浮気現場を目撃したような顔をする絆田チヨコ(おかわり)
「ただいまー……?」
絆田チヨコは、そっと自宅の扉をあけながら帰宅した。
家の中にレモン叔母さんの気配がないことを察し、安堵の息が漏れた。
その態度から既に、後ろめたいという心境が滲んでいた。
何故かといえば……最近、レモン叔母さんからも苦言を呈されることが多いからである。
1か月前にセイラと仲直り出来なかったと聞かされたレモン叔母さんは、その時点で大分渋い顔をしていた訳だが……。
その後で、クロニャンの高熱モードを習得したのが良くなかった。
あの高熱の力を使うと身体に負担がかかるのは、チヨコ自身も理解していた。
今だって、高熱モードで妖精族を一体殺してきたせいで、余熱を帯びた身体にかなり倦怠感がある。
そして、初めてこの力を使った直後から……レモン叔母さんは、口を酸っぱくしてその力は極力封印するように言ってくるようになったのだ。
チヨコとしては、身体を気遣ってくれるレモン叔母さんのスタンスは理解するが、こればかりは素直に従うつもりは無かった。
しかしそうやって小言が数週間も続くと、やはり少しずつ気まずくなってくるというか……。
(……まだ身体に熱が残ってるみたい。でも、この力は必要だよ)
セイラとの共闘を拒否してしまったチヨコにとって、この高熱モードは生命線だった。
身体に負担がかかるとはいえ、ガヴル以上のスペックを叩きだせる高熱モードを封印するという判断をチヨコは出来なかったのだ。
ガヴルは普通に戦っても、基本的には相手が妖精族でもヒトバシランダーでも互角以上の戦闘は繰り広げるのだ。
おそらく、ガヴルがタイマンで一方的に負けた相手は赤毛の大猿ぐらいだ。
それに比べて、やはりクロニャンは普通に戦った場合の戦績が悪めだというのは拭いきれない事実だった。
――弱くて守られているだけのお前よりは、私のほうが余程マシな関係を築けていると断言できる。
腹立たしいが、あの煙草女の指摘は事実だ。
だからこそ、チヨコは弱いままでいるなんて嫌だった。
せっかく習得した高熱モードを封印するなんて、有り得ない。
(……でも流石に今日は、身体がボロボロかも。解熱剤、こっそり貰えないかな)
しばらくレモン叔母さんの小言を無視している身なのに、虫のいい話だ。
そうチヨコ自身でも思っているが、態度を改める予定は無かった。
ふらつく足で地下室へ続く階段を降り、チヨコはラボへ向かった。
レモン叔母さんが留守だと見込んで、密かに解熱剤だけ貰う算段だ。
……なのだが。
(あれ? 話し声が聞こえる? 誰か来てる……?)
分厚い鉄の扉を開ける直前で、チヨコは立ち止まってしまった。
ラボの中から、話し声が聞こえたのだ。
チヨコは、扉に耳を近づけて部屋の中の声を聴いた。
「実際モドキちゃんの力って、どのぐらい再現性があるのかな?
適当なニンゲン族と妖精族の遺伝子サンプルを体外受精で培養すれば検証自体は出来るんだろうけど、流石に時間と手間がかかりすぎるよね……」
「流石のアタシでも、培養体を短期間で急成長させる技術は持ってないよ。
こればっかりは本当に資金とマンパワーが潤沢な大きめの研究所とかでやってもらわないと、アタシたち個人勢はお手上げだねぇ……」
……モドキちゃん?
おそらく若い男性と思しき誰かが、レモン叔母さんと話しているようだが。
聞き耳を立てているチヨコは、既に嫌な予感を感じ取っていた。
モドキちゃん、という言葉に聞き覚えがあったのだ。
確か、ギャングルメの一族に生まれた混血児のセイラが、兄姉からそう呼ばれていたはずだ。
ならば……レモン叔母さんの客人は、妖精族?
(そんなはず、ないよね? だって、私のお母さんは……レモン叔母さんのお姉さんは、妖精族に殺されてるのに)
チヨコの母親がソウルフルーツの肥料になって死んでいるという情報は、レモン叔母さんにも共有してある。
セイラから聞いたので、かなり信憑性は高いと思われる情報だ。
それなのに、レモン叔母さんが妖精族とつるむなんてことがあるだろうか?
