伝説の戦士は、それ以上の速度でヤマネコ怪獣へと肉薄し、ただ拳で迎え撃った。
それだけで……ヤマネコ怪獣は力負けして、地面へと叩きつけられた。
ヤマネコ怪獣は見事なカウンター攻撃にてダメージを受けている様子だが、それでも起き上がった。
ふたたび巨体を揺らしながら飛びかかってきたヤマネコ怪獣へと、伝説の戦士は左手を掲げてバリアを張った。
丸いバリアは不思議な弾力をもって、ヤマネコ怪獣を上空へと跳ね上げた。
「でりゃあああっ!!!!」
爆ぜるような音を立てながら大地を蹴って跳躍した伝説の戦士は、空中で身体をひねっているヤマネコ怪獣へと渾身の飛び蹴りを食らわせた。
耳をつんざくような爆音を伴って消えていくヤマネコ怪獣を尻目に、伝説の戦士は軽やかな動きで着地した。
その両腕には、絆田チヨコが確かに抱きかかえられていた。
「何よ何よ! モドキちゃんの分際で! 覚えてらっしゃい!」
空間を歪ませて姿を消していくシャッカを無言で見送った伝説の戦士は、絆田チヨコを優しく路肩へと寝かせた。
チヨコの口元に手を当ててみると、しっかり呼吸しているのが分かった。
……生きている。
ただそれだけのことが、何よりも嬉しかった。
(守れた……。今度こそ守れましたよ、母さん……!!)
「う、うーん……」
変身を解いたセイラは、魘されているチヨコが目覚めるのを待つべきかと考えた。
だが、一つだけ大きな懸念があった。
――シャッカ姉さん!? チヨコさん!!?
チヨコが怪獣ヒトバシランダーへと改造される直前に、セイラは姉の名前を口走っているのだ。
人間を肥料としか思わないような、あの悪辣な一族の一人であるとバレたら。
チヨコは、まだセイラを友達だと言ってくれるだろうか?
セイラは怖いと思った。
幸せな時間を共に過ごしたチヨコから拒絶されるのが、何よりも怖い。
セイラは、道端に散らばっていたチヨコのポシェットの中身を拾い集めてやって、その中に一冊の手帳があることに気付いた。
手帳の最後のページが真っ白であることを確認したセイラは……慣れない手つきでペンも借りながら、精一杯のメッセージを残した。
人生で初めての友達に対しての、最初で最後の手紙のつもりだった。
メッセージを書き終えたセイラは、ページを開いたままの手帳をチヨコの手へと握らせて、戦場を後にした……。
ちよこさん へ
せいらです。こまっていた わたしを たすけてくれて ありがとうございます。
とてもうれしかったです。
いぬのぐみ とてもおいしかったです。ごちそうさまでした。
わたしは 母さんがいっていた しあわせを このせかいで たくさん みつけてみせます。
わたしの はじめての 友だちになってくれて ほんとうに うれしかったです。
だいすきです。
どうか おげんきで。
せいらより
黒い種を植え付けられたニンゲンさんは、理科的には肥料というよりも苗床といった方が適切だったりします。
でも苗床っていうと別の意味に聞こえちゃうことがあるので……。