確かにセイラとの話し合いの一件で、ニンゲンと共存する意思をもった妖精もいることは理解しているが……。
「ソウルフルーツを食べた妖精族がニンゲン族に化けられるのも、もしかしたら伝説の戦士の変身と近いメカニズムなのかもしれないね。石動さんはどう思う?」
「それも仮説としては大いに有り得ると思うけど、ちょっとアタシは妖精族の身体構造に関して知らなすぎるんだよね……。
ニビルくんとしては、どの臓器が変身を司ってるのか目星がついてる感じ?」
「確信ってほどじゃないけど、多分コレかなってぐらいの段階かな。今度検体を持ってこようか?」
「そりゃー有難い話だね! さすがギャングルメ! お主も
あまりにも倫理観の欠如した会話に、絆田チヨコは頭がくらくらした。
レモン叔母さんの会話相手が妖精族なのは間違いないだろうが、それにしても検体なんて簡単に手に入るものだろうか?
妖精族の社会通念が分からないから断言はできないものの、少なくともチヨコの感覚としては……イカレている。
しかも今、ギャングルメって言いました??
チヨコは、高負荷モードの余熱もあって、気分が一層悪くなった。
重い鉄の扉を一枚隔てた地下ラボで繰り広げられる会話を、悪い夢だと誰かに言ってほしかった。
だって。
レモン叔母さんは、チヨコにとって最後の肉親なのだ。
8年前に母親が妖精族に攫われたあと、泣いているチヨコの傍にいてくれたのは
学校の宿題が解けずに、こっそりレモン叔母さんに相談したこともあった。
電子レンジに生卵を入れる実験をして、二人でウシオに怒られたこともあった。*1
でも本当にやっちゃダメなことは、ちゃんと叱ってくれた。
ウシオが死んだ時だって、冷静さを完全に失って特攻しようとするチヨコを引き留めてくれた。
最近チヨコが高熱クロニャンを習得したときには、身体を壊す前に封印するように説得してきてくれた。
年はチヨコと20歳ぐらい離れているはずなのに、年の差なんて感じないぐらい軽々しく一緒に笑って……一緒に生きてきたはずだった。
絆田チヨコは、震える足で地下室の扉を背に階段を上った。
高熱形態のダメージだけが原因ではない震えだった。
転びそうになりながら、力の入らない足に鞭打って、よろよろと絆田チヨコは家を出た。
(早く、誰かに相談しなきゃ。……誰に?)
頼るあてなど無かったが、チヨコは頭が真っ白なままに歩いた。
もうチヨコには、味方なんて一人もいないのに。
……なんて建前をよそに、本当は誰に会いたいかなんて分かり切っていた。
どの面を下げて会いに行くんだ、と自問自答する気力すら今のチヨコには無かった。
精一杯歩み寄ってくれて、誠実に答えてくれた相手を……一方的に拒絶したのは、チヨコの方だというのに。
チヨコの頼りない足取りは……いつもの公園へと向かっていた。
「チヨコさん……?」
チヨコの一番聞きたい声が、聞こえた。
セイラちゃん、と声を返すはずだった。
でも、できなかった。
ただでさえ高熱形態のダメージを引きずっている身で、精神的疲労も計り知れなかった。
駆け寄ってきたセイラを前に、緊張の糸が切れたチヨコは意識を手放してしまうのであった……。
「……あ、れ?」
絆田チヨコは、公園のベンチに寝かされた状態で目を覚ました。
意識をゆっくりと覚醒させながら、何故こんなところで寝ていたのかと記憶を洗いなおした。
……背筋が寒くなった。
レモン叔母さんが、妖精族と通じていた。
だからチヨコは、こっそり絆田家から逃げてきたのだ。
早くセイラに、このことを知らせなければ。
そう思ってチヨコは周囲を見回してセイラを探した。
いけ好かない煙草女と目が合った。
チヨコは顔をしかめた。
何が悲しくて、この煙草女の顔を起き抜けに見なけりゃならないのか。
「愚問だな」
「まだ何も聞いてないんだけど???」
チヨコを見下し切った煙草女の態度に、チヨコは大分イラっとした。
なんというか、チヨコが何かを聞く前から、その内容は愚問に決まっていると言わんばかりの態度である。
「どうせ、セイラがどこにいるのか聞くつもりだったんだろう」
ぐ、ぐぬぬ……!
チヨコは煙草女の呆れたような視線に腹を立てつつも、言葉に窮してしまっていた。
図星だったからだ。
ただでさえ、セイラを訪ねてこの公園を訪れたことは簡単に推測されてしまっていたのだろう。
しかも、気絶から復帰して直後に周囲を見回しているチヨコの姿を見られている。
セイラの居場所を正直にこの女に聞くのは、率直に言って癪だ。
「とりあえず、コイツを飲め。セイラが調理して置いていった病人食だ。お前のような奴でも、あいつは見捨てられないんだ」
いちいち癇に障る言い方をする女だ。
だがセイラが用意したという話であるならば、その病人食に罪はない。
チヨコは、液体の入った擂鉢をニガリから受け取った。
擂鉢には、深緑色の液体が溜まっていた。
妖精族の文化から生み出された秘伝の薬のようなものなのだろうか?
深緑色の液体は見るからに不気味だが、「良薬口に苦し」なんてコトワザが妖精族にもあるのかもしれない。
チヨコは擂鉢のふちに口をつけて、スープ状の病人食を口に含んだ。
まず口の中にエグみが広がった。
市販の青汁が可愛く思えるぐらいに、生臭いというか、青臭いというか。
それでいて、土の味もするし、ほのかなカルキ臭がするのでベースとなった液体は水道水だ。
おそらく公園の雑草を磨り潰して、水道水を混入した逸品と見て間違いない。
……率直に言って、クソ不味い。
チヨコはゲロを吐いた。
涙で視界が滲んだ。
ニチアサで奏でちゃいけないタイプの不快な音が喉から鳴った。
ぎりぎりのところで擂鉢の中身は零さなかったが、それでもこれ以上摂取するのは不可能だと本気で思った。
「……お前、病人食すら食べられないほどに弱っていたのか?」
「こんなの飲まされたら健康な人だって病人になるよ!!?」
絆田チヨコは激怒した。
必ず、この悪逆非道な煙草女を殴らねばならぬと決意した。
ただでさえ絶不調なうえに実力差のせいで返り討ちになるので実施はしないが。
やっぱり妖精族ってクソでは??
そんな物騒な思想が脳裏をよぎったチヨコなのであった。
ただでさえクロニャンの高熱モードの自滅ダメージが重い身体で、この仕打ちは相当効いたのだ……。
チヨコは青筋を立てて煙草女を睨みつけた。
鼻で笑われた。
最悪を超えた最悪の気分だった。
「どういうことだ……? これはニンゲン族の病人食ではないのか……?」
人をおちょくってるとブッ飛ばすぞ*2、ぐらいの形相で煙草女を睨み返してしまったチヨコ。
しかし……煙草女は、心の底から不思議そうな目でチヨコを見下ろしている。
ここで、チヨコは一抹の不安を抱いた。
ひょっとして……この一連の流れを、嫌がらせとか悪意とかじゃなくて、素面でやってらっしゃる??
さっきの場面転換からここまでの流れって、理不尽ギャグの悪乗りパートじゃなかったの??
あわや、そんなメタツッコミが飛び出そうになったチヨコであったが……どうやらニガリの方は大真面目の様子だ。
「ええっと、真面目に答えるならこれは絶対に病人食じゃないけど……。
セイラちゃんが本当にこれを病人食だって言ったの?」
「セイラ本人が私に直接言ったわけではないが、セイラは1か月ほど前からストレス性とみられる消化器不良を起こしていてな。
そんなセイラが毎日これを調理して食べていたから、私は病人食だと推測した」
チヨコは戦慄した。
このゲロ不味い雑草スープを、毎日……?
そんなものは今時イジメでもやらないし、まかり間違って地上波で流そうものならばBPOと全面抗争になってもおかしくない。
しかし、それ以上にチヨコにとっては聞き逃せない内容がニガリの言葉には含まれていた。
1か月前から、ストレス性の消化器不良?
チヨコは、空っぽのはずの胃袋がムカムカした。
その原因に、チヨコは心当たりがあるのだ。
「セイラちゃんが帰ってきたら、ちゃんと話し合うよ」
セイラがどこに出かけているかは知らないが、いくら体調不良とはいえセイラなら基本的には生きて帰ってくるだろうという信頼はあった。
ギャングルメの一族が待ち構えている場所に単騎で突撃でもすれば話は別だが、まさかそんなことは無いだろう。
レモン叔母さんのラボから聞こえたニビル・ギャングルメの声を思い出しながら、チヨコはそう思った。
「セイラなら、お前の体調が悪そうだから、レモンに相談すると言って出かけたぞ」
チヨコは走った